「Zack Snyder’s Justice League」鑑賞

HBO MAXで全4時間を鑑賞。以下はネタバレ注意。

まあ発表時というか発表前から、さらに言うとジョス・ウィードン版「ジャスティス・リーグ」が公開されたときからハイプに包まれた作品であったわけで、その期待度によって観る人の感想が大きく変わってくるものなのでしょう。世間的にはジョス・ウィードンが最近パワハラ疑惑などで井戸に落ちて石を投げられている犬みたいになっていることもあり、ウィードン版(通称「ジョスティス・リーグ)」をディスってスナイダー版を持ち上げる意見がネット上では多く見られるのだけど、いや流石に2時間の映画と4時間のものを比べるのは無理があるでしょ。しかもスナイダー版はウィードン版が失敗したのを受けて作られたわけで、スナイダーがウィードン版を一切観ていないと公言していても後出しジャンケン的な感があるので、今回のスナイダー版とウィードン版を比べるのはあまり意味がないと思うのです。

それで今回のを観ていて自覚したのが、自分はウィードン版の内容をよく覚えていない、ということでして、もちろんプロットなどは覚えてるのだけど細かいところまでは覚えてないので、あれこのシーンは以前にあったかな、なかったっけな、と考えるところが多々ありました。あるシーンが以前からあったのか、編集されたのか、新規に撮影されたのかなどは細かく判断できんな。まあ両者の比較を詳細に解説しているサイトも出てきてますので、以下の解説に認識違いがあったらご容赦を。

ただ「ウィードン版とは全然別物だぜ!」という意見もネットでは飛び交ってる一方で、自分としては意外とウィードン版と同じだな、という印象でした。もちろん尺が倍になってるのでいろいろ足されたところは多いのだけど、話のプロットは大体同じだし、最後のエピローグを除けばものすごく目新しい部分は少なかったような。そもそもウィードン版がウィードンの映画というよりもスナイダーのスタイルに近いものであったと思ってまして、これは例えばウィードンの「アベンジャーズ」なんかと比べれば一目瞭然であろう。

そしてスナイダーのスタイルは何かというと、それはグリーンスクリーンの前で繰り広げられるコテコテのCGアクションでしょう。ヒーローの背景にある大海原と夕日はグリーンスクリーンにCGで付け加えられたものであり、彼の髪をなびかせる風はセットの扇風機から吹かれている。スナイダーによる映像にはあらゆる点で人の手が加えられており、まるで化学調味料だらけの料理のようである。もちろんそれを美味いと思う人も多いのだろうけど、ちょっとは自然の野菜とか使っててもいいよね、と彼の作品を観るたびに考えてしまうのです。

それでもって今回は冒頭から、「ザック・スナイダーの創造的ビジョン」についてのお断りが出てくるのには驚いた。何でも画面サイズが4:3であることが彼の創造的ビジョンなんだそうな。アクション映画といえばワイドスクリーンで映すのが常套的なのに、なぜその画面サイズなのか?どうもIMAX映画を気に入っていて、あの1:1.43の画角に憧れて今回は4:3にしたらしい。でも別にIMAXカメラで撮影しているわけでもないし、当然IMAXで上映される予定もないので、クリストファー・ノーランのバチモンよろしくこの画面サイズにした意味があるのか?と思うのですが、まあワーナー的にはOKなんでしょう。

このように画面の左右に黒みが入ったまま、話は幕を開ける。前作「バットマン vs スーパーマン」で殺されたスーパーマンの断末魔(とてもうるさい)が世界中に響き渡り、3箇所に隔離されていたマザーボックスがそれによって覚醒する(なぜ?)。そしてマザーボックスを狙ったステッペンウルフが地球にやってくる、というのが話のはじまり。マザーボックスは原作の「生きた(治療用)コンピューター」という設定と大きく違っていて、ステッペンウルフの親分であるダークサイドがそれを用いて惑星を征服するという、マーベルのギャラクタスの惑星エネルギー吸収マシンみたいなものになっていた。

ステッペンウルフはウィードン版とずいぶんデザインが異なっていて、「マイティ・ソー」のデストロイヤーっぽい外見になっている。まあ中間管理職的なヴィランなので相変わらずハクがないのですが。しかも今回は過去にヘマをしたために本部に出入り禁止になっているという悲しい設定つき。そして彼の親分であるダークサイドは、ウィードン版では存在が暗示される程度だったが今回はきちんと登場している。しかし大昔に地球を侵略しに来たもののアトランティス人やアマゾンの軍団によって撃退され、マザーボックスを置いて退却したことになっていて、ダークサイド弱い!カクカク曲がるオメガ・ビーム習得前だったのかもしれないが、初登場で負けるダークサイドって結構インパクトあるぞ。あとは彼の腹心の部下であるデサード、原作だとネズミ男みたいなズルい奴なんだけど、今回は普通に悪の幹部の秘書みたいな描写でちょっと面白くなくなってたな。

このステッペンウルフの目的を阻止するためにヒーローたちが集うのはウィードン版と同じ。ただ2時間も長いのでいろんなキャラクターが登場したり、設定に肉付けがされている。一番良かったのはザ・フラッシュの登場シーンで、高速で移動することで止まってる人たちを助ける描写は「Xメン」のクイックシルバーの「Time In A Bottle」のシーン並みに良かったですね。さらにフラッシュ以上にサイボーグのバックストーリーに時間が割かれていて、彼がなぜああいう姿になったのかとか、父親との関係などがじっくりと説明されている。

サイボーグ役のレイ・フィッシャーはセットにおけるジョス・ウィードンの振る舞いをすごく糾弾していて、さらに今回のでサイボーグのシーンが大幅にカットされてたことが判明したためにウィードンはレイシストだ!とか騒いでる人もいるのだけど、そりゃ尺を大幅にカットしなければならないなら、いちばんマイナーなキャラクターのオリジン話とかは削るようなあ、と考えてしまうのです。さらに今回はサイボーグ以上にマイナーなヒーローが初登場しまして、かなり蛇足な登場をするので、いやあいつ出す必要あるか?とも思ったな。あとコミックではアジア人版ザ・アトムになるライアン・チョイ君が出てきますが、すごく中国語訛りの強い英語を話す人になっていて、それに嫌味のようなものを感じたのは俺だけか?少なくともあの訛りではスピンオフできても主役は張れんぞ。

まあこのような肉付けがされつつウィードン版と同じプロットを辿るのですが、スーパーマンを復活させるまでのシーンがちょっと退屈だった以外は、4時間という尺はそんなに気にならなかったかな。尤も肝心なアクションシーンはすぐスローモーションになるので、あれが普通の速度だったら尺は3時間くらいになっていたかもしれない。また適度にアクションシーンが挿入されてる一方で大きな盛り上がりには著しく欠けている内容でもあるので、別に1時間X4話のフォーマットでも良かったんじゃね?とも思ってしまうのです。

そしてステッペンウルフとの最終決戦のあと(最後のあれ、リチャード・ドナー版スーパーマンを連想した人います?)、ちょっとガラリと展開が変わるエピローグが加えられてるのですが、あれは俺に続編を作らせたらこんなのできるぜ、というスナイダーのアピールなんだろうか。まあアクアマンもワンダーウーマンもソロで活躍しちゃってるし、バットマンも役者が交代してるので、スナイダー版の続編は作られることはないだろうな…。なおエピローグでの「Congratulations by the way」が何を意味するか、分かりますよね?

4時間という尺を我慢できるかどうかを別とすれば、ウィードン版を観たことがない人はこっちを観た方が楽しめると思うし、ウィードン版を不満に感じた人もこちらには何かしら満足できるものがあるだろう。じゃあ傑作になってるのかというと全くそういうわけではなく、むしろ4年前からスナイダー版の公開を求めていた人たちを安らかに眠らせることに、作られた意義のある映画なのではないだろうか。個人的には本当にこれを最後にして、スナイダーはDCコミックス映画から足を洗って欲しいと願わずにはいられないのです。