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鬼才ヴェルナー・ヘルツォークの「THE WILD BLUE YONDER」を観る。いちおう冒頭のクレジットでは「SFファンタジー」だと紹介されるんだけど、従来のSFとはまるで違ったとても不思議な作品だった。

物語の主人公・語り手となるのはブラッド・ドゥーリフが演じる宇宙人。彼らはアンドロメダ星雲の彼方にある、死にゆく惑星「ワイルド・ブルー・ヨンダー」を離れて何百年も宇宙をさまよい、居住可能な惑星を探して地球に百年くらい前に到達し、地球人にまじって暮らしていたのだった。でも宇宙人だからといって超能力が使えるといったわけでもなく、彼らは外見も能力も地球人そのままで、才能があるとすれば宇宙のことをちょっと知ってるというくらいで、大都市を建設しようとするものの見事に失敗して「僕らはサイテーだ」とボヤいてる始末。

そんな間にNASAはロズウェル事件での落下物(実は宇宙人の送った探査機)を再調査するのだが、そこから正体不明の細菌が流出したことを危惧した彼らは、地球が汚染されて住めなくなる可能性を考慮して、居住可能な惑星を探す任務を一機のスペースシャトルに託す。そのあと細菌は無害であることが判明するが、シャトルは長い旅をそのまま続けることとなった。そしてNASAの数学者の考案によって、宇宙人たちも知らなかった宇宙旅行の近道が発見され、シャトルは宇宙の彼方へと進んでいく。そこで彼らが見つけた居住可能な惑星、それは「ワイルド・ブルー・ヨンダー」だった…というのが大まかなストーリー。

こうしてストーリーだけ書くとバリバリのSF作品のように聞こえるだろうけど、SFX映像などは一切なし。シャトルのシーンなどにはNASAによる実際の映像が使用され、水の惑星「ワイルド・ブルー・ヨンダー」のシーンには、南極の海の中の映像が使用されている。NASAの作業を撮影したごく普通の映像でも、「これは極秘の映像だ」なんていう”宇宙人”のナレーションがかぶさると全然別の映像に見えてしまうのが不思議。しかも作品の6割くらいにはナレーションもなく、宇宙と海中の神秘的な映像がオペラなどにのせて流されるので、半ばドキュメンタリーを観てるような感じになってくる。そこらへんがヘルツォークらしさでもあるんだけどね。

この非常に特殊なスタイルが100%効果的に働いているかというと、必ずしもそうじゃないんだが、何にせよ非常に印象的な作品になっていることは間違いない。行き先不明の長旅を続ける宇宙飛行士たち、そして故郷をしのぶ宇宙人の何ともいえない悲哀が話のベースにあるのも素晴らしい。作品の大半がフッテージ映像でありながら、ハリウッドではとんと作られなくなった「知的なSF映画」をきちんと作ってしまっているところが見事。J・G・バラードあたりの短編を映像化したらこんな感じになるのかな。もはや大ベテランの監督でありながらこんな作品をしれっと作ってしまうんだから、やはりヘルツォークは侮れない。

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