「Hit-Monkey」鑑賞

米HULUのオリジナルアニメシリーズ。マーベルのコミックを原作にしたもので、主人公のヒットモンキーはダニエル・ウェイとDalibor Talajićが生み出したキャラクターらしいが、恥ずかしながら全く知らんでした。自分のミニシリーズのほかに「デッドプール」なんかのコミックに登場してたそうな。

舞台は日本。陽気なアメリカ人ヒットマンのブライスは何者かに依頼されて、選挙への出馬を控えていた高原という革新派の政治家の暗殺を依頼される。暗殺自体は上手く行ったものの、ブライスは雇い主に裏切られて襲撃され、傷ついた身で山奥へと逃げ込む。そこの温泉に浸かる猿たちに看病された彼は、彼に特に興味を持った若い猿と親密になるものの、ブライスの追手たちが山にやってきて彼と猿たちを皆殺しにしてしまう。唯一残った若い猿はブライスの銃を手にして追手たちに復讐を遂げ、そして突然彼の前に現れたブライスの幽霊とともに、物事の真相を明かそうと山を降りて東京に向かうのだった…というあらすじ。

宣伝用写真とかを見るとスーツを来たモンキーが銃を手に暴れまくるような印象を受けるが、劇中のモンキーはもっと繊細な性格で、自分の投げ込まれた状況に困惑している感じ。しかしさまざまな悪人に出くわして痛めつけられるため、結局はブチ切れて暴れまくるのだが。足でも物を掴めるというのが彼の強みらしい。

モンキーは人語を話さない(ほかの動物と話す時はコミックみたいに文字が出る)のだけどブライスとだけは意思疎通ができるという設定。また幽霊となったブライスは他の人間の目には見えず、モンキーと不思議な絆で結ばれていて彼と離れることができない。そして事件の黒幕を追う彼らは、高原の代わりに出馬することになった老政治家の横浜シンジ、その姪のアキコ、警官のハルカなどに出会っていく。マーベルのシリーズだけどほかのコミックから登場する有名キャラはレディ・ブルズアイとシルバー・サムライくらいかな。

日本人としては舞台となる日本の描写が気になるところで、高尾山の麓に城があったり、ヤクザが銃を気軽に使いすぎだろといった誇張された部分ももちろんある。しかしその一方では背景に使われている漢字が意外と正確だったり、街中の雰囲気がよく描かれていたりと、大半のハリウッド映画なぞよりも描写は的確だった。これはスタッフライターのケン・コバヤシという人に負うものが大きいのかな。マイナーな日本語ラップ曲が綺麗なアニメーションにのせて流れる演出とかもスタイリッシュで良かったよ。

声優はアキコ役にオリビア・マン、シンジ役にジョージ・タケイと、日系でなくともアジア系で揃えている。モンキー役のフレッド・タタショアも人語を一切話さない役で頑張ってるなあ。ブライス役は「テッド・ラッソ」で日本でも知名度の上がったジェイソン・サダイキス(スーデイキス)が演じてるが、モラルが欠如していて口の達者なヒットマン、というキャラクターが同じHULUの「ARCHER」とモロに被っていてそこは損しているな。

基本的にはハイパーバイオレントなアクションを売りにしたコメディだけど、こないだの「MODOK」同様、キャラクターの悲哀もきちんと描いてるのが上手いね。ブライスの悲しい過去を描いたエピソードとかは特に良かった。別に日本を侮辱してるような内容でもないし(つうかそもそもコメディだしぃ)、これ日本のDISNEY STARでもいずれやらないかな。

「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」鑑賞

かなり期待しないで観に行ったつもりだが、やはりダメだったでござる。以降はネタバレ注意。

カーネイジが登場することは前作のラスト、というかヴェノムの映画が作られた時点で確定路線だったのだろうが、おれあのキャラ嫌いなのよな。元来ヴィランだったヴェノムが1990年代初頭に、当時のグリム&グリッティなコミックの流行に乗って人気が出たために「リーサル・プロテクター(劇中でも言及されてましたね)」としてのアンチヒーロー的な立場になってしまい、ヴィランとして使えなくなったので代わりに登場したのがカーネイジ。当時の流行を反映した残虐キャラで、あまり深みのあるキャラでは無かったと思うが当時のマーベルは大々的に売り出して、12パートのストーリーライン「MAXIMUM CARNAGE」とか打ち出してたけど長いだけでグデグデになってた覚えが。このバブル末期的なイベントが、数年後のマーベル倒産の予兆だった、と見なすのはそんなに間違ってないと思うのです。

んで映画の方はちょっと不思議な構造をしていて、こういうスーパーヒーローものというかアクション作品の続編って、とくにバディ要素がある場合、以下のような話の流れが黄金パターンになってると思うのです:

  1. 前作で手に入れたパワーを使って主人公と相棒がノリノリで活躍する
  2. その裏で新たな敵が登場する
  3. その敵と主人公が遭遇、主人公が負ける
  4. 主人公が苦悩する、あるいは相棒とケンカする
  5. 主人公が自身を見つめ直して成長する、あるいは相棒と仲直りする
  6. 敵を打ち負かす

それに対してこの映画は上の3〜5くらいの部分が抜けてるというか、エディ・ブロックとヴェノムのバディ漫才が長々と続いたのちに、彼らの仲直りもしっかり描かれないまま、いきなりカーネイジと「初対面」してそのまま最終決戦になる流れに驚いてしまったよ。これクリーシェを破っているというよりも、脚本の練り込みが足りないのでは。今回はトム・ハーディが初めて脚本にも関わったらしいが、それが影響してるのかなあ。

監督のアンディ・サーキスも役者としてはすごい人だけど、過去の「ブレス しあわせの呼吸」などから察するに監督としての腕はそこまでではないと思うのですよね。エディとヴェノムが体をシェアしたまま話をする際のセリフがやたら多くて、もうちょっと整理しても良かったのでは。出演者はやはりスティーブン・グレアムの出番がもっと欲しかったな。あとウディ・ハレルソンとナオミ・ハリスが幼なじみを演じるには歳が離れすぎてるのでは。

90年代のコミックでよく覚えてる「ビーチでくつろぐエディ・ブロック」という実にマイナーなシーンまで映像化したのは評価するけど、やはりね、もうひと捻り欲しい作品だった。

「エターナルズ」鑑賞

思ったことを雑多に書いていく。以降はネタバレ注意。

  • 個人的に原作コミックにあまり思い入れはない。ジャック・カービーの作品としてもキャリア的にどちらかといえば後期のもので、60年代〜70年代前半に狂ったようなペースで名作を創出していたのに比べれば少しトーンダウンした作品、という印象があるかな。
  • いきなり話はずれるが、ジャック・カービーの神話というか神に対するアプローチは非常に興味深いものがあって、「ソー」は北欧神話のアスガルドの神々をSFテイストを加えて描き、それらの神々にとって代わる新しい神々としてユダヤ教の影響が色濃い「ニュー・ゴッズ」をDCで作った。そのあとインカ文明のアートの影響を受けつつ「エターナルズ」を創作した、ということになるのかな。キャリアを通じて神とは何か、を問いただした作家であった。
  • 原作の「エターナルズ」の重要なキャラクターはやはり、人類を裁くために地球にやってきた巨大な創造主ことセレスティアルズだが、映画版では話をもっと人気的なスケールにするためかセレスティアルズは1〜2体しか登場せず、エターナルズにより焦点をあてた内容になっている。まあ超巨人が世界中を跋扈するような話だと、ほかのMCU映画との兼ね合いが悪いのでしょうな。
  • 主人公となるエターナルズの性別とかオリジン話も原作からいろいろ改変されてて、まあそんなものでしょう。原作の「心正しいエターナルズは美男美女ばかりで、邪なデヴィアンツは醜い欠陥品ども」という描写がなんか優生思想のようで好きにはなれなかったのだけど、映画では幸か不幸か心を持たない獣のようになっていて、安心して叩ける悪役になっておりました。いかにもCG、というキャラクターデザインは好きじゃないけどね。
  • 予告を観たときは多くの登場人物がいろんなアクセントでなんか気になったけど、実際に本編を観たらさほどではなかった。というかマ・ドンソク(ギルガメシュ)は英語上手だね!それに対してイカリス役のリチャード・マッデンが終始スコットランド訛りで話すのだけは気になって仕方なく。何千年も一緒にいたという人たちなのに、なぜ一人だけ違う訛りで話すのだろう。

ここからは技術的な話になるが、監督のクロエ・ジャオって、アカデミー賞を獲った前作「ノマドランド」から察するに(「ザ・ライダー」は未見)、自然光での撮影が好きで(特にマジックアワー時)、小人数の親密な会話シーンを得意とする監督である。それは冒頭、エターナルズが登場するのも陽の傾いた荒野であることから明らかだろう。しかし今作は大人数の出てくるアクション大作であって、監督の得意とする分野とは正反対のものではないのか。戦闘シーンも夜や暗い森のなかで行われていて、あまり照明が当てられてないから暗くて展開がよく分からないの。最後も舞台は無人島なのにわざわざ洞窟に入ったりして、明るいところで戦え!と思ってしまったよ。グリーンスクリーンを嫌ってロケーション撮影を行ったらしいが、それにCGの怪物とかエフェクト加えてたらあまり意味がないのでは。

キャストにしてもマ・ドンソクに加えてジェマ・チェンやクメール・ナンジアーニ、バリー・キオーガンといった多様な人々をハリウッド大作で揃えたのはすごいと思うし、それぞれが優れた役者なのだけど、皆が揃ったときのやりとりがなんかよそよそしいというか、ケミストリーが感じられなかったのは俺だけ?致命的なのがアンジェリーナ・ジョリーの役で、確かに精神的に不安定で近寄りがたい設定だとはいえ、明らかに他の役者と噛み合ってなくて、最後まで「場違いの映画に出た大女優」という雰囲気だったのが残念。サルマ・ハエックはもっと噛み合ってたのに。

あとはストーリーも、セレスティアルをアレすることで結果的にああなるのでは、というジレンマが結局解消されなかったし、冒頭で「私はウソを見抜ける」と豪語していた人が仲間のウソを見抜けなかったりと、なんかモヤモヤするものが残る内容でありました。

聞いた話ではクロエ・ジャオってマーベルのファンで自らこの作品をピッチしたそうだし、決してマーベル作品に不向きということではないと思うのですよね。その一方でこの作品はクロエ・ジャオが監督する必要はなかったのでは?と思わずにはいられなかった。マーティン・キャンベルが「グリーン・ランタン」を監督した際のミスマッチ感のようなものか。クレジット後の映像も「あんなキャラ出すの?」という感じだったし、「エンドゲーム」後のマーベル映画はちょっと方向性が不明瞭な印象を蹴るけど、いずれどこかで気を引き締めて、セテスティアルズが勢揃いするような大クライマックスが展開されることを期待します。

「Madi: Once Upon A Time In The Future」読了

月に囚われた男」「ミッション: 8ミニッツ」のダンカン・ジョーンズが、ライターのアレックス・ディ・カンピと組んでストーリーを執筆したコミック。

昨年の6月くらいにキックスターターでクラウドファンディングが始まって、そのときはコロナの給付金(覚えてる?)が振り込まれてたので気前よく30ドルほどのソフトカバー版をプレッジしたのだが、電子書籍ではないから後から送料が50ドルほど上乗せされ、なんだかなーと思っていても発送の連絡が全く来ない。コロナの影響で印刷に手間取っている、というニュースレターは届いてたので仕方なく気長に待ってたら他のアジア地域には届いている、という書き込みを見つけたので問い合わせしてみたら、すまんデータベースが破損したので送れなかった、といういいかげんな言い訳が来た次第。おかげでプレッジしてから実物を手にするまで1年以上待たされることになったよ。しかもこれ出版社がアマゾンでも販売してて、日本でも送料込みで3000円ほどで入手できるようで、待たされて高い送料払ったのは何だったんだよという気分。コミックのクラウドファンディングするのは、データ納品される電子書籍のみに徹したほうが良さそうですね。

とはいえ約30センチ X 20センチの大判サイズで260ページのソフトカバーは紙の書籍ならではの質感があってなかなか心地よい。1つのストーリーを複数のアーティストが数ページずつ描いているスタイルで、有名どころではダンカン・フィグレド、グレン・ファブリー、クリス・ウェストン、サイモン・ビズレー、ピア・グエラなどといった、主にイギリスのアーティストが携わってますね。当然ながら人によってアートのスタイルが違うので、キャラクターの顔が突然変わったりして戸惑うところもなくはない。素手の戦闘で人体破壊が行われるシーンをサイモン・ビズレーが担当してるあたり、いちおうそれぞれのアーティストの特性にあわせてページを振り分けてるのかな?

舞台は近未来。マディ・プレストンはイギリスの特殊部隊員だったが体内に無数のサイバネティックス補強を施したために多くの借金を抱えており、退役後は彼女の姉たちとともにリバティー・インクという企業の傭兵として危険なミッションをこなしていた。ロンドンのミッションでも同僚を一人失ったマディは、単独で上海の大企業「レッドサン」の代理人の依頼を引き受け、あるテクノロジーを奪取するために巨大船舶に潜入するが、そこで彼女が発見した「テクノロジー」とはサイバネティックスを埋め込まれた一人の少年だった。特異な技術を持ったディーンという少年をレッドサンに引き渡すマディだったが、あどけない少年を渡したことに罪悪感を感じて彼女はディーンをレッドサンから奪い返し、技術者のテッドとともにアメリカへ逃亡するのだったが…というあらすじ。

主人公のマディは身体中に埋め込まれた補強インプラントのおかげで超人的な身体能力を誇るものの、身体を他人にハックされる可能性があるため劇中の大部分では機能をオフにしていて、逆に皆の足手まといになるくらい。冒頭でディーンを誘拐する際も謎のブラックアウトを経験していて、実際そこで何が起きたのか?というのがストーリーの大きなカギになっている。一方のディーンは世界中にあふれる電気信号を見ることができて操れるという能力の持ち主で、ATMだろうとドローンだろうと自在にハッキングできる能力はちょっとチートすぎるかな。

おれ最近のダンカン・ジョーンズの映画を観てないのですが、「月に囚われた男」「MUTE」と同じユニバースの作品なのかな?サイバーパンク作品だが内容はSF要素よりもアクションに重きを置いたものになっていて、バンド・デシネよりも「2000AD」にノリは近いかな。ジョーンズは「2000AD」原作の「ローグ・トルーパー」の映画化にもとりかかってるはずだから、あれに影響されたのかもしれない。ニール・ブロムカンプの映画の雰囲気にも近いかな。

中国のレッドサン社が具体的に何をやりたいのかとか、全体的な世界設定の説明が足りないし、ストーリー展開もありがちではあるのだが、話のテンポがよくて飽きさせず、著名なアーティストたちのアートにも支えられて結構楽しめる作品になっていた。少なくとも30ドルの価値はあるかな。送料50ドルとなると考え込んでしまうけど。

「Y: THE LAST MAN」鑑賞

ブライアン・K・ヴォーン&ピア・グエラによるDC/ヴァーティゴの同名コミックを元にした、HULU/FXの新シリーズ。この著作権はクリエイターに属してるので、DCコミックス作品とはいえワーナー製作ではないみたい。原作が人気作品なのでずいぶん前から映画化の話などがあったものの、TVシリーズ化は主演が変わったり(バリー・キオーガンが演じる予定だった)ショウランナーが降板したりとグダグダしていたのだが、この度やっと完成したことになる。

話のプロット自体は極めてシンプルで、ある日突然、世界中の男性および動物のオスが謎の病気にかかって死んでしまう。世界には女性だけが残されて混乱を極めるものの、なぜかヨリックという青年および彼のペットの雄ザル「アンパーサンド」だけは生き残っていた。この貴重な生き残りであるヨリックの存在はアメリカ政府内でも極秘扱いされ、ヨリックは護衛のエージェント355とともに、彼が生き残った理由を突き詰める旅に出るのだった…というあらすじ。

男性およびオスがみんな死んだ、というのはつまりY染色体を持った生物が絶滅したということで、タイトルはここから来ている。主人公の名前のYORICKもこれにかけてるんだろうな。原作はヨリックのガールフレンドがオーストラリアに留学中という設定で、ヨリックは彼女に会おうとするロードムービー的な要素があり、終盤ではコギャルが跋扈する日本に行ったりもしてたが、こっちはガールフレンドがまだオーストラリアに向かう前になっている。また原作ではヨリックの母親はワシントンDCの議員だったが、TV版では大統領の継承権を持った男性がみんな死んだために彼女が大統領に就任したという設定になっていて、政治ドラマの要素にも重きを置いているみたい。

というかコミックが原作の作品にしてはやけに話の展開が遅くて、第1話は大災厄に至るまでの各登場人物のあらましがバラバラに紹介され、第2話でヨリックが母親に再会し、第3話でやっとヨリックとエージェント355が旅に出る、という展開なので、これからロードムービーっぽくなるのか、引き続き政治ドラマが描かれるのか、よく分からんのよな。なおヨリックはアマチュアのエスケープ・アーティスト(脱出系マジシャン)で、この才能が捕まったときにいろいろ役立つのだが、TV版ではいまのところその才能を発揮するシーンがないみたい。

主人公のヨリックを演じるのはベン・シュネッツァー、って「パレードへようこそ」のマーク・アシュトン役の人か。ヒゲ面になったので分からなかったよ。しかしクレジット上では彼の母親を演じるダイアン・レインがトップになっていて、これから察するにやはりヨリックの話だけでなくアメリカ政府の話が、これからもずっと描かれていくのかな。あとは前大統領の娘役でアンバー・タンブリンが出てたりします。

コミックだとあまり気にならなかったが、出演者のほぼ全員が女性という出演ドラマって結構もの珍しさを感じますね。ついでにショウランナーや監督も女性だし。この設定を活かして、ヨリックの物語というよりも世界を再び再興させようとする女性たちの物語にしたほうが面白そうな気もするが、今のところはあまり社会的なコメンタリーはないみたい。しかし今後は原作にない、トランス男性のキャラクターも登場するそうで、ジェンダースタディー的な内容になっていくのだろうか。

プロットの脚色、というよりも映像化があまり上手にできてない印象を受けたが、ヨリックたちが旅に出たことでこれから面白くなるかもしれないのでとりあえず評価は据え置く。コミックの最終回は非常に好きなエピソードなので、あそこまで無事にたどり着いてくれることに期待します。