先週あたりにアメコミ界隈で話題になったニュースだが、マーベルのゴールデン・エイジ作品のコンピレーション版の出版にあたって、「マウス」でピューリッツァー賞を受賞したアート・スピーゲルマンに序文が依頼されたものの、内容が政治的すぎるとしてマーベルに却下されたそうな。修正を断ったスピーゲルマンは事の顛末の説明とともに序文を英ガーディアン紙に掲載している。
マーベルが序文を拒否したのは、マーベルのCEOであるアイク・パールムッターがトランプとズブズブの関係だからでは?とスピーゲルマンは示唆してるものの、これについてマーベルから公式な説明も出てないし、実際どこまでの忖度が働いたのかはよく分かりません。パールムッターは映画の記者会見で、記者がもらえるフリードリンクの数にケチをつけるような目ざとい奴として知られるが、本の序文にいちいち目を通してるのか分からないし。まあアウシュビッツをテーマにした「マウス」で知られるスピーゲルマンに執筆を依頼したなら、内容が政治的なものになることくらいは明らかだったと思うが。
というかこの文章、読んでみるとわかるがそんなに政治的なものでもないのですよ。むしろアメコミの黎明期において、ユダヤ系のクリエイターたちが当時の不安な世相に影響を受けながら新しいメディアを作っていったかがうまく説明されていて、そういう文章ってあまり日本では見かけないのでざっと訳してみました。あと日本でも「アートと政治は別にしろ!」と主張するアホな人がいたりしますが、世の中の出来事とアートが密接に繋がっていることはよく説明されていると思う。原文はこちら。当然ながらスピーゲルマンやガーディアンの了承など得てないのでチクったりしないように。
アート・スピーゲルマン:ゴールデン・エイジのスーパーヒーローたちはファシズムの台頭によって形成された
20世紀がまだ未開の時代であったころ、コミックは子供や知性の足りない大人向けの、文学に値しないゴミのようにみなされていた。ひどい文章に手を抜いた絵がつき、印刷の出来も悪かったのだから。現在のマーベル・コミックスの創設者であり出版者だったマーティン・グッドマンは、かつてスタン・リーに、コミックのストーリーを文学っぽくしたり、キャラクターの成長についていろいろ考える必要はないと語った。「アクションをふんだんに盛り込み、あまり言葉を多くしなければいいんだ」と。この方式が、数多くの重要かつ感銘的な作品を生み出していったことは、まさに真の驚異(マーベル)である。
コミック本のフォーマットは印刷業のセールスマンであるマックスウェル・ゲインズに負うものが大きい。彼は新聞の二部紙の輪転機を稼働させ続けるために、1933年にタブロイド紙の半分の大きさで、人気のあった新聞の連載漫画を集めて再印刷したのだ。もともと無料で配るものだったが、試しに10セントの値段をつけてみたところ、すぐにニューススタンドでは売り切れてしまった。これを受けて複数の出版社が、人気のあった漫画の多くをコミック本の形で収録して発売し、新しいコミックも安い再販料金で必要とされることとなった。これらの新作の大半は既存の連載漫画の三流コピー品か、冒険もの・探偵もの・西部劇・ジャングルものといったジャンルの作品だった。かつてマーシャル・マクルーハンが説いたように、あらゆる媒体は、独自のアイデンティティを持つまえにその直前にあった媒体の中身を包摂するのである。
そして志高き10代のライターであるジェリー・シーゲルと、若きアーティスト志望のジョー・シュスターが登場した。ふたりとも疎外されたユダヤ系のオタクで、そんなステータスがちょっとでもカッコいいと見なされる何十年も前のことだった。彼らは連載漫画が自分たちに、名声と財産と女の子たちの憧れの眼差しをもたらしてくれることを夢見て、死にゆく惑星からやってきて、真実と正義とルーズベルト大統領のニューディール政策のために戦ってくれる超人の異星人を考案したのだ。彼らはまだ成人したばかりであり、少年ふたりのアイデアは幼稚で、単純で、熟練していないとみなされて新聞社には断られたのだが、ゲインズは彼らの作品「スーパーマン」の13ページをページあたり10ドルで「アクション・コミックス」誌のために購入する。この金額にはキャラクターのすべての権利も含まれていた。シーゲルとシュスターの創造したものは、コミックという媒体を定義することになる新しいジャンルのモデルになったばかりでなく、彼らの人生は、クリエーターが生み出したものが出版社に膨大な富をもたらしたにも関わらず、クリエーターがその富を得られないという悲劇的な凡例になってしまったのだ。
現在DCコミックスと呼ばれる出版社が1938年の6月に「アクション・コミックス」第1号を出版し、スーパーマンが登場したことで、コミックのゴールデン・エイジが始まったと一般的にはみなされている。シーゲルとシュスターは新しいアーキタイプ、より正確には新しいステレオタイプを生み出し、1940年にはスーパーヒーローものという新しいジャンルが、子供たちに毎月何百万ドルもの小銭を費やさせることを証明し、大量の模倣者たちが4色印刷のヒーローたちを次々と空へ飛ばし、皆がゴールデン・エイジで黄金を追いかけていた。スーパーマンの幼稚な純粋さは実のところ彼の魅力の1つであり、多くのパルプ小説よりももっと非論理的な、子供向けのファンタジーの物語に若い読者を誘い、原色と二次色に満ちた図式的なビジュアルは1つ1つのページを、読者の目をアクションで刺激する舞台の幕開けにしてくれるのだ。
流行に敏感で、派手なパルプ小説を出版していたマーティン・グッドマンは、スーパーヒーローの波に真っ先に乗った人であり、1939年10月に出した「マーベル・コミックス」第1号は大ヒットとなった(8万部の初版に続き、80万部以上の重版があった)。本の内容はコミック本のパッケージ業者であるファニーズ・インクによって提供された。ファニーズ・インクは間接経費を下げたかった新参の出版社のために、ストーリーからアートまで出来上がったコミックを制作することができたのだ。コミックを制作する「店」はアーティストの家族の多くが働いていた、衣服の搾取工場に似たようなものだった。タイムカードを押した多くのスタッフ(ライター、ペンシラー、インカー、レタラー)が原画のページにほとんど同じタイミングで取り掛かる、出来高払いの仕事で、アートというよりも小企業のようなものだった。この業務には未熟な若者や落ちぶれた老人などが雇われ、そしてさらには、コミックの需要に対応していた若き男性たちが第二次大戦中に徴兵されてしまったとき、女性や有色人種やその他のマイノリティが仕事に関わったのである(しかし彼らは、コミック全体で長きにわたって通用してきた、人種差別的で性差別的なステレオタイプを描かされたのだった)。
ここで指摘すべきは(私の人種の誇りというよりも、初期のコミック業界の生々しさと特定のトレンドに光をあてる意味で)、ニューヨークをベースにしたこの新しい媒体のパイオニアたちは、大半がユダヤ系もしくは人種的なマイノリティであったことだ。シーゲルとシュスターに限らず、最近アメリカにやってきた移民やその子供たちの世代(大恐慌の影響をもろに受けた人たち)はドイツにおける悪質な反ユダヤ主義の台頭に特に敏感であった。少なくとも名目上は「疲れ、貧しき、自由な息吹を求める群衆…」を迎え入れてくれる国のために戦う、アメリカの「超人」を彼らは作り上げたのである。
クラーク・ケントのごとき秘密のアイデンティティをつくったユダヤ人たちを、何人か挙げてみよう。ゲインズの本名はマックス・ギンズバーグだった。グッドマンの両親はリトアニアのヴィリニュスからの移民だった。同じくユダヤ系のジョー・サイモンとキャプテン・アメリカを創造した精力家のジャック・カービー(本名ジェイコブ・カーツバーグ)は、ニューヨークのロウワー・イースト・サイドのスラムで生まれた。そしてグッドマンの妻の従兄弟であり、その縁故で会社に雇われた17歳のスタンリー・リーバー少年こそが、のちにマーベルの顔となるスタン・リーである。彼らはより高級な広告業や出版業で働くことはできなかったものの、階層の底において居場所をみつけられたのだ。
これらのコミック工場における未熟なアーティストたちは、過酷な締め切りのプレッシャーのなかで新しい形式の可能性を発見していった。彼らはお互いの作品を模倣し、新聞の冒険コミックの天才たちからそのまま盗むことで腕を磨いていったのだ:アレックス・レイモンド(「フラッシュ・ゴードン」「Secret Agent X-9」)、ハル・フォスター(「ターザン」「プリンス・ヴァリアント」)、ミルトン・カニフ(「テリー・アンド・ザ・パイレーツ」)など。その一方で「マーベル・コミックス」第1号のメイン作品である「ヒューマン・トーチ」を描いたカール・バーゴス(本名マックス・フィンケルスティーン)は、「レイモンドやカニフを見たい奴らは、レイモンドやカニフを見ればいい。酷いアートは全部おれが描いたものだ」と誇らしげに語っている。ライター兼アーティストだったバーゴスの、まだ当時は初歩的だったアートは、直感的で視覚的なストーリーテリングに支えられ、これらの才能はヒューマン・トーチという見事なキャラクターを生み出した。燃えさかる赤と黄色の人間型の炎というこのキャラクターは、視覚的な強烈さをもって読者の目に焼き付けられ、まだおとなしくなる前の、初期のコミックの生々しいエネルギーを具現化したものであった。
バーゴスとファニーズ・インクで同僚だったウィリアム(ビル)・ブレイク・エヴェレットはコミック界の異端児だった。まず彼はユダヤ系でなく、300年続くマサチューセッツの名家の出身であり、その名のもととなったウィリアム・ブレイクの直系の子孫であった。彼は依存的な性格のためにアウトサイダーとなって、コミックに関わることとなった。彼は12歳で飲酒を始め、1日にタバコを3箱も吸っていたのである。あるいはアウトサイダーの性格であったために飲酒を始めたのかもしれない。彼はコミックの歴史においても最も才能のあるアーティストの一人だった。彼はなめらかに画を描き、あらゆるジャンルに対応し、読者が自由に彼のストーリーのなかで泳ぎつつも、アートのなかに隠された宝物を見つけることができるようなページデザインのセンスを持っていたのだ。
エヴェレットの孤独なアンチヒーロー、サブ・マリナーことネイモアは、20年ほどあとにマーベルで台頭する多くの荒んだキャラクターたちの先駆者だった。1940年代においては、少しきれいなDCコミックスの世界の真面目で善良なヒーローたちに比べ、明らかに特異な存在だった。海でも陸上でも自分の居場所を見出せず、ネイモアは気高くて横柄で、彼の対極にいたヒューマン・トーチよりも荒々しかった。しかし水と炎が合わさって、マーベルを沸騰させたのである。
40年代後半、真珠湾攻撃の1年前でナチスがロンドンを爆撃していた頃、ファニーズ・インクのフリーランサーだったジョー・サイモンは、グッドマンのもとでストーリーとアートと編集を担当するよう、彼に直接雇われた。そしてサイモンは、ジャック・カービーとともに考案した新しいヒーローのコンセプト・アートを披露した。そこには巨大な二頭筋と鋼の腹筋を持ち、アメリカ国旗のような格好をしたヒーローがナチスの本拠地に乗り込み、ヒットラーのあごに強烈なパンチを食らわせていたのである。それを見てグッドマンは震え出した。このコミックが与えるであろう衝撃を考え、1941年3月に「キャプテン・アメリカ」第1号が発売されるまで心配で仕方がなかった。グッドマンは、コミックが発売される前にヒットラーが暗殺されてしまうのではないかと心配していたのだ!
キャプテン・アメリカは兵士募集のポスターであり、スーパーマンが安っぽい不良やスト破り、欲深い地主やレックス・ルーサーと戦っているときに、彼は本物のナチスの悪党たちと戦っていた。しかもこの頃、まだアメリカは参戦するか決めかねていたのである。サイモンとカービーのコミックが爆発的に売れたのも不思議ではなく、戦時中は月に100万部近くが売れたという。しかし1941年には皆がファンというわけではなかった。サイモンによると、ドイツ系アメリカ人協会やアメリカ第一委員会といった団体は出版社のオフィスにヘイトメールを大量に送りつけ、「ユダヤ人は死ね!」と叫ぶ電話をかけてきたという。生けるスーパーヒーローだったフィオレオ・ラガーディア市長はサイモンを安心させようと電話をよこし、「ニューヨーク市は君に危害が及ばないようにする」と伝えた。
カービーの描く、肥大化した筋肉を持った躍動的な人物たちは、人体の構造を無視するようなものだった。彼のキャラクターたちは好戦的で生真面目で、ひたむきで怒りやすく、荒々しいコマや見開きのページから飛び出してきていた。彼のアートは戦時中だけでなくその後もずっと、スーパーヒーローのアクションのスタイルを決定づけたのである。
カービーはコミックのクリエイターとして多彩な面で独創的であり、実際の戦争の英雄であったことを私は承知しているのだが、実のところ彼が基礎となったスーパーヒーローのジャンルに、私はあまり通じていない。12歳の時点でも、スーパーヒーローは私のメサドンであった。私は「マッド」のような風刺雑誌や、図書館の全集で見つけた昔の新聞マンガのほうに私は夢中になっていた。私は「ドナルド・ダック」や「リトル・ルル」のようなもっと大人の作品が好きだったのだ。私はコミックのかたちが好きだ。ページを言葉と絵が満たし、小さなコマを比較・対比することでストーリーを引き出し、マンガの言語がさまざまなアクセントを持って奇妙な独自性を生み出すのが好きなのだ。
コミックはスーパーヒーローがすべてだと思う人たちは、ゴールデン・エイジの終わりを、コミックへの興味が薄まった戦後の40年代後半のどこかだと見なしている。
疲弊した兵士たちは、もはや熱心で夢中になるような読者ではなく、戦争に勝ったのはキャプテン・アメリカではないと実感するようになっていた。もしかしたら勝ったのはロシアかもしれない!何であれ、退役した兵士たちはコミックを読むのをやめたか、他のジャンルに興味を移すようになった。犯罪もの、西部劇、ロマンス、ホラーや戦争ものといったジャンルのコミックが人気になり、より大人向けの、時にはけばけばしい作品も増えていった。私自身はコミックのゴールデン・エイジの終わりを1954年だと考えている。コミックは子供だけに向けたものであり、子供たちを非行に走らせているのだという虚偽の憶測に基づいたモラルのパニックが起き、コミックは燃やされて国会での公聴会が行われ、これは多くの出版社を閉鎖させ、残った会社にも大きな被害を与える結果となった。除菌されたスーパーヒーローたちが1956年にコミック業界を生き返らせたが(現在はこれがシルバー・エイジの始まりとされている)、コミックはその黄金時代に持っていた偏在性を二度と得ることはなかった。だがこれは書籍としてであって、映画としては世界を征服した!
ケープをまとった人物が摩天楼の上を飛んだり、ニューヨークの街を崩壊させる光景を見たければ、ゴールデン・エイジにおいてはコミックのページが最も満足できるメディアであった。しかし21世紀においてはCGIの奇跡のおかげで、コミックを読んだこともグラフィック・ノベルについて聞いたこともない世界中の何百万人もの人々が、シネコンに足を運び、コミックのDNAを継いだ新たな神たちを崇拝しているのだ。
最初のスーパーヒーローを生み出した若きユダヤ人のクリエイターたちは、大恐慌にことを発し、迫り来る世界大戦の予感を確固たるものとした経済的な混乱を経験し、それに対抗するために神秘的で、ほとんど神のような力を持った現世の救済者たちを作り出した。読者が自分たちを無敵のヒーローと重ね合わせることで、コミックは読者がファンタジーに逃避できるようにしたのだ。
アウシュビッツや広島は、現実世界の出来事というよりもコミックの世界の暗い大きな悲劇のようだ。今日の現実世界においては、キャプテン・アメリカの宿敵レッド・スカルはスクリーン上で生きており、オレンジ・スカルはアメリカを脅かしている。再び世界的にファシズムが台頭し(人はすぐ過去を忘れる。子供たちよ、ゴールデン・エイジのコミックをしっかり勉強しろ!)、2008年の経済的なメルトダウンによって生じた格差は、地球そのものをメルトダウンさせようとしている。大きな災いが起きる可能性があり、我々は想像を超えた力を怖がる子供たちとなって、我々の希望の祭壇のスクリーンを飛び交うスーパーヒーローたちに安らぎと答えを見出そうとしているのだ。
コミックの中身が映画を乗っ取った一方で、コミックの形態は、巧妙にグラフィック・ノベルと姿を変えて、我々の文学(の残ったもの)に浸透してきた。1947年から高級なイラスト付きの書籍を出版してきた、名高き出版社であるフォリオ・ソサエティがゴールデン・エイジのマーベル・コミックス作品のデラックス・コンピレーション版を出すことになったとき、グラフィック・ノベルの作者でありコミックの研究者である私に、フォリオ社は序文の執筆を依頼してきた。もしかして彼らは、それなりの体面を保った文章を期待していたのかもしれない。
私は6月の終わりに、ほぼ上に書いたような形での序文を送付した。しかしフォリオ・ソサエティの編集者は残念そうに、マーベル・コミックス(コンピレーション版の共同出版社だ)は「政治色を出さない」ようにしており、出版物にも政治的スタンスを持たせないようにしていると伝えてきた。レッド・スカルについての文を修正するか削除しなければ、序文は掲載できないと私は伝えられた。私は自分のことを、ほかの作家に比べて特に政治的だとも考えていないが、オレンジ・スカルに関する比較的ソフトな表現をも削除するように伝えられたことで、いま我々が直面している脅威を茶化すようなことは無責任かもしれないと実感し、序文の掲載を辞退することにした。そして奇遇にも、とあるニュースを私は今週目にした。マーベルの元CEOで会長である大富豪のアイク・パールムッターはドナルド・トランプの長年の親友であり、フロリダの大統領のマールアラーゴ・クラブの一員で、彼に対しては非公式だが影響力のあるアドバイザーだ。そのパールムッターと妻がそれぞれ36万ドル(寄付の上限値だ)を、2020年の選挙に向けたオレンジ・スカルの「トランプ当選募金員会」に最近寄付したというのだ。こうして私は再び、あらゆることは政治的なのだと学んだのだ…ヒットラーの顎をぶん殴るキャプテン・アメリカのように。