「THE PENGUIN」鑑賞

個人的には何の思い入れも抱かなかった「ザ・バットマン」のスピンオフシリーズ。

舞台となるのは映画の出来事から1週間後のゴッサムシティ。ザ・リドラーのテロ行為によって街は深刻な被害を受け、裏社会もマフィアのボスだったカーマイン・ファルコーネが亡くなったことで混乱に陥っていた。カーマインの息子アルベルトが父親の跡を継ぎ、主人公のオズワルドも彼の下で働くことになるものの、二人きりでいる際にアルベルトに嘲笑されたことから逆上したオズワルドはアルベルトを射殺してしまう。焦った彼は死体の処分を試みるものの、アルベルトの妹でアーカム・アサイラム帰りのソフィアに疑いの目を向けられて…というあらすじ。

ここでのザ・ペンギンことオズワルドは独自のギャングのボスではなく、ファルコーネ一家に仕える中間管理職という立場。上司からは自分のシマでの麻薬ビジネスの縮小を命じられ、家に帰れば認知症の母親に叱られ、障害のある足を抱えてヨチヨチ歩きながらボスの死体を処分しようとして四苦八苦するハゲでデブのオッサンの姿は哀愁をそそるものがあるのです。オズワルドはファルコーネ一家のライバルであるマローニ一家にも顔が効くようで、マフィア抗争ものの鉄板である「血の収穫(用心棒)」的な展開が待ち受けていて、オズワルドが権力の座をのしあがっていく様が描かれるのでしょうな。

製作費も豪勢に使われてそうで、1話を見た限りではマフィアものとしてよく出来た内容になっていたと思う。ただし「バットマン」の世界に絡める必要あるのか?という疑問はあって、主人公の名前もコミックの「コブルポット」は現実味がないとかで「コッブ」に変えられているし、ソフィア・ファルコーネのヴィラン名がちょっと言及される以外はコミックとのつながりが希薄で、バットマンの名を借りた別物のドラマでは?という気がしなくもない。ただしオズワルドの車のタイヤを盗もうとして捕まり、彼の相棒となって働くことになる少年の話が、2代目ロビンことジェイソン・トッドのオリジンと重なるのは意図したことなのかな。

主人公のオズワルドは映画版に続いてコリン・ファレルが演じていて、分厚いメーキャップとファットスーツを着込みながらも柔軟な演技を見せつけてくれる。その宿敵ソフィア・ファルコーネを演じるのがクリスティン・ミリオティで、「パーム・スプリングス」や「MADE FOR LOVE」ではおめめパッチリの純情な女性役を演じていたが、今回はおめめパッチリのサイコパスな役が似合っていて非常にいい感じ。あとはジョン・タトゥーロに代わってマーク・ストロングがカーマイン・ファルコーネを演じるらしいが故人なのでどう登場するかは不明。

というわけで「バットマン」らしさを期待しなければ普通に面白い作品なのだが、当然ながらザ・ペンギンのキャラクターを掘り下げる内容になってるので、そうなると制作が始まったという「ザ・バットマン2」にも彼が登場して、劇場版ふたつを繋ぐ話の展開になっていくのだろうか。そこらへんは何ともわかりません。

「THIS TOWN」鑑賞

キリアン・マーフィーがアカデミー賞を受賞したことで世間の知名度が上がった(はず)のドラマ「ピーキー・ブラインダーズ」のクリエイターであるスティーブン・ナイトによるミニシリーズ。

主な舞台となるのは1981年のバーミンガム。人種間の緊張により暴動が頻発するなか、酒もタバコもやらない繊細な少年ダンテ(黒人とアイルランド人のハーフ)は自分を振った女の子に対してポエムを書こうとする。ダンテの従兄弟のバードンは父親が熱心なIRAの支持者で爆弾テロにも関わっていることに嫌気がさしており、一方でダンテの兄のジョージはイギリス軍の兵士としてベルファストに派遣されていたが、彼ら3人の祖母が亡くなったことから彼らは葬儀で再会する。辛い現実を打破するためにダンテはバードンにバンドを組むことを持ちかけるなか、ジョージの知り合いで地元のギャングのボスが自分のクラブで演奏するバンドを探していた。さらにジョージは軍の上官からバードンの父親の活動を監視することを命じられ、ダンテたちの運命は時代の流れに巻き込まれていくのだった…というあらすじ。

単なる青春ドラマと音楽ドラマではなく、人種暴動とか北アイルランド問題とかギャングの抗争といったテーマが盛り込まれていて結構お腹いっぱい。その一方で話の進み具合は比較的ゆっくりしていて、2話が終わった時点でまだバンドも結成されてないのだが今後どうなるんだろうな。音楽ドラマなので演奏シーンなどもあるものの、あまり意味もなくバードンの母親が葬儀で「虹の彼方に」を長々と歌ったりと、いろんなジャンルの要素がごった煮にされている感は否めない。

企画段階の題名は「Two Tone」だったそうで、当時若者のあいだでスカを流行らせたレーベルの2トーン・レコーズ、およびそのジャンルがいかに様々な人種を団結させていったかが作品のテーマになっているみたい。劇中で流れる音楽もジミー・クリフやトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズといった人たちの音楽が使われている。その一方で肝心の2トーン・レコーズに所属していたバンドの曲は使われていないような?マッドネスとか翌年に「HOUSE OF FUN」がシングル1位を獲得しているし、当時のスカ・バンドのなかでは大人気だったはずなのだがなあ。長年のマッドネスのファンとしてはそこが不満。

出てくる役者はダンテ役のリーヴァイ・ブラウンをはじめ、あまり知られてない人たちばかりかな。例によって「役者のバーミンガム訛りがなってない!」という抗議が地元民からあがってるようだけど、知らんがな。とりあえずテーマ的に興味のある作品なので残りの話数も観てみます。

「デイリーショー」にジョン・スチュワート復帰

2022年の末にトレバー・ノアがホストを降板したのを受けて、昨年はずっと週ごとにゲストが代わってホストを努めるローテーション制を組んでいた「デイリーショー」ですが、やはり要となるホストが決まっていないと政治風刺の番組としてうちはこういうスタンスだよ、というメッセージを打ち出しにくいし、特に今年のように大統領選挙のある年には、責任をもってモラルの象徴となるようなアピール力のある人物が中心にいないと弱腰の風刺とインタビューを続けるだけの骨抜きの番組になってしまうという危惧はなんか見ていて感じたのです。

そして今年もホストが交代制になるという話を聞いてゲンナリしていたら、こないだ急に発表されたのが番組を一躍有名にさせたジョン・スチュワートが復帰するというニュース。なんか月曜日だけホストを務めて、残りの曜日は相変わらず準レギュラーの「特派員」たちがホストになるという変なスケジュールらしいけど、往年のファンにとって彼の復帰は大変歓迎すべきことです。

スチュワート本人は2015年に番組を降板したあと、ここ数年はApple TVで「デイリーショー」みたいな政治色の強い番組を持っていたけど、「AI」と「中国」をそれぞれテーマにしたエピソードを作ろうとしたらアップルからNGくらって降板したという、まあ天下のアップルにとってもタブーな題目はあるんだなと。ブッシュ息子の政権下で痛烈な政治風刺を繰り出して名を馳せたスチュワートだけど、ドナルド・トランプが出馬したころにもう疲れたと言って番組を降板したわけで、トランプの風刺は意外とやってないのですね。それが今になってまたトランプの選挙戦と、もしかしたら新政権の可能性がでてきたわけで、そのような状況で彼はどのように振る舞うのやら。

というわけで今週彼が9年ぶり?に復帰した番組を観てみたけれど、すごく場に馴染んだジョークを冒頭から連発していて全くブランクを感じさせない内容。彼が以前に確立させたホストの「型」みたいなのがあって、それにすぐさまカチッとはまっている感じ。番組としては明らかにリベラル寄りなんだけれどもバイデンの高年齢の風刺を多めにやって、それを返す刀でトランプも批判するような展開。自分としてはトランプが再選されたらアメリカも世界もろくな目に遭わないんじゃないのとしか思えないのだが、それでもバイデンの年齢は格好なネタにされてしまうんだなあ。ゲストである「エコノミスト」誌の記者とも、バイデンが2期目に出馬したことについて批判するようなトークを交わしていた。

アメリカの記事では、スチュワートの本当のライバルは他のトークショーのホスト(デイリーショー門下生のジョン・オリバーを含む)ではなく20年前のスチュワートであり、若くて勢いのあった若い頃の彼を期待している視聴者に応えられるか、という意見が散見される。でも実際に2004年後半から番組を毎回すべて観ている者(ホントだよ)として言わせてもらうと、当時のスチュワートと今の彼って明らかに違うのですね。Apple TVの番組ではもっと顕著だったけど、若い頃に比べてずっと落ち着いて難しい用語を使うようになったというか、本人がすごく勉強しているなという印象が強いわけで、20年前のスタイルを期待するのは野暮ってものでしょう。ただし言ってることが複雑すぎて視聴者を置いてけぼりにしてしまう懸念はあるのだが。

何にせよスチュワートが戻ってきたことで、なんか暗澹たる思いで眺めていたアメリカ大統領選が楽しめそうだという気にはなってきたのです。月曜日だけでなく毎日出演してください。

「Feud: Capote vs. The Swans」鑑賞

前作から実に7年の期間をかけて戻ってきた「FEUD」の新シーズン。

一時期はイギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃の不仲をテーマにして企画が進んでいたはずだが、それが破棄されて今回作られたのは、作家トルーマン・カポーティとNYの上流階級の淑女たちの諍いという、なかなかマイナーなネタを扱ったもの。

第1話から時代がぽんぽん移り変わるので内容がちょっと把握しづらいが、60年代のカポーティは人気作家で、そのウィットに富んだ軽妙な話術と有名人のゴシップを大量に抱え、NYの金持ちのあいだでパーティーに呼ばれまくる派手な生活を送っていた。それが70年代になると酒やドラッグのやり過ぎで勢いは衰えていたが、自分の精通している上流階級のゴシップを随筆として雑誌に発表する。しかしそのモデルとなった女性が記事を苦にして自殺したことから、彼女の仲間の淑女たちはカポーティへの復讐を企むのだった…という内容で良いのかな?80年代の晩年のカポーティも出てきます。

個人的にはトルーマン・カポーティって学生時代に短編をちょっと読んだくらいでそんなに詳しくはないのですが、甲高い声で話すゲイの小太りのとっちゃん坊や(死語)という強烈なキャラクターと、ゴシップにまみれて暮らすニューヨークのハイソな熟女たちの争いという話は、特にLGBTの人たちにとっては格好のテーマなんですかね。でも今回はライアン・マーフィーはあまり関わってないみたいで、脚本を書いているのは劇作家のジョン・ロビン・ベイツ。多くのエピソードをガス・ヴァン・サントが監督していて重厚な演出を見せつけてくれる。

カポーティ役はイギリス人のトム・ホランダーがハゲて太って、別人のような格好になって怪演を見せてくれるが、それに対する女優陣が非常に豪華で、ナオミ・ワッツにデミ・ムーアにカリスタ・フロックハートにクロエ・セヴィニー、モリー・リングウォルドといった有名どころが勢揃いしてゴシップ論議に花を咲かせています。みんな同じようなメークで似た顔に見えるのが難点だけど。あとはカポーティの愛人役のラッセル・トーヴィーがいつの間にか筋肉ムキムキになっていて驚いたのだけど、何があったのだろう。

劇中に出てくる女性たちはみんな実在したソーシャライトたちで、銀行家の妻とかジャクリーン・ケネディの妹とか有名デザイナーといった錚々たる顔ぶれらしいが日本人には馴染みがないわな。テーマも個人的にはそんなに興味あるものではないけど、とにかく出演者が豪華なので彼女たちが同じ画面で演技しあっているのを見る価値はあるかと。

https://www.youtube.com/watch?v=YabKNs66eeg

「Fargo」シーズン5鑑賞

前シーズンから3年ぶりの新作。新シーズンのたびにこれが最終章だ、みたいなことを言われてる気がするがこれが最後になるかは分かりません。

時代設定がグッと前に遡って1920年代だったシーズン4に対し、今度はグッと時代が進んで2019年のミネソタが舞台。弱気なカーディーラーの夫と結婚しているドロシーは、自宅で暴漢ふたりに襲われて誘拐される。しかしドロシーはサバイバルの達人であり、暴漢の車が警官に職務質問を受けている際に脱走し、そのまま警官を巻き込んでガソリンスタンドで銃撃戦を繰り広げる。暴漢を撃退した彼女は自宅に戻り、夫の前では何事もなかったような素振りをするのだった…というあらすじ。

まだ2話しか観ていないので話の展開がこれからどうなるかとんと分からないのだが、登場人物はドロシーとその夫と子供に加え、地元の有力者でドロシーを敵視している義理の母、悪徳の限りを尽くしている保安官、ドロシーを誘拐しようとした暴漢、ドロシーと銃撃戦に巻き込まれた警官といった、実にひねくれたキャラクターたちが揃って、自分たちの私欲のために行動している。

どうもドロシーは保安官の元妻で、彼女を誘拐した暴漢はその保安官が雇ったらしいことが明らかになるのだが、ふたりにどんな過去があるのか、またなぜ主婦のドロシーが銃火器や罠の扱いに熟練しているのか、などは説明されていない。また保安官が仕事をしくじった暴漢を殺そうとしたことから、逆上した暴漢が保安官たちに反撃するなど、三つどもえの血生臭い争いが繰り広げられていく。

シーズン4は時代設定が昔過ぎたというか、アイリッシュと黒人のギャングの話とかどうも響かないところがあったけど、今回はお馴染みのミネソタ訛りのキャラクターたちが、田舎の寒い夜のなか撃ち合いをするあたり、初期コーエン兄弟のノワールさがあって原点回帰した感があってよろしい。

主人公のドロシーをジュノー・テンプルが演じるのに加え、保安官をジョン・ハム、ドロシーの義理の母をジェニファー・ジェイソン・リーが演じるなどキャストは相変わらず豪華。シーズン4だけ登場しなかった聾唖の殺し屋ミスター・レンチも今回は登場するんじゃないかと勝手に期待している。