「THE RETURN」鑑賞

ハリウッドではこんどクリストファー・ノーランが「オデュッセイア」を豪華キャストで映画化するとかで話題になってるが、こちらはそれよりも一足お先に最後のオデュッセウスの帰還の部分だけを映像化したもの。2000年以上前に書かれた話にネタバレなぞ関係ないと思うが、一応以下はネタバレ注意。なお自分は「オデュッセイア」は子供向け絵本を読んだ程度っす。

内容は原作にかなり忠実に沿っている。トロイア戦争に出向いていったあと長らく音信不通となっている夫オデュッセウスの帰還を辛抱強く待つ妻のペネロペだが、彼女のところには再婚を求める数多くの男たちが集まっていた。そんななか、ついに単身で流れ戻ったオデュッセウスは身分を隠しつつ、大きく変わった故郷の状況を探っていく。

ペネロペがオデュッセウスの正体を知るのが少し早いとか、細かい脚色はあるものの、まあ観る人は話の展開を知っているわけで、それでも見応えがあるのは演出の巧みさですかね。歌舞伎の人気演目みたいなもので、お決まりのシーンを見て楽しむというか。求婚者たちが誰も張れない弓をオデュッセウスが張り、連なる斧の隙間を射抜くシーンとかやっぱカッコいいのよ。

オデュッセウスを演じるのは「教皇選挙」が今になって大きな話題になっているレイフ・ファインズ。あちらは選挙の行方に苦悩する中間管理職みたいな役だったが、こちらでは60過ぎながらも筋肉モリモリの体に鍛え上げてオデュッセウスを好演している。彼を待つ妻のペネロペ役にジュリエット・ビノシュ。原作だとオデュッセウスとペネロペの年齢差って結構あるんじゃなかったっけ?だからまだ若い彼女に求婚者が寄ってきたのだと思ったけど、こちらではほぼ同じ年の夫婦になっている。ふたりの息子のテレマコスを演じるチャーリー・プラマーも、その頼りなさっぷりがいい感じ。

なぜ現代になって2つも「オデュッセイア」の映画が作られるのか?という疑問は置いておいて、普通に面白い作品だった。ノーランのほうは原作すべてをカバーするようなので最後の部分をここまで丁寧に描かないと思うけど、あちらが完成したら両者を見比べてみるのも面白いかもしれない。

「SMALL THINGS LIKE THESE」鑑賞

「オッペンハイマー」でアカデミー主演男優賞を獲って名実ともにハリウッドスターとなったキリアン・マーフィーだが、その次に主演したのはこんな小品。まあ彼らしいね。彼自身が原作小説のファンで「オッペンハイマー」撮影中にマット・デーモンに製作を持ちかけたとかで、デーモンとベン・アフレックがプロデューサーに名を連ねている。以下はネタバレ注意。

舞台は1985年、アイルランド南東部の町。ビルは石炭(泥炭)の運送・販売業を営む真面目な男性で、妻と5人の娘を支えながら細々と暮らしていた。そんな彼は、取引先である修道院のなかで若い修道女たちが悲惨な扱いを受けているのを目撃する。地域で強大な影響力をもつ修道院に対してビルは沈黙を貫こうとするが、やがて修道院から逃走した少女が彼の前に現れて…というあらすじ。

時代設定とか人物の背景について一切説明がないので、会話で言及される情報から主人公たちの置かれている環境を察しなければならないのでぶっちゃけ不親切といえば不親切。ウォーターフォードとウェックスフォードが近所なら住んでるのはあそこらへんだな、とか。まあ分からなくてもよいのだけど。ビルの家族とはまた別の一家が出てきて、特に接点が無いのは何故だろうと思っていたら後者はビルの回想における家族であった。その回想が現在に影響を与えているのかというとそうでもなく。

ビルが貧しいながらも肉体労働を真面目にこなし、子供たちを養っていく姿が丹念に描かれるあたり、いわゆるキッチンシンク・リアリズムっぽい感じもあるが(仕事から戻ったビルは文字通り洗面所で石炭で汚れた手を洗い流す)、着地点は「マグダレンの祈り」と同じところであったよ。

アイルランドとベルギーの合作だそうで、監督のティム・ミーランツはベルギー人。「ピーキー・ブラインダーズ」とか撮ってた人か。修道院の院長役をエミリー・ワトソンが演じてます。

キリアン・マーフィーの演技は手堅いし、個人的にはアイルランドを舞台にした映画は好きなのでそれなりに楽しめたものの、やはり話の説明不足からきている消化不良感は否めない。次なる「オッペンハイマー」を期待しないほうが良いでしょう。

「Art Spiegelman: Disaster Is My Muse」鑑賞

米PBSで放送された、「マウス」で知られるアンダーグラウンド・コミックスの雄アート・スピーゲルマンのドキュメンタリー。まあアンダーグラウンド・コミック作家といってもピューリッツァー賞を獲ってるような超有名な作家だし、ここでは「DCやマーベルなんかでは仕事してないマンガ家」くらいのニュアンスだと思ってください。

90分超という結構な尺をもってスピーゲルマンの生涯と功績がみっちり語られる内容で、子供の頃からマンガが好きで、スーパーで見かけた「MAD」に大きな影響を受けた話とか、自分でファンジンを作って売ってたらプロの目にとまって業界で働くことになったいきさつなどが紹介されていく。NYからサンフランシスコに渡ってロバート・クラムと組んだり、自分の妻で仕事のパートナーであるフランソワーズ・モーリーと出会ったいきさつなども語られ、自宅でロバート&アイリーン・クラム夫妻と会食してコミックについて語りあう貴重な映像もあり。あとはジョー・サッコやビル・グリフィスといった著名な作家のインタビューがあるほか、アーカイブ映像でクリス・ウェアやチャールズ・バーンズなどが登場。前衛コミック誌「RAW」を編集していたスピーゲルマンのコミック論もいろいろ聞けて、純粋にコミックの歴史的ドキュメンタリーとしても価値はあるのでは。

話の主軸はやはり彼の代表作である「マウス」になっており、あの作品の主役であってアウシュビッツを生き延びた気難しい父親との思い出や、自分が精神病院から退院した直後に自殺した母親の話、ナチス政権下で幼くして死んだ兄などについてスピーゲルマンがいろいろ語っていく。そして「マウス」が成功したらしたで逆に憂鬱になっていった話や、「ニューヨーカー」誌のエディターになって表紙絵を担当したらいろいろ物議を呼んだこと、そして911テロに遭遇したことで「In the Shadow of No Towers」を描いたことなどが紹介される。

最後は保守的な州の学校で「マウス」を置くのが禁止になったことにも触れられ、アメリカはまた新たなファシズムに直面してるよね、と決して明るくないトーンで終わるのだけど、これを放送したPBSも新規トランプ政権化では理不尽に叩かれているわけで、こうした番組を目にする機会も減ったりしてしまうのだろうか。

アンダーグラウンド・コミック作家のドキュメンタリーとしてはあの名作「クラム」には届かないとはいえ、かなり面白い作品であったよ。

「Grand Theft Hamlet」鑑賞

巷で絶賛されてるドキュメンタリー(?)映画。

時はCOVID第3波でロックダウン中のイギリス。外出もできず仕事にもあぶれていた俳優のサム・クレーンとマーク・ウースターヴィーンは、グランド・セフト・オート・オンラインに没入。そのバーチャル世界のなかで演劇を披露できそうな屋外ホールを発見した二人は、そこで「ハムレット」を演じようと決心する。サムの妻で映画監督のピニー・グリルスにも撮影を頼み、他のオンラインプレーヤーにも声をかけるものの、そもそもGTAはそういうのに適したゲームではないわけで…という内容。

おれ自身はグランド・セフト・オート(以下「GTA」)は「III」から「サン・アンドレアス」までやり込んだけど、オンライン版はプレーしたことなし。グラフィックもずいぶん綺麗になってるんですね。自分のキャラクターを自由に操作できて、マイクを通じてセリフも喋れるとはいえ、車強盗と銃撃戦が日常茶飯事のGTAオンラインの世界において、芝居を披露しようとするサムとマークの試みは至難を極める。オーディションに集まったキャラクターたちはいきなり撃ち合いをはじめ、舞台に選んだ飛行船からサムのキャラクターが落っこち、やる気のない参加者は突然オフラインになって消滅し…というドタバタが続き、シェークスピア劇を演じたギャングスタなキャラクターが、次の瞬間は銃撃戦で殺されてるようなシュールな映像はゲラゲラ笑えます。冒頭からサムが「ハムレット」をすらすらと誦じているのにちょっと驚くが、シェークスピア劇をはじめいろんな番組に出ている役者なんですね。

映画はすべてGTAオンラインの世界で撮影されているので、キャラクターのいわゆる「中の人」の映像は一切登場しない。よって観ているうちにGTAの世界こそが本物の世界のように見えてくるのだが、そのなかで「中の人」たちがボソっと話す自分たちの話が、妙に現実感があるのですよね(まあ実際の現実世界の話なので当然なのだけど)。ロックダウンが解除されて働くことになったのでリハに参加できないと降板するキャラクターとか、唯一の親族が亡くなって気落ちするマークとか、同居しているのにオンライン上で夫婦喧嘩をするサムとピニーとか(「私に会いたいなら2階にいるでしょ」とか言われてんの)。楽しい仮想世界の裏には厳しい現実が控えているんだよ、という事実を表情の乏しいキャラクターの口から聞かされるのは、下手なバーチャルSF映画よりもSFっぽい雰囲気があったな。

エンドクレジットではいちおう各キャラクターと、その「中の人」がキャスト表で列記されるものの、何人かは連絡がつかなかったのかキャラクター名のみの表記。言葉を発しない無言のキャラクターもいるので、そういうのは高度に進化したNPCとどう違うのか?とか、もしかしたら今後は「中の人」がいるかと思えたキャラクターも実はAIが操作していて、複数のプレーヤーが参加しているように見えた世界で人間は自分ひとりだった、ということが起きるかもしれないとか、いろいろ考えてしまったよ。

あとはプレーヤーが自在に飛行機や飛行船を操作・配置してストーリーの舞台や小道具にできるあたり、やり方によっては派手な映像作品がすごい低予算で作れるんじゃね?とも思いまして、今後はこういうオンライン世界の素材を借りた、全く設定の異なる映像作品が作られたりするのかなとも思いました。

一見するとマヌケなプロジェクトの記録映画に見えるだろうけど、もしかしたら今後のオンライン空間での映像制作に影響を与えることがあるんじゃね?と考えさせられる作品でした。

「LONGLEGS」鑑賞

日本だと3月公開かな?昨年いろいろ怖い怖いと言われていたホラー。以下はネタバレ注意。

舞台は90年代のオレゴン。長年にわたって起きる複数の一家惨殺事件の調査にあたっていたFBI捜査官のハーカーは、「ロングレッグス」というメッセージとともに現場に残されていた暗号を解読して犯人の素性に迫ろうとする。しかし隠された真実は彼女自身にまつわるものでもあった…というあらすじ。

上司に指示されてシリアルキラーを追う、華奢な女性捜査官が主人公という点では「羊たちの沈黙」に似てなくもない。ただしあれよりもオカルト色がずっと強くて、ハーカーも何かしらの超常的な能力を持っていることが示唆されている。そして上司と捜査を進めるハーカーは、犯人が残した不気味な手がかりを発見したりするのだが、安直なジャンプスケアなどに頼らず、むしろ引きの映像を用いながら話の展開を描いているのは不穏な雰囲気を醸し出すことに成功しているかと。

ただしオカルト色が強いという一方で、キリスト教のモチーフがいろいろ出てくるのは、日本の観客にはあまりピンとこないかも。「サタン様万歳」とか言われても、じゃあサタン様はなぜやたら面倒くさい手段を用いて連続殺人を起こしたりするのか、といった説明もないので話の設定に無理がある気がするのよな。

主人公のハーカーを演じるのは「イット・フォローズ」のマイカ・モンロー。いわゆるスクリームクイーンのタイプではないものの、不気味な存在にジワジワを追い詰められるホラー映画のヒロインがすっかり板についていらしゃる。そんな彼女が追う殺人犯をニコラス・ケイジが演じていて、宣伝の意向でその姿は予告編にも出てこないけど、インパクトのある外見と演技で強い印象を残していく。

良い評判を聞いてたので過度に期待していたのか、「イット・フォローズ」に比べると怖くはなかったものの、なかなか良くできたホラーでした。