謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

昨年は夏に家を買って引越しまして、引越し先は土地勘のない場所ではないのですが生活のリズムがまだカチッといってない感があって、もうしばらくそれは続くのかな。引っ越しの際に運んだ荷物のなかには読んでない本がたくさんありまして、もういいかげんアーリーリタイアしてこういう本を消費する生活したいなと改めて感じた次第です。どうなるんですかね。

今年は正月から北陸の方で大地震があって、世界中で行われる選挙の結果も個人的にはあまり楽観視できないし、いろいろ大変な1年になりそうな気もしますが、体調に気をつけてやっていきましょう。今年もよろしくお願いいたします。

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

まだ50の手前ですが、もう今年で田舎のどこかに家でも買ってアーリーリタイアしようかと本気で考えてまして、どうなるんでしょうかね。ストレス溜めて働いて給料稼いでも、好きな映画やアメコミを楽しむ時間が作れなければ本末転倒だよなあと最近ヒシヒシと感じているのです。定年まで働いて、体が動く10年くらいのあいだ好きなことをやって死ぬよりも、貯金をはたいてでも先にリタイアして20年くらい好きなことやって暮らすのも悪くはないのかなと。まあ独り身なのでそこらへんは気楽なんだけどね。どうなることやら。

というわけで今年はドタバタしそうな感じもしていて、それによってこのブログの方向性も変わってくるかもしれませんが、引き続きよろしくお願いいたします。やはり健康第一ですので、病気にかからぬよう皆様もご自愛ください。

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。おれ年男だよ今年。

2021年は2020年よりもマシな年ではありましたが、それでも前年の影を引きずっている年であったような。今年もその状態が続くのか、それとも改善するのか悪化するのかよく分かりませんね。

最近は50歳でアーリリタイアなりセミリタイアして、つつましく趣味に生きていきたいとよく考えるようになったのですが、はたしてそううまく行くかどうか。現在は映画も海外ドラマも、さらにはアメコミもサブスクリプションサービスが充実していて、残りの人生それ消化していっても悪くはないな、と思う一方でサービス乱発によるサブスク疲れみたいなものも感じているので、そういうのとは関係ない趣味を1つ持たないといけないかな、と漠然と考えております。外国語とかプログラミングとか。

低山登りも好きで、昨年はコロナ禍にも関わらずいろんな所に行ったけど、いずれ体力的にマズい状況に陥るかもしれないからこないだ山岳保険にも入りましたよ。登山に限らずも、独り身なので緊急時の連絡体制の確保とかがこれから大切になってくるのかな。

とまあオッサンくさいことを書きましたが、気楽に行動できる立場ではあるし、いろんなことを学びたいという知的好奇心は多分に抱えていると思うので、あとはいかにその好奇心を持ち続けることができるかが今後の課題ですかね。ツイッターとかで『昔の特撮番組の話しかしないオッサン』をよく見かけるのですが、ああいうのにはなってはいけないなと思いますので。

話のオチが見当たらないですが、毎年言ってるように健康第一ですので、COVIDであれその他の疾患であれ、みなさま体調には十分お気をつけください。それでは今年もよろしくお願いいたします。

謹賀新年

21年はいい年になる気がするんだ/特にもし僕と君が一緒にいることができれば

あんた21年がいい年になると思ってるのかい?/俺と彼女にはそうかもしれないが、あんたと彼女なんてダメだね!(THE WHO “1921”)

あけましておめでとうございます。

2020年がヒドい年であったことは人類の記録に残るのでしょうが、自分はそれに加えて父親が急に亡くなったりしたので、まあ輪をかけてヒドい1年でしたね。3月からあとは相続の手続きやら何やらでろくに記憶が残ってないような。仕事でも海外出張に行けなかったのって10数年ぶりじゃないだろうか。

じゃあ年が変わったといって物事が好転するかというとそうでもなくて、コロナウィルスの影響は当面続くだろうし、個人的にも気になることを2つ3つは抱えてたりするのですが、それでも今年が昨年よりもよい年になりますように。

今年はもっとアメコミ(の単行本)を読むように心がけたいですね。映画の劇場公開も当面は下火になるだろうから、新しい配信サービスに入ることも検討するか。あとはプラモデルとかミニチュアゲームみたいな、今まで手を出してなかった趣味を持つのも面白いかもしれない。

何にせよ健康第一ですので、皆様もお気をつけくださいませ。今年もよろしくお願いいたします。

父が亡くなる

今週の月曜日に父親が自宅で倒れ、そのまま亡くなってしまった。それからドタバタと手続きを行ったのち、土曜日が葬儀だった。ちょっと所感を述べる。細かい情報は伏せるので、説明不足になっているかもしれないが許せ。

死因は脳内出血ということで、以前から高いと指摘されていた血圧が影響して、脳の血管が切れたのだろう。聞いた話では母に頭痛を訴えたあとにすぐ意識不明になったそうで、救急車で病院に搬送された時はもう心臓も停止していたらしい。ただし変に後遺症が残って半身不随とかになるよりも、苦しまずにすぐ亡くなったというのは、ある意味幸いだったのかもしれない。激情的な性格だった父親らしい、劇的だが短い終わり方だった。実のところ、父親はこうやって亡くなるんじゃないかな、と長らく漠然と心に抱いていたとおりの最期であったので、病院で帰らぬ人になったときも、ああそうなんだなと変に納得したのを覚えている。自分は両親が比較的高齢になってから生まれたので、物心ついてからずっと、いずれ来るであろう親の死を意識しながら生きてきたような気がする。

父は戦前の生まれで、幼少の頃は東京から田舎に集団疎開したような経験の持ち主であった。貧しい家で育ちながらも苦労して勉学に励み、少し身体的なハンディキャップを抱えつつも自分を含む家族を育ててくれたわけである。俺がこうしてブログで海外ドラマやアメコミの話をしているのも、父親の仕事の関係で海外に住んだ経験が基礎になっているわけで、それを考えると自分がいまある姿というのは、父に負うものが大きいんだな、と実感するのです。怒りっぽい人で、決して寛容的なタイプではなかったものの自分なりの正義感を持った人でもあり、晩年は国境なき医師団(https://www.msf.or.jp)に毎月寄付をしていたという。

職業は大学の教授をやっていて、研究本も3~4冊くらい出しているものの、まあ世の中で話題になるようなことはなかったですね。俺自身も気恥ずかしくて読んでいないし。カート・ヴォネガットの小説「ガラパゴスの箱舟」は売れない小説家(ヴォネガット作品ではお馴染みのキルゴア・トラウトですね)の息子が主人公だけど、あの息子にすごくシンパシーを抱いたのを覚えている。息子が父親の愛読者に出会うあの小説のラスト、すごく好きなんだよな。

とはいえ火葬場で骨になった父を見ながら考えましたが、人間死んだら残すのは骨だけですよ。「名を残す」とか言うけど、死んでしまったらそんなの本人には全く関係ないですから。人間は生きているうちが全てですので、生きているあいだに好きなことをやって、他の人を気遣って、悔いのないように死んでいきましょう。自分も死んだ父よりも、生きている家族(自分含む)のことを大事にしていきますので、みなさまもご自愛くださいませ。