「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」鑑賞

かなり期待しないで観に行ったつもりだが、やはりダメだったでござる。以降はネタバレ注意。

カーネイジが登場することは前作のラスト、というかヴェノムの映画が作られた時点で確定路線だったのだろうが、おれあのキャラ嫌いなのよな。元来ヴィランだったヴェノムが1990年代初頭に、当時のグリム&グリッティなコミックの流行に乗って人気が出たために「リーサル・プロテクター(劇中でも言及されてましたね)」としてのアンチヒーロー的な立場になってしまい、ヴィランとして使えなくなったので代わりに登場したのがカーネイジ。当時の流行を反映した残虐キャラで、あまり深みのあるキャラでは無かったと思うが当時のマーベルは大々的に売り出して、12パートのストーリーライン「MAXIMUM CARNAGE」とか打ち出してたけど長いだけでグデグデになってた覚えが。このバブル末期的なイベントが、数年後のマーベル倒産の予兆だった、と見なすのはそんなに間違ってないと思うのです。

んで映画の方はちょっと不思議な構造をしていて、こういうスーパーヒーローものというかアクション作品の続編って、とくにバディ要素がある場合、以下のような話の流れが黄金パターンになってると思うのです:

  1. 前作で手に入れたパワーを使って主人公と相棒がノリノリで活躍する
  2. その裏で新たな敵が登場する
  3. その敵と主人公が遭遇、主人公が負ける
  4. 主人公が苦悩する、あるいは相棒とケンカする
  5. 主人公が自身を見つめ直して成長する、あるいは相棒と仲直りする
  6. 敵を打ち負かす

それに対してこの映画は上の3〜5くらいの部分が抜けてるというか、エディ・ブロックとヴェノムのバディ漫才が長々と続いたのちに、彼らの仲直りもしっかり描かれないまま、いきなりカーネイジと「初対面」してそのまま最終決戦になる流れに驚いてしまったよ。これクリーシェを破っているというよりも、脚本の練り込みが足りないのでは。今回はトム・ハーディが初めて脚本にも関わったらしいが、それが影響してるのかなあ。

監督のアンディ・サーキスも役者としてはすごい人だけど、過去の「ブレス しあわせの呼吸」などから察するに監督としての腕はそこまでではないと思うのですよね。エディとヴェノムが体をシェアしたまま話をする際のセリフがやたら多くて、もうちょっと整理しても良かったのでは。出演者はやはりスティーブン・グレアムの出番がもっと欲しかったな。あとウディ・ハレルソンとナオミ・ハリスが幼なじみを演じるには歳が離れすぎてるのでは。

90年代のコミックでよく覚えてる「ビーチでくつろぐエディ・ブロック」という実にマイナーなシーンまで映像化したのは評価するけど、やはりね、もうひと捻り欲しい作品だった。