謹賀新年

21年はいい年になる気がするんだ/特にもし僕と君が一緒にいることができれば

あんた21年がいい年になると思ってるのかい?/俺と彼女にはそうかもしれないが、あんたと彼女なんてダメだね!(THE WHO “1921”)

あけましておめでとうございます。

2020年がヒドい年であったことは人類の記録に残るのでしょうが、自分はそれに加えて父親が急に亡くなったりしたので、まあ輪をかけてヒドい1年でしたね。3月からあとは相続の手続きやら何やらでろくに記憶が残ってないような。仕事でも海外出張に行けなかったのって10数年ぶりじゃないだろうか。

じゃあ年が変わったといって物事が好転するかというとそうでもなくて、コロナウィルスの影響は当面続くだろうし、個人的にも気になることを2つ3つは抱えてたりするのですが、それでも今年が昨年よりもよい年になりますように。

今年はもっとアメコミ(の単行本)を読むように心がけたいですね。映画の劇場公開も当面は下火になるだろうから、新しい配信サービスに入ることも検討するか。あとはプラモデルとかミニチュアゲームみたいな、今まで手を出してなかった趣味を持つのも面白いかもしれない。

何にせよ健康第一ですので、皆様もお気をつけくださいませ。今年もよろしくお願いいたします。

父が亡くなる

今週の月曜日に父親が自宅で倒れ、そのまま亡くなってしまった。それからドタバタと手続きを行ったのち、土曜日が葬儀だった。ちょっと所感を述べる。細かい情報は伏せるので、説明不足になっているかもしれないが許せ。

死因は脳内出血ということで、以前から高いと指摘されていた血圧が影響して、脳の血管が切れたのだろう。聞いた話では母に頭痛を訴えたあとにすぐ意識不明になったそうで、救急車で病院に搬送された時はもう心臓も停止していたらしい。ただし変に後遺症が残って半身不随とかになるよりも、苦しまずにすぐ亡くなったというのは、ある意味幸いだったのかもしれない。激情的な性格だった父親らしい、劇的だが短い終わり方だった。実のところ、父親はこうやって亡くなるんじゃないかな、と長らく漠然と心に抱いていたとおりの最期であったので、病院で帰らぬ人になったときも、ああそうなんだなと変に納得したのを覚えている。自分は両親が比較的高齢になってから生まれたので、物心ついてからずっと、いずれ来るであろう親の死を意識しながら生きてきたような気がする。

父は戦前の生まれで、幼少の頃は東京から田舎に集団疎開したような経験の持ち主であった。貧しい家で育ちながらも苦労して勉学に励み、少し身体的なハンディキャップを抱えつつも自分を含む家族を育ててくれたわけである。俺がこうしてブログで海外ドラマやアメコミの話をしているのも、父親の仕事の関係で海外に住んだ経験が基礎になっているわけで、それを考えると自分がいまある姿というのは、父に負うものが大きいんだな、と実感するのです。怒りっぽい人で、決して寛容的なタイプではなかったものの自分なりの正義感を持った人でもあり、晩年は国境なき医師団(https://www.msf.or.jp)に毎月寄付をしていたという。

職業は大学の教授をやっていて、研究本も3~4冊くらい出しているものの、まあ世の中で話題になるようなことはなかったですね。俺自身も気恥ずかしくて読んでいないし。カート・ヴォネガットの小説「ガラパゴスの箱舟」は売れない小説家(ヴォネガット作品ではお馴染みのキルゴア・トラウトですね)の息子が主人公だけど、あの息子にすごくシンパシーを抱いたのを覚えている。息子が父親の愛読者に出会うあの小説のラスト、すごく好きなんだよな。

とはいえ火葬場で骨になった父を見ながら考えましたが、人間死んだら残すのは骨だけですよ。「名を残す」とか言うけど、死んでしまったらそんなの本人には全く関係ないですから。人間は生きているうちが全てですので、生きているあいだに好きなことをやって、他の人を気遣って、悔いのないように死んでいきましょう。自分も死んだ父よりも、生きている家族(自分含む)のことを大事にしていきますので、みなさまもご自愛くださいませ。

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

去年の挨拶を読み返してみると、2019年のあいだにやりたかったことが全然達成できてなかったなー。と思う次第であります。まあ行ったことのない国とかにも行けて、面白いところは面白かったのだけどね。やはり仕事に日常の時間の大半が食われている状態でして、好きな本を読んだり映画を観るために、50歳になったらアーリーリタイヤしようかと、最近ひしひしと考えている次第です。まあそのためにはさらに働いて貯金しておかないといけないのですが。あとはやはり健康に気をつけねば。

世の中的にはポピュリズムの台頭というか、頭の悪そうな人たちが幅を利かせるようになってきていろいろ面倒になってきた感じもしますが、なるべく大人のように振る舞って、困ってる人たちには手を差し伸べるようにしましょう。でもオリンピックは中止しような。

それでは今年もよろしくお願いいたします。

こんどの「タイム」誌は「オプティミズム」をテーマに、エイヴァ・デュヴァーネイが責任編集しているのだそうな。そこにギレルモ・デル・トロのエッセイが寄稿されていたので、英語の勉強に翻訳してみる。原文はこちら

ちょっと形式ばった文体なので、古い教科書にあるような旧仮名遣いのほうがしっくりくるかな、とも考えたけど、ボロが出そうなのでやめた。ちょっと言ってることが分かりにくい気もするけど、シニカルなものの見方が褒められる現代において、楽観的でいることは大切なのではないかと。

人が行える、最も過激で反抗的な選択は楽観的であることである

楽観主義は過激だ。これは難しく、勇敢な選択である。そして私が思うに、これは現在において、絶望と向き合うときに最も必要とされるものである。車が距離を移動するにあたっては大変役立ち、そうでないときはガレージに入った大きな動かぬ物体であるのと同じで。

今日において、人が賢そうに見られる無難な方法は、まず懐疑的であることだ。我々は「それを信じない」と言えば洗練されているように見えるし、「信じる」といえば不真面目であるように見なされる。

歴史も寓話も、何事も決して完全に負けたわけではないことを証明してきた。ダビデはゴリアスを打ち負かしたし、ノルマンディーの浜辺は戦争の局面を一転させた。勇気は権力を転覆させる。これらの事実は例外的のようにとらえられるが、実はそうではない。毎日のように、我々は自らの選択のバランスとなる。愛情と恐怖のあいだの選択、信念と失望のあいだの選択のように。どんな希望も小さすぎることはない。

楽観主義は、我々が窒息しそうなときに息を吸い込もうとする本能のようなものだ。現実に対して「こうあるべきだ」と宣言しなければならない我々の必要だ。楽観主義は格好の悪いものではない。それは反抗的で勇敢であり、不可欠なものなのだ。

アメリカの作家シオドア・スタージョンはかつて、「あらゆることの90パーセントはクズである」と語った。それは正しいと思う。しかしそれはつまり、「残りの10パーセントのものは全力を注ぐ価値がある」ということでもある。

こうして時から時へ、選択から選択へ、 我々は伝記と墓碑のどちらを遺すかを決断していく。あなたも周りを見渡し、どちらを遺すかを選べ。

吸い込むか、あるいは死ぬか。

「アステリックス」のイノシシな。

新年あけましておめでとうございます。

去年は個人的には10数年ぶりに転職をいたしまして、まあいろいろ大きく物事が変わった年でありました。家に変える時間も少し遅くなって、まだ生活のリズムがしっくりきてない所があるというか、帰宅後に海外ドラマを時間が減ったような感じだったのですが、今年はもっと時間を有意義に使いたいなと思うところです。Netflixなど配信系の映画ももっと観ないといかんすな。

ほかの趣味では9月に富士山に登ったのが良かったかな。今年もどこか山小屋に泊まる登山に行って、さらに海外旅行とかもしたいのですが、どうなることやら。アメコミも積ん読ではなく、リアルタイムで読めるようにしなければ。中国語や韓国語も勉強したいなあ。

世の中的には元号が変わるというのはどうでもよいのだけど、まあいろいろあるとは思いますが、皆が暮らしやすい世の中になるよう、寛大な気持ちをもっていきましょう。

健康もやはり大事です。自分も大病こそしないものの、健康診断でちらほら黄信号が出てきてるので、食生活に気をつけてジム通いを頻繁にせねば。

それでは今年もよろしくお願いいたします。