あけましておめでとうございます。

ご存知のように2016年は有名人がやたら亡くなったり、政治の素人がアメリカの大統領になったりとロクな年ではありませんでして、個人的にも仕事でガックリくるようなこともありまして、2017年はもっとマシな年になることに期待したいところです。転職しようかなぁ。

その一方でこれからの人生ガツガツせずに、そこそこの生活レベルで趣味に生きる生活をするのもありなのかと思うところもありまして、まあ人生的にそういう岐路に来ているのでしょう。少なくとも生きてて退屈しないだけの趣味はあるわけで、それはそれで幸せなのかも。最近は忙しくて本を読む暇がないので、今年は無理してでも時間をつくって、読みたかった小説とかを読む習慣を身に付けたいところです。あとはやはり健康に気をつけましょうね。体壊したら何もできないですから。

旅行はたまったマイレージを使って香港かマカオあたりに行きたいのと、JRの周回切符みたいなのを使って鈍行の旅をするのもいいかなと。ちょっと足を伸ばして筑波山や赤城山に行くのも良いかな。あまりケチケチせずに旅行には金を使いたいですね。その一方でお金が入ったらどこかのチャリティに寄付することも心がけようかと。

ブログもどこまで頻繁に更新できるかよく分からなくなってきましたが、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

インド
久し振りに紀行文を。夏休みはモンゴルかドバイを検討していたがスケジュールや予算などの都合でインドにすることに。デリー・ジャイプール・アグラを周回する初心者向け?のツアーを申し込む。今回はじめて海外旅行するにあたってビザを申請することになったが、いろいろ面倒くさいですねあれ。書き直しが生じて申請所に2度足を運ぶことになったよ。

飛行機の時間がおねむの時間と重なってたので機内では「ジャングル・ブック」だけを観る。あの話のキモって、(ネタバレ)最後にモーグリが人間の世界に帰っていくことなのではないのか?ああいう終わり方でいいの?

デリーに深夜について次の日に観光。最初に行ったのがでっかい塔のクトゥブ・ミナール。
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70メートルほどの高さで、当初はもっと高かったのが落雷などでいまの高さになったのだとか、中には入れないものの、尖塔などが好きなので満足。

それから行ったフユマーン廟もまあまあ。ツアーの一環として輪タクにも乗りましたが、明らかに体力不足な初老のオッサンが立ち漕ぎしながら渋滞のなかを走るものだから、下手な遊園地のアトラクションよりもずっと身の危険を感じたぞ。インドってどうも短い距離なら道路での逆走が許容されているらしく、他の車ばかりか自分たちの乗ったバスも逆走を始めた時は血の気が引きましたね。

昼食はカレー。つうか旅行中はずっとカレー。美味くも不味くもないのだけど、一日中ずっと食べてるとさすがに飽きました。サモサが食べたかったけど出てこなかったな。現地では大丈夫で帰国したとたんに腹を壊したけど、食事のせいなのか疲労のせいなのかは不明。

あとはバスのなかからインド門などを眺めながらジャイプールに移動。高速道路はコンテナを積んだトラックで渋滞していて、たまに路肩に出て悪路を走りながら(ここにも逆走車あり)ひたすら道を走るという、ちょっと「デス・ロード」っぽい展開でした。

ジャイプールはホテルがいちばん綺麗だったな。次の日はアンベール城に向かい、象に乗って丘の上へと運ばれることに。象に触れたり乗ったりするのって長年の夢でしたが、よく考えてみれば人間に搾取されている象に乗っかっているわけで、微妙な罪悪感を抱いてしまった。そして象の背中は揺れる揺れる。1 (1)
アンベール城は鏡や宝石で飾られた部屋などもあって美しかった。インドはどの城や宮殿もやたら広く、王族がふんだんな財産と人力をかけて建設したことがよく伺える。この次に行った風の宮殿も広くて見晴らしが良かったですよ。

あとは王が作った天文施設のジャンタルマンタル。どことなくJG・バラードの小説を彷彿させるような幾何学的な建造物が立ち並ぶ土地のなかには20秒刻みで時を計れる日時計なんてのもあって圧巻でした。でも当然みんな太陽が出てないと使えないわけで、雨季などでは無用の長物になるんだろうか。
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それからまた長時間バスに乗ってアグラへ。途中でファテープル・シークリーに寄る。ここも山の上に建設されたにしては広大な宮殿でした。

なお格安ツアーなのでショッピングの立ち寄りが何度か設けられていて、個人的には宝石とか大理石とか服飾に興味がないのでちょっとしんどかったけど、他のツアー客、特に女性はいろいろ買われてましたね。今回は発展途上国(失礼)へのツアーのせいか、俺のように一人参加している客が比較的多かったような。それ以外の客も多くは旅慣れている感じで、そうでなくて空気の読めない人が一人でもいるとね、みんなの士気がどっと下がりますので、みなさんもツアーに参加するときは気配りしましょう。

3日目はいよいよタージマハール観光。あいにく片側が修復中だったが、逆に足場が組まれてることで建物のスケールがわかって良かったかも。内部の霊廟は写真撮影禁止のはずなのだがみんな平気でフラッシュ焚いてまして、警備員が激昂してました。大理石の飾りも美しく、やはり見事な建物でしたよ。
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最後はアグラ城に。ここもデカい。インド軍が使っていて建物の4分の3は入れないというにもかかわらずデカかった。タージマハールを立てた王様が息子によってここに幽閉され、タージマハールを眺めながら死んでいった、というのが歴史を感じさせますね。

それからまたバスに乗ってデリー空港へ。汗と砂で汚れてたので、成田空港よりも高くついたけどプレミアムラウンジでシャワーを浴びてリフレッシュ。おかげで帰りのフライトはよく眠れました。

3泊5日で1日6時間以上はバスに乗っているという強行軍だったので、悠久の時を感じる暇もない忙しい旅だったけど、それでもいい経験にはなりましたね。ただしクセのある国なので、海外旅行の初心者向けではないかも。物乞いも多いしゴミと瓦礫が散乱しているし、経済的な発展が見込まれているとはいえ、まだまだ課題が多い国ではあるな、と思ってしまう。学校に行ってるべき幼い子供が目の前で芸を披露し始めて小銭をねだったりするのを見るとね、どうすればいいのか困惑してしまうのよ。とはいえ思ったよりも危険は感じなくて、むしろ人々は陽気で親切な印象を受けました。空港のトイレで歯を磨いてたら掃除の人がペーパータオル持ってきてくれたし。いろんな国を訪れるたびに感じますけどね、結局いちばん印象に残るのって自然や建物でなく、その国の人にどう接されたですからね。優しく人に対応してもらえればその国に良い印象を抱くようになるし、その逆もまたしかり。というわけで日本に来ている観光客にもみなさん優しく対応してあげましょう。

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明けましておめでとうございます。

昨年は仕事の方はいつになくはかどったと思うのだけど、相変わらず周囲には理解されてなくて、何だかなあという感じでした。しかも今年は海外から強力な競合がやってくるみたいで、そろそろ身の振り方を改めないといかんかなと考えております。

プライベートのほうは相変わらず独り身で気楽ではあるのですが、自慢することでもないですかね。身体を崩して仕事を辞めることになった人の話とかもこの年になるといろいろ耳にするので、皆様も健康にはお気をつけください。肉はなるべく食べず、砂糖の摂取も控えて、徒歩に励みましょう。昼寝も重要だよ。あとは慢心して自滅した人もよく見かけるので、いつ何事もすべてダメになるかもしれないと思いながら1年を過ごしたいですね。

今年の目標としては、1日1曲は新しい音楽を聴いてみたいと考えております。あとはやはり手品を学びたいなあ。

それでは今年もよろしくお願いいたします。


“君の顔なら1000年だって眺めてられる/それは苦痛と歓喜の内戦のよう/しかし君が馬だったなら/僕はその鎖を解き放ち/燃えるたてがみを掴んで/平原をともに駆け抜けよう” sparklehorse – shade and honey

あけましておめでとうございます。

あー俺もう今年40歳だよ。孤独な40年だったなあ。このブログも10月には10周年になるわけで、駄文を書き連ねているとはいえこうも長続きするとは思いませんでした。

個人的には昨年の11月から12月にかけて、目標としていた仕事が一段落したのと、気の滅入る出来事があったこともあり、ここ最近は何とも言えない虚無感を感じているのですが、まあこれが何かしらの節目になるのかしらん。不惑とはいうものの、先行きまったく見えない状態でして、ねえ。

とりあえず今年はケイオス・マジックとジャグリングを学びたいと考えております。今後もよろしくお願いいたします。


3年目3回目。今年はさすがに規模も縮小され、深夜バスに乗って0泊2日という強行軍であった。昨年までは応援の書き込みなどで賑わっていたボランティアセンターも、そろそろ別の場所に機能を移すとのことで設備などは殆ど取り払われ、ある意味寂しいといえば寂しかったかな。活動内容も減ってきた一方で、まだ個人や旅行会社経由で遠方からいらっしゃっている人たちがいるのは頭が下がりますね。

とり・みき氏も書いていたが、3回目の訪問となると「どこが変わったか」と「どこが変わってないか」という点が気になるもので、2年前には大破した車が転がり、1年前は除染作業をしていた畑に稲穂がたわわに実り、立ち入り禁止だった砂浜にサーファーが戻り、ボランティアセンターの裏に堆く積もれていたガレキの山が片付けられているのを目にすると2年半で復興もずいぶん進んだな、と感心する。しかしその一方で、海岸沿いの住宅地があったところには空き地が広がり、道には砕けた瓦などが散乱し、仮設住宅での生活を強いられている人たちがまだまだいるのも事実であり、復興作業は形を変えてこれからも長らく続けられる必用があるのだろう。

また少し内陸に入ったところの通りの電柱に「震災時に津波はこの高さまで来ました」という看板がかけられていたのが印象的であった。震災を思い出したくないという意見もある一方で、忘れるまいという運動が始まっているわけですね。

なお我々の作業は畑にする土地?の片付け。強い日差しのなかの小石拾いはいい運動になりました。築地銀だこが差し入れをしてくださり、どうもありがとうございました。来年はたぶんこうした形での参加は無いと思うけど、何かしらの協力は続けていきたいところです。