「THE CORNER」鑑賞

「THE WIRE」のデビッド・サイモンとエド・バーンズが書いた本をHBOが2000年に映像化したミニ・シリーズ。自身もボルチモアのストリート出身であるチャールズ・S・ダットンの監督のもと、ボルチモアで貧困と麻薬から抜け出そうとする人々の悲劇を描いている。

話の中心となるのは麻薬常習者のゲリーとその元妻で同じく常習者のフラン、および二人の息子であるデアンドレの3人。ゲリーは麻薬を断ちたいと思いつつも売人のいる街角(コーナー)の誘惑から勝てず、麻薬を買う金を日々どうにか工面するホームレス同様の暮らしを送っており、フランもデアンドレとその弟を女手一つで育てるストレスなどから麻薬に手を伸ばしてしまう毎日を送っていた。そしてデアンドレはろくに学校にも行かず、バイトをしてもすぐ辞めてしまうことから楽な儲けを狙って麻薬の売人の道を進もうとしていた。そしてついにフランは麻薬を断とうと施設に入所するが、その一方ではデアンドレが恋人を妊娠させてしまっていた…というのが大まかなプロット。また現在の彼らの姿にあわせ、過去の彼らが裕福で幸せだった頃の姿と、麻薬に手を染めて転落していった頃の姿がフラッシュバックで紹介されていく。

主人公の3人や彼らをとりまく人々はみんな実在の人物をモデルにしており(シリーズの最後に本人たちが登場する)、貧しいストリートの描写は真に迫ったものになっている。ただし個人的には「THE WIRE」を先に観てたこともあって、『「THE WIRE」のプロトタイプ』という印象が最後まで拭えなかったかな。ミニ・シリーズと長編ドラマを比べるのは不公平だろうが、この作品では貧しき人々たちの姿だけが描かれていたのに対し、「THE WIRE」は警察や市政や教育という様々な分野に焦点をあて、なぜ貧困が消えず麻薬の売買が行われ続けるのかをきちんと説明した神のようなドラマであったわけで。ちなみに後に「THE WIRE」にも出てくる役者がたくさん出演していて、殆どが麻薬常習者を演じているのが面白かったな。

あと細かいことを言えば、どのエピソードも冒頭が登場人物に対するインタビューの形式をとっていて、なぜ彼らが今のような境遇になったかを尋ねたりするんだけど、そこだけ変に教育映画みたいな雰囲気になっていて好きにはなれなかったかな。

決して悪い作品ではなくて、むしろ傑作の部類に入るミニ・シリーズだと思うけど、今だったらこれを観るよりも「THE WIRE」を観ることをお勧めします。

「運命のボタン」鑑賞

「ドニ・ダーコ」のリチャード・ケリーが、ジャンル映画のネタの宝庫であるリチャード・マシスンの短編をもとに作ったもの。この原作は既に「トワイライト・ゾーン」でも一度映像化されてるんだとか。
(以下ネタバレあるかも)

舞台は1976年のリッチモンド。ノーマとアーサーの夫妻はウォルターという息子とともに幸せな生活を送っていたが、経済的には困窮していた。そんなある日、彼らのもとにボタンがついた箱が送り届けられる。不思議に思う彼らのところにスチュワードと名乗る、顔に大きな傷を負った老人が現れ、箱に関する話を伝える;「箱についたボタンを押せば100万ドルが手に入る。しかしあなたたちの知らない誰かが命を失うことになる」と。彼の話を不気味に思うノーマとアーサーだが、ついにノーマがボタンを押してしまい…というようなプロット。

1976年当時のデザインのほか画面の色調とかカメラワークから察するに、これって70年代のSF/ホラー映画のパスティーシュになってるのかな。ただああいうのはテレビ東京で90分以下にカットされたやつを観るのが楽しいのであって、2時間近い尺で1つのプロットを延々と映していくのは厳しいものがあるなあ。NASAの火星探査の話とかが絡んできて、意外と真面目なSF映画になるか?と思いきやそうはならず、3つのゲートの選択の意味もよく分からないまま話が進み、どうも微妙なところに話が着地して終わったような。主人公たちが自分たちの運命についていろいろ情報を得ているにも関わらず、あまりなす術がなくて変に予定調和を迎えるのもどうよ。

リチャード・ケリーの映画って観てるときよりもむしろ観たあとの謎解きが楽しいわけで、あの大傑作デビュー作「ドニー・ダーコ」はホームページなどに散りばめられた情報を集めてストーリーを解読していくのが面白かったし、前作「サウスランド・テイルズ」もプロット自体は破綻していたもののあの世界観や結末に関する論議を掲示板とかで読んだりしたんだが、どうもこの作品はあまりそういう気にならないんだよな。微妙に謎解きが劇中で完結されてしまってるせいなのか、あるいは単に興味を惹く謎が無いからなのか。

あと音楽はアーケイド・ファイアの人たちが担当したらしいが、いろんなところで音楽が鳴りっぱなしで俺にはずいぶん耳障りに聞こえた。大げさな曲調も70年代のパスティーシュかも知れないけど、もっと抑え気味でも良かったんじゃないの。音楽が話の邪魔したらダメでしょ。

サスペンスに満ちた描写とかは十分にあるし、決して悪い作品だとは言わないが、リチャード・ケリーの作品のなかでは一番の不発かな。あの人もっと実験的なことをやるべきだと思うんだけど。シリアスでハードなジャンル映画をお求めの型には、これよりも「月に囚われた男」のほうをお薦めします。

「JUSTICE LEAGUE: CRISIS ON TWO EARTHS」鑑賞

マーヴェルに比べコンスタントに優れた作品を出している、DCコミックスのアニメーション・ムービーの最新版。

DCコミックスのファンならお馴染みのパラレル・アースをテーマにしたもので、別の次元にあるもう1つの地球ではスーパーヒーローと悪役の立場が逆になっており、悪のスーパーマン(「ウルトラマン」という名前だよ)や悪のワンダーウーマンが率いる悪の集団クライム・シンジケートが世界征服を達成しようとしていた。これに反抗した「善人」のレックス・ルーサーは次元移送装置を使い、スーパーマンたちが住む我らの地球へと助けを求めにやってくる。彼の話を聞いたスーパーマンおよびジャスティス・リーグはクライム・シンジケートの魔の手から人々を救うため、ルーサーの地球へと向かうのだが…というようなプロット。

TVシリーズ版「ジャスティス・リーグ」の脚本も手がけていたドウェイン・マクダフィの脚本はテンポがよく、ニヤリとさせられる場面も多く見ていて飽きがこない。戦闘シーンが多くてプロットが少し弱い気もするものの、きちんと押さえるところは押さえて話を盛り上げることに成功している。また演出も素晴らしく、前半の雲の中での戦闘シーンなんかはここ最近のハリウッド映画のアクション・シーンなんかよりもずっと上手く描けてるんじゃないだろうか。

キャラクターの設定もよくできていて、特にマーシャン・マンハンターにきちんとサブプロットを割いたところが良かったな。悪役版のデトロイト・リーグやアウトサイダース、キャプテン・マーヴェル・ファミリーといった非常にレアなキャラクターたちも出てくるぞ。パラレルワールドの大統領を意外な人物がやっていたのも良かったな。なお声優はウィリアム・ボールドウィンやマーク・ハーモンといったテレビ畑の役者が揃っているほか、ジェームス・ウッズなんかも参加してたりする。

これ「NEW FRONTIER」を別とすれば、いままでのDCコミックスのアニメのなかでもトップクラスに入る出来じゃないかな。お薦め。今回はiTunesストアでレンタルしたんだけど、DVD版にはザ・スペクターのショート・ムービーが含まれているとのことなので、それもぜひ拝見したいところです。

「TRINITY」鑑賞

架空の名門大学を舞台にしたイギリスのドラマ。

900年もの長い歴史を持つブリッジフォード大学は、今まで数多くの有力者たちを輩出してきた由緒ある大学だった。そこで新たなる学期が始まり、カレッジの1つであるトリニティ・カレッジにも様々な新入生たちがやってくる。そのうちの一人、シャーロットは父親もトリニティの出身でそこの教授も務めた人物だったが、謎の理由で突然そこを離れ、2週間前に他界したばかりだった。ほかにも成績優秀の黒人青年セオや、マリファナばかりやってるラージやアンガスといった連中が新入生としてやってくるのだが、トリニティでのクラブやイベントは上流階級の子息が取り仕切っており、彼らのような一般家庭出身の学生たちはろくに見向きもされないことを思い知らされる。その一方では新しい学長がトリニティに就任するのだが、その裏では古参の教授たちがよからぬ目的を抱えて暗躍していた。そしてトリニティにはさらなる暗い秘密があった…というような話。

第1話を観た限りではよく分からないんだけど、トリニティの奥深くでは怪しげな科学実験が行われていたり、殺人が起きたりといろいろ謎めいた展開になっていくらしい。でも話の大半は若者の乱痴気騒ぎの描写に費やされていて、みんな見境なくパコパコやってるような。「ゴシップ・ガール」のようなドロドロとしたメロドラマにしたいのか、「ドクター・フー」のようなミステリアスなものにしたいのか、どうもどっち付かずの感が否めず…。アメリカのドラマがイギリスのものよりも圧倒的に上手な点があるとすれば、若者がセックスしてる映像を巧妙に茶の間に届けられるところなので、そういうところで勝負に出てもアカンよな。

俺はむかしイギリスのケンブリッジに住んでたので、こういう名門大学の描写などは比較的懐かしい気持ちで観ることができましたが、次の話も積極的に観たいという気にはならなかったな。イギリスのドラマだったらこれよりも優れたものが他にたくさんあるんじゃないですか。

「GLEE」は年齢的に成長できるのか?

こないだ日本でも放送開始された「GLEE」は俺の周囲でも評判が上々で、このブログにも番組絡みの検索でやってくる人がずいぶん増えたんだけど、「「GLEE」は年とったらどうなるのか?」という記事がヴァラエティ誌に掲載されていた

これは「「GLEE」はヒットして第2シーズンの製作も決定してるけど、時がたつのに合わせて登場人物たちが年をとっていくわけで、やがて彼らが高校に通い続けるのは無理があるようになってくるのではないか?」というような趣旨の記事。まあキャストが年とってくるにつれて高校生を演じ続けるのが難しくなってくるのは今まで作られたどのハイスクール・ドラマも直面してきた問題なわけで、まだ半シーズンしか放送されてない「GLEE」にこんなこと言うのは大きなお世話のような気もするけど。

従来のドラマは舞台を大学に移すとか(「バフィー」がそうだったはず)、キャストを番組からも卒業させて新しい面子を加える(「FRIDAY NIGHT LIGHTS」など)なんて方法を使ってきたけわけだが、「GLEE」の場合はもう1つ難題があって、それはあの番組が基本的に「グリー大会を勝ち進んでいく」内容だということ。主人公たちが地区大会や州大会とかを勝ち進んでいく姿は観ていて楽しいけど、じゃあ頂点(全国大会?)まで行ってしまったらその後どうすんのよ、というのは誰もが感じている不安だろう。かといって次の大会までの時間をダラダラ引き延ばしていたら視聴者が飽きてしまうだろうし、途中の大会で敗退してしまうという展開はあの番組の性質上考えにくいな。

もちろんまだ始まったばかりのシリーズについていろいろ案じても意味はないんだが、人気のあるうちは話を続かせなければならないのが地上波ネットワーク番組の辛いところか。少年ジャンプの漫画などと違って役者たちはどんどん年とっていくし。そんなことを考えつつもシーズン後半の展開に期待する次第です(ビートルズやるのね)。