「ドクター・ストレンジ」鑑賞


感想をざっと。

・個人的な偏見で言わせてもらうと、そもそもドクター・ストレンジって映画で主役はれるキャラクターではないのである。コミックでもスティーブ・ディトコが描いていた60年代の最初期こそはディトコのサイケなデザインと当時のニューエイジ文化がうまくマッチして彼を人気キャラクターにのし上げたものの、それ以降は主役のシリーズがあっても、いまいちトップクラスのスーパーヒーローにはなれなかったような。DCコミックスの魔法キャラはアラン・ムーアやニール・ゲイマンのおかげで設定の凝ったキャラクターが多数いた一方で、マーベルは魔法世界や魔法キャラの設定が曖昧で、さほど確固としたグループが構築できなかったんだよな。よってドクター・ストレンジも他のヒーローのコミックに脇役として出てくる分には面白かったものの、主役となったシリーズはどれも評価がさほど高くなかったような覚えが。しかし90年代後半にジョー・ケサーダが編集長となってからはなぜか彼をゴリ推しする運動が始まり(これはケサーダも明言している)、それが決して成功しているとは思えなかったものの、こうしてハリウッドの大作映画も1つできてしまった。ケサーダはドクター・ストレンジがなぜそんなにも好きなのだろう。

・そして今回の映画版だけど内容は完全にオリジン・ストーリー。スーパーヒーロー映画の第1作がオリジン話になるのは仕方ないことだが、以前のアニメ映画でもオリジンをやってるので、またかよという気もしました。

・コズミック的な話を扱っているせいか、雰囲気は「マイティ・ソー」、特に「ダーク・ワールド」に近い。とりあえず脅威が現れて、とりあえず戦って、おいしいところは続編に残していくというか。この時点になるとマーベル映画はユニバース構築に勤しんでいて、1つの映画にすべてをブチ込むくらいの心意気で映画を作ってないのが残念。モンドの話とか、続編ありきで考えてるものね。その一方ではストレンジの高慢さからの改心とか、暗黒のパワーの正当性とか、もっと深く切り込める要素はあったのに、家族向け映画としての娯楽性を優先して、人間関係のドラマを深堀できなかったのが残念。ストレンジの事故のトラウマからの脱却とか、ナイト・ナースとの関係とか、元となったコミック「THE OATH」のほうがもっときちんと描いていたよね。多次元宇宙の映像とか、自在に動くビル群とか確かに見事であるものの、肝心のストーリーが弱いことは隠せないだろう。

・その一方で「これがマーベル映画だ!」という一定のクオリティは保たれているし演出も手堅いので、普通に楽しめる映画であることは間違いない。カンバーバッチもシャーロックっぽいけど適役だし、白人ということで議論を呼んだティルダ・スウィントンも相変わらず好演。マイケル・スタールバーグの出番はもうちょっと欲しかった。ベンジャミン・ブラットがずいぶんチョイ役だなと思ったら最後に出てきてましたね。

・あと今回から冒頭のマーベルロゴが一新され、コミックのページの映像が殆どなくなって、MCU映画の映像ばかりになったのが、なんかコミックをおろそかにしている気がして寂しいな。さらにこの映画ではムビチケや前売り券の一般販売が行われていなかったわけで、マーベル映画について何か変な囲い込みが行われてるのではないかと、一抹の不安を抱かずにはいられないのです。

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