昨年公開されたナショジオのドキュメンタリー映画。島の住民たちが外部との接触を一切拒否しているため、完全な未開の地として知られるインド洋の北センチネル島に上陸し、キリスト教の布教を試みた福音派の宣教師ジョン・アレン・チョウの物語。
チョウについては日本語のウィキペディアの記事が詳しいのでそっちを読めば彼の経歴がよく分かるが、中国の文革から逃れてきた移民の父親を持つ彼は子供の頃から冒険心に満ちた人物で、ロビンソン・クルーソーなどの冒険小説を読み漁り、無人島の生活に憧れ、実際に活発に登山などに励む冒険家でもあった。父親の影響でクリスチャンとして育った彼は福音派の大学を卒業し、原住民たちをキリスト教に改修させた過去の宣教師たちに憧れて未開の地を探して北センチネル島のことを知る。
布教に没入することを懸念した父親にも耳を貸さなかったチョウは、地元の漁師たちを買収して北センチネル島に単身渡り、そこで島の住人たちに殺されるわけだが2018年のこの出来事についてはニュースなどで目にした人も多いのではないか。
このドキュメンタリーは残されたチョウの日記、および映画制作にあたって父親がしたためた手紙を役者が読んだナレーションを中心にして、チョウの友人や、過去に唯一センチネル島の住民たちと接触に成功した学者たちへのインタビューで構成されている。チョウの準備や住民たちとの接触などの光景はアニメーションで描かれていて、ドキュメンタリーとしてあまり好きな手法ではないが仕方ないのかな。観る人はみんなチョウがどのような結末を迎えるか知っているわけで、それに至るまでの過程にそんなに起伏がなく103分という尺でも冗長に感じられた。
劇中でチョウはとにかく真面目で実直な好青年だったと説明されていて、イエスの言葉を未開の人々に届け、自分も彼らのなかに入って暮らそうとする考え方はある意味で押し付けがましいのだが、彼はそれに対する疑念を抱かなかったらしい。原住民が免疫を持っていない病原菌を自分が与えてしまうのではないかという危惧も持ってなかったらしい。最初の接触で彼は原住民の子供に手にした聖書を矢で撃たれ、それは明らかな警告だったはずなのだが、めげずに次の日も接触を試みた彼は命を落とす。
人知を超えた自然の領域に勝手にロマンを抱き、それによって命を落とす若者という点で、この作品はベルナー・ヘルツォークの「グリズリーマン」とよく比較されているみたい。ただあっちはヘルツォークが題材をやや突き放したスタンスで扱っていたのに対し、こちらは普通にチョウを愛すべき人物として扱っているところでベタなドキュメンタリーに成り下がっているかな。まあヘルツォークのドキュメンタリーは対象の人物がこの世にいなくてもヘルツォーク自身が主人公を張れるという強みがあるのですが。
扱っている題材は興味深いものの、ドキュメンタリーとしては平凡な出来だったかな。