前作「1910」から待つこと2年以上、やっと出てきた第2巻。今回は1969年のヒッピー文化真っ盛りのロンドンを舞台に「リーグ」の冒険が描かれている。
今回の「リーグ」はミナ・ハーカーとアラン・クオーターメイン、およびオーランドの不老組3人で、他にも悪の魔術師オリバー・ハドーやネモ船長の娘、ロンドン限定のタイムトラベラーことアンドリュー・ノートンなどが前作に続いて登場。そして新たに登場するのは「狙撃者」のジャック・カーターや「パフォーマンス/青春の罠」のターナー・パープルなどなど。この2本の映画の内容はプロットにも大きく関わってるので先に観といたほうがいいかもしれない。俺は観てなくて後悔しました。あと最後に出てくる不埒な男は「ハリー・ポッター」のヴォルデモートなの?相変わらず細かいネタが無尽に散りばめられているので、ジェス・ネヴィンスと同志による解説のページが今回も大変役に立ちました。あとムーアの最近の作品の傾向としてチンコとオッパイもたくさん出てきてます。
ストーリーはハドーの一味が、この世に災いをもたらすというムーンチャイルドの誕生を再び試みていることを知ったミナたち「リーグ」が、プロスペローに命じられてロンドンに帰還して調査を開始。その一方ではハドーたちに愛人のロック・スターを殺された闇社会のボスが復讐をジャック・カーターに依頼。こうして両者によるハドー探しが始まるなか、ハドー自身はムーンチャイルドの到来に備え、ターナー・パープルとそのバンド(明らかにローリング・ストーンズだ)にハイド・パークでの大コンサートを開催させるのだった…というもの。ジャック・カーターが着実にハドーの手がかりを辿っていくのに比べて「リーグ」の面々が意外とヘタレだという不満はあるが、コンサート会場におけるアストラル界での戦いというクライマックスはなかなかの見もの。
エピローグは1977年のパンク・ムーブメントを背景にして「リーグ」がほぼ解散状態で終わるという暗い終わり方を迎えるわけですが、アラン・ムーアによるとこの「Century」は20世紀における文化の劣化を表したものらしく、ビクトリア朝時代は想像力に満ち溢れたフィクションが生み出されていたのに比べ、それらがどんどん現実に影響されて創造性を失っていき、最後に本当に創造的であったのがこの1969年前後で、その後のパンクなどは既存の文化に対する批判としての、後ろ向きなムーブメントだということらしい。70年代生まれとしてはこの考え方に必ずしも賛同するわけではないが、こないだちょうど「60年代は00年代よりも革新的だった」と論じている音楽評論家のインタビューを読んだりしたので、いろいろ考えてしまったよ。
ムーアによるこの文化論は次回の「2009」で完結するわけですが、どうも話がずいぶん暗くて凄惨なものになりそうな気配。果たしてムーンチャイルドは誕生し、この世に破滅をもたらすのか?つうか刊行されるのはいつになるのか?ムーアはもうストーリーを書き上げたようなことを仄めかしてるけど、ケヴィン・オニールがアートを完成させるまでまた2年も待たなければいけないのか?なんかこう、ものすごく高い山の中腹にいて、先は長いし戻るにも戻れないところに来てしまったような気分を抱いてしまうのです。