その解釈をめぐって、未だに多くの議論が行われているスタンリー・キューブリックの傑作「シャイニング」に関する妄想ドキュメンタリー。
「シャイニング」にのめり込んだ人たちが、「この映画はこうやって解釈するもんなんだよ!」と持論をひたすら語っていくもので、よく言われる「この映画はインディアンの虐殺についての物語だ」なんていう解釈はまだ可愛いほう。劇中のタイプライターがドイツ製であることから「これはナチスのユダヤ人虐殺に関する映画だ」とか「これはキューブリックがアポロ11号の月面着陸をセットで撮影したことを明かすものであり、原作で出てくる217号室が237号室に変更されたのは、キューブリックが月面の撮影をスタジオ237で撮影したからだ!」などといった意見がポンポンと飛び出してくる。もちろんこれらの根拠は皆無に近いし、スタジオ237というのが何なのかという説明は一切ないわけですが。
あとは「この映画は終わりから逆回しで観るべきだ!」とか、「原作では主人公の車が赤いのに映画では黄色くなってる。そして映画では事故で潰された赤い車が出てくるが、これはキューブリックがスティーブン・キングにクソくらえって言ってるんだよ!」なんて解釈もありました。みんな裏付けできない解釈とはいえ映画をフレーム単位で分析している人もいるわけで、ホテルの間取りをとってみると「ありえない窓」が存在している、などといった説明は面白かったな。いちばんぶっ飛んでたのはあるシーンの背景にスキー選手のポスターが貼ってあることについて「あれはスキー選手なんかではなくてミノタウロスよ!頭をもたげて迷路を進むジャック・ニコルソンもミノタウロスよ!」という意見でした。なぜミノタウロスを出す必用があったかについてはよく説明されてないのですが。
映像的には「シャイニング」およびその他の映画などからの抜粋ですべて構成されており、解釈を語る人たちの映像は一切なく、ナレーションのみがひたすら続く内容になっている。いちおう9つの説が語られてるらしいが明確な区切りもなく、製作側の説明などもないので、1時間半のあいだいろんな人たちの妄想(といったら失礼か)をずっと聞かされる形になります。月面着陸の捏造説を唱える人が「自分は政府に目をつけられていて…」と(ちょっと自慢げに)語るあたりは電波入ってんなあ、と思わざるを得ない。
当然ながら解釈がすべて正しいことはあり得ないのだが、これらの根底にあるのは「キューブリックは画面に出てくるもののすべてを計算し、意図して撮影した」という考えである。しかしいくらキューブリックのように綿密な監督であっても、何かしらの凡ミスを犯しているか、偶然性が映像に含まれていると個人的には考えざるを得ないんだよな。確かにタイプライターの色が劇中で変わるなどのコンティニュイティ—上の不具合は、観る人を混乱させるためにわざと仕組まれたものだったらしいが、とはいえあるシーンで背景の椅子が消えることに深い意味を見いだすのは無理があると思うのよね。
しかし「シャイニング」という映画がいかに綿密に製作された作品であるかを再認識させてくれるドキュメンタリーではあった。それとこういう解釈の議論って、現在のCGだらけの映画では起きにくいのでは。単に「CG係が後ろの椅子を消し忘れてました!」で済んでしまいそうなので。