今年のサンダンスで話題になったドキュメンタリーで、アメリカではネットフリックス配信になったもの。カート・ラッセルの親父であるビング・ラッセルがポートランドで立ち上げた、独立系のマイナーリーグ球団「ポートランド・マーヴェリクス」の歴史が語られる。
ニューヨーク・ヤンキーズのキャンプ場の近くで育ったビングは、ジョー・ディマジオやルー・ゲーリッグといった選手たちに可愛がられた少年であった。それからハリウッドに移って役者になり、「ボナンザ」の保安官役を長年演じたりしたものの、野球に対する愛情は消えず、番組が終ったあと1973年にポートランドで野球チームを立ち上げることを決心する。当時はすでにメジャー球団によるアフィリエイト化が進んでおり、独立系の球団は彼らのファームチームになっていったものの、ビングはそれに逆らって、トリプルAクラスのビーバーズが去っていったポートランドに、当時唯一の独立系チームとしてマーヴェリクスを立ち上げ、シングルAのチームとして北西リーグに参戦する。
野球をしたい者はやってこい、というトライアウトの広告を業界紙に出したところ、40〜50人くらい来るかと思っていたところに300人近くの応募者が殺到。その多くはメジャー球団に拾われなかったものの、野球をプレーする情熱が捨てられずに、全米各地からやってきた男たちであった。皆がむさくるしい長髪と口ヒゲをたくわえ、性格や才能にクセのある者ばかりだったが、彼らに野球をする場を与えたかったビングは彼らを積極的に起用。貧乏球団ながら30人の選手枠を用意し、30代のピッチャーや左利きのキャッチャー(!)といった、メジャーなら見向きもしない選手たちに活躍の場が与えられる。
ビングのモットーはただ1つ「楽しめ(FUN)」であり、監督もサインを与えずに選手の好きなようにプレーさせる放任主義。そんな彼らだったが初戦をいきなりノーヒットノーランで飾り、順調に勝利を重ねていく。その頃の相手には無名時代のマイク・ソーシアなどもいたとか。そのアットホームな雰囲気にポートランドのファンは魅了され、チームのトレードマークとなったホウキ(連勝を意味するsweepからとったもの)を手にして球場を訪れ、チームはマイナーリーグの動員記録を塗り替えることになる。舞台裏でも女性初のジェネラル・マネージャーが起用されたり、弱冠22歳のジョン・ヨシワラがアジア人として初のGMに任命され、ビングは全ての人々に門戸を開いていた。
さらに1975年には暴露本を出版したことでメジャーリーグから干されていた、元ニューヨーク・ヤンキーズのジム・バウトンが加入。1977年には圧倒的な勝率をもってプレーオフに臨むものの、アフィリエイトの面子をかけて上位クラスから「降格」してきた相手チームの前に惜敗。翌年の1978年にはトリプルAのチームが再びポートランドに戻ってくることを希望し、いわゆる立ち退き料として通常の5倍の金額をビングは提示される。しかしマーヴェリクスの価値はそれ以上あると考えたビングはさらにその10倍近い金額を要求し、話は法廷に持ち込まれるのだが…というストーリー。
やはり話の要となるのは2003年に他界したビング・ラッセルであり、役者ならではのカラフルなコメントやエピソードが、当時の映像や関係者のコメントなどで紹介されていく。マーヴェリクスの選手としても活躍したカート・ラッセルに加えて、球団のボールボーイであったトッド・フィールド(「リトル・チルドレン」の監督ね)などが当時の思い出を語っていく。なおドキュメンタリーの監督はビングの孫(カートの甥)の2人。
またマーヴェリクスの選手たちは球団が閉じたあとも波瀾万丈の人生を送っていて、FBIの情報屋になったと噂されたあとに失踪したり、ピュリツァー賞候補の作家になったり、バブルガムを開発して大金持ちになったり。千葉ロッテマリーンズに所属したマット・フランコもビングの孫であり、マーヴェリクスのボールボーイであった。またカートは試合中に受けた死球がもとで左目を失明し、ニューヨークから1997年に脱出することになるのだが、それについては多くを語るまい。
貧乏球団が金持ち球団を相手に勝利を重ねるさまは「マネーボール」に似てなくもないが、あっちはあくまでも選手の育成・スカウトに重きを置いていたのに対し、こちらではメジャーで通用する選手の育成しか考えていないマイナーリーグのあり方について、特にトッド・フィールドが厳しい批判を与えている。それに対してマーヴェリクスは選手たちに自由にプレーさせ、地元のファンたちを大切にしたわけであり、それがメジャー球団にとっては目障りであったのだとか。しかしマーヴェリクスに感化されて、今では60以上の独立系の球団がアメリカにあるのだという。
知られざる球団の歴史を描いた非常に楽しめるドキュメンタリーであったが、トッド・フィールドによる映画化の話も企画されているらしいので、ポートランド・マーヴェリクスについての話を聞くのはこれが最後ではないかもしれない。