「AMERICAN MOVIE」鑑賞

「素晴らしき映画野郎たち」こと「AMERICAN MOVIE」をやっと鑑賞。ウィスコンシンに住むアマチュア映画監督のマーク・ボーチャートが、何年もの時間と労力をかけてホラー映画を作ろうとする姿を追ったドキュメンタリー。

田舎者まるだしの訛りでしゃべるボーチャートが、誰も映画なんて観ないような小さな町で予算とスタッフをかき集め、何度も障害に出くわしながらも自分なりに目標を持って映画を作ろうとする姿は、最初のころはとても微笑ましい光景に見えるのですよ。それがいつまでたっても本人の変なこだわりによって製作が進まず、幼い子供を3人も抱えてるのに老齢の叔父に予算を無心し、母親や恋人にカメラを回してもらいつつも一向に作品が完成に近づかないのを見てると、自分のはかない夢のために周囲の人を犠牲にするのはどこまで許せることなのか、そもそもボーチャートは熱意がカラ回りしてる「痛い人」なんじゃないかという気がしてしまう。彼がようやく完成させた映画「THE COVEN」を観てみたけど、雰囲気の醸し出し方とか撮影テクニックとかはそこそこの出来になっているのに、ボーチャートの性格そのまんまな偉ぶった台詞が延々と続いているおかげで非常に間延びした意味不明の内容になってしまっていた。あれが5分ほどの作品だったらリチャード・カーンくらいの出来にはなってたかもしれないのに。

まあでも以前にカナダの映画教室で「PROJECT GREENLIGHT」を観たときにも思ったけど、破綻している製作現場ってのは端から見てるととても勉強になりますね。とりあえずこの映画を観て感じたのは、いつまでも完成しない傑作よりも完成した駄作のほうがビジネス的には何十倍もマシだということと、フィルムを使った編集はするなという点ですかね。ファイナルカットとかに慣れた目で見ると、あのフィルムを切って貼って…という編集作業はえらく原始的なものに思えてしまう。

一人のライミやスピルバーグやケヴィン・スミスの裏には、きっと1000人くらいのボーチャートがいるんだろうな。そして彼らが成功するためには何が必要かというと、どうも才能とかコネとかの前にまず「運」が必要なんだという気がしてしかたないのです。

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