バリー・ウィンザー=スミスの10数年ぶりの新刊。寡作なためか日本での知名度はそんなに高くないコミック作家だと思うが、60年代からマーベル(UK)で活躍を始め、その緻密なアートをもって「コナン・ザ・バーバリアン」などで人気を博し、代表作の1つである「ウェポンX」はXメンのウルヴァリンの決定的なオリジン話として、後の映画版などにも大きな影響を与えた、レジェンド級の作家なのですよ。
ただしマーベルやDCなどの大企業のための雇われ作家として働くことに反発し、90年代はイメージとヴァリアント・コミックスといった小さめの出版社での仕事をいくつか手掛けたものの、コミック業界に幻滅したのか非常に寡作になり、00年代は殆ど消息不明になっていたと言っても過言ではないだろう。いちおう公式サイトもあるのだけど全く更新されておらず、「消えた作家」になっていたのですね。
そんな彼が10数年ぶりに新作を出すらしい、という話が聞こえてきたのが昨年の話で、そして今年ファンタグラフィックス社から発売されたのがこの「MONSTERS」。ハードカバーで365ページという分厚いボリュームで、すべてのページにわたって緻密に描きこまれたアートが展開されており、そりゃ完成に何年もかかるわな、という代物(自分が入手したのはUK版で、装丁がちょっと違うらしい)。以下はネタバレ注意。
物語は1949年、オハイオの民家において戦争帰りの父親トム・ベイリーが息子のボビー・ベイリーを襲い、彼の左目を失明させるというショッキングなシーンから始まる。すんでのところで母親のジャネットに救われたボビーだが、その14年後にはホームレス同然の暮らしをしており、カリフォルニアで軍隊への入隊を志願する。しかし身寄りのない彼は格好の対象と見なされ、政府の極秘の人体改造プロジェクト「プロメテウス計画」の実験体にされてしまう。本人の意思を無視してボビーには手術が施され、彼は巨大で醜く、僅かな知性をもった怪物にされてしまう…というあらすじ。
これ元々はマーベルの「ハルク」のストーリーとして考案されたものらしく、軍に追われる寡黙な巨大クリーチャー、という点はハルクに通じるものがあるな。また男性が意に反して極秘プロジェクトで人体改造を施され、実験体として科学者に屈辱的な人間以下の扱いを受ける、というプロットは「ウェポンX」とかなり似ているところがあった。これ最近の作家インタビューによると「ウェポンX」と同じ時期にアイデアを思いついたので似通ったのだろう、と語っているが、たぶん人体改造フェチの人なんだと思う。
しかし全くセリフを発しない怪物となったボビー・ベイリーは実のところ話の主人公ではなくて、彼をとりまく人々の描写を中心にして物語は進んでいく。ボビーを軍に受け入れたマクファーランド軍曹とその家族、ボビーの両親であるトムとジャネット、そしてオハイオの警察官ジャックなどの人生が綿密に絡みあって、20年近くに渡る「プロメテウス計画」の影響が語られていく。また科学だけでなく超常現象的な設定もあり、それがストーリーの1つの軸になっているが、話の根本を成すのは家族ドラマなんだろうな。
ストーリーは概ね過去に遡っていく流れになっていて、ボビーが受けている扱いに気づいたマクファーランド軍曹が彼を助け出そうとするのが1964年、戦争からやっと帰ってきた夫のトムが別人のようになっており、彼のDVに妻のジャネットが悩むのが1949年、ジャネットと警察官のジャックの逢引が描かれるのが1947年、そしてドイツにおいて従軍中のトムが「プロメテウス計画」を知る1945年、と物事の発端が過去に進むにつれて徐々に明らかにされていく。幸せになる登場人物など皆無で、グロテスクな描写も多々あり、読んでて結構気が滅入る内容ですよ。題名が「MONSTERS」と複数形になっているように、ボビー以外の、人の形をした怪物たちがいろいろ出てきます。
300ページ超の大作ながらストーリーの流れが非常に巧みで、グイグイ読み進んでしまう(ジャネットの日記が筆記体なので読むのしんどいし、さすがにドイツ語のセリフは読めなかったが)。 またアートがとにかく素晴らしいのですよ。ウィンザー=スミスは自分でもカラーリングをする人で、上記の「ウェポンX」のようなカラフルな色使いも好きなのですが、今回はとにかく細かい白黒のアートが展開され、髪の毛や衣服の質感も描きこまれ、影やグレーの部分は緻密なハッチングが施されて光の明暗が非常に見事に表現されている。これ英語が分からなくてもアート眺めるだけで買う価値のある本ではないかと。
ボビーの内面がほとんど語られない(特に軍に志願するまでのいきさつ)とか、ボビーをプロメテウス計画に薦めたマクファーランド軍曹が後悔するのが早すぎるだろとか、最後の10ページのアートが突然変わる(半分は演出、半分は執筆時期によるもの?)とか、ちょっと気になる点もあるものの、全体としてはとにかく読み応えのある傑作であった。10数年待っただけの価値がある作品ですが、今度はもっと早く次作が出ることを期待しております。