「SUPER PUMPED」鑑賞

米SHOWTIMEのアンソロジーシリーズ。なぜミニシリーズでなくアンソロジーなのかと思ったら、シーズンごとに大手ベンチャー企業の裏側を描いたものにするそうで、第2シーズンはFacebookがテーマになるんだそうな。そんで第1シーズンは「The Battle for Uber」とあるようにライドシェアサービスのUberを扱ったものになっている。

こういう、つい最近の出来事を映像化したTVシリーズおよびTVムービーって、ひと昔前ならLIFETIMEかBETあたりが女性が主人公のスキャンダラスな実録もの作品をよく作ってて、政治的なテーマのものはHBOの得意とするものだったと思うが、ここ数年は配信プラットフォームの台頭の影響かいろんなところで制作されるようになって、この作品のほかにもセラノスの血液検査詐欺を扱った「The Dropout」とか、Netflixの「タイガーキング」をさらにベースにしたPeacockの「JOE vs CAROLE」とか、もう何でも映像化されるようになった感じ。しかしベンチャー企業の成功と失敗の話なんて、みんなそんなに目にしたいかね?

そしてUberといえば、日本では四角いカバンかかえて自転車すっとばしてる人たち(危ないのよ)という印象が強いが、海外では当然ながらライドシェアのサービスとして知られている。交通渋滞のもとになってるとかドライバーを低賃金で働かせてるとかいろいろ叩かれてるけど、個人的には海外出張のときとか重宝してたのよな。極端な話、言葉が通じなくても行先が伝えられるし料金も明瞭で、怪しいタクシーにボラれるというリスクが無くなったのは非常に便利なのであまり悪い印象は抱いてないのです。

しかしこの作品は元CEOのトラビス・カラニックを主人公にして彼の野望を描いているので、利用者やドライバーの目線での話はなし。UberCabという名称でサービスを立ち上げた、中途半端なところから話が始まるので前後関係がつかみにくいが、大口の出資を受けたカラニックはサンフランシスコの司法の規制をくぐり抜けてUberを成功させ、ニューヨークにサービスを拡大させるが、そのあこぎな商法が周囲の反感を買うことになり…というあらすじ。

劇中の描写がどこまで事実に基づいているかは別として、普通こんな会話しないだろ、というような「狙った」セリフがぽんぽん飛び交い、ニューヨーク進出にあたってはデブラシオ市長との掛け合いがグランド・セフト・オート風に描かれるなど、いろいろ凝ってはいるものの逆に観てて疲れるところもあるかも。主人公が公私においてエゴむきだしで突き進んでいくさまが楽しめるかどうかで観る人を選ぶ作品かな。

主人公のカラニックを演じるのはジョセフ・ゴードン=レヴィットで、若々しくガンガン押してく演技はよく似合ってますね。彼の出資者にカイル・チャンドラー、母親役がエリザベス・シューなど。あと自分が観た話数ではまだ登場してないがアリアナ・ハフィントン役にユマ・サーマン、アップルのティム・クック役にハンク・アザリア、ってなんかウケ狙いのキャスティングのように感じられるな。あとなぜかナレーションをクエンティン・タランティーノがやってるらしいのだけど、そもそもナレーションが殆ど使われてなかったような?

正直なところ、どのような視聴者を想定して制作したのかよく分からない作品ではあるものの、こういうベンチャー企業の成功(と失敗)の物語が映像化されるトレンドって今後も続くのだろう。数年後にはNYタイムズによるWordle買収の物語なんかが映像化されるんじゃないですか。知らんけど。スーパーコピー

https://www.youtube.com/watch?v=eNn8YJYAyEo

「AFTER YANG」鑑賞

デビュー作「Columbus」が素晴らしかったコゴナダ監督の長編2作目。アメリカでは劇場公開とあわせてSHOWTIMEで配信という変則的なリリース形態で、仕方なしにゴニョゴニョしてSHOWTIMEに加入することに。以下はネタバレ注意。

舞台は未来。テクノと呼ばれるヒューマノイドが普通に家庭で暮らす時代。ジェイクとキラの夫妻は、中国から養子に迎えた娘のミカの兄代わりとして、中国文化に詳しい「ほぼ新品」のテクノであるヤンを家族の一員として迎えていた。しかしある日ヤンが作動しなくなり、ジェイクは彼を元に戻そうと奮闘することになる。元の売り場でヤンを直せないことを知った彼は非正規の修理人に頼み込むが、そこで彼はヤンが今までの生活のメモリーバンクを備えていることを知る。そのメモリーバンクを開いたジェイクは、ヤンの意外な記録を知るのだった…というあらすじ。

原作となった短編小説があるそうで、内容は「Columbus」に比べると意外なくらいにSFしているのだが、派手なアクションなどがあるわけではなく、家族の一員の喪失とその思い出を中心にしたしんみりとした話になっている。家族に迎えられたヒューマノイドの話という点ではスピルバーグの「A.I.」に通じるものがあるが、知的なアートSFとしてはアレックス・ガーランドの作品やスパイク・ジョーンズの「HER」のような雰囲気があるかな。

コゴナダの画面作りは前作以上に美しいものになっていて、室内のシーンでは壁・廊下・壁といった仕切りで画面を3分割し、廊下の奥を覗き込んでいる構図のものが多かったな。色使いも特徴的で、屋外のシーンでは芝生の映えるような緑が強調されていた。また自動運転?の車のなかで会話するシーンも多く、車に映る光の使い方も印象的であった。

ジェイクを演じるのはコリン・ファレル。「ザ・バットマン」みたいな大作に出る一方で、これやヨルゴス・ランティモスの作品に出たりと幅の広い出演をしてるな。キラ役はジョディ・ターナー=スミスで、あとはクリフトン・コリンズJr.なんかも出てました。コゴナダは韓国出身だが劇中では中国の文化に関するトリビアがヤンから語られ、音楽は坂本龍一がテーマ曲を担当しているほかミツキの歌が使われていたりと、いろんなアジアの要素が含まれている作品でもありました。

SF的な要素に押されて、前作に比べると感情的な盛り上げに少し欠ける気もするが、これは物語の要であるヤンが不在であることも関係しているかな。とはいえ映像の非常に美しい、幻想的な作品でした。劇場の大画面で観るとまた感想が違ってくるかもしれない。