The Best 90 Minutes of My Life

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ミックス・テープの文化について、ソニック・ユースのサーストン・ムーアによる非常にカッコいい文章がWIREDに掲載されていたので翻訳してみた。原文はこちら。パッパと訳したので、誤りがあったら指摘をお願いします。

「生涯最高の90分間」

ミックス・テープを作ってる人のことを俺が初めて聞いたのは1978年のことだった。「ロック評論家の親玉」ことロバート・クリスゴーが、彼の好きなクラッシュのレコードは自分で録音した、シングル盤のB面が全部収録されてるカセットテープだってヴィレッジ・ボイスに書いてたんだ。あることに俺は感銘を受けた:彼は友人にあげるために、そのテープを作ってたんだ。自分でクラッシュのベスト盤を作り、ロックンロールに対する自分の情熱の証しとして人に渡してたのさ。

あのころのテープデッキはターンテーブルくらいに価値があり、同じくらいにバカでかかった。でもその後ソニーはウォークマンを発売した。レコード会社は消費者がアルバムのカセット版を買うことを望んでたし、実際そうした連中もいた。でもさ、空のテープを買ってレコードから曲を録音した方がいいんじゃないか?もちろんウォークマンを持ってた連中はみんなそうしたさ。おかげですぐにレコードやカセットにはこんなステッカーが付けられるようになった:「警告!個人録音は音楽の敵です!」。これは音楽ダウンロードやCDのバーニングに対する、現在の音楽業界のパラノイアの奇妙な先駆けだった。

1980年頃には、メチャクチャ速い曲を録音する若いバンドが勃発してシーンを形成していた。マイナー・スレートやネガティブ・アプローチ、ネクロス、バタリオン・オブ・セインツ、アドレッシェンツ、シン34、ミートメン、アーバン・ウエィスト、ヴォイド、クルシファックス、ユース・ブリゲード、ザ・モブ、ギャング・グリーンとかね。俺は狂喜して、シングルが発売されるたびに全部買いあさっていった。ソーホーにあるレストランの皿洗いの身じゃロクな給料を稼いでなかったけど、あれらのレコードが欲しかったんだ!

そして買ったレコードを時間の面でもっと有効的に聞く必要があったことから、お気に入りの曲の入ったミックス・テープを作ればいいことに気づいた。こうして俺が思うに史上最高のハードコア・テープが誕生した。テープの片面に「H」、もう片面に「C」と書き込んだよ。そしてその晩、愛しのキムが寝静まったあと、俺はステレオのカセットプレイヤーにテープを入れ、小さなスピーカーの一つをベッドまで持ってきて最小限のヴォリュームで聞き入った。あれは低周波の至福の状態だったね。音楽が体中の細胞と繊維組織をジリジリと焼き付けてるような感じだった。幸せだった。

それからソニック・ユースが80年代半ばにツアーをしたとき、俺たちはカセット・プレイヤーをヴァンに積み込むことにしたんだ。ダッシュボードを積み込むという案もあったんだけど、あれは値が張った。当時ニューヨークのストリートではヒップホップの連中がラップのミックステープを巨大なラジカセ、別名「ゲットーブラスター」で大音量で流すのが流行ってた。そこで俺はデランシー通りにある店に行き、バンドの限られた資金を使って、店に飾られてた一番大きなラジカセを購入した。コニオンのラジカセで、単一電池を16個も使うやつだった。俺たちが「コナン」と呼んだこのコニオンはまるで自分の胴体みたいで、小さな子供くらいデカかった。そして俺はそれをヴァンに詰め込むため、フロントシートの間に後ろ向けに立てて置くようにした。そしてヴァンがホーランド・トンネルを抜けて街から離れていくとき、初めて作ったラップのミックス・テープをかけてみた。ラジカセから流れる音は最高だった。

俺たちはステージ上にもこれを持ち込み、PAを通じて曲の合間のテープ・アクションとして鳴らしてみた。国中のファンがミックス・テープや希望の詰まったデモ・テープを渡してくれ、俺たちはそれらを全部かけてみた。ツアーが終わる頃には、踏まれてケースにヒビの入ったテープがヴァンに数百本も転がってるような状態だったね。

最近ではテープに代わってCDが主流になり、ミックスCDがカルチャーの新しいラブレターもしくは交易所になってきた。でもデジタルはアナログよりも粗雑な音触りがすると思ってる俺のような連中にとっては、MP3の蔓延する新世界は音楽の悪夢みたいなものなんだ。MP3はCDよりもさらに圧縮されて粗雑な感じがするし、最高のグルーヴ(レッド・ツェッペリンであれ、バッド・ブレインズであれ、ペイヴメントであれ)の場合は音の雰囲気がオリジナルからひどくかけ離れたものになってしまっている。

しかしMP3が貧弱な音しかしないとしても、人に知られた形式であり、無料で、交換が可能である限り、この世から消えるようなことはないだろう。より洗練された複製方法が開発されるに従い、音質も良くなってくるはずだ。今のところMP3のショボさはTunesの「セレブレティー・プレイリスト」によって美化されている状態だ。iTunesはミックス・テープの「推薦カード」みたいなものになった。名前を書き込むだけで、自分個人のものになってしまうのさ。

そして再び俺たちは、個人録音(今回はリッピングとバーニングという形式)は音楽を殺すと警告されている。でもそいつは違う:友人や恋人と音楽を分かち合うという行為に対する、心からの愛情と自尊心の表れとして個人録音は存在してるんだ。P2PのサイトやMP3ブログ、ビットトレント、あるいは今後開発される技術が何であれ、それらを禁止することによって音楽の共有を支配しようとすることなんて、ハートの情熱を支配するようなものさ。何も止めることはできない。

(5月刊行予定の「Mix Tape: The Art of Cassette Culture」(サーストン・ムーア編)より抜粋。)

「ザ・ホワイトハウス」 シーズン最終話

NBCの人気ドラマ「ザ・ホワイトハウス」こと「WEST WING」のシーズン6最終話が今晩放送された。一時期ほどの人気はなくなったと言われる番組だが、今シーズンはアラン・アルダやジミー・スミッツといった俺好みの役者がレギュラーに加わり、次期大統領選へのレースも加熱してかなり見応えがあったと思う。今夜のエピソードでも民主党大会を舞台に、大統領候補に誰が選ばれるかを非常に緊迫したペースで描ききっていた。数の限られたエキストラを使いながら、何万もの人が集まる大会の様子を表現してたのには脱帽する。

この番組って最初の40分くらいは誰かが政治的に窮地に陥り、胃がキリキリするような状況が続いたあと、普通の政治家だったら思いもつかないような実にカッコいいスピーチを決めることによって視聴者の溜飲を下げさせるという展開がかなりパターン化したような気がするが、見てて面白いのでよしとしよう。ただ最近の流行に沿ってカメラがずいぶんグラグラ揺れるようになったのが気になる。

次のシーズンはまず大統領選挙が焦点になるが、マーティン・シーンが演じている現大統領は任期満了により退くことになる。そのため誰が勝っても現在とは異なる大統領が就任するわけで、今後も目の話せない展開が続きそうだ。

「エピソード3」フィギュア

とあるショッピング・モールのトイザらスに行ったら、「スター・ウォーズ:エピソード3」のフィギュアなどがもう発売されていた。前回の「エピソード2」のときは「右手の外れるアナキン人形」なんてものがあってネタバレに貢献していたけれど、今回はそういったものはないようだ。あるいは単に「エピソード3」がどういう結末を迎えるか皆がとっくに知っているだけかもしれない。「ダース・ベイダーになるアナキン人形」は平然と売られてます。

話の都合上アナキンのフィギュアはどれも「悪人顔」だし、オビ=ワンはヒゲオヤジと化しており、一見しただけでは誰が善玉なのか分かりにくいのはちょっと問題かと。

それにしてもジミー・スミッツのフィギュアが発売される日が来るとは。

THE FOUNTAIN Montreal Set Visit Details

鬼才ダレン・アロノフスキー監督の待望の次回作「THE FOUNTAIN」がここカナダのモントリオールで撮影中(撮影済?)ということで、非常に興味深いセット訪問記がAin’t It Coolに掲載されていた
。ヒュー・ジャックマンとレイチェル・ワイズが主演をつとめ、相当スケールが大きい作品になるらしい。かつてはブラッド・ピット主演で撮影寸前までいった作品だが、ピットが降板したため急遽撮影が打ち切りになるという不遇な目にあった作品だが、無事にこうして製作が再開されているのは非常に嬉しい。公開が待ちきれない。しかし以前はオーストラリアにセットを組み立てるところまで行ったのに、なぜ今度は極寒のモントリオールに移動したんだろう。

かつては「ウォッチメン」や「バットマン:イヤー・ワン」などの監督も噂されていたアロノフスキーだが、この記事には「ウォッチメン」に関する面白い話が載っている。なーんとデビッド・ボウイが「ウォッチメン」のロック・オペラを企画中だとか。本当に公演されるかどうか不明だが、ボウイはやはりオジマンディアス役か??

それにしてもアロノフスキーの作品の音楽を担当してるクリント・マンセルが、あのポップ・ウィル・イート・イットセルフのクリントだったとは!!!

「シン・シティ」に見るコミックの映画化技法

先週の金曜日に封切られた「シン・シティ」が大方の予想通り興行成績1位に輝いたようで、まずはめでたしめでたし。もっとも興行成績で作品の良し悪しが決まるものではないんだけど。約2800万ドルという成績は決して記録的なものではないけど、R指定作品だし製作費が4000万ドル程度(さすがロドリゲス!)であるらしいことを考慮すれば上出来の結果かと。これで続編製作が決定か?

一般大衆の受けも上々らしく、IMDbでは早くも歴代作品のトップ112位に食い込んでいた。ただし批評家の受けはそこまで良くはないようで、「内容よりもスタイルに重点を置きすぎてる」とか「映画ではなくコミックを見てるようだ」といった批判も出ているようだ。まあコミックに徹底的に忠実に作るのが監督の目的だったので、これらの意見は褒め言葉としてとらえることも可能だろうけど。ただコミックに忠実になるあまり、映画化への脚色が十分に出来てないと思われる部分があるのも事実である。そこでコミックの映画化とは何ぞや、ということについて少し書いてみる。(注:以下に少しネタバレあり)

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上記の画像は「THE BIG FAT KILL」でジャッキー・ボーイの生首が突然話しだすシーンのもの。コミックではページをめくったとたんに彼が目を見開いて喋りだし、それをドワイトが「お前は幻覚にすぎない。黙ってろ」とクールに対応する非常にカッコいい光景を1コマで描ききっているわけである。これを映像化しようとすると、どうしても1コマ以上の時間や視点の動きが必要となってくるわけで、「生首が話しだす」→「ドワイトが反応する」→「ドワイトが話す」という流れに持っていかざるを得ないと思う(実際、今回の映画もそうだった)。そうなるといかにコミックに忠実になろうとしても、越えることができないメディアの違いという壁があるわけで、あとは映画製作者の脚色の手腕にかかってくるのではないか。

それと今回の映画で気になったのがナレーションの多用で、これもまた原作通りなのだけど、コミックは文章量が多くなっても読み手が任意のスピードで読むことが可能だから比較的多くの情報を処理できるのに対し、映画はまず映像が製作者の任意のスピードで観客の目に飛び込んでくるわけで、それに加えてナレーションがガンガン流れるのは見てる側にとってキツいものがあると思う。映画はまず何よりも映像/視覚のメディアだな、と実感した次第です。

もちろんこれはロドリゲス監督に脚色の技能がない、なんて言ってるわけではない。彼は非常にうまく原作を映像化してるのだけど、あまりにもスタイルに忠実であるがためにコミックと映像の壁が明確に現れてしまったわけだ。コミックの正しい映画化への道は厳しい。

とりあえず原作をじっくり読み直してからまた観てきます。