こんどの「タイム」誌は「オプティミズム」をテーマに、エイヴァ・デュヴァーネイが責任編集しているのだそうな。そこにギレルモ・デル・トロのエッセイが寄稿されていたので、英語の勉強に翻訳してみる。原文はこちら

ちょっと形式ばった文体なので、古い教科書にあるような旧仮名遣いのほうがしっくりくるかな、とも考えたけど、ボロが出そうなのでやめた。ちょっと言ってることが分かりにくい気もするけど、シニカルなものの見方が褒められる現代において、楽観的でいることは大切なのではないかと。

人が行える、最も過激で反抗的な選択は楽観的であることである

楽観主義は過激だ。これは難しく、勇敢な選択である。そして私が思うに、これは現在において、絶望と向き合うときに最も必要とされるものである。車が距離を移動するにあたっては大変役立ち、そうでないときはガレージに入った大きな動かぬ物体であるのと同じで。

今日において、人が賢そうに見られる無難な方法は、まず懐疑的であることだ。我々は「それを信じない」と言えば洗練されているように見えるし、「信じる」といえば不真面目であるように見なされる。

歴史も寓話も、何事も決して完全に負けたわけではないことを証明してきた。ダビデはゴリアスを打ち負かしたし、ノルマンディーの浜辺は戦争の局面を一転させた。勇気は権力を転覆させる。これらの事実は例外的のようにとらえられるが、実はそうではない。毎日のように、我々は自らの選択のバランスとなる。愛情と恐怖のあいだの選択、信念と失望のあいだの選択のように。どんな希望も小さすぎることはない。

楽観主義は、我々が窒息しそうなときに息を吸い込もうとする本能のようなものだ。現実に対して「こうあるべきだ」と宣言しなければならない我々の必要だ。楽観主義は格好の悪いものではない。それは反抗的で勇敢であり、不可欠なものなのだ。

アメリカの作家シオドア・スタージョンはかつて、「あらゆることの90パーセントはクズである」と語った。それは正しいと思う。しかしそれはつまり、「残りの10パーセントのものは全力を注ぐ価値がある」ということでもある。

こうして時から時へ、選択から選択へ、 我々は伝記と墓碑のどちらを遺すかを決断していく。あなたも周りを見渡し、どちらを遺すかを選べ。

吸い込むか、あるいは死ぬか。

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