「スター・トレック」鑑賞

とりあえず眩しい映画。観るときは明るいところで観ましょう(笑)。

*以降はネタバレ注意*

映画そのものとしては85点くらいあげてもいい出来なんだけどね、オールドファンとしては観終わったあとに何かポッカリと空しいものを胸のなかに感じてしまったよ。その理由は至極単純で、旧シリーズとの整合性をもたらすために持って来られた(と俺は思う)タイムトラベルの要素が、結局のところ旧シリーズとの断絶を決定的にしてしまったところ。

いやさ、「あれはあれ、これはこれ」と切り分けられればいいんだけど、じゃあ老スポックなんて連れ出してくる必要がなかったんじゃないのかと。例えば劇場版第4作目におけるスポックと母親のやりとりなんて非常に好きな場面なのですが、あれをいきなり「なかったこと」にされても、ねえ。そもそも宇宙連邦って時間調査課が存在しなかったっけか?DS9に出て来たダルマーとラクスリーは、こんな重大な歴史改変を許してしまうのか?まあ別れた恋人のことを想ってウジウジ悩むのか、気分を入れ替えて新たな恋愛活動を始めるかを迫られる映画なのかもしれない。俺は私生活でも明らかに前者ですが。

新しい俳優陣は特にミスキャストもなく、みんなうまい具合に役にハマりこんでいるという感じ。特にマッコイ役のカール・アーバンが予想以上に良かったかな。残念なのはエリック・バナ演じる悪役がものすごく型にはまったキャラクターということで、暗い宇宙船のなかで邪魔そうな武器をもち、しかめ面して怒鳴るだけ。こんな奴にバルカン人は負けるなよ。

ストーリー自体はテンポも良くてアクションも多く、観る人を飽きさせない出来になっている。ただ「M:I-III」のときも感じたけど、J・J・エイブラムスってプロットを巧妙にヒネった娯楽作を手堅く作ることに長けているけど、そこから先のドラマの部分に関しては凡庸なことしか出来ないんだよな。誰もスター・トレックに感動的なドラマを求めてはいないかも知れないが、そこを磨かない限り彼はスピルバーグのようにはなれないでしょう。最近の「ダークナイト」や「スパイダーマン2」から察するに、こうしたフランチャイズ映画はオリジン話に時間をとられる第一作よりも続編のほうが面白くなる傾向があるようなので、この「スター・トレック」も第二作目に期待したいところだけど、その際の監督はエイブラムスじゃないほうが良い結果になるんじゃないかな。

まあいろいろ書いたけど映画としては十分に楽しめる作品だと思う。日本で大ヒットするかというと微妙だけど、デートムービーとして鑑賞できるスター・トレックというのは画期的ですからね。日本のトレッキーどもよ、女の子と映画を観にいける生涯一度のチャンスが来たぞ!

追記:
そういえば怒りに震えるスポックに対して、サレクが語りかけるシーンで「復讐するな」という字幕が出るんだけど、あれって「怒りを抑えるな」という方が正しいんじゃないの?そうしないと次の「私は彼女を愛していた」(感情の肯定)に続かないと思うんだが。

「The League of Extraordinary Gentlemen, Vol. 3: Century, No. 1: 1910」読了

The League of Extraordinary Gentlemenの待望の新刊!前にも書いたように20世紀初頭から21世紀にかけた「リーグ」の冒険を描いた3部作の第1部で、舞台は1910年のロンドン。ミナ・マーレイ、アラン・クォーターメイン(・ジュニア)に加え紳士泥棒A・J・ラッフルズ、幽霊狩人カーナッキ、そして両性具有のオーランドーからなる新生「リーグ」が、世紀の初めにロンドンで起きるという大惨事を防ぐために、この世に災いをもたらすムーンチャイルドの誕生を阻止しようとするのが大まかなストーリー。

前作「THE BLACK DOSSIER」がメチャクチャ難解なカタログ的書物だったのに対し、今回のは比較的ストレートな冒険譚になっている。でもそこはLoEG、様々な登場人物とプロットが何層にも積み重ねられていて、ストーリーに隠されたさまざな情報を読み解くのが大きな醍醐味になっている。例によって注釈のページが立ち上がっているので、ここを参照しながら読んでいくのもいいかもしれない。

今回のストーリーのベースとしていちばん顕著なのがベルトルト・ブレヒトの「三文オペラ」で、あの劇からの歌が全編にわたって使われるほか、匕首のマックと海賊ジェニーが(ちょっとヒネった形で)登場したりする。ブレヒトの歌は3部にわたって使われるんだとか。これに加えてネモ船長の娘や切り裂きジャック、マイクロフト・ホームズに謎のタイム・トラベラーなどが登場して話に深みを与えている。第1部ということもありキャラクターの紹介や伏線を張るのに時間が割かれて若干プロットが薄くなっている気がしなくもないが、後の話でそれらが大きな意味を持ってくるんでしょう。あと巻末には例によって連続小説が付けられており、今回は月に関する様々なキャラクターが登場するものになるんだとか。

これの発刊に合わせてアラン・ムーアのインタビューをいろいろ読んでるんだけど、何と言うか奇抜なアイデアが沸々と彼の頭のなかに湧いてくるところが非常に楽しいんですよ。我々凡人はその全てを理解することはできないんだけど、ストーリーテリングに対する彼の熱意を体験するだけでも面白いというか。例えば上記の月に関する物語にしても「この時代は既に多くの国が月面に領土を持っていて、アメリカの領土はジュール・ベルヌの小説で月面ロケットを打ち上げたボルチモア・ガン・クラブが管轄しているとしよう。そしてボルチモアときたら『ザ・ワイヤー』や『ホミサイド』のキャラクターを登場させられるかもしれない!」みたいなことを語っているんだけど、ジュール・ベルヌと「ザ・ワイヤー」を結びつけられる人というのは世界広しといえどもムーアくらいのものだろう。またケヴィン・オニールのアートもさらに洗練され、さまざまな細かい情報が画のなかに巧妙に入れられているのも見事である。

そして第2部は60年代のカウンターカルチャーを背景に、ジェリー・コーネリアスたちが登場する話になるそうな。ああ早く読みたい。年内に出てくれたりすると嬉しいんだけど。

栗本薫 死去

わたくしこれでも小学生の頃は「グイン・サーガ」を読んでおりまして、個性的な登場人物による波乱に満ちたストーリー展開を楽しんでいたのでありますが、やがて作者の耽美趣味というかやおい趣味のようなものが幅をきかせてきたのが嫌になって30巻のちょっと前あたりで読むのを止めたんだよな。そのあとはヒロイック・ファンタジー(死語)を求めてマイケル・ムアコックの諸作品に移っていったわけです(こないだR・E・ハワードの「コナン」シリーズを読んだら非常に面白かった)。

あの頃は「100巻なんて行くわけねーやな」とか考えていたわけですが、いつの間にか到達していたばかりか、勢いに乗って126巻まで出てたんですね。でも結局未完で終わってしまったんだったら、あんた何やってんのかと。過ぎたるは及ばざるが如しという言葉を、今日はとても実感した次第です。

作家としてのスタンスは尊敬できるところがなかったのも事実だが、もう何も言うまい。

OSX 10.5.7って…。

こないだ自分のマックのOSを10.5.7にアップグレードしたら、バッファロー社製外付けHDDが認識不可なんて不具合があることを身をもって知る羽目に。OSXって10.4.10あたりから外付けHDとの相性が悪くなったような気がするけど、今回みたいにまったく認識しなくなる例は初めてだぞ。

仕方ないんでマックを月初に買い替えた頃のデータを復旧させることにしたんだが、こないだは旧マシンからのデータ移行をTime Machine経由で行ったら、そのあとTime Machineのバックアップが旧マシンと新マシンを別物として認識するようになったため(ディスクの容量が単純に倍必要になる)、今回は移行アシスタント経由で旧マシンからのデータを移行させてみたんだけど、Time Machineは相変わらず別のバックアップをとろうとするばかりか特定のアプリケーションが起動しなくなるという謎の現象が起きたため、しょうがないから再度Time Machine経由でデータを復旧させることに。こんなことやってて半日がつぶれたぞ。

というわけで何かしらの対策が打ち出されない限り、10.5.7にはアップデートしないほうがいいかもしれない。あと新マシンになってHDの容量が増えたのはいいんだけど、それに比例してバックアップ用のディスクも大容量のものを用意しなければならないわけで、相変わらず変なところで出費が重なるんだよなあ。