「ダークナイト ライジング」鑑賞


一部で言われてるほど悪い映画ではない。というか普通に優れた映画なのだが、必然的にあの傑作「ダークナイト」と比べられてしまうのが損なところか。あっちは悪役の動機やオリジンを説明する必要がなかったし、後味の悪い終わり方も「次があるから」で済ませることができたが、こちらは話をきちんと畳まないといけないわけで、そうなると万人を満足させることはまず無理だったのでは。とりあえずネタバレ気味の雑感をいくつか:

・ベインは話し方が異様にカッコ悪い。なぜパブで一杯やってるオヤジのような話し方をするのかと思ったら、アイリッシュ・トラベラーの拳闘家をモデルにしてたのか。なんか知的なストラテジストのようには聞こえないのよね。そもそも彼の組織は変なアクセントで話す人が多いような。

・3時間近い長尺でありながら、「増長した主人公が痛い目にあう」とか「時限装置付きの爆弾は(悪役が望むようには)爆発しない」といったクリーシェに多くの時間を割いてしまったのが残念。映画で「驚異の新エネルギー」みたいなものが出てくると必ず悪用されるよね。

・前作のラストでバットマンは警察に追われる身となったわけだから、今回のクライマックスで市民とでなく警官たちと蜂起する展開はそんなに変だとも思わなかった。昼間にバットマンを登場させるのは好ましくない演出だと思うが。

・「トーチウッド」のバーン・ゴーマンが意外と出演シーンが多かった。あとは「ザ・ワイヤー」のエイダン・ギレンやロバート・ウィズダムがチョイ役で出ていていい感じ。そしてマシュー・モディーンはあんなに背が高かったのか。

観てて楽しみつつも、「前作ほどではないな…」と頭の片隅で思ってしまうという、複雑な心境にさせる作品であった。このまま「スパイダーマン」みたいにフランチャイズを安易にリブートさせるのは勿体ないから、「彼」を主人公にした新たな3部作を作ればいいのに!

「The League of Extraordinary Gentlemen, Vol. 3: Century, No. 3: 2009」読了


ついに出てきたLOEG最終章。当初の予定からどれだけ出版が遅れたかはタイトルを見れば明らかですな。

2009年において「リーグ」は解散状態にあり、ミナ・ハーカーは前作の終わりからずっと精神病院に入れられ、アラン・クオーターメインは再びヤク中になってホームレスに身を落とし、オーランドーは中東の戦地において生ける殺戮機械と化していた。そして彼らが阻止するはずだったアンチクライストはすでに誕生してしまっていた。これについてプロスペローから叱責されたオーランドーは40年ぶりにミナを見つけ出し、2人はアンドリュー・ノートンの助言を受けて北の魔法学校に向かうのだが…というような展開。

毎度のことながら当時の文化に関するリファレンスがてんこ盛りの内容になっているわけだが、ほぼ現在が舞台になっているだけに従来の話よりも分かりやすいネタが多かったような?「ハリー・ポッター」やジェームズ・ボンドなどといった明確な元ネタなどに加え、マルコム・タッカーやドクター・フーの面々といったブリティッシュな人たちのほか、意外とアメリカンなネタも盛り込まれていた。まさかアラン・ムーアのストーリーにおいて「バーン・ノーティス」や「30ロック」などが言及されるとは思ってもいなかったよ。また「リーグ」にしては珍しく、実在の人物(ジョニー・デップやアミン大統領)への言及がチラホラあったような。

また今までの話に比べてムーアのメッセージが強く打ち出されており、それは「現代における文化は貧相なものになってしまった」ということ。人々はビクトリア王朝時代のように貧しくなり、当時よりも希望がなく、そこから生み出される文化は弱々しいものばかりであり、それが「リーグ」の世界や魔法の世界の荒廃として反映されているのだという。そしてアンチクライストを倒して生き残るのは現代人ではなく、少なくとも60年代以前から活躍していた女性たちであり、彼を倒しても万事よしになるわけではないことがラストで示唆されている。

このムーアの厭世的なメッセージが少し鼻につくところもあるし、ネモ船長の子孫がほとんど話に絡まなかったり、肝心のアンチクライストが意外と弱い(世界に破滅をもたらす規模では火星人たちの比にもならない)といった不満もあるものの、これによって「リーグ」の長い歴史がついに最終章を迎えたことを考えると感慨深いものがありますな。とはいえこれで「リーグ」の話が終わったわけではなく、「Nemo: Heart Of Ice」などといった外伝が早くも年末に出るらしいので(ホントかよ)、今後さらに「リーグ」の世界が掘り下げられていくことに期待しましょう。

「Political Animals」鑑賞


軽快な番組が多いUSAネットワークにしては珍しい政治ドラマ。これミニシリーズ扱いになるのかな?

エレイン・バリッシュは民主党出身の大統領のファーストレディーだったが、ホワイトハウスを離れてからはイリノイの州知事を勤め、やがて自身が民主党の大統領候補に立候補するものの、ライバルのポール・ガーセッティに破れてしまう。その直後に彼女は女たらしの夫に愛想を尽かして彼と離婚するが、ガーセッティに手腕を買われて国務長官として彼の政権に参加することに。こうして彼女は世界中のさまざまな危機に対処しながら、自分の家族(口うるさい母親、優等生の長男とゲイで落ちこぼれの次男、さらには元夫)をまとめあげようとするのでした…というようなストーリー。

このあらすじからお分かりだと思うが、主人公のモデルはヒラリー・クリントン。そこまで経歴を真似ますか?と思ってしまうくらいにヒラリーさん。彼女自身はやり手の政治家として描かれているものの、元夫(要するにビルだ)なんて若い女の子にばかり手を出し、酒を飲んでひたすら汚い言葉を口にするグータラですからね。アメリカ国民にとってビル・クリントンってやはりそんなキャラなのかなあ。

話の焦点は政治だけでなく家庭にも向けられていて、みんなクセのありそうな一家の面々をスキャンダルから守りながら、平穏な家庭を築こうとする主人公の苦労も描かれている。決してコメディではないんだが、ドタバタのノリもあるのはUSAネットワーク的といえばいいのかな。第一話の終わりで主人公が「私はまた大統領の座を目指すわ!」なんて決意したりするし、リアリティよりもフィクションを重視したドラマだと思えばいいのかも。

主人公のエレインを演じるのはこれがTVシリーズ初主演(だよね?)のシガニー・ウィーバー。ちょっと肩に力が入りすぎてるかもしれないが、さまざまなトラブルに見舞われた国務長官を好演しているぞ。最近のウィーバーはチョイ役が多かった気がするので、彼女が存分に演技してる姿が見られるのはいいですね。そして共演はキーラン・ハインズにエレン・バースティンにジェームズ・ウォルク、カーラ・グギノ、そしてディラン・ベイカーと俺好みの役者ばかり。ベイカー演じる副大統領は悪役めいた存在になるみたい。またコリン・パウエルの娘なんてのも出演してるらしい。

第1話は比較的凡庸な内容だったけど、キャストも豪華なんだから脚本によっては傑作になる可能性のあるシリーズじゃないですかね。

「金陵十三釵」鑑賞


英題「The Flowers Of War」。南京事件を扱ったチャン・イーモウ監督の作品で、主役はハリウッドスターのクリスチャン・ベール。題材が題材だけに日本では当分公開されないだろうからネタバレ気味に書いていく。

舞台は1937年の南京。上海を占領した日本軍は南京にも侵攻し、街の陥落は目前であった。その争乱のなかで逃げまどう少女のシュウはジョンというアメリカ人に出会い、彼女の暮らす修道院へと一緒に逃げ帰る。実はジョンは葬儀屋であり、最近他界した司祭の葬儀を行う依頼を受けて修道院を目指していたのだという。しかし戦乱が激しくなるなかでジョンや修道院の少女たちは建物のなかに篭城せざるをえなくなり、さらには売春宿から避難してきた娼婦たちも修道院にやってきて地下室に棲みつくことに。そしてついに日本軍の兵士たちも修道院にやってきて…というようなストーリー。ちなみに争乱の犠牲者は20万人という説明が冒頭でされてます。

中国映画史上において空前の製作費がつぎ込まれたという大作だが、要するにプロパガンダ映画なので日本人兵士の描写はけっこうエグいですよ。銃撃もろくに当たらず小隊が1狙撃兵に手玉にとられるほか、女性を見つけると目をギラつかせて追いかけ回す次第。こういう描写は予想していたものの、娼婦の1人が捕まって輪姦されるシーンとかはかなりしんどかったよ。日本語を話す役にはきちんと日本人俳優を起用している点は素直に評価しますが。

そんななかで彼らの隊長は英語を話し、少女たちの境遇を憐れんでくれるいい人として描かれてるのだが、オルガンを見るなり「ちょっといいかな?」と言って「故郷」を弾きだす演出のクサさ。主人公に外タレを起用してるので仕方ないんだが、「英語が出来る人=教養のある人」という図式になってるのはちょっと単純かと。アメリカを含む世界各国へのアピールを狙って外タレを主役にした意図は理解できるものの、おかげでジョンは「西洋人なので日本軍もうかつに手を出せない人」になってしまい、身の危険を感じて怯えている中国人たちとはちょっと異なる存在になったのが残念なところか。普通に中国人を主役にしたほうが緊迫感があって良かったのでは。

またジョンは最初は飲んだくれで葬儀代だけを気にするヘタレだったのが、良心の呵責を感じて少女たちの保護に身を尽くすようになるものの、そこらへんの心境の変化の描き方がどうも希薄であった。それ以外にも「無垢の象徴の少女たち」とか「黄金の心を持った娼婦」「身を挺して人民を守る兵士」などと登場人物がみな紋切り型であったのも興醒め。戦争という極限状態だからこそ、もっと複雑な人間性が露呈されるはずだと思うんだけどね。

そして話の後半では少女のうち13名が選ばれて日本軍のパーティーで歌を披露するように命じられるのだが(生きて帰って来れない場所、と強く示唆されている)、それを見かねた娼婦たちが「あたいらが身代わりになってあげるよ!」とコスプレをしたりするのですが、20代の女性が13歳の少女たちを演じるのはさすがに無理があるかと。相手が白人ならまだしも、日本人はアジア人の顔と年齢の見分けがつくだろうに。「髪をボブカットにしたら10歳若返った!」というようなセリフには思わず苦笑。しかも変装が済んだあとに実は娼婦たちが12人しかいないことが判明するのだが、そんなこと計画を練る前に気付けよ!それに対して出された解決策も「ええっ?」という感じのものだったし、彼女たちが日本軍に一矢報いるわけでもなくただ死地(?)へと赴く展開はどうも後味の悪いものだったな。歴史的史実がどうこうという以前に、脚本がザルなのが気になったよ。

とはいえチャン・イーモウ作品ということで映像美やシネマトグラフィーは大変素晴らしく、冒頭の市街戦のシーンなどは迫力もあり「お、これ結構面白いかも」と思ったんだが、中盤になって役者が出そろったあとはメロドラマ的な展開が続くのが興醒め。アメリカなどでも評判は芳しくなく大して話題にはならなかったものの、中国市場では歴代6位くらいの大ヒットになったということで、日本の映画業界も大枚はたいてブラッド・ピットあたりを呼んで震災復興のプロパガンダ映画とか作ったらいいカンフル剤になるんじゃないでしょうか。

とりあえずこの映画を観てて思ったのは、第二次世界大戦が舞台のアメリカ映画を観るドイツ人の気持ちがよく分かったということでして、こうなったらいっそ行きつくところまで行って、女刑務所長ものとか和製ジョイ・ディヴィジョンものとかのサブジャンルを旧日本軍でも確立させようよ!

「BEING ELMO: A PUPPETEER’S JOURNEY 」鑑賞


前からちょっと観たかった、「セサミストリート」のエルモのパペッティアであるケヴィン・クラッシュを扱ったドキュメンタリー。

ボルチモアの郊外に生まれ育ったケヴィンは、幼少のときに観た子供向け番組、特に「セサミストリート」に心を奪われ、自分でもパペットをつくって近所の子供たちのためにショーを開催するようになる。高校生になってもパペットに対する情熱は消えず、おかげで同級生たちにイジメられたりもするのだが、やがて地元のテレビ番組に出演するようになる。さらにジム・ヘンソンのためにパペットを作っていたカーミット・ラブの工房に出入りしてパペット作りの極意を学ぶようになり、やがてヘンソンその人とも知り合いになって「セサミストリート」への参加を要請される…というようなストーリー。

クラッシュ(Clash)という名前に加えて大柄な外見のケヴィンはまるでセサミというよりWWFの人のような感じなのですが、そんな彼がファルセットでエルモの声を発する姿はなかなかインパクトがあるぞ。もちろん彼はエルモやそれ以外のパペットの声だけでなく振り付け(操作)なども自分で担当していて、外国版のセサミのパペッティアたちを入念に指導する姿などは完全なプロフェッショナルですね。

駆け出しのころにパペットから縫い目を消す方法がどうしても分からず、カーミット・ラブのところに行ったら当時まだ珍しかったフリースという生地を紹介されたことや、ヘンソンのマペットに用いられている特殊な縫い方を目にして「これがあの『ヘンソン縫い』か!」と感嘆したなんていう逸話が面白かったな。

「くすぐりエルモ」が絶大な人気を誇っていた時も「エルモを操れるのは自分だけだ!」という自負のもと世界を駆け巡り、おかげで家族を顧みる時間がなかったなんてことも語られるものの、基本的にはストレートなサクセスストーリーなので話に起伏があるわけでもないのが欠点といえば欠点かな。とはいえ子供の頃からの夢を追いかけて実現させた人の話というのは、いろいろ学ぶべきことがありますね。