「バットマン:キリングジョーク」鑑賞

Batman_ The Killing Joke
・実のところ、あまり観る気がしなかった作品である。原作はバットマンのコミックのなかでも1、2を争うくらいに有名な、そして優れた作品であるが、個人的にあれはもう当初のコミックのままで完璧だと考えていて、ブライアン・ボランドがのちに色を塗りなおしたバージョンも邪道だと思うくらいなので、アニメ化などもってのほかなのですね。しかしブルース・ティムがプロデューサーで、ケヴィン・コンロイとマーク・ハミルがそれぞれバットマンとジョーカーの声をあてるという、「Batman: The Animated Series」の黄金のメンツが戻ってくるとなれば鑑賞せずにはいられなかったんだよ!

・原作を書いたのはアラン・ムーアだが例によってクレジットに名前は一切登場せず、脚本を「100 Bullets」のブライアン・アザレロが担当している。40数ページの原作を長編アニメにするのは難しかったのか、前半3分の1くらいはオリジナルストーリーになっており、若くて頭の切れるマフィアの男を捕まえようとするバットガールの話に時間が割かれている。マフィアの一家と若き女性の物語という点では「100 Bullets」に似ているところがあるかな。アザレロが書いたバットマンの「Broken City」や「Joker」とかではなく。これでバットガールのキャラを立たせ、彼女とバットマンの関係を描いたつもりなのだろうが…

・…そもそもそんなことする必要あったのか?原作はアレゴリーに満ちているが、テーマは明確で、混沌とした世界で正気を保とうとするバットマンと、狂気を司るジョーカーの対立と、彼らがいかに表裏一体の存在であるかという話なのですよね。その中でバーバラ(バットガール)とゴードン警視総監はあくまでもジョーカーに使われる道具でしかないわけ。それなのにバットガールのキャラを立たせてしまったことで、バットマンとジョーカーの対立の図式がブレまくってしまっている。極端なことを言うとバットガールがいなくても話は成立すると思うのだが。

・原作では極端なくらいのイメージのセグエによってジョーカーの過去と現在が描かれ、バットマンとよく似たオリジンを持っていることが終盤の「One bad day」のセリフへと結びつくわけだが、冒頭にバットガールの話を持ってきたことで話の焦点がズレてしまってるのよな。彼女の運命を知りながら、彼女の活躍を30分も観るのはちょっとしんどいものがあったよ。いっそ冒頭30分(とミッドクレジットのシーン)を削除したら原作にかなり近い出来になっていただろう。

・一方でブルース・ティムのキャラクターデザインは相変わらず美しいし、日本と韓国のスタッフが担当したらしいアニメーションもよく動いている。その反面、ブライアン・ボランドの緩急つけたアートの見事さを再認識する結果にはなったが。声優はケヴィン・コンロイのバットマンもさることながら、マーク・ハミルのジョーカーがやはり素晴らしいですね。後半は完全に彼の演技で話が支えられている。残念なのはレイ・ワイズによるゴードン総監で、心理的な虐待を受けながらも砕けない男の強さをもっと出して欲しかった。この作品、ボイスディレクターがDC作品の常連であるアンドレア・ロマーノではないんだよね。

・原作を知ってる者としては、やはり前半のバットガールの話が余計だし、知らない人にとっては、途中でバットガールが退場するのが不可解に感じられるのではないでしょうか。結局のところ、やはりアラン・ムーア作品の映像化には手を出さないほうがいいという鉄則をまた証明することになってしまった。ブライアン・アザレロも好きなライターなんだけどね、他人の作品の脚色には関わらないほうがいいかと。

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