勤めてる会社(のグループ)が震災のボランティアを募ってたのでこないだ宮城県まで行ってきたのだよ。旅費とか宿泊費は会社持ちということだったので、1日数時間の労働と引き換えに仙台とか観光できればめっけもんかな、と不埒な気分で行ったわけですが、炎天下のなかで不慣れな労働をしたらフラフラになって観光どころじゃなかったですね(帰りはちゃっかり途中で塩原温泉に泊まってきましたが)。でも仙台は通りが広くてきちんと整備されたいいところでしたよ。
仙台市街とかはもう震災の被害は殆ど感じられないものの、北仙台駅の近くの神社では鳥居が崩壊していたりして地震の脅威を物語っていたほか、市街地から離れるとフェンスがひん曲がったり壁が崩れた建物がちらほら見かけられるほか、海の近くではクシャクシャになった車が転がってたり、あちこちにガレキの山が見受けられたな。7月とかに比べてもずいぶん片付けられたらしいけど、元のようになるにはまだまだ時間がかかるでしょう。これは政府がチンタラやってるせいなのか、それとも地震の被害があまりにも大きかったせいなのかは俺には分からない。たぶん後者だと思うけど。
そして俺らが行ったのは石巻のちょっと西にある七ヶ浜という町で、丘の上のボランティアセンターにおいて与えられた仕事は個人宅の片付けというもの。浸水した家の家具でも運び出すのかな、と思ったら全然違って、津波によって土台を除き家屋がぜんぶ流されたお宅のガレキ掃除をするというもの。ちゃんと海の前には数メートルの高さの堤防があって、その後ろには松林があったりするんだけど、海沿いの家はみんな跡形もなく流されていた。そこからちょっと先にある高台の上の家はみんな無事であるのを見ると、もう低地には住みたくないという被災者の意見はよく分かる気がする。
家の跡地の地面はどれだけ掘ってもガラスの破片や欠けた茶碗などが次々と出てきて、七ヶ浜がかつてのような海水浴場になるには長い時間がかかるだろうなあ。そんななかで子供の玩具や家族の写真とかが埋もれてるのを見ると、何とも言えない気分になりますね。七ヶ浜のキャッチフレーズは「うみ・ひと・まち」だそうだけど、それが津波によって文字通り一緒になったというのはどうも皮肉なものですな(失礼)。清掃作業は前述したように結構しんどかったけど、どうにか避難して仮設住宅に暮らしてる家主さんがジュースとか差し入れてくれるのを見ると、ぶっ倒れてでも作業しようという気になるわけで。
企業からのボランティアは俺らのほかにもソニーや京セラなどが数十人規模で社員を派遣していたほか、大学生の団体などが来てましたね。あとは皆でお金を出し合って名古屋からやって来た市民グループとか、個人でやってきた人たちもいたな。和歌山からやってきたという老夫婦なんて、七ヶ浜に来る前は福島に物資を届けてたらしい。皆それぞれの理由とか思想とかあるんだろうけど、その行いにはただただ頭が下がる思いです。
ガレキの転がる空き地のなかでは子供たちが遊んでいたし、近くのコンビニは割れたウィンドウにブルーシートを貼って営業したりして、被害にもめげずにみんな以前の生活に戻ろうとしていたな。それに帰りの新幹線からは福島を見てきたけど、閑散としている一方で人々はめげずに日常の暮らしを続けているわけで、やれ放射能が怖いだの今までの日常は終わっただの騒いでる人たちこそ東北の状況を見てくるべきじゃないですかね。
僅かながらも人の役にたったという満足感を得た一方で、もっと手際よく作業ができたんじゃないかという奇妙な罪悪感を抱きながら被災地をあとにしたわけですが、また機会があればぜひ行ってみたいところです。