「マッドマックス:フュリオサ」鑑賞

評判通り普通に素晴らしい出来だったので、特に言うこともないのだが忘備録的に感想をざっと。

  • 前日譚って各キャラクターのその後が明らかになっているなかで話が進むため、概してストーリーが予定調和的になるのが好きではないのだけど、「デス・ロード」では個性的なキャラクターたちについての説明がろくにされてなかったのが功を奏して、今回はフュリオサを含む彼らの過去を掘り下げることで「マッド・マックス」の世界を奥深いものにすることができていた。原題に「マッド・マックス・サーガ」とあるように、世界観を補填する外伝のような立ち位置ですかね。
  • その反面、いきなり訳の分からないキャラクターたちがぞろぞろ出てきて、なんだこいつらは?と思った前作の衝撃が無くなっているのは仕方のないことか。
  • 話を5章に分けてフュリオサの成長を描くのも、歴史の絵巻物みたい。正体がバレないままそんな長く要塞で暮らせるのか?とかツッコミいれたくなる箇所もあったが。あと4章の終わりあたりでディメンタスとの40日戦争に突入したのは話の勢いが削がれたかな。その前、空から攻めてくるオクトボスたちをジャックとともに撃破するところがアクションのピークだった。
  • 主役を演じるアニャ・テイラー=ジョイは1時間以上経ってから登場する余裕っぷり。対するクリス・ヘムズワース演じるディメンタスは小物っぷりが目立つのだが、それによって前作のボスであるイモータン・ジョーの格が上がるという演出ですね。そしてジャックを演じるトム・バークがかなりオイシイ役を演じてるので、これをきっかけに彼がもっと大作に出られると良いですな。
  • 「ピッチ・パーフェクト2」に負けた前作に続き、今回も興行成績は苦戦しているそうだけど、いち観客としてそういうのはどうにもならないので気にしないで良いでしょう。続編が作られるならぜひ観たいし、なかったとしても前日譚のあるべき姿を見せつけた傑作だった。

「フェラーリ」鑑賞

マイケル・マン久しぶりの監督作品…というか個人的に彼の作品ってあまり観てないな。以降はいちおうネタバレ注意。

イタリアのエンツォ・フェラーリの伝記映画ではあるのだが、彼の生い立ちを若い時から描くようなことはやってなくて、いきなり彼の人生の一場面から話が始まり、そこから無理やり話に付き合わされるような作りになっている。彼に愛人がいることや、最初の息子がどうなったのかなどは明確に説明されないので、話を追って出てくる会話からいろいろ情報を組み立てていく必要があるのはちょっとしんどいかも。

いちおう彼が自動車会社の社長で資金繰りに苦しんでおり、自社の車をアピールするためにレースで勝たないといけないプレッシャーをエンツォが抱えていることは分かる。それがじゃあもっと優秀な車を開発しようね、とかレーサーを鍛えようね、といった「プロジェクトX」的な流れにならず、エンツォは周囲にイラついているだけだし奥さんに資金を無心するなど、なんか爽快感のない陰気な展開が続くのよな。

話の題材的には傑作「フォードvsフェラーリ」の相手側の物語というか前日譚にあたるのだろうけど、アダム・ドライバーがイタリアの名門のトップを演じていることもあり「ハウス・オブ・グッチ」に雰囲気はずっと似ている。夫にキツくあたるペネロペ・クルスがレディー・ガガの役回りで、よってレース映画というよりも金持ちが主役のメロドラマになっていたな。なお一番良い演技をしてるのはドライバーよりもクルスのほう。

もちろんレースのシーンもあって、それなりに迫力はあるものの、フェラーリの車とライバル車の車がどっちも赤色なので区別がつきにくいのよ。これはまあ史実に基づいてるから仕方ないのだろうが。そして海外では酷評されたクラッシュのシーン、物理的には正しい描写なのかもしれないけど演出的な「溜め」がないので唐突すぎやしないか。なんかマンガみたいな光景になってましたがこれは自分の目で確かめてみてください。

フェラーリの熱烈なファンであるマイケル・マンが30年ちかく企画を温めていたらしいけど、温めすぎて気が抜けたような。特に「フォードvsフェラーリ」が世に出たあとではちょっとしんどい。「ヒート」では本物の銃撃音にこだわってた監督だけあって、エンジン音は迫力ありました。

「THE MISSION」鑑賞

昨年公開されたナショジオのドキュメンタリー映画。島の住民たちが外部との接触を一切拒否しているため、完全な未開の地として知られるインド洋の北センチネル島に上陸し、キリスト教の布教を試みた福音派の宣教師ジョン・アレン・チョウの物語。

チョウについては日本語のウィキペディアの記事が詳しいのでそっちを読めば彼の経歴がよく分かるが、中国の文革から逃れてきた移民の父親を持つ彼は子供の頃から冒険心に満ちた人物で、ロビンソン・クルーソーなどの冒険小説を読み漁り、無人島の生活に憧れ、実際に活発に登山などに励む冒険家でもあった。父親の影響でクリスチャンとして育った彼は福音派の大学を卒業し、原住民たちをキリスト教に改修させた過去の宣教師たちに憧れて未開の地を探して北センチネル島のことを知る。

布教に没入することを懸念した父親にも耳を貸さなかったチョウは、地元の漁師たちを買収して北センチネル島に単身渡り、そこで島の住人たちに殺されるわけだが2018年のこの出来事についてはニュースなどで目にした人も多いのではないか。

このドキュメンタリーは残されたチョウの日記、および映画制作にあたって父親がしたためた手紙を役者が読んだナレーションを中心にして、チョウの友人や、過去に唯一センチネル島の住民たちと接触に成功した学者たちへのインタビューで構成されている。チョウの準備や住民たちとの接触などの光景はアニメーションで描かれていて、ドキュメンタリーとしてあまり好きな手法ではないが仕方ないのかな。観る人はみんなチョウがどのような結末を迎えるか知っているわけで、それに至るまでの過程にそんなに起伏がなく103分という尺でも冗長に感じられた。

劇中でチョウはとにかく真面目で実直な好青年だったと説明されていて、イエスの言葉を未開の人々に届け、自分も彼らのなかに入って暮らそうとする考え方はある意味で押し付けがましいのだが、彼はそれに対する疑念を抱かなかったらしい。原住民が免疫を持っていない病原菌を自分が与えてしまうのではないかという危惧も持ってなかったらしい。最初の接触で彼は原住民の子供に手にした聖書を矢で撃たれ、それは明らかな警告だったはずなのだが、めげずに次の日も接触を試みた彼は命を落とす。

人知を超えた自然の領域に勝手にロマンを抱き、それによって命を落とす若者という点で、この作品はベルナー・ヘルツォークの「グリズリーマン」とよく比較されているみたい。ただあっちはヘルツォークが題材をやや突き放したスタンスで扱っていたのに対し、こちらは普通にチョウを愛すべき人物として扱っているところでベタなドキュメンタリーに成り下がっているかな。まあヘルツォークのドキュメンタリーは対象の人物がこの世にいなくてもヘルツォーク自身が主人公を張れるという強みがあるのですが。

扱っている題材は興味深いものの、ドキュメンタリーとしては平凡な出来だったかな。

「FUNNY PAGES」鑑賞

前から興味のあったA24製作の作品。つうか「ファニー・ページ」の邦題で昨年末に日本で公開されてたの?

人のカリカチュアを描くのが好きな高校生のロバートは、アングラなコミック作家になりたいという漠然とした夢を持っているものの、それを実現するために何をするという訳でもない生活を送っていた。しかし美術の教師が目の前で交通事故死したのをきっかけに、大学進学も諦めて親元を離れ、狭いシェアハウスに住みながら法律事務所とコミックショップでバイトしながら暮らしていこうとする。そして法律事務所にやってきた中年男性のウォレスがイメージ・コミックスでカラー・セパレーター(カラリストではなくて)をしていた経歴があることを知り、勝手に憧れてコミック作りを教えてもらおうと嘆願するのだが…というあらすじ。

監督・脚本のオーウェン・クラインってケヴィン・クラインとフィービー・ケイツの息子だそうで、「イカとクジラ」で情緒不安定になる弟を演じていた役者でもある。あの子役がもう30代か!と思う一方で、そんな有名人たちの息子の初監督作がこんなオフビートの映画で良いのか、と思うくらいの内容だった。冒頭で服を脱いで肥満体を晒しながら俺を描け!と命じる美術教師をはじめ、温度設定を高めにしたシェアハウスでバーコードハゲから汗をたらす大家とか、明らかに言動がおかしいウォレスとか、脂ぎったオヤジたちが次々と出てくる展開なので、オシャレなA24映画を期待して観るとガックリくるでしょう。

個人的にはアメコミ要素を期待して観たのだけど、ロバートの描くマンガは初期のロバート・クラムのような、オッパイとチンコだらけのアンダーグラウンド・コミックなのに、イメージ・コミックスのスーパーヒーローものに携わったウォレスに反応するのがよく分からんのよな。ハイ・ラマズのショーン・オヘイガンが手がける軽快な音楽(あまり流れてないけど)も内容にマッチしているとも思えず、なんか各要素がいまいちカチッとはまってない印象を受けた映画だった。

プロデューサーにサフディ兄弟がいることもあり「アンカット・ダイヤモンド」みたいな雰囲気がなくはないものの、もっと昔の70年代のブラックコメディを見ているような感じだった(監督もラルフ・バクシなんかの作品の影響を公言している)。若手監督なのにそんなオッサンくさい作品撮って良いのかとも思うけど、次作はどんなものになるか結構興味はある。

「THIS TOWN」鑑賞

キリアン・マーフィーがアカデミー賞を受賞したことで世間の知名度が上がった(はず)のドラマ「ピーキー・ブラインダーズ」のクリエイターであるスティーブン・ナイトによるミニシリーズ。

主な舞台となるのは1981年のバーミンガム。人種間の緊張により暴動が頻発するなか、酒もタバコもやらない繊細な少年ダンテ(黒人とアイルランド人のハーフ)は自分を振った女の子に対してポエムを書こうとする。ダンテの従兄弟のバードンは父親が熱心なIRAの支持者で爆弾テロにも関わっていることに嫌気がさしており、一方でダンテの兄のジョージはイギリス軍の兵士としてベルファストに派遣されていたが、彼ら3人の祖母が亡くなったことから彼らは葬儀で再会する。辛い現実を打破するためにダンテはバードンにバンドを組むことを持ちかけるなか、ジョージの知り合いで地元のギャングのボスが自分のクラブで演奏するバンドを探していた。さらにジョージは軍の上官からバードンの父親の活動を監視することを命じられ、ダンテたちの運命は時代の流れに巻き込まれていくのだった…というあらすじ。

単なる青春ドラマと音楽ドラマではなく、人種暴動とか北アイルランド問題とかギャングの抗争といったテーマが盛り込まれていて結構お腹いっぱい。その一方で話の進み具合は比較的ゆっくりしていて、2話が終わった時点でまだバンドも結成されてないのだが今後どうなるんだろうな。音楽ドラマなので演奏シーンなどもあるものの、あまり意味もなくバードンの母親が葬儀で「虹の彼方に」を長々と歌ったりと、いろんなジャンルの要素がごった煮にされている感は否めない。

企画段階の題名は「Two Tone」だったそうで、当時若者のあいだでスカを流行らせたレーベルの2トーン・レコーズ、およびそのジャンルがいかに様々な人種を団結させていったかが作品のテーマになっているみたい。劇中で流れる音楽もジミー・クリフやトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズといった人たちの音楽が使われている。その一方で肝心の2トーン・レコーズに所属していたバンドの曲は使われていないような?マッドネスとか翌年に「HOUSE OF FUN」がシングル1位を獲得しているし、当時のスカ・バンドのなかでは大人気だったはずなのだがなあ。長年のマッドネスのファンとしてはそこが不満。

出てくる役者はダンテ役のリーヴァイ・ブラウンをはじめ、あまり知られてない人たちばかりかな。例によって「役者のバーミンガム訛りがなってない!」という抗議が地元民からあがってるようだけど、知らんがな。とりあえずテーマ的に興味のある作品なので残りの話数も観てみます。