BORN INTO BROTHELS

「スーパーサイズ・ミー」などを抑え、こないだアカデミー賞を受賞したドキュメンタリー作品「BORN INTO BROTHELS」を観た。

舞台となるのはカルカッタの売春地区。ここの生活環境は非常に劣悪で衛生状態もひどく、最貧層の人たちが狭い部屋にひしめきあって暮らしている所である。わずかな稼ぎを得るために女性は男たちに身を売り、ここに産まれた子供たちはろくに教育を受けることもままならないまま、幼い頃から親に虐待されながら朝から晩まで働かされるのだ。彼らにとってきちんとした学校に通っていい職に就くというようなことは夢のまた夢であり、特に女の子の場合は彼女の母や祖母がそうだったように、売春業に身を染めるしか生活の手段がないということがほぼ決まってしまっているのだ(作品中には14歳で親に売春を強制される子が出てくる)。10歳くらいの子がせっせと水くみをしながら「僕の人生に希望なんてないから…」と語る姿は胸を打つ。

ちなみに子供たちの父親は何をしているかというと、母親にカネをせびっている以外は酒をちびちび飲んでるか、ハシシをきめてラリってるだけ。まさしく典型的な「ヒモ」であり、家長的な祖母や仕事と家事に専念する母親と比べると、女王アリやハタラキアリに対するオスアリのごとく、実に何の役にも立ってないのが情けなかった。

こんな売春地区を長年に渡って取材してきたカメラマンのザナ・ブリスキ(どうでもいいがジル・ヘネシー似)は、子供たちにカメラを与えて自由に自分たちの生活の光景を撮影させ、彼らの芸術心を持たせることを発案する。こうしてカメラを手にした子供たちが気ままに映す街角の風景は、素朴で荒削りながらも見る人に訴えかけるものがある(色彩が特に素晴らしいのはインドだからだろうか)。やがて写真は慈善団体を通じてニューヨークで展示・販売さて話題を呼び、インドでも子供たちのことは注目されるようになった。そしてこの成功を目にしたザナは、展示会の収益によって子供たちを全寮制の学校に通わせ、売春地区から抜け出す機会を与えようと奔走するのだが…というのが話の大まかな流れ。売春地区の陰惨な暮らしと、そんなとこに住んでいながらも決して陽気さを失わない子供たちの対比が強烈な作品になっている。ただし陽気さを強調するあまり、ミュージック・ビデオのような映像になる場面がいくつかあったのには気になったが。

最近はIT産業の成長やアメリカなどからのアウトソーシングで活気づいてるインドだが、その裏にはまだまだ貧困に苦しむ人々がいるということを実感させてくれる作品。子供たちの入学に必要な書類を集めるにあたって、ボンクラな官僚主義の連中に手を焼く光景なども興味深いものがあった。子供たちがどうにか入学できても、全員が無事に卒業できるわけではないという現実を思い知らされるラストが哀しい。自分により近いものの話に思われる、という意味では「スーパーサイズ・ミー」のほうが個人的には好きだけど、観て損はしない作品じゃないでしょうか。

欲望都市

何気なくチャイナタウンのDVD屋(もちろん全部ブート品)を物色してたら、「SEX AND THE CITY」の中国語題が「欲望都市」であることを知って爆笑する。直訳といえば直訳なんだろうけど、まるでハードノベルスの題名みたいだ。

BSG DVDコメンタリー

「BATTLESTAR GALACTICA」のパイロット版ミニ・シリーズのDVDをコメンタリー付きでダラダラ観る。製作総指揮が「スター・トレック」のライターであったロナルド・D・ムーアが務めていることは以前にも書いたが、「STは好きなんだけれども…」と断っておきながら、STで出来なかったこと(役者のアドリブとか)を意図的にこの作品に取り入れた、と語っているのが面白い。
作中で最強の兵器が光子魚雷などのハイテクなものではなく「核ミサイル」であるのもそのためらしい。ある意味でBSGはSTの対局に存在するシリーズであったわけか。

主演のエドワード・ジェームス・オルモスが、終盤間際にあるソバを食うシーンを真っ先にやりたがったというコメントには笑った。

アメリカの安楽死論議  その2

真面目に考えるべき話であるのは分かってるけど、一連の騒動が面白すぎるのでまた書く。

テリ・シャイボが延命装置を外され徐々に死に向かっていくなか、延命装置の再装着を拒否した判事のもとには脅迫状が山のように送られ、おかげでボディーガードがつけられるようになったとか。さらには尊厳死を求めた彼女の夫を殺した奴に250万ドルの賞金をあたえるというメールを配布した男が逮捕されたらしい。人に尊厳死を与えるのはダメだけど、それを求めた奴を殺すのはオッケー、という理論が実に単純で微笑ましい。

また彼女の両親は彼女が発した(とされる)「アー」と「ワー」という声は「I want to live」という意味だと主張し、最後まで戦い抜く気でいるとか。「アー」と「ワー」。

植物状態の人間はどこまで意思があるのか、というのが今回の件の抱える大きな問題だけど、天下のフォックス・ニュースは(自称)超能力者を持ち出してきて「彼女には我々のしてることが理解できるんです…」なんて言わせていた。ここまでくると何でもありの世界だよな。「ミリオンダラー・ベイビー」(ちょっと似たテーマを持つ)が現在公開されていたらどんな反響を呼んでいたろう。