History Of Violence

カナダを代表する映画監督デビッド・クローネンバーグの新作「History Of Violence」の試写が行われたとか。去年の10月くらいにクランクアップしてたという話は聞いてたが、ついに完成間近か。クローネンバーグ作品であることに加え、原作が「ロード・トゥ・パーディション」と同じパラドックス・プレスの作品(つまりコミック)なので非常に興味がある。かなりグロいシーンのあるコミックだけど、どのようにクローネンバーグは映画化してるんだろう。,’923742′); return false;”>トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]

HOUSE, M.D.


2004年度に始まったテレビシリーズとしては個人的に最も気に入っている作品(見たことないシリーズも沢山あるが)。製作はNBC/ユニバーサルでチャンネルはフォックス。ニュージャージーの診療病院を舞台に、人間嫌いの天才医グレゴリー・ハウスと彼の下で働く3人の若き医師たちが、原因不明の症状を抱えて担ぎ込まれてくる患者を救うために数多くの謎に立ち向かっていく…というのが主な内容。要するに医療&ミステリー・ドラマ。製作にはブライアン・シンガーが関わっていたりする。

病院を舞台にしたドラマなんて今まで山のように放送されてきたけど、このシリーズの魅力は主人公であるドクター・ハウスの毒々しさに尽きる。片足が不具で鎮痛剤の常習者である彼は上司に強制されてイヤイヤながら病院に出勤してる毎日だが、最先端の医学でも解明できないような謎の症状を持った患者が来れば途端に目をきらめかせ(強制される場合もあるが)、周囲が唖然とするくらい非常識な手法で原因を突き止めていくのだ。
「患者はウソをつくもの」が信条である彼はろくに患者と合おうともせず、必要とあればウソまでついて自分の治療法を試し、患者の家族にブン殴られたり、部下に呆れられながらも患者の命を救っていく。普通なら医療過誤ですぐさま訴えられそうなものだけど、「患者の手を握りながら死ぬのを看取ってくれる医者と、患者が回復してるときに彼を無視する医者のどちらがいい?」というセリフが彼の態度を明確に表している。医者が聖人扱いされてきた従来の医療ドラマとは違ってとにかくブラック・ユーモアに満ちたシリーズで、患者を適当にあしらいながらも治療をしていくハウスの言動が最高に面白い。 下手をすれば単なるイヤな奴になりかねないハウスを絶妙に演じているのはヒュー・ローリー。イギリスではスティーブン・フライとのコンビや人気シリーズ「ブラックアダー」などで知らない人はいないくらいに有名なコメディアンだが、アメリカでは「スチュアート・リトル」のパパ役で知られているくらいか。このシリーズでは従来の(イギリスでの)陽気なイメージをかなぐり捨て、時には滑稽で、時には偏執的なくらい真剣になれるハウスを好演している。

このシリーズに欠点があるとすれば、多くの人が指摘していることだけど、どのエピソードも完全にパターン化してしまっていることか。冒頭にまず患者が発症して倒れ、ハウスが3人の部下をコキ遣いながら原因の解明に励み、当初の診断が間違っていたことで患者の症状が悪化するものの、意外な解決策を思いついたハウスのおかげで患者が回復する、というパターンが番組開始から毎回繰り返されているのだ。一応ハウスや部下たちの過去が明かされていくようなストーリー上の進展はあるものの、どのエピソードも似たり寄ったりだという感は否めない。ただ型にはまっているとはいえ、あまりにもハウスの姿が面白おかしいので見ていて飽きはしない。問題はこのパターンでどれだけ人気が持続できるかだけど、とりあえずハウスは今のままの毒々しい奴でいてほしい。

大いなる期待

日本の知人と連絡をとるとたまに感じるのだが、どうも俺がトロントで「デカいこと」をやっていると思い込んでる人が多々いるような気がする。具体的に何が「デカいこと」なのかは当の本人も漠然としたイメージしか持ってないんだろうが、俺がこちらではごく平凡な生活をしていて、特に職についてるわけでもないことを伝えると、それは「ダメ」なことであるかのような言い方をされてしまうのだ。もちろんハッキリそんなことを言われた訳ではないが、どうも「俺は単身で海外に渡り成功する」という勝手な期待を抱いているようで。期待に添えることができず大変申し訳ありません。 でも一応言い訳をさせてもらうと、ここ数ヵ月は日本から持ってきた仕事が非常に忙しく職探しなんかやってるヒマはなかったし、週に2日は大学に通って授業を受けている。またカフェなんかで働くよりかは自分の趣味と合っていると思い、美術館でボランティアをしたりしている。決してブラブラしてるわけではなく、むしろ非常に忙しい毎日を過ごしているのだが、これでも「ダメ」なんでしょうか。

確かにまっとうに金になる職に就いてるわけでもないし、キャリアの階段を確実に上ってるわけでもないのだが、日本で毎日会社に通ってた時にくらべれば、とても自分のためになる生活を送っているつもりである。日本で定年になるまで働いて海外にでも行くよりかは、まだ若いうちに経験を積んどこうと思ってトロントに来たわけだが、海外に住むのなんてこれで4回目ですからね。海外で何が期待でき、何が期待できないのかなんてとっくの昔から承知しているわけです。元リプレイスメンツのポール・ウェスターバーグが「成功するためにはLAに移らないといけないと思ってる奴はどうせ成功できねえ」なんて言ってたが、別に海外にいるからって「デカいこと」がやれるとは限りませんよ。

俺もカナダに住んでたって何かしらの限界に突き当たることを理解してるつもりだから、5月くらいに帰国して就職活動をまた行う予定である。日本は就職時の年齢制限が厳しい(こちらでは違法)という現実を考慮すると、あまりこちらに長居できないわけで。傍目には「海外でブラブラしてきただけ」と映るかもしれないが、これが「ダメ」なことだと思うなら勝手に思っててくれよ、という感じである。

でもまた日本での生活がイヤになったら、今度こそはどっかの国に移民申請するかもしれない。

コンスタンティソ

原作の大ファンなので「コンスタンティン」を観に行く。駄作であることを確認するために行ったのだけど、やはり期待は裏切られなかった。マチネー公演で4.25ドルという破格の値段で観れたのがせめてもの救いか。 ニール・ヤングがコンサートをやるというんで見に行ったらポール・ヤングが出てきた、というような感じの映画。キアヌ・リーブス演じる主人公ジョン・コンスタンティンは、俺が愛する原作コミック「HELLBLAZER」の主人公ジョン・コンスタンティンとは似ても似つかぬキャラクターなので、今後は区別のためにキアヌ版を「コンスタンティソ」と呼ぶことにする。

原作は15年以上も続いてる人気シリーズだが、主人公のコンスタンティンはまず何よりも「イギリス人」である。しかも金髪で(モデルはスティング)、ヒーローというよりもトリックスター的なふざけた奴で、みすぼらしい三枚目といったタイプなのだ。オカルトには精通しているものの魔法が使えるわけではなく(彼の能力は意図的に謎めいたものになっている)、腕に変なタトゥーもないし、十字架まがいのカッコ悪い機関銃を持って悪魔と戦うようなこともない。つまり映画のカリフォルニア製コンスタンティソとはまったくの別人なのだ。ここまでキャラクターの設定を変えるなら、コミックを原作にせず完全にオリジナルの作品にしたほうがマシだったろうに?
さらには彼の相棒であるチャズは原作だとコンスタンティンの幼なじみで、オカルトに無縁の気のいいタクシー運転手だけど、映画では黒魔術に憧れる若造になってしまっている。コンスタンティンが別物になるというのは事前から話は聞いてたけど、チャズがあそこまで小生意気な奴になるとは知らなかったので、俺は本気で怒りましたよ。

こうなると麦茶をウイスキーだと言われて差し出されたようなもので、何を期待していいのかまるで分からなくなってしまったが、肝心の映画の内容も何だかどうでもいいようなものだった。まあ典型的なホラーがかったアクション映画で、それなりに見所のある特殊映像なんかもあるものの、原作のファンとしてはどうしてもコンスタンティソの行為すべてに違和感があり、話に集中できず十分に楽しめなかった次第である。しかも変なところで原作そっくりのシーンが登場したりするんだもんなあ。それに原作のコンスタンティンは天国も地獄も嫌ってるような孤独な人間だけど、映画版では死後に迎え入れてもらうため天国に「媚びる」奴になっていたのには失望した。あとラストシーンのコンスタンティソの行動にも激怒したけど、エンドロール後の「おまけ」にもかなりムカついたので、エンドロールが始まった途端に劇場から悪霊のごとく退散することをお勧めします。

原作はもっと大人向けの洗練されたホラーなんだから、アクション映画でなくもっとオフビートの内容にすればよかっただろうに…。「シックス・センス」みたいな。DCコミックスはワーナーが親会社である都合上、どんなコミックでも大衆向け娯楽作品に映画化されてしまうのが痛いところか。頼むから他のヴァーティゴ(DCコミックスの大人向けレーベル)作品を映画化するときは、もっと原作に忠実に作ってくれ。

本編開始前にリチャード・リンクレイターの「暗闇のスキャナー」のトレーラーが流されてたが、「コンスタンティン」もどうせ同じキアヌを主人公に持ってくんだったら、「スキャナー」同様にロトスコープによるアニメ風のスタイルにしたほうが原作らしくなったかも。

ソニー、クリエの新機種投入を終了

ソニーの製品なら何でも嫌いな俺が、唯一使っているのがクリエのN700Cである。ソニー製品の常として余計な機能がわんさか入ってて(しかも削除できない)、マックとはサードパーティのソフトウェアを通じないと接続できないという実にいやなPDAなのだが、Palmが日本市場から撤退してしまったため、日本語のPalmOSが使える数少ない(唯一の?)機種として仕方なく使っているのだ。 PDAというのは携帯電話にシェアを食われまくって市場縮小が何年も続いているような情報端末だが、その画面の大きさやパソコンとの接続のしやすさ、そして何よりもAvantGoのサービスを通じて「オニオン」や「ワイアード」などの記事をチェックできる便利さもあって、個人的には生活に欠かせない端末になっている。海外のニュースを読むだけなら北米でまだ根強い人気のあるPalm社のPDAを購入してもいいのだが(文字化けもないし)、住所録として使用することも考えると日本語のOSは必須条件なのである。それがクリエまで開発中止が決まってしまうと、PDAユーザーとしてはこの先どうすんだい、という気になってしまう。まあ中古でしか買わないのであと数年は製品の入手には困らないと思うが、Palm社の日本復帰はないのだろうか。個人的には携帯電話と合体させたBlackberryみたいなやつが欲しいのだけど、ゴツすぎて日本じゃ売れないだろうなあ。