笑って健康ゲラゲラTIME

インターネット放送局「あっ!とおどろく放送局」の1コーナー「笑って健康ゲラゲラTIME」に、今月は知人であり高田馬場のカレー屋「ラージプート」でおいしいおいしいチャパティつきの(ナンじゃないよ)カレーを作っておられた宮崎弘子さんが出演しておられます。彼女のカレーに対するこだわりは非常に熱いものがあります。興味がある方はぜひ見てみてくださいませ。

しかしインターネット放送局って、どのくらい需要があるものなんだろう。「あっ!とおどろく放送局」はどうも複数の会社が共同で運営してる試験的なチャンネルのようだけど、番組製作費は相当安いんだろうなあ。地上波テレビ局のニッチを攻めて行かなければならないのだから、あんなテレビ埼玉みたいな番組構成じゃなくてもっと偏ったものにしないとキツいんじゃないか、と思うのは素人意見でしょうか。いつでも自分の見たい番組が見れるのは便利だろうけど。生きる屍と化したBS民放よりは成功のチャンスがあるかしらん。

アメリカの安楽死論議  その2

真面目に考えるべき話であるのは分かってるけど、一連の騒動が面白すぎるのでまた書く。

テリ・シャイボが延命装置を外され徐々に死に向かっていくなか、延命装置の再装着を拒否した判事のもとには脅迫状が山のように送られ、おかげでボディーガードがつけられるようになったとか。さらには尊厳死を求めた彼女の夫を殺した奴に250万ドルの賞金をあたえるというメールを配布した男が逮捕されたらしい。人に尊厳死を与えるのはダメだけど、それを求めた奴を殺すのはオッケー、という理論が実に単純で微笑ましい。

また彼女の両親は彼女が発した(とされる)「アー」と「ワー」という声は「I want to live」という意味だと主張し、最後まで戦い抜く気でいるとか。「アー」と「ワー」。

植物状態の人間はどこまで意思があるのか、というのが今回の件の抱える大きな問題だけど、天下のフォックス・ニュースは(自称)超能力者を持ち出してきて「彼女には我々のしてることが理解できるんです…」なんて言わせていた。ここまでくると何でもありの世界だよな。「ミリオンダラー・ベイビー」(ちょっと似たテーマを持つ)が現在公開されていたらどんな反響を呼んでいたろう。

アメリカの安楽死論議

現在アメリカでマイケル・ジャクソンの裁判やマーサ・スチュアートの帰還よりも話題になっているのが、15年前に心臓発作のため重度の脳障害に陥ったフロリダの女性、テリ・シャイボの生死の問題である。植物人間の状態のまま生きることを彼女は望まないはずだと考えた彼女の夫は、栄養補給装置を外すことによる安楽死の許可を裁判所から得たものの、これに彼女の両親が反発、しかもキリスト教右派の議員がイースター休みにもかかわらずどんどん介入してきたのだ。栄養補給装置がなければ1〜2週間で彼女は死ぬため、しまいにはブッシュまでが休暇を返上して(!)ホワイトハウスに戻り、彼女を生かし続ける条例に署名してしまった。しかしこれにフロリダ地裁が反発、彼女に栄養補給装置を再接続するかどうかが最高裁まで持ち越される展開になってしまった。

確かに医学倫理や宗教などが絡んだ非常に複雑な問題ではあるのだろうけど、個人の問題に政府がそこまで口を出すかよ、といった感じである。議員の方々は「命の尊重を…」なんて言ってるらしいが、しょせんは票稼ぎのためにやってることがミエミエで、アメリカ人の7割近くもそれを察知してるらしい。そもそもブッシュはテキサスで知的障害者を含む何人もの人間を死刑にしてるわけで、そんな奴に命の尊重を説かれてもピンとこないのだが。

そんななかで「デイリーショー」が「これでどの程度の病気にならないと政府が助けてくれないかが判明した。喘息や糖尿病の連中なんて政府にとってはクソくらえってわけさ」と相変わらず痛快にコメントしていた

とりあえず遺書は早めに書いとこうね、というのが今回の教訓でしょうか。

‘Spamalot’ Debuts to Broadway Laughter

先日も書いた「Monty Python’s Spamalot」がついにブロードウェイでデビューを果たした。会場にはモンティ・パイソンの面々が勢揃いしたとか。

チケットの売上は記録破りとまではいかなくとも非常に盛況で、あの「プロデューサー」並のヒットも狙えるだろうとか。そうなるとチケットの入手がかなり先まで困難になってくるわけで、ネット上で調べてみたところいい席では400ドル以上、一番後ろの席でも100ドルくらいの値がついてしまっている(しかも公式の販売サイトはサファリだと閲覧できない)。来月あたりにニューヨークへ行って観てこようかと思ったのに、この値段では諦めざるを得ないかもしれない。殺人ウサギのヌイグルミでも買っきて我慢しようか。

地元の恥

「狭山事件」第2次再審請求、最高裁も棄却。俺の育った土地である埼玉県狭山市で1963年に起きた「狭山事件」で、犯人として誤認逮捕された石川一雄さんの特別抗告が棄却されたとか。

実家とは少し離れた地区での出来事だということもあり、恥ずかしながら大学生になって興味を抱くまで詳細を知らなかったのだが、これは部落差別や女子高生の(強姦?)殺人といった日本社会ではおおっぴらに議論できないような要素が絡んでいる非常に特異な事件である。身代金を取りに来た犯人(とされる人物)を逃してしまった警察が名誉回復にやっきになったこともあり、部落出身の石川さんがスケープゴートにされたというのが真相らしい。

実は石川さんの逮捕後も関係者の奇怪な死が相次いでいるのだが、被害者が農家の出身であり、農村特有の閉塞性が関連しているという説もある。また被害者の人間関係などをもとに真犯人を指摘するような書籍やホームページもあるが、あくまで推測の域を出ない。
ただ地元の人間からしてみると、一部の人々が挙げている陰謀説や黒幕説はちょっと誇張されすぎかな、という印象も抱く。部落解放同盟や暴力団がうごめいてるほど大きな土地ではないので。ちなみに石川さんが徒歩で被害者(自転車に乗っており、見知らぬ人に付いていくような性格ではなかった)を連れ回したとされるルートは、実際に通ってみるとかなりの距離があり、これだけでも警察の主張の信憑性は疑わしいと思う。

石川さんが「再審請求中の無期懲役囚としては、異例の仮出獄をし」とあるように、検察側も石川さんが無実であることは認識しているものの、この事件の再調査が行われると部落問題などの日本の暗部に日の目が当たってしまうことから、このまま「仮出獄させたんだから、とりあえず犯人のままでいてください」と物事をうやむやにしてしまいたい気持ちがあるのではないか。

現在の狭山はベッドタウンとして団地が立ち並ぶ土地になったが(堤義明のおヒザ元でもある)、その陰でひっそりと被差別部落や農村が残っている。数十年前のこととはいえ、市民を護るはずの警察がこのような誤認逮捕を行ったことは地元民にとって大きな恥である。この恥を消すためにも、石川さんの一刻も早い無罪証明が望まれる。