「THE COMPLETE METROPOLIS」鑑賞

(注:以下はジョルジオ・モロダー版を含め2〜3のバージョンを観ている者の感想です。今回のバージョンでどの要素が追加されたか全ては把握してないのでご容赦を。あといちおうネタバレ注意。)

こないだのアメリカ出張において、どうにか時間をつくって幸運にも「メトロポリス」の完全版を劇場で観てくることができた。まず驚かされるのはリマスターされたプリントの美しさである。色のついたモロダー版やノイズの多かった廉価DVD版などとは違い、ノイズを徹底的に排除してモノクロの美しさを十分に引き出していると言えよう。特に印象的だったのは地下聖堂の暗闇のなかを逃げ惑うマリアに対してロトワングの持つライトがギラギラと当てられるシーンで、白と黒のコントラストが見事すぎて「ここの演出こんなにすごかったっけ」と再認識させられた場面であった。また今回のバージョンではストーリーが「Prelude」「Intermezzo」「Furioso」の3つのセクションに分けられ、話に緩急を与えている。

アルゼンチンで発見された16ミリプリントから起こされた追加シーンは最新の技術をもってしても完全な復元はできなかったらしく、画格が弱冠異なっているうえ、多くのシーンでは縦方向に無数のスクラッチが入ってしまい、人物の表情を読み取るのが困難なところもあったりする。しかし逆にこれによってどのシーンが追加されたのかが明確に分かるようになっているため、これらが追加されたことによって作品がどう変わったかを知る役には立つだろう。

追加されたシーンの多くは数秒程度のリアクション・ショットなのだが、これらが話のあちこちに挿入されたことによって登場人物の性格描写に深みを与えているといえよう。正直なところ、サイレント映画でリアクション・ショットがいかに重要であるかを実感させられた次第であった。特に変化が大きかったのはメトロポリスの主であるフレーダーセンで、以前のバージョンでは無感情で冷酷な人物だという感が強かったものの、ロトワングや息子のフレーダーとの会話などにおいて微妙に困惑した表情を浮かべるシーンなどが追加されたことで、とても人間味のあるキャラクターに変化したという印象を受けた。

新たに追加されたシーンはこの他にも長尺にわたるものが幾つかあり、序盤ではまずフレーダーと服を交換してタクシーに乗せられた労働者11811号(ゲオルギ)がフレーダーの部屋に向かうものの、歓楽街ヨシワラの魅力に屈してしまう過程がきちんと説明されている。地下の労働から解放されたばかりのゲオルギが、車道でバラ撒かれるヨシワラのビラを手にとり、横の車のなかにいる美女の目線に夢中になり、快楽の要求に負けてしまう描写は圧倒的。この車のなかの美女をはじめとして何人かの女性が新たに登場するのだけど、皆が娼婦のような格好をしているのが、質素なマリアとの巧みな対比を生み出していたといえよう。このあとゲオルギはフレーダーセンが息子の尾行につけた「痩せた男」につかまって尋問を受け、フレーダーに合わぬまま逃げ出してしまうのだが、後に暴徒のナイフからフレーダーをかばい、「私はあなたに忠実でした…」と呟いて命を落とすわけで、この追加されたシーンにより一人の男の堕落と贖罪が確立するのである。

そして新たに追加されたシーンによって最も深みが加わった人物は、何と言ってもこの「痩せた男」だろう。従来のバージョンではフレーダーセンの単なる召使いと見なされていた男だが、今回のバージョンではフレーダーの服を着たゲオルギを尾行して尋問し、そののちにヨサファットを大金を見せて彼とフレーダーとの関係を絶ち切ろうとするのである。「痩せた男」という役名ながらも彼はいかつい長身でその腕力はヨサファットを遥かに上回り、毒々しい笑みをうかべてフレーダーたちの計画を邪魔しようとし、ついにはフレーダーの悪夢にまで登場する姿は非常に強烈な存在感を持っている。特に彼がエレベーターからぬっと現れるシーンは印象的だった。話の後半になるとあまり登場しなくなるものの、終盤においてかつて迫害したヨサファットと共に暴徒たちの前に立ちふさがり、フレーダーセンを守ろうとするのである。

追加されたシーンをさらに幾つか挙げると、まずロトワングの家にはフレーダーセンの妻でありフレーダーの母親であった女性ヘルの巨大な顔の彫像が飾られてあり、ロトワングとフレーダーセンがかつて恋敵であり、ロトワングが片腕を犠牲にしてまでもヘルの生き写しの存在を造るためにロボットを製作したことが強調されている(その熱意のわりにロトワングはフレーダーセンに命じられてロボットの姿をヘルでなくマリアのものにしてしまうわけだが)。またクライマックスの地下での暴動のところにも幾つかのシーンが追加されていて、メトロポリスの中枢である心臓機械には二重のシャッターがついていたり、子供たちが洪水から逃げようとする空気孔の先には鉄格子が付いているということが明らかになり、ストーリーに新たな緊迫感を与えることに成功している。ただし二重シャッターのところで1つ分からなかったのが、フレーダーセンがロボットのマリアを作ったのは労働者の信心を破壊し暴徒化させ、それから彼らを武力で鎮圧させるためだったはずなのに、なぜわざわざシャッターを開けて暴徒に心臓機械を破壊させ、メトロポリスを麻痺させたのか?分かるひと誰か教えてください。

なお「完全版」と銘打っているものの、残念ながら2カ所のシーンがこのバージョンにおいても欠落している。あわせて5分ほどのシーンだが、脚本が残っているために場面の展開が字幕で説明されている。1つは教会に赴いたフレーダーに対して僧侶がヨハネの黙示録のページを見せて警告するシーンで、これはのちにフレーダーの悪夢のなかで「痩せた男」が同じセリフを唱えるほか、黙示録に記された「金の杯を持った女」の姿が、まさしくヨシワラで踊るマリアの姿と同じであることが明らかにされる。もう1つはロトワングの裏切りを耳にしたフレーダーセンが彼と格闘し、そのあいだに監禁されてマリアが逃げ出すというシーン。ここはストーリーの展開上かなり重要なところなのでぜひ映像で観てみたかった気もする。ただしその反面、未だ目にすることのできないシーンがあるというのは夢があるなあと個人的には思っていて、人がミロのビーナスの両腕に無限の想像力を抱くように、この欠損したシーンに想像を膨らませ、これらのシーンを含んだフィルムが世界のどこかに眠っているかもしれないと期待を抱くのは結構なことだと考える次第です。

役者の演技に関しては、とにかくマリア役のブリギッテ・ヘルムが素晴らしすぎる。フレーダーとかフレーダーセンの役者もいいんだけど、善と悪のマリアを完璧に演じ分けるヘルムがあまりにも見事なのですよ。善のマリアとしては労働者や子供たちに献身的に尽くす清純で神々しい姿がどんな男のハートもつかみ、ロボットの悪のマリアとしては小悪魔的な笑みをうかべながら妖しい踊りを舞い、その姿を見たすべての男たち欲望の対象となるのである。変にヴァンプ的な体型でないのも良くて、洪水が迫るなかその細い腕で懸命にアラームを鳴らそうとする姿には本当に感動した。彼女とフレーダーのラブストーリーとしてもこの映画は十分に見応えがある。

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そして音楽について言及しておくと、今回のバージョンではオリジナルの上演時に使用されたゴットフリート・フッペルツの音楽が再演されて加えられている。音楽は常に流れていて、シーンによって大まかに曲調が変わるようになっているものの、映画のストーリーに合わせた効果音などは殆ど用いられていない。例外を挙げるとすれば、教会のシーンで鐘の音がするところや、暴動のシーンで「ラ・マルセイエーズ」のフレーズが流れるくらいか。そういう意味では弱冠の物足りなさを感じるかもしれない。自分などはモロダー版の印象が強いので、最後のシーンなどでは頭の中でパット・ベネターが鳴り響いていたよ。ただこれに関しては、今後いろんな音楽を独自に加える人たちが出てくることだろう。今回の映像にモロダー版のサントラをつけ加える人も絶対に出てくるはず。

このようにいろいろ書き連ねてみたが、今回新たに加えられたシーンによって、「メトロポリス」がいかに伏線やシンボリズムが散りばめられた映画であるかを認識できたことが一番の驚きと収穫であった。単なるSF映画ではなく、人間ドラマやラブストーリーとしても超一流の作品であることが今回の復元で実証されたわけである。特殊効果にしても、実際に多数のエキストラを用いたバベルの塔のシーンなどは最近のCG映像などよりも遥かに重量感というかリアリティがあるといえよう。これは今となっては失われた映画芸術がフィルムに収められた貴重な例である。「メトロポリス」は自分にとって生涯ナンバー1の映画だが、その(ほぼ)完全版をあらためて劇場で鑑賞できたことは非常に幸運な出来事であった。ぜひこれが日本でも劇場公開されることを願うばかりである。

(この文章を書くにあたっては、このブログの記事が大きな参考になった。カメラのアングルやフロイト的関係などにも言及している興味深い記事なのでぜひご一読あれ)

マーク・E・スミスのワールドカップ・ソング


サッカー狂の国イングランドではワールドカップやユーロ選手権のたびに作られる公式ソングのほかに、サッカー好きのバンドが勝手に便乗して非公式ソングをリリースする例が多々あるわけだが、今回はなんとザ・フォールのマーク・E・スミス爺さんが歌を作ったぞ。

まあ以前にもサッカーをテーマにした曲をいくつか書いてたので驚くべきことではないだろうけど、いつものわめき散らすような歌い方ではなく、それなりに爽やかに歌っているのが逆に不気味かも。ビデオでは親切に歌詞が表示されるけど、それでも何について歌っているのか意味不明なところがMESである。いちおう最後に「WE CAN WIN」とか出てるからイングランドを応援してるんだろう。

ただいま出張中

ツィッターでは既に周知してるけど、いま海外出張中なのでこのブログの更新ができてません。ネット環境とかは整ってるんだけど、朝から晩まで忙しくて自分の時間がないんよ。

来週以降にまた更新開始します。

「THE GOOD GUYS」鑑賞

なんか不思議な時期に始まったフォックスのTVシリーズ。基本的にはアクション・コメディで、露骨に80年代の刑事ドラマのパスティーシュになっている。

主演の刑事2人組を演じるのは、トムの息子ことコリン・ハンクスと「ザ・ホワイトハウス」のブラッドリー・ウィットフォード。前者はドジだけどもっと真剣な事件を扱いたがっている若手刑事で、後者は25年前に知事の息子を救出したことで一躍有名になってものの、今は飲んだくれで時代遅れになっている刑事という設定。この凸凹コンビが組んで事件を解決していく内容になってるんだけど、2人の行動に手を焼く上司とかも含め、過去の刑事ドラマの焼き直しという感は否めない。

本国ではビースティ・ボーイズの「サボタージュ」のPVのドラマ版なんて言われているようだけど、まあこの古くささをどうやって面白さに昇華させるかが今後の課題だろうな。第1話を観た限りではマヌケなメキシコのカルテルの一味や、臆病だけど口の達者な黒人の質屋とか、人種のステロタイプな扱いが見受けられるのも気になる。あと捜査が行ったり来たりしているというか、なんか話のテンポが悪いんだよね。この話を監督したティム・マシソン(「ザ・ホワイトハウス」の副大統領だよ)はアクション系の番組を撮るのは巧くて、ここでも最後のカーチェイスなんかはよく撮れてるんだけど、コメディには向いてないような。さらに言うとウィットフォードもコメディ向きではないじゃないの。「Studio 60 On The Sunset Strip」とかのほうがずっといい演技してたぞ。

本国での評判もイマイチのようなので、早急にパロディとドラマの正しいバランスを見つけないとあまり長続きしないのでは?昔の刑事ドラマへのオマージュという意味では「ライフ・オン・マーズ」のほうが100倍くらい面白かったぞ。

ダーウィン・クックの「悪党パーカー」第2弾

リチャード・スタークの犯罪小説「悪党パーカー」シリーズを原作にしたダーウィン・クックのコミック第2弾「The Outfit」のプレビューが公開されていた。

俺が知る限りこれはシリーズ第3作を原作にしたもので、クックは以前に語っていたとおり第2作目の「THE MAN WITH THE GETAWAY FACE」は割愛することにしたのかな。今回の主人公パーカーは整形手術をして新しい顔を得たという設定なので、第1作と主役の顔が変わっているというのがコミックでは特に強調されて奇妙な感じがするね。個人的に前作は必ずしも満点の出来ではなかったけど、ダーウィン・クックは非常に好きな作家なのでこれもいずれ買うことになるかな。