スーパーマンを生んだ犯罪

強盗による親の死から生まれた本当のヒーローは、バットマンではなくスーパーマンだった。

時は1932年、リトアニアから移民してきたユダヤ人であるミッチェル・シーゲルの経営するクリーブランドの古着屋に3人の強盗が押し入った。そのとき銃声が鳴り響いたという証言もあるが真相は確かではない。ただ確かなのは、強盗に入られた際にミッチェルは心臓発作を起こし、その場で亡くなったということだけだった。3人の強盗は捕まらなかった。そしてこのミッチェルの息子こそが、
銃弾をはじき返す強靭な肉体を持ち、世の中の悪を正す世界初のスーパーヒーロー、スーパーマンを生み出すジェリー・シーゲルだったのだ…。

という話がUSA TODAYのサイトに載っていて非常に面白い。スーパーマンの誕生の裏には、シーゲルが生前に決して語らなかったとされる父親の不慮の死があるのではないかという説が最近は注目されていて、ブラッド・メルツァーの最新の小説のテーマにもなっているらしい。ユダヤ系のサエない少年だったシーゲルがジョー・シュスターと組んでスーパーマンを生み出したという話は、いろいろ夢があって好きなんだよな。マイケル・シェイボンの「カヴァリエ&クレイの驚くべき冒険」も明らかにこの2人をモデルにしていたし。それに比べてボブ・ケインの評価は年々下がっているような気がする。

世界一有名なスーパーヒーローを生み出した2人だったが、スーパーマンの権利を安価でDCコミックスに売り渡したばかりにの印税を受け取ることができず極貧の生活を強いられていた。そして70年代になってやっと、ニール・アダムズなどの活動により印税とスーパーマンの原作者としての認知を与えられるようになったのは有名な話だが、それを祝うためにジェリー・ロビンソンが自分のアパートで開いたというパーティーの面子が凄い:カート・ヴォネガットにウィル・アイズナー、そしてなぜかイーライ・ウォラック!こんなパーティーに出れたら俺は死んでもいいや。

「ファンタスティック・フォー」(1994)鑑賞

「ファンタスティック・フォー」の映画版を観た。いや、まず観る気になれない2005年の大作映画のやつじゃなくて、1994年の低予算作品のほう。

この映画の存在を知らない人も多いかと思われるが、これは当時「FF」の映画化権を持っていたコンスタンティン・フィルムというドイツの製作会社が、近日中に「FF」の映画を製作しないと映画化権を失ってしまうということになり(詳細は知らないが、ハリウッドではこうしたことはよくある)、よりにもよってロジャー・コーマン大先生に話を持ちかけたもの。そしてコーマン大先生はその無尽なる知識において「よし、それならば映画をとっとと作ってしまおう」という判断をなされて、お得意とする低予算・スピード製作のB級作品を1本作られたのであります。

まあそんな経緯を持った作品だから出来もしかるべきもので、予算がないために特撮なんかボロボロでリード・リチャーズは足や手が棒のように伸びるだけだし、ヒューマン・トーチは手がちょっと燃えるくらいと、全然ファンタスティックじゃないじゃん!といった出来。でもなぜかザ・シングの着ぐるみだけは異様に出来がいいんだけどね。これに加えて宿敵ドクター・ドゥームはやたら弱いし、音楽は耳障りだし、尺が90分と短くてストーリー展開も早いのに話にメリハリがないからやたら冗長に感じられたりと、まあロクでもない作品。ジュエラーなんていう誰も知らない悪役の代わりにモールマンを出せばちょっとは良くなったのに。でも不思議とB級映画特有の面白さみたいなものを備えているのも事実で、ダメ映画なんだけどそれなりに気楽に楽しめてしまった。同じくオクラ入りになった「ジャスティス・リーグ」のTVパイロット版(なぜかむかし日本の深夜番組帯で放送されたやつ)よりかは面白いし、2005年のやつよりも面白いという意見がIMDBでは根強いようだ。

ちなみにこの映画、上記のように映画化権の保持だけを目的として作られたものなので、公開するという気がコーマン先生には最初からまったくなく、そのままオクラ入りになってしまった不遇の作品なのであります(だから現在手に入るのはすべて海賊版)。キャストやクルーはてっきり劇場公開されるものと思って製作してたらしいので、そこれへんはちょっと哀れだな。この映画に関する裏話はこのサイトに詳しく書かれてます。でもキャストやクルーも給料はもらえたはずだし、この映画を作ったことによりコンスタンティン・フィルムはヒットした2005年の映画とその続編にちゃっかりと製作会社として名を連ねてるし、もちろんコーマン先生もその過程で利益を手にしたはずだから、すべてはめだたしめでたし、と。コーマン先生のビジネス・センスは無尽なり。

ちなみにアメコミ映画の映画化権といえば、今年のスマッシュ・ヒット「アイアンマン」もどこかのスタジオでくすぶっていた映画化権をマーヴェルが取り戻したものだし、「ウォッチメン」も今更になってフォックスが映画化権を主張してるわけだが、映画化権を保持していることを主張するために映画を作るのって、どのくらいの規模のものを製作すればいいんだろう?「Be Kind Rewind」みたいに「スウェーデン人が段ボール箱で作りました」というものじゃダメなんだろうか。

「顔のない眼」鑑賞

フレンチ・ホラーの古典的傑作「顔のない眼(LES YEUX SANS VISAGE)」を鑑た。交通事故によって醜い顔になってしまった娘をもとの美しい姿に戻すために、整形手術の権威である父親が若い女性たちを誘拐し、彼女たちの顔を娘に移植しようとするのだが…。といったプロットの物語。

1960年の作品だけあって惨劇描写とかはずいぶん抑えられているものの、それでも顔の皮膚をぺろっとめくるシーンなんかにはドキッとさせられる。ただし全体的にはホラーというよりも、悲しい運命に見舞われた少女の物語といった内容になっているかな。医師の娘を演じるエディット・スコブは殆どのシーンでマスクをつけていんだが、その華奢な身体と訴えるような眼をもって、いたいけな少女の姿を見事に表現している。昔の恋人のことが忘れられなくて彼に無言電話をかける場面とか、美しくもはかないラストのシーンなんかは非常に印象的。そして顔が「治った」ときの素顔の彼女が美しいのなんのって。あと「第三の男」のアリダ・ヴァリが医師の助手役で出てます。

話の展開が日本の少女マンガ(特に好美のぼるあたりのホラーもの)によく似てる感じがするんだが、それってつまりこの映画に影響を受けた作品が多分にあるということなのかもしれない。唯一の欠点はテーマ曲がいかにもおフランスしてて、明るめの曲調が話の雰囲気に合ってないことか。「サイコ」なんかは映像と音楽の融合が完璧だったんだけどね。

若ノ鵬、てめえ!

朝青龍の狼藉は全然オッケーな俺ですが、若ノ鵬のダーティな振る舞い(卑怯な立ち会いや風呂場での八つ当たりなど)には以前からムカついてたんだよな。でもあれだけやっといて今度は大麻で捕まるとは、ある意味予想を超えたヒールとなったことに感心せざるを得ない。

相撲界に残ることはまず無理だろうけど、これからもチンケな悪の道を極めていって欲しい所です。恩をかけてくれた人の財布を盗むとか、駅のホームで老人を押し倒すとか。いずれはシベリア送りとかになるのかな。