ジャッキー・チェンがいつもと違って、寡黙な復讐者を演じたことで話題になったサスペンス。これ日本公開いつだ?以下はネタバレ注意。

中華系ベトナム人のクアンは中越戦争のときに国を離れてイギリスに移り、そこで生まれたティーンの娘を育てつつ中華料理屋を運営していた。しかし娘の送り迎えをしていたある日、IRAの分派が仕掛けた爆弾テロに彼と娘が巻き込まれ、娘は命を落としてしまう。悲しみに打ちひしがれるクアンは、地道に警察などに足を運び、彼の娘を殺した連中の正体を知ろうとする。実はクワンはベトナム戦争のときにアメリカ軍の特殊部隊として訓練を受けた元エージェントであり、ゲリラ戦の大ベテランであったのだ!そして北アイルランドの政治家であるリーアム・ヘネシーがテロと何らかの関係があると直感したクアンは、ヘネシーから情報を聞き出し、彼の娘を殺した者たちに復讐するために単身ベルファストへと向かうのだった…というあらすじ。

クアンはベトナム戦争で戦った経験があって、1984年にイギリスに亡命する前に11歳と8歳の娘がタイの海賊に殺されたという過去が語られることから、1954年生まれのジャッキー・チェンといちおう歳は合っているのかな?3女が産まれたのがやけに遅い気がするが。。ジャッキー、60代半ばにしては体のキレもあってそれなりのアクションを見せてくれるものの、さすがに屈強な若者をバッタバッタと素手で倒すようなことはできず、ワナを用いたゲリラ戦法で敵を倒していきます。相手が転んだら見事に当たりどころが悪かった、という展開が多いかも。

ご存知のようにジャッキーは決して英語が担当ではないので、今回のクアンもかなり寡黙な役になっています。代わりにヘネシー役のピアース・ブロスナンが状況を説明するセリフをひたすら喋って頑張っているのですが、このヘネシーは上のポスターを見ても分かるように、外見からしてシン・フェイン党の党首だったジェリー・アダムスがモデル。IRAが起こしたテロにどこまで関わっていたかが疑われるあたりも、もろにアダムズそのままなのだが、本人もまさか今になって自分が映画の悪役のモデルになるとは思っていなかったのでは。

これ「THE CHINAMAN」という原作小説があって、それが出たのが1992年なんだそうな。あの頃はまだIRAの活動が盛んだった頃だし(オマーでの爆弾テロが98年)、時勢を反映した小説だったのだろうが、それを2017年の設定にして映画化するのって、主人公の年齢設定も含めてやや無理があるような気がする。IRAって2000年代に入ってからテロを起こしたことってあるっけ?なお原作の題名「チャイナマン」は中国系への蔑称なので当然映画の題にはならなかったが、劇中では主人公を軽視する感じで周囲の登場人物がよく使ってます。警察官までがチャイナマン呼ばわりしてるのはどうかと思ったけど。

それで肝心のプロットなのだが、クワンがヘネシーを標的にするのはあくまでも「直感」であって物理的な証拠があるわけではなし。そのヘネシーも組織の誰が爆破テロを起こしたのか本当に知らないということが示唆されていて、それなりに頑張っている政治家が部下の失態のために謎のアジア人のオッサンにつきまとわれるという図式になっており、オフィスが爆破されて部下が殺されるヘネシーがなんか哀れであったよ。もうちょっと悪役を分かり易く描いても損はなかったかと。

監督は「グリーン・ランタン」以来久しぶりの作品となるマーティン・キャンベル。「ランタン」は駄作だったけど「カジノ・ロワイヤル」とかブロスナンと組んだ「ゴールデンアイ」は好きな作品です。劇中で2〜3回起きる爆破シーンはやけに迫力があるし(実際に現場の近隣の住民がテロだと思い込んで警察に通報したらしい)、そういうのが得意な監督なんだろうな。

ジャッキー・チェンといえば子供の頃に観ていたカンフー映画のイメージが強いので、今回のようなシリアスな演技は正直なところ違和感があって、エンドロールではNGシーン集が流れるのではないかとつい期待してしまったよ。しかしいつもとは違ったタイプの役を演じたことが批評家のあいだでは高く評価されたわけで、俺なんかよりもジャッキーに詳しい日本のファンなら一見の価値がある作品でしょう。


公開中なので感想をざっと。以下はネタバレ注意。

・冒頭の戴冠式とかを目にして思ったのは、なんかマーベル的というかディズニー的な作品だなということ。歌と踊りがあってカラフルなあたり、「ライオン・キング」や実写版「ジャングル・ブック」で培ったノウハウを活かしているというか。それ自身は悪くないことだけど、ディズニーとマーベルの融合はこういう形で進んでいくのかな、と思いました。

・話のプロット自体は典型的なものではあるものの、キャストに勢いがあっていいですね。特に(比較的無名な)女性キャストたちが生き生きと演技してるので観ていて楽しかった。「シビル・ウォー」ではMCUで何やってんだか良く分からなかったマーティン・フリーマンもいい感じだし。

・でも尺はもうちょっと削ってもよかったかも。ハーブを飲んで祖先に会うシーンが3回繰り返されたのはさすがに冗長だと感じましたよ。そんなに複雑なプロットではないのに、説明過多になっているシーンが多いというか。

・話の展開は「ライオン・キング」に似ているんだけど、現在のアメリカのアナロジーとしても通じるんじゃないかと、ふと思いました。王となる権利はいちおう多くの人に与えられていて、それでも王になるのにふさわしい人が選ばれていたのだけど、そしたらチーズバーガー食ってるようなゴロツキが突然現れて、制度を悪用して王様になってしまいました、というあたり。それでその王様は当然ヒドい命令を臣民に与えるわけだが、王様だからって言うことを聞けばいいのか?いやそうじゃなくて反抗して王を倒すべきだろ!という内容は、どこまでトランプ政権を意識したんだろう?たぶんあまり関係はないと思うが、そんなことを考えながら観てました。

・肉弾戦の多い戦闘シーンは迫力があるものの、黒づくめのキャラクターが暗闇のなかで戦うのはなんか見づらかった。ライアン・クーグラーは前作の「クリード」のほうがアクションはずっと優れていたな。

・そしてこれはスーパーヒーロー映画の大きな課題であるのだが、コミックと違って実写映画では、感情的なセリフを話すときはマスクでなく役者の素顔が見えないと効果的でないという問題。このためマスクの下の顔を映したり(「アイアンマン」)、主人公のマスクが吹っ飛んだり(ライミ番「スパイダーマン」)する工夫が必要となるわけですが、今回は幸か不幸かスーツのマスクが自在に付いたり外れたりするものだから、「マスク外す→セリフを話す→マスクつける→マスク外す→セリフを話す」という光景がクライマックスで続くので妙に気になってしまったよ。マスクをつけたままセリフを話したって、バチはあたらないと思うけどね。

・「アベンジャーズ2」に続いて、今回も大規模な韓国ロケが行われている。これによって韓国の映画業界がどれだけのメリットを得たか、みたいな数字は出ているのかな。「アベ2」のときは韓国での撮影はすべて第2班が行ったという話を読んだのだが、世界各地でロケをするほど監督の実質的なアプローチが減っていくことになるんだろうか。

・ベジタリアンの種族の漁師って、何を捕ってるんだ?ワカメ?

・作品の出来としては決して革新的なものではないだろうが、やはり黒人が大半のキャストでスーパーヒーロー映画を作り上げるということが、どれだけ待ち望まれていたかは、非常に好調な興行成績を見ればわかるだろう。最近のコミック映画やTVシリーズにおける、原作では白人のキャラを有色人種に差し替えるトレンドって必ずしも関心しないのですが(それはコミックが長らく白人ばかりを登場させていたツケなのだが)、ブラックパンサーは正真正銘の黒人ヒーローだからね。昨年の「ワンダーウーマン」に続き、マイノリティを主役にしたスーパーヒーロー映画が予算をかけて作られ、幅広い観客層に迎え入れられたということは非常に素晴らしいことだと思うのです。


邦題はまんま「ラッキー」で日本では3月公開。昨年91歳にして亡くなった名優ハリー・ディーン・スタントンの最後の主演作にして実質的な遺作。

アメリカの片田舎に住む老人ラッキーは高齢ながらも比較的健康で、彼を気にかけてくれる町の住民に止めろと言われながらも、タバコを日に何本も吸うようなガンコ老人だった。しかしある日自宅で倒れたことで、自分にも死がいずれやってくることを彼は悟り、それに恐れを抱きながらも彼なりの人生を送ろうとするのだった…というあらすじ。

いわゆる難病ものとかではなく、大きな展開があるわけでもなく、ただラッキーの日常が淡々と描かれる内容になっている。一度倒れたとはいえラッキーは酒場でケンカを売ろうとするほどピンピンしてるし、老人介護とも無縁のまま、人生の終わりに近づいた男性の話が語られていく。

つうかこれスタントンのために作られたような映画なんですよ。監督も脚本家もこれが初仕事だし、スタントンのために皆が協力して撮った作品という感じ。彼が実際に海軍で沖縄戦の戦車揚陸艦に勤務していたこととかも脚本に組み込まれているし、電話の受話器を持って顔の見えない誰かと長々と話すシーンは「パリ、テキサス」のオマージュだろうか。さらにはデビッド・リンチばりの奇妙なシーンもあったりするよ。個人的には「ストレイト・ストーリー」で出てきたスタントンのキャラの後日談のように感じました。

その初の監督業を行ったのが、ハリウッドの渡辺久信ことジョン・キャロル・リンチ。小難しいセリフが多いところは監督に慣れてないっぽいな、と思う一方で、ベテラン俳優だけあって演出は手堅かったです。

さらにキャストも豪華で、スタントン絡みなのか珍しくデビッド・リンチが役者として出演もしている。彼の飼っているリクガメが逃げたというのが1つのプロットになっていて、俺らは老衰で死んでもカメさんはさらに長生きするんだよな、という話になっている。さらにはエド・ベグリー・Jr.やロン・リビングストン、トム・スケリット(「エイリアン」つながりだ!)なんかも出てきます。スケリットは元海兵隊員という設定で、スタントンとともに沖縄戦における日本人の悲惨な状況を語るところは見ていてちょっとドキドキしました。あと意外だったのは「ディープ・スペース・ナイン」のヴィック・フォンテーンことジェイムズ・ダレンが出ていたことで、結構久しぶりに顔を見たのだけど、この映画のプロデューサーが「DS9」のアイラ・スティーブン・ベアーなのでその繋がりかな。

数年前に読んだインタビューではスタントンの記憶力もかなりおぼつかないものになっていて、今回もちゃんと演技できるのかいな、と観る前には思ってたのですが完全な杞憂でした。体はヨボヨボとはいえ枯れた名演技を見せてくれるし、やはりあの顔がいいですね。

この映画が公開される2週間前に残念ながらスタントンは他界してしまったわけだが、こんな主演作を最後に作ってもらえて、幸せだったんじゃないかな、彼。

今年のFOXサーチライトによるアカデミー候補作品だったはずが、そのお株は「スリー・ビルボード」と「シェイプ・オブ・ウォーター」に奪われ、日本公開もいつになるか分からないから(7月?)観てしまったよ。

女子テニス界の草分け的選手であるビリー・ジーン・キングを主人公にした作品で、70年代初頭においてキングは世界的な大会で活躍する選手であったが、当時のテニス界は男女の賞金の格差が激しく、女性のテニスは軽視されて男性よりも圧倒的に少ない賞金が与えられていた。それに憤慨したキングは女性選手だけのツアーを開催し、スポンサーもつけてそれなりに人気を博する。一方40年代に活躍した男性選手のボビー・リッグスはギャンブルで私生活に問題を抱えていたが、資金を得る方法として女性選手との試合を起案し、キングに試合を持ちかける。そのギミックっぽさを嫌ったキングに試合を拒否されたリッグスは、キングのライバルであるマーガレット・コートと勝負をして圧勝し、さらにキングとの勝負を要求する。このままでは女性選手の名誉にかかわることになると感じたキングはリッグスの挑戦を受け入れ、ふたりは全米が注目するなか男女の勝負に挑むのだった…というあらすじ。

女性選手が男性と同様の資格を得ることができるようキングが奮闘する一方で、結婚している身でありながらもヘアドレッサーの女性と恋に落ち、自分がレズビアンであることに自覚していく姿が描かれている。実際はこの女性とのちに破局して訴訟を起こされて大スキャンダルになってスポンサーを失ったり、保守的なクリスチャンであるマーガレット・コートには女性との関係を非難されたりといろいろあったらしいが、そこらへんは映画では扱われず、あくまでも恋とウーマンリブのために頑張る女性の話になっています。

ビリー・ジーン・キングを演じるのはエマ・ストーン。以前は化粧の濃い人だなというイメージがあったけど、今回はすっぴんか薄化粧にして、体を張った役を演じています。対するボビー・リッグスを演じるのがスティーブ・カレルで、これがリッグス本人にえらく似ていて気色悪いくらい。どちらもスタントを使ってるとはいえ、テニスの試合のシーンはなかなか盛り上がっていいですよ。あとはビル・プルマンやエリザベス・シュー、アラン・カミングといったベテラン俳優が脇を固めています。

なおサラ・シルバーマンが女子選手のツアーのマネージャーみたいな役を演じているのだけど、彼女がスポンサーとして連れてくるのがタバコ会社のフィリップ・モリス。まあこれは史実なんだが、「スポンサーを喜ばせるためにタバコを吸ってね」みたいなセリフもあって、最近のハリウッド映画にしては珍しくタバコが大きく扱われた作品でした(クレジットでは例によって「タバコ会社から一銭ももらってません」と出るが)。

話としてはベタな展開だし、典型的なフィールグッド映画ではあるものの、観て楽しくなれるんだからそれはそれでいいじゃないの。昨年の「ドリーム」が好きな人はこれも楽しめると思う。話のテーマだって過去のものとは思うなかれ、例えばサッカーなどでは男女間の給料の差が激しいと問題になっているのに、それが当然だという男性の意見もヤフコメあたりでざくざく見かけるわけで、これを観て男女間の格差について改めて考えるのも良いかと。


昨年のサンダンス映画祭で公開されて高い評価を得た作品。

舞台となるのは、著名な建築物が多いことで知られるインディアナ州のコロンバス。そこに住む建築家の父親が倒れて意識不明の状態になったことから、アメリカを離れて韓国に住んでいた息子のジンはコロンバスへとやってくる。父親の容態が変わらないためコロンバスに滞在することになったジンは、地元の図書館で働くケイシーという少女と知り合うことになる、というあらすじ。

監督のコゴナダ(Kogonada)は主人公のジンと同じく韓国系アメリカ人で、小津安二郎を大変にリスペクトしているほか、キューブリックやウェス・アンダーソンなどに関するビデオ・エッセイを作っていた、という経歴らしい。つまり映画批評から映画製作に入った人になるわけだが、奥行きを生かした画面の構図の見事さとか、自信をもってゆったりと進むストーリーテリングとか、とにかくこれが初監督作だとは思えないほど素晴らしいのですよ。普通のサンダンス系映画かな、と思って観たらその映像の美しさに驚愕してしまった。

どのシーンも映画の教科書で使われてもおかしくないほどの巧みな構図というか。監督デビュー作でここまで映像が美しいのはアレックス・ガーランドの「エクス・マキナ」以来だが、あっちは脚本家として現場に関わっていたわけで。今までのアートハウス系の監督のデビュー作って、ジャームッシュであれリンクレーターであれ、セリフが先行して映像的には未熟で、それから作品を重ねるうちに洗練されていく感があったが(ケヴィン・スミス、お前はダメだ)、これはもう最初からベテランの域に達している。

ストーリーは父親の容態が改善する(もしくは死亡する)までコロンバスに留まらざるを得ないジンと、街を出て都会で学びたいと考え、周囲にもそう勧められているのに、一緒に暮らす母親を置いていけないケイシーという二人の男女の人生が交錯していくわけだが、決して急な展開が起きるわけではなく、かといって退屈になるわけでもなく、落ち着いたペースをもって、いずれ街から出ていくことを考えているふたりの話が描かれていく。ポストロック・バンドのハモックによる音楽も効果的。

ケイシーは街の建築物を紹介するボランティアをしようと勉強していて、ジンは父親の蔵書を読んでコロンバスの建築について知っており、物語の大半はふたりが街の建物について語り合うシーンで占められているのだが、決して衒学的になることもなく、建物について語ることでふたりの心情がうまく描かれていく。街の光景が第二の主人公、というのは陳腐な言い回しだが(特にニューヨーク映画)、この作品は本当にそんな感じ。建物のデザインがすでに優れているのに加え、それらがさらに効果的に撮影されている。おれコロンバスといえばオハイオしか知りませんでしたが、この街に行ってみたくなりましたよ。日本のご当地映画も、これくらいの出来のものがあればいいのにね!

主役のジンを演じるのはジョン・チョー。短命に終わってしまったシットコムの「Selfie」でもそうだったが、白人女性に対してまっとうな相手役を演じられるアジア系の役者って、ハリウッドではこの人が筆頭格だろうな。珍しく韓国語を話すシーンもあるでよ。ケイシーを演じるのは「スプリット」などに出演しているヘイリー・ルー・リチャードソン。あとはちょっと久しぶりに顔を見た気がするパーカー・ポージーや、ローリー・カルキン、ミシェル・フォーブス(!)といった手堅い役者が脇を固めている。

あまり期待しないで観たら大変素晴らしい作品でありました。これからコゴナダ監督がどういう作品を撮っていくのかわかりませんが、注目に価する作家ではないかと。