『ザ・クリエイター/創造者』鑑賞

普通に面白かったでございます。こういうの好きよ。以降はネタバレあり。

とはいえ観ていてずっと思っていたのは、「これニール・ブロムカンプの作品っぽくね?」ということでして、AIのロボットのデザインは「チャッピー」っぽいし、成層圏から地球を監視するNOMADは「エリジウム」みたいだなと。ベトナム戦争を舞台にした短編も彼は作っていたし。しかし最近のブロムカンプは「デモニック」や「グランツーリスモ」などで迷走気味なので、ギャレス・エドワーズが今となってはブロムカンプ以上にブロムカンプな人…と言ったら両人に失礼かな。あとはシモン・ストーレンハーグの一連のアートを彷彿させるテクノロジーと風景がいろいろ出てきて眼福でござる。

ストーリーは、「アバター」的な侵略側への批判というか、主人公の属している側が実は悪い方だった、というのは手垢のついた展開ではあったが、AIを100%肯定しているのは最近の映画では珍しいかも。まあストーリーが弱くてもカッコいい戦車や兵器が次々と出てくるので気にはならないかな。自走兵器のG-13なんて、兵器としての有効性にいろいろツッコミたくなる一方でそれを撥ね除けるインパクトがあるというか。

キャストもみんな無難なところじゃないですか。ジェンマ・チャンだけ役柄が「HUMANS」となんか被ってる気がしたかな。

安価な撮影カメラなどを使ったことで、スケールの割には製作費は8000万ドルほどでそんなに高くないものの、それでも興行的には苦戦しているあたり、原作やフランチャイズの力に頼れないオリジナルSFの厳しさが伝わってくる。でもこういう作品はSFジャンルの発展のためにも作ることに意義があると思うので、ギャレス・エドワーズには気落ちせずに頑張って欲しいところです。

「The Caine Mutiny Court-Martial」鑑賞

こないだ亡くなったウィリアム・フリードキン監督の遺作で、米SHOWTIMEのTVムービー。古典的小説「ケイン号の叛乱」の舞台版を元にしたものだが、自分は小説読んでないしハンフリー・ボガートの映画も観ておらず。

話の時代は現代に差し替えられ、中東に派遣されていた掃海艇ケイン号が壮絶な嵐に巻き込まれたという設定になっている。艦長のクイーグが南へ進むよう指示するなか、一等航海士のマリクは命令に反き、逆にクイーグは真っ当な指揮ができる状態ではないと主張して彼を解任した。その後、マリクは謀反の容疑で軍法会議にかけられ、弁護にあたることになったグリーンウォルドは不利な状況においてマリクの行為の正当性を証明しようとするのだが…というあらすじ。

舞台劇の映像化ということでフリードキンの前作「キラー・スナイパー」もそうだったが完全な密室劇になっていて、出てくる場所は軍法会議が開かれる大広間とその廊下、あともう一箇所のみ。題名のケイン号は姿も見せず、史上最悪の嵐に見舞われた状況というのも語られるのみなので、想像力を働かせる必要あり。撮影期間も15日だけだったそうなので、製作費お安かったんでしょうなあ。

軍法会議においてクイーグやマリクのほかにも証人・参考人が次々と呼ばれて質疑応答をしていくのでセリフの量が半端じゃなく多く、加えて海軍や精神鑑定に関する専門用語が連発されるため、かなり集中して観る必要あり。セリフの内容だけでなく、その話し方によってクイーグたちの人となりが徐々に明らかになっていく様は見応えあるけどね。

クイーグ役のキーファー・サザーランドがいちおう主演扱いになっているものの、話の冒頭と後半にしか登場しないほか、艦長としての不適切ぶりを証明される立場なのでなんか損な役回り。むしろ不利な状況で弁護に立ち回るグリーンウォルドを演じるジェイソン・クラークのほうが主役っぽいかな。あとは裁判官をこないだ亡くなったランス・レディックが演じていて、エンドクレジットで大きく「この映画を彼に捧げる」と出てくるのだが、捧げてる監督本人も亡くなってるじゃん!とついツッコミ入れたくなってしまった。

フリードキン本人もこれが最後の作品になることは理解してたようで、撮影現場にはバックアップ用にギレルモ・デルトロが立ち会ってたそうだが演出に関わってるかは不明。さすがに予算の低さがひしひしと感じられる出来なので、「エクソシスト」とか「フレンチ・コネクション」のようなものは期待せずに、フリードキンが後期よくやってた舞台の映像化の一連の作品のひとつとして観るべきものかと。

「HOW TO BLOW UP A PIPELINE」鑑賞

引越しで2ヶ月ほどドタバタしてましたが久しぶりにブログ更新。今年アメリカで公開されてちょっと話題になったインディペンデント系の映画。

「原油パイプラインの爆破方法」という扇動的な題名は、現代のエコテロリストたちの実情に迫ったノンフィクション本からとったらしいが、映画は完全なフィクションで、大手原油企業のパイプラインを破壊するためにテキサス西部の荒野に集まった活動家たちの一部始終を描いている。最近ヨーロッパとかで見かける、美術館でペンキをぶちまけて環境保全をがなり立てる人たちとは違った、爆弾を自分たちで作って爆破させるハードコアな人たちね。

過激な活動家を主人公にしている時点で彼らにシンパを抱いた内容になっているのは疑いがないものの、変に自然保護を煽ったり説教臭くなる部分は殆どなく、原油企業への恨みや漠然とした正義感などを抱いた若者たちがオンラインで知り合ってテキサスに集まって行動するさまが、ちょっと突き放したくらいの距離で淡々と描写されていく。60年代のウェザー・アンダーグラウンドなんかと違って、グループ名を持つわけでもマニフェストを提唱するわけでもなく、お互いのこともよく知らないままインターネット経由で集まるというのが、現代風の活動家なんだろうか。自分たちはテロリストなんだろうかと問うシーンもあるものの、歴史を変える人たちはテロリスト扱いされるよね、くらいの考えでみんな納得してしまう。

いちおう化学薬品に詳しいメンバーとかもいるものの、みんな爆弾作りのプロではないので、電気ケーブルが短いとか薬品がうまく混ざらないとか試行錯誤しながら爆弾をつくっていくさまは青春群像劇のようだった。「ブレイキング・バッド」もそうだったがアメリカは砂漠のど真ん中で化学薬品を調合しても誰にも怪しまれないのよな。国土の狭い日本ではすぐ近隣住民に通報されそうなものだが。

こうして皆が爆弾作りに汗を流すところに、各メンバーの回想シーンが挿入され、各人がいかに活動に手を出すことになったかが語れられていく。ある者は公害によって親が病死していたり、原油企業に土地を取られたり、ネイティブ・アメリカンとして貧しい暮らしをしていたり、あるいはもうちょっと軽い考えで活動に手を染めるメンバーもいたりする。そこでちょっとラストに向けてストーリーにヒネリがあったりして、ナラティブもしっかりしているところに意外と感心してしまった。

元になった本からしてサボタージュ(あるいはテロリズム)は環境を守るために有意義な手段ではないかと提唱する内容だそうで、映画のほうもテロリストを美化していると思われても仕方なく、観る人によって評価が分かれるだろうな。アメリカでは実際に公開にあたり、模倣犯を生み出すことになるのではないかと当局側から懸念が出されたらしい。ただ映画としてはよく出来ているので、とりあえず観てみていろいろ考えるのが良いんじゃないでしょうか。

「INFINITY POOL」鑑賞

新作がもはや伝統工芸のようになっていた父親よりも、前作「ポゼッサー」のほうがクローネンバーグ感のあったブランドン・クローネンバーグの新作。

舞台は架空の国のリゾート地リ・トルカ。裕福な妻とそこを訪れていた作家のジェームズは、自分の本のファンだという女性とその夫に出会う。彼らに誘われて地方を訪れたジェームズたちだが、夜中にドライブしてホテルに帰る際に地元の住民を撥ねて殺してしまう。リ・トルカの警察は信用ならないと聞いた彼らは事故について黙っていることにするが、翌朝彼らは逮捕されてしまい…というあらすじ。これは話の序盤で、このあとリ・トルカの司法制度に関する重要な事実が明かされるのだがネタバレになるので伏せておきます(予告編で分かるけど)。

特に観光名所があるわけでもなくボーッとするだけのリゾート地における、怠惰な金持ちたちによる暇潰しの暴力行為が繰り広げられるあたりはJG・バラードの後期の小説に似ていて、そういえばブランドンの次作はバラードの「スーパーカンヌ」のシリーズ化だったなあ…というのは無理のある関連付けでしょうか。実際はリ・トルカ警察の不可思議な官僚主義はカフカ的なところもあるし、「ポゼッサー」のようなSF的要素もあるのだけどね。

このようにいろんな要素を詰め込んだ一方で、少し全体的に散漫な印象を受けるかな?それぞれの設定は興味深いものの、きちんと深掘りされてないというか。あと「ポゼッサー」もそうだったけど衝撃的なシーンは70年代のSF映画のごとく画面を揺らして色をチカチカさせる演出を行なっていて、それ自体は悪くないのだけど多用するのもどうかと。グロいシーンをハッキリ見せてもええんやで。

いろいろ非道い目に遭うジェームズを演じるのはアレクサンダー・スカルスガルド。体を張った演技を見せてくれます。そんなジェームズを勧誘するのが、なんか最近ホラーにばかり出ている能面ことミア・ゴス。こないだ観た「PEARL」は田舎の保守的な暮らしにブチ切れた少女の演技がとても良かったのですが、彼女もしかしてオーバーザトップな演技しかできないのかな…?裏でいろいろ企んでいる女性という今回の役には繊細さが足りなかったような。

興行的には散々だったようで、そこだけはクローネンバーグ親子の共通点ですかね。個人的に「ポゼッサー」がすごく良かったのでちょっと肩透かしだったが、興味深い設定が詰め込まれている作品ではあります。「スーパーカンヌ」に期待。

「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」鑑賞

前作があまりにも素晴らしすぎたので、どうしても期待に耐えうるものにはならないのではないかと思いつつ観に行ったら、普通によくできた作品であった。

尺が長くなって二部作になったことで、前作のような1つの映画に幾つものキャラクターとストーリーを詰め込んだ賑やかさは薄まった一方で、グウェンやマイルズの母親といったキャラクターについても時間をかけて深く描写をしており、話に厚みをもたらしているかと。続編にありがちな傾向として話の展開がダークになっているものの、突然強力な悪役が出てくるといった展開ではなく、むしろスパイダーマンとしての運命である、避けられない悲劇に直面したときにどうするかというテーマを扱っていたのが良かった。

新キャラクターは、スパイダーマン2099ってコミックだともっとおちゃらけてるしベン・ライリーもあんなアホではないと思うが、まあいいや。パンク・スパイダーマンのアニメーションすごいですね。効果がうるさいといえばうるさいのだが。

絶妙なクリフハンガーで終わるし、最終的な感想は続編を待ってから述べるべきだと思う。とにかく観ていてひしひしと感じたのは、これ日本のアニメーション会社では作れないでしょ、ということ。技術的よりもリソース的なところで、あれだけの予算をかけてあれだけのアニメーターを稼働させられるスタジオは日本にないでしょう。グウェンの世界の絵画調のアニメーションだってCGのうえから塗り直しをしているはずで、膨大な労力がかかってるのではないか。

アメリカのアニメーション作品としては最長のもので、しかも子供向けでないエモーショナルな作品を大人が観に行ってヒットしているというのは、日本のアニメーションが得意としていた分野をアメリカのスタジオが確実に取りに来たようなような気がするのです。日本のアニメは唯一無二の存在、とあぐらかいてる場合じゃないよ。