「PERFECT COUPLES」鑑賞


NBCの新作シリーズ。3組のカップルを描いたシットコムで、1組のカップルはケンカばかりしていて、もう1組は自分たちの関係がうまくいってると考えていて、もう1組は…何だったっけ。憶えてられないくらいに特色のないカップルが騒ぎ合うだけの番組で、目新しさは全くなし。こういう凡庸なシットコムを求める人たちがいるのは分かるけどさ、「THE OFFICE」や「COMMUNITY」といったNBCの他の強力なシットコムに比べると圧倒的に劣った内容になっているぞ。

出演者もストーリー同様に無味乾燥な人たちばかりなんだけど、唯一の特色は「デイリーショー」のオリビア・マンが出ていることか。ただし彼女ってベトナム系で美人なんだけど「デイリーショー」のレギュラー陣のなかではダントツにジョークのデリバリーが下手で、他の人とのジョークの流れを断ち切ってしまうことが多々あるんだよな。よってむしろこちらの番組で成功して、「デイリーショー」からは降板するのがいいんじゃないかと淡い期待を抱いてしまうのです。

「グリーン・ホーネット」鑑賞


ポスターを一瞥しただけでも、何故いまさら「グリーン・ホーネット」なのか?何故ミシェル・ゴンドリーなのか?何故セス・ローゲンなのか?何故ジェイ・チョウなのか?といろいろ疑問がわいてくる作品なのだが、映画を観てもその答えは与えられなかったよ。

確かこの映画ってもともとはケヴィン・スミス監督で主演がジェイク・ジレンホールで企画され、そのあとチャウ・シンチーの監督&出演という噂があって、それから回りまわって、それでやっと今回のスタッフに決定したんじゃなかったっけ。このように製作の時点で右往左往した作品についてほぼ100%言えることは、スタジオが完成を急ぐために製作側のクリエイティブな面が疎かにされるということであり、それに今回はハリウッドで最も独創的な監督の1人であるミシェル・ゴンドリーが関わってしまったというのは不運というか皮肉というか。

ゴンドリーの従来の作品って少なくとも1本に1度は「このアイデアすごい!」と感心させられるところがあったんだけど、悲しいかなこの作品ではそれが無いのですよ。せいぜい主人公が今までの手がかりを回想するシーンがちょっとゴンドリーっぽかったことくらいかな。

そもそも原作はもっとストレートなヒーローものなのに何でバディ・コメディにしてしまうんだか。当然ながらセス・ローゲンはミスキャストで、ジェイ・チョウの拙い英語も聞いててしんどい。そしてキャメロン・ディアスを「ホットなお姉さん」として扱うのはいいかげん限界が来てるんじゃないだろうか。他の役者はけっこう良い人たちが出ていただけに残念。これを機にゴンドリーはしばらくフランスに戻って「恋愛睡眠のすすめ」みたいな小品を作ったほうがいいんじゃないだろうか。

あーあと3Dはまったく意味が無いので無理して高い金は払わないように。会話のシーンとかはメガネを外して普通に視聴できてたぞ。いちばん3Dになって見える部分が、最後のエンド・クレジットだというのはどういうことだよ!

「WISH 143」鑑賞


こないだアカデミー賞の短編賞にノミネートされたイギリスの作品。オンラインで公開されていた

末期ガンにより死期が近づいた15歳の少年が、慈善団体から何か願いをかなえてあげると伝えられたとき、彼が望んだのは「女の人とヤること」だった…という内容で、死を目前にしながらも口が達者でひねくれた少年と、彼を見守る牧師とのやりとりを中心に、どうにか女性と寝ようと悶々とする少年の姿が描かれていく。

ユーモラスな会話や描写がある一方で、テーマがテーマだけに全体的にしんみりとした内容になっているかな。「心優しい娼婦」といういかにも映画的なキャラクターが出てくるのはどうかと思うが、ラストはホロリとさせてくれるし、決して悪い作品ではないですよ。20分ちょっとの作品なので、時間のある人はぜひ観てみてください。

「DOGTOOTH」鑑賞


あちこちで高い評価を得ているギリシャの映画。

話の舞台となるのは人里離れたところにある屋敷で、そこでは3人の若者たち(娘2人と息子1人)が両親によって外界と隔離され、塀の外へは一歩も出ることができずに一家だけで暮らしていた。屋敷を出ることができるのは父親だけで、息子の性欲の対処のために父親の会社で働く警備員の女性が娼婦として連れてこられるほかは、子供たちは塀の外の世界のことをまったく知らされずに育てられていたのだ。さらに両親に都合の悪いような言葉はすべて意味を違えて教え込まれ、例えば「海」は革製の椅子で、「ゾンビ」は黄色い花、というように。また彼らは架空の第4の兄弟がいることを教えられ、彼は罰として怖い外界へ追放されたことを告げられる。それでも年をとるにつれて外界への興味を抱く子供たちに対して、父親は「犬歯(ドッグトゥース)が抜け落ちる頃には外に行く準備ができるはずだ」と伝えるのだが…というような内容の物語。

とにかくものすごくシュールな展開が続く映画で、両親がなぜ子供たちをそのように扱うのかという説明は一切なし。両親にすべてを管轄された世界における子供たちの様子を淡々と描いていっている。個人的には北朝鮮のような独裁国家において偽の情報を与えられる国民のアレゴリーを感じたんだけど、監督のインタビューを読む限りではそうした意図はなくて、友人たちが子供を持つようになってとても過保護になっていくさまを見てこの映画を思いついたらしい。

ストーリーだけ聞くととても重そうな内容に感じられるかもしれないが、実は制限された環境のなかで右往左往する子供たちの様子がひたすら面白く描かれていて、最初から最後までゲラゲラ笑える作品であったりもする。屋敷の庭にネコが出たからといって「ネコというのはこの世で最も恐ろしい動物だ!奴らを追い出す方法を学べ!」と父親に命じられてイヌの鳴き声を必死に練習するシーンとかは大爆笑ものですぜ。ダンスのシーンもすごかったな。

子供たちの性的な目覚めを反映した、結構きわどいシーンも多いのでそのまま日本で公開されるかは非常に疑問だが、多くの人に見て欲しい衝撃的な映画でありましたよ。

あと次女を演じる女の子がすごく可愛かった。

「CATFISH」鑑賞


いまの時点でこの映画について書くことはすべてネタバレになりそうな気がするので、以下は白文字で書きます:

ニューヨークで写真家をやっている青年ヤニフのところに、アビーという6歳の少女が彼の写真をもとにして描いた絵がある日送られてくる。それがきっかけでヤニフとアビーはフェイスブックを通じた交流を行うようになり、さらにアビーの母のアンジェラや姉のミーガンとも仲良くなり、特にミーガンとは遠距離恋愛めいた仲になるヤニフ。彼はアビーの一家との交流を描いたドキュメンタリーを作ろうと、兄たちとともに出来事を撮影していくのだが、ミュージシャンだと自称していたミーガンの曲が他人のものであることに気付く。これで彼女やアンジェラの言うことに疑惑を抱いたヤニフたちは、ミシガンにある彼女たちの家を訪れることにするのだが、そこで彼らを待っていたものは…というようなドキュメンタリー。音楽をディーヴォのマーク・マザーズバーが担当してた。

アートに関するドキュメンタリーっぽく始まって、中盤はサスペンスかホラーか?と思わせときながら、最後はSNSサービス時代の人間関係についてのドラマで終わるという、なかなか一筋縄ではいかない作品だったよ。トレーラーなどではホラーであるかのような宣伝をしてるけど、まったくそういう作品ではないのでご注意を。俺も障害者の兄弟が出てきたあたりでは「悪魔のいけにえ」みたいな展開になるのか?と思って身構えたけどね。

サンダンスでの初公開時から「これは偽ドキュメンタリーではないか?」という疑惑が絶えなかった作品で、いまでも世論は二分されているみたい。確かにヤニフの言動がやたらカメラ慣れしていたり、突発的な海水浴のシーンでもちゃんと防水カメラが用意されてるなど怪しい要素はいくつかあるんだが、個人的にはこれは真っ当なドキュメンタリーだと思う。もし偽のドキュメンタリーだとしたら前述の障害者たちをかつぎ出したことについて製作者たちは相当な社会的制裁を受けることが明らかなわけで、それだけのリスクを冒す意味がないと思うので。

こうした宣伝のギミックや話の真偽にまつわるハイプが大きすぎるので、実際に本編を観たあとはどうしても肩すかしされた感が残るというか、この映画を観たことで得られるものは何なのかというと少し考えてしまう。フェイスブックやGoogleが出てきたことでこういう人間関係も生じるんですよ、ということを描いているという意味ではよく出来た作品なんだけどね。

繰り返すが、この映画のトレーラーはものすごくミスリーディングなものなのでダマされないように…。