「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」鑑賞

題名、「死んでる時間はない」よりも「死ぬ時ではない」という意味だった。以降はネタバレ注意。

  • ダニエル・クレイグ版ボンドの最終作品ということで、007映画にしては珍しく彼の今までの4作のストーリーをかなり引き継いだものになっているほか、「ドクター・ノオ」を意識したオープニング・クレジットからあの曲が流れるエンドクレジットまで、今までの007映画のオマージュが散りばめられた内容になっている。終盤の敵基地でのアクションは「2度死ぬ」か「私を愛したスパイ」、「ダイ・アナザー・デイ」あたりを連想させましたね。
  • そもそも前作「スペクター」でクレイグが降板する見込みがあったわけで、「アストン・マーティンに乗ってボンドは女と去る。あとは知らね。」というあの結末に、無理して続きをつけた感がなくもない。よって今回も続けてレア・セドゥがボンドガールを演じるという異例の展開になっている。以前は作品ごとにヒロインを取り替えてもお咎めなしだったのが、映画業界的にそれはどうよ、という流れになってきていて、「ミッション・インポッシブル」もそれの辻褄あわせにやけに時間を割いていたな。まあ前作のヒロインが続編で殺されるパターンの「ボーン」シリーズよりは健全なのでしょうが。
  • ブロスナン版ボンドの終盤でガジェットも敵の計画も世界規模の無茶苦茶なものになって、それをリセットして地味なスパイものに戻したのが「カジノ・ロワイヤル」だったが、作品を重ねるにつれてサイレンサー銃での暗殺がマシンガンでの銃撃戦になり、敵基地での壮大なドンパチになるアクションのインフレの流れはブロスナン版もそうだったし、前作「スペクター」でその傾向があったのでさほど以外ではない。ただ今回はテーマである「毒」というミクロな存在と、世界規模の陰謀のバランスが合ってない気がしたよ。
  • キャリー・フクナガの演出は可も不可もなし。ボンド映画最長の尺となったが特に中弛みもしない一方で、ものすごく印象に残るアクションやショットもなかったような。オープニングクレジット前からエンドクレジットの曲名が言及されたり、電車でマドレーヌと別れる際の彼女の手の位置とか、かなり分かり易い伏線が張られてましたね。あとアナ・デ・アルマス、もうちょっと出してほしかったな。
  • ラミ・マレック演じる悪役はチート級の強さというか組織を誇っていて、あなたその活動資金はどこから調達してるのよ、という説明は全くなかったけどまあいいや。今回は女性の00エージェントが登場するなどいろいろ時代の流れに配慮してる設定もある反面、ボンド映画のヴィランは顔に障害があるという、政治的に正しくない伝統を律儀に踏襲してまして、あれに対しては英国映画協会から助成金が出なくなったはずだが、助成金なしで映画作ったのでしょうか。
  • 悪役の組織に対するボンドの組織、ミサイル発射の権限持ってるのか?なんであんな場所に戦艦がいたんだ?
  • 海に沈んだ彼はやはりサメに喰われたのかな。
  • ダニエル・クレイグ作品の集大成にすることに気負いすぎて、無理なこじつけが感じられたり、スカッとする娯楽作品にもならなくてモヤモヤする点はあるものの、まあこれで1つの時代が終わったんだなという感はある。次作は主演も親会社も代わって、ブロスナンからクレイグに移行したとき以上のハードリセットがかかるのでしょうね。21世紀におけるジェームズ・ボンドの立ち位置というのは常に議論の的になるけど、彼は古き良き大英帝国の遺物という存在でもあるので、あまり時代にあわせずに、時代錯誤の象徴であっても構わないのではと個人的には思うのです。親会社の都合で、ガジェットをアマゾンに送ってもらうボンドが登場しなければ良いのだけど。

「クライ・マッチョ」鑑賞

HBO MAXが半額セールやってたのでまた加入した。まあ「デューン」も「マトリックス」も劇場に観に行くつもりなのであまりメリットはないのだが。クリント・イーストウッドの映画って個人的に波長が合わないところがあって、最近の「リチャード・ジュエル」とか「運び屋」は観てません。

91歳にしてイーストウッドが監督・主演を務めた作品だが、早撮りのスタイルは相変わらず健在で、特に冒頭はガンガン話が進んでいく。元ロデオの花形選手だったマイク→友人の依頼を受けて友人の息子ラフォを探しにメキシコに行く→息子の母親は裕福だがズボラで息子の居場所を知らない→マイク、すぐさま息子を見つけ出す→マイクとラフォの旅が始まる、という流れ。そもそも91歳の爺さんがそんな危なっかしい依頼を引き受けるか?と言ってはいけないのでしょう。息子の母親がマイクに色目を使ってきたりするので、劇中のイーストウッドというかマイクは60歳くらいの気分でいるのかもしれない。

ドワイト・ヨーカム演じるマイクの友人は冒頭から説明口調でメキシコ行きを依頼するし、ラフォの母親もテレノベラに出てきそうな紋切り型の金持ちメキシカン、ラフォは育った環境のせいでグレてるが心は純情な少年、とかなり登場人物の設定が薄っぺらいのも気になったよ。

とはいえやはりイーストウッドに人を惹きつける力があることは確かで、周囲がどんなに下手な演技をしてても彼自身は魅力的だし、マイクとラフォがアメリカに戻る長旅を始めてからはロードムービーとして結構楽しめる内容になっていた。ただしラフォに人生を教える良き老人というだけでなく、メキシコの村の住民のトラブルも解決してあげる人気者になってしまうあたり、おいしい役を独り占めしすぎてやしませんか。映画における「白人の救世主」ってやつ?脚本は最近のイーストウッド作品を手掛けているニック・シェンクだが、トム・クルーズ作品におけるクリストファー・マッカリー的というか、良い脚本というよりもスターを立てるための脚本を書いてるような。

マイクはいちおうカウボーイという設定なので、「許されざる者」以来のイーストウッドのカウボーイもの、という見方もあるようだけど舞台が1970年代なので西部劇ではないわな。少年と老人の交流の物語、という点では「グラン・トリノ」に近いがあそこまで傑作ではない。というかイーストウッド作品としてはあまり評価が高いほうには入らないのだろうが、たぶんこれが遺作にはならず、あと数本は世に送り出すような気がする。荒馬に明らかに本人が乗ってないとか(寄ったショットがない)、後ろからやってくる車に誰も気づかないといった雑な描写もぜんぶ引っくるめて、我々はただもうイーストウッド御大の作品として受け入れればいいのだ。

「ファウンデーション」鑑賞

過去にはローランド・エメリッヒが映画化、とかいろんな話の出ていたアイザック・アシモフの「ファウンデーション」がついにApple TV+で映像化。わたくし小学生のときにジュブナイルSFで「鋼鉄都市」を読んで以来のアシモフのファンでして(学校の読書感想文も提出した)、「ファウンデーション」シリーズやR・ダニール・オリヴォーのロボットシリーズなど一通り読んでいるのであります。

それで「ファウンデーション」を映像化するにあたって恐らく一番の問題となることは「話に主人公がいない」ことでして、確かに前日譚の「ファウンデーションへの序曲」と「ファウンデーションの誕生」はファウンデーションの設立に奮闘する心理歴史学者ハリ・セルダンが主人公だし、続編の「ファウンデーションの彼方へ」と「ファウンデーションと地球」はゴラン・トレヴィズが実質的な主人公だけど、このシリーズを世に知らしめたオリジナル三部作(「ファウンデーション」「ファウンデーションと帝国」「第二ファウンデーション」)は基本的に群像劇であり、セルダンの遺したセルダン・プランに沿って銀河帝国滅亡後の暗黒時代を乗り切ろうとするファウンデーションという集団の数百年にわたる物語なのですよね。ファウンデーションの市長や住民の話はいろいろ出てくるけど、主役はあくまでもファウンデーションそのものであって特定の個人ではないというか。

とはいえ映像化するとやはり誰か主人公がいたほうが視聴者は感情移入しやすいわけで、今回主人公に選ばれたのはやはりハリ・セルダン。しかしセルダンって三部作では冒頭にちょっとしか登場しないし、ファウンデーションが設立される辺境の惑星ターミナスには足を踏み入れもしないわけで、セルダンの時代に話をもってくることでその何十年後から始まるファウンデーションの話が語られないのでは、という懸念があるのよな。いちおう第1話ではセルダン亡き後の話として市長のサルヴァー・ハーディンなども登場してたので、セルダンの時代とハーディンの時代が並行して描かれていく形になるのかな。個人的にはシリーズの最大の特徴である、セルダンのホログラムが定期的に登場してファウンデーションの今後の予定を述べる「時間霊廟」をとっとと出して作品を印象付けたほうが良かったと思う。

まあ当面はハリ・セルダンおよび銀河帝国の首都トランターに焦点をあてた話が続くのだろうが、トランターの描写は原作のイメージっぽいかな。建物や人々の衣装とか、コテコテのレトロSFっぽくて「スター・ウォーズ」エピソード1〜3の惑星コルサントを連想させる。銀河皇帝の巨大像とかやりすぎのような気もするけど、「ファウンデーション」自体が「ローマ帝国衰亡史」を元ネタにしてるのでローマ帝国風のデザインにしたのですかね。宇宙船が超光速ジャンプするときに乗員が睡眠状態にさせられるが、原作はそんな設定なくてもっと簡単にジャンプしてなかったっけ?あと原作にはあまりなかった宗教の要素がずいぶん付け加えられているみたい。

製作・脚本はデビッド・S・ゴイヤー、なので原作にいろいろ手を加えてくるのでしょう。原作では殆ど登場しなかったセルダンの助手ガール・ドーニックが女性キャラになって大きな役割を与えられているほか、銀河帝国皇帝が年齢の異なる3人のクローンという設定になっている。ここらへんトランターの物語を膨らませるための脚色だろうけど、重要人物のエトー・デマーゼルが女性になってるのがよく分からんな。まさか話のヒロインになったりしないよね…?

セルダン役にはジャレッド・ハリス。「チェルノブイリ」に続く一匹狼の科学者役ですな。銀河皇帝(の一人)役にリー・ペイス。帝国の検察官役にジュリアン・ベシアことアレキサンダー・シディグが出てたが1話だけの登場かな?あとはまあり知らない役者ばかり。

まあ原作のファンとしてはいろいろ言いたいこともあるのだけど、あの作品を映像化する大変さは理解できるし、ぜひ成功してもらいたいとは思うのですね。第1シーズンは10話で構成されるのかな?アップルも大金を費やしてるので第2シーズンも製作されるとみなして、そしたら主役を替えてアンソロジー形式にして、ファウンデーションを打ち負かすザ・ミュールが登場して…という展開になってもオッケーよ。個人的にはアシモフがネタに詰まって続きを書けなかった「ファウンデーションと地球」の終わり方には必ずしも満足してないので、あれの続きを描いてくれたって良いのだが、まあ無理だろうな。

「MY SON」鑑賞

地上波放送では史上最低の視聴率を叩き出した東京オリンピックに続いて、米PEACOCKが送る(って前に書いたね)オリジナル映画。クリスチャン・カリオン監督がフランスで撮った「凍える追跡(Mon Garcon)」を自分でリメークしたものだそうな。

舞台は荒凉としたスコットランドの山間部。別れた妻から、彼らの息子がキャンプ場で行方不明になったとの連絡を受けたエドモンドはひとりスコットランドに戻り、元妻や警察から現場の状況や捜査の具合などを聞く。しかしロンドンの警察本部からの謎の圧力により地元の警察の協力が得られなくなったことから、エドモンドは自分で捜査を行い息子を見つけ出そうとするのだったが…というあらすじ。

実のところサスペンスとしてはかなり凡庸なつくりで、TVシリーズの刑事ドラマのほうがもっとプロットが面白くないか?と感じてしまう。主人公が中東で石油ビジネスに関わってることが明かされて、息子の誘拐がそれに関連してるのではないかという話も出てくるものの、なんか中途半端に終わってたし。

じゃあこの作品の特徴は何かと言うと、予告編でも紹介されてるが、主人公のエドモンドを演じるジェームズ・マカヴォイに「一切脚本が渡されてない」ことなんだそうな。ほかの役者は脚本どおりに役を演じているなか、マカヴォイは即興で演技をしてセリフを話し、事件の新情報をその場で知り、自分で謎を解決していかなければならない、という設定のようです。もちろん謎解きゲームではないのでマカヴォイはあくまでも役に乗っ取って演技をしていかなければならず、「スペースボール」みたく「凍える追跡」のDVDをレンタルして結末を知る、というチートは残念ながら行っていなかった。

即興劇というとコメディで演じられる場合が多いが、サスペンスで使われるのは珍しいかな。ただし主人公の職業などといった設定は事前にいろいろ決められているのだろうし、エドモンドが突然人をぶん殴る展開なんかを観ると、ある程度の打ち合わせはあったんじゃないのかと勘繰ってしまう。マカヴォイも劇中で新しい事実を知っても、眉間にシワを寄せて「何!?」と反応してるだけであまり頭を使ってるように見えないし。これ新情報というか手がかりにマカヴォイが気づかずスルーしてたらどうしてたんだろうな。

全体的にプロットに、マカヴォイが演技できる幅というか「遊び」が与えられていて、こういう作品に本来求められるべきである、緻密に練られた脚本が欠如しているのは致命的なんじゃないか。即興の演技は嫌いじゃないけど、サスペンス作品の場合は、完成している脚本に味付けをする程度の役割を果たすべきでは。全編ワンショット撮影の「ヴィクトリア」を観た時も思ったけど、撮影時のギミックが結果的にその作品の面白さに貢献してないと、それ使った意味がないよね、とつい考えてしまうのです。

出演者はマカヴォイのほかに元妻役にクレア・フォイ。スコットランドの寒々しい山と自然の風景は個人的にとても好きで、このようなサスペンス作品にはよく似合うと思ってたので、脚本の緩さがいろいろ残念な作品であった。

https://www.youtube.com/watch?v=kRDXnNwbP2I&t=116s

「Y: THE LAST MAN」鑑賞

ブライアン・K・ヴォーン&ピア・グエラによるDC/ヴァーティゴの同名コミックを元にした、HULU/FXの新シリーズ。この著作権はクリエイターに属してるので、DCコミックス作品とはいえワーナー製作ではないみたい。原作が人気作品なのでずいぶん前から映画化の話などがあったものの、TVシリーズ化は主演が変わったり(バリー・キオーガンが演じる予定だった)ショウランナーが降板したりとグダグダしていたのだが、この度やっと完成したことになる。

話のプロット自体は極めてシンプルで、ある日突然、世界中の男性および動物のオスが謎の病気にかかって死んでしまう。世界には女性だけが残されて混乱を極めるものの、なぜかヨリックという青年および彼のペットの雄ザル「アンパーサンド」だけは生き残っていた。この貴重な生き残りであるヨリックの存在はアメリカ政府内でも極秘扱いされ、ヨリックは護衛のエージェント355とともに、彼が生き残った理由を突き詰める旅に出るのだった…というあらすじ。

男性およびオスがみんな死んだ、というのはつまりY染色体を持った生物が絶滅したということで、タイトルはここから来ている。主人公の名前のYORICKもこれにかけてるんだろうな。原作はヨリックのガールフレンドがオーストラリアに留学中という設定で、ヨリックは彼女に会おうとするロードムービー的な要素があり、終盤ではコギャルが跋扈する日本に行ったりもしてたが、こっちはガールフレンドがまだオーストラリアに向かう前になっている。また原作ではヨリックの母親はワシントンDCの議員だったが、TV版では大統領の継承権を持った男性がみんな死んだために彼女が大統領に就任したという設定になっていて、政治ドラマの要素にも重きを置いているみたい。

というかコミックが原作の作品にしてはやけに話の展開が遅くて、第1話は大災厄に至るまでの各登場人物のあらましがバラバラに紹介され、第2話でヨリックが母親に再会し、第3話でやっとヨリックとエージェント355が旅に出る、という展開なので、これからロードムービーっぽくなるのか、引き続き政治ドラマが描かれるのか、よく分からんのよな。なおヨリックはアマチュアのエスケープ・アーティスト(脱出系マジシャン)で、この才能が捕まったときにいろいろ役立つのだが、TV版ではいまのところその才能を発揮するシーンがないみたい。

主人公のヨリックを演じるのはベン・シュネッツァー、って「パレードへようこそ」のマーク・アシュトン役の人か。ヒゲ面になったので分からなかったよ。しかしクレジット上では彼の母親を演じるダイアン・レインがトップになっていて、これから察するにやはりヨリックの話だけでなくアメリカ政府の話が、これからもずっと描かれていくのかな。あとは前大統領の娘役でアンバー・タンブリンが出てたりします。

コミックだとあまり気にならなかったが、出演者のほぼ全員が女性という出演ドラマって結構もの珍しさを感じますね。ついでにショウランナーや監督も女性だし。この設定を活かして、ヨリックの物語というよりも世界を再び再興させようとする女性たちの物語にしたほうが面白そうな気もするが、今のところはあまり社会的なコメンタリーはないみたい。しかし今後は原作にない、トランス男性のキャラクターも登場するそうで、ジェンダースタディー的な内容になっていくのだろうか。

プロットの脚色、というよりも映像化があまり上手にできてない印象を受けたが、ヨリックたちが旅に出たことでこれから面白くなるかもしれないのでとりあえず評価は据え置く。コミックの最終回は非常に好きなエピソードなので、あそこまで無事にたどり着いてくれることに期待します。