「X-MEN: ダーク・フェニックス」鑑賞

海外でちょっと先に観てきてしまいました。以下はいちおうネタバレ注意。

  • 「ダーク・フェニックス・サーガ」といえばコミック史上に残る有名なストーリーラインだが、ヒーローが強大な力を手に入れたことで悪に転じて、悲劇的な結末を迎える…というストーリーは必ずしも娯楽大作向けではないと思うのですね。コミックにおいても「本物のジーンは海の底で寝てました」とレトコンされてるし、映画でもすでに「ファイナル・デシジョン」で一回やって、あまり面白くなかったし。「アポカリプス」もそうだったが、あまりコミックに沿わないほうが劇場版「X-MEN」は面白いのではないか。
  • 製作時はまだディズニーによるFOXの買収は影響なかったと思うけど、それでも何というか、フランチャイズの末期の疲れみたいなものが感じられる内容になっている。せかしたプロット、拘束時間が短かったのか途中退場する出演者などなど。
  • 映画作りでいちばん避けるべきことは「共感できるキャラクターが誰もいない」状況を作ってしまうことだと思うのだけど、この映画の前半はまさしくそんな感じ。プロフェッサーXは大衆の人気を得るために大統領に媚びへつらってX-MENを顧みないし、ジーンはどんどん悪に転じていくし、他のキャラクターはあたふたしているだけだし。せめて敵キャラがもっと魅力的だったら助かったのだが。
  • とはいえ役者陣が手堅いのは救いで、マカヴォイにファスベンダー、ローレンスといった有名どころが揃って出演しているのはそれでも見応えがあるんじゃないかな。最後の列車のクライマックスとかそれなりに盛り上がったし。ジェシカ・チャステインは別に彼女でなくても良かったんじゃね?と思いますが。
  • 来年の今頃にはマーベル傘下になった新たなX-MENのキャストが発表されて話題になってるんじゃないかと思いますが、FOXのX-MEN(あとライミのスパイダーマン)こそが今のスーパーヒーロー映画のブームを築くもとになった作品だと個人的には考えているわけで、これだけジャンルに貢献したフランチャイズが、このような凡作でひっそりと終焉を迎えることは寂しくて仕方がないのです。ちゃんと劇場公開されただけ「ニュー・ミュータンツ」よりもマシなのだろうけど。

機内で観た映画2019 その1

先週と先々週にと出張が続いて体がダルくて仕方ないのですが、忘備録的に感想をざっと:

  • 「THE BOY WHO WOULD BE KING」:ジョー・コーニッシュの待望の新作ですが日本では例によってソフトスルーだそうな。普通の少年がアーサー王の再来となって活躍する冒険譚だがストーリーは比較的凡庸というか先が読めるものであったような。「ドクター・フー」の特番くらいの出来というか。若きマーリンを演じたアンガス・イムリーという役者がエキセントリックでいい演技をしていて、またどこかで見かけるんじゃないかと。「アタック・ザ・ブロック」並みの出来を期待していると失望するであろう作品。
  • 「FIGHTING WITH MY FAMILY」:これ監督がスティーブン・マーチャントなんだよな。でも前に監督した「CEMETERY JUNCTION」みたいなキッチンシンク的な家族ドラマになっているわけでもなく、WWE製作によるWWEのプロパガンダ映画みたいになっている。WWEのプロレスラーになった少女の物語だけど、WWEがすごく良いところのように描かれているのですもの。ニック・フロストとか出てるし、そんなに悪い作品でもないのだけどね。主人公が最後までマイクパフォーマンスが下手だったような。
  • 「FREE SOLO」:ナショジオ製作だからかテレビ番組のジャンルに入ってたが、れっきとしたアカデミー賞受賞映画ですがな。ヨセミテ公園の絶壁エル・キャピタンを初めてフリーソロ(道具なし)で登攀したアレックス・ホノルドのドキュメンタリーだが、最初の1時間くらいは地上にいる彼の暮らしを追ってるので、ジミー・チンの前作「MERU」みたいな緊張感はなし。しかしいざ彼がエル・キャピタンを登るところになると、頭のおかしいような光景がいろいろ出てきて流石に圧倒される。あとホノルドのガールフレンドが俺の好きなポルノ女優によく似ていて、なんか羨ましいと思いました。
  • 「レゴ ムービー 2」:前作はそのメタなオチで皆をアッと言わせた作品だったが、続編はじゃあどうするのかというと、そのオチをそのまま引っ張っておりました。でも最初から仕掛けがわかっているとあんまり楽しめないのよ。いっそ前作の設定を捨ててレゴの世界に特化した話にしたほうがよかったんじゃないだろうか。

「CHERNOBYL」鑑賞

非常に高い評価を得ているHBO/SKYのミニシリーズ。第1話が無料公開されてたのでVPNをゴニョゴニョと。

その名の通り1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故の出来事を追った内容で、原子炉の爆発とその対応がスリリングに描かれている。爆発自体は冒頭に地味に起きる感じで、遠く離れた家が衝撃で揺れて、発電所からチェレンコフ光が見えているという描写。

そこから舞台は発電所の中に移り、職員たちが「いま何が起こった?」と焦るなか、原子炉を囲っていたグラファイトの破片が敷地内に散らばっており、なんかヤバいことが起きてるよね、というのがジワジワと明かされてくる展開はまさしくホラー。放射能測定器の針も振り切れているものの誰もそれを信じず、半ば崩壊した建物を散策するうちに職員たちは被曝によって顔が赤くなり、出血して倒れていく。露出して死の灰を撒き散らしながら燃えさかる原子炉が発見されるシーンなんてコズミックホラーのようでした:

第一話は事故によってみんなあたふたしている感じでしたが、今後はなぜ事故が起こったのかという説明と、身を挺して被害を防ごうとする人たちの話が中心になってくるみたい。何も知らずに消火にやってきた消防隊員たちがバタバタ倒れている一方で、事故を巻き起こしたとされるディアトロフ副技師長なんかは被曝してるのに事故後も10年くらい生きてたようで、ロシア人はどれだけ丈夫なんだよ!

ディアトロフをはじめ登場人物はほとんどが実在の人物で、事故の調査にあたり、後に自殺したヴァレリー・レガソフが話の主人公のような扱いになっている。ゴルバチョフも出てくるよ。

出演はジャレッド・ハリス、ステラン・スカルスガルド、エミリー・ワトソン(彼女の役は架空のキャラ)、バリー・キオガンなどなど。比較的地味な(失礼)役者たちを使うことで、物語がドキュメンタリーっぽくなっているというか。出演者のセリフは当然ロシア語でなく英語だが、ロシア訛りなどは使わずに全員イギリス英語(アメリカ人俳優は出演してない)で話すことで、アクセントが気にならずにストーリーに没頭できるようになっている。

全5話を監督したのは「ブレイキング・バッド」なども手がけたヨハン・レンク、脚本家およびクリエーターのクレイグ・メイジンは「最’狂’絶叫計画」「最終絶叫計画4」「ハングオーバー! 2&3」の脚本家…って全然違うジャンルじゃん!しかしこの作品の執筆にあたって入念な調査をしたようで、それが半端ない臨場感に現れているのではないかと。

メイジン曰く、フェイクニュースにあふれた現在の状況がこのシリーズを執筆する発端になったそうで、劇中でもソビエト政府が情報を抑圧して事故の深刻さを隠蔽しようとするし、レガソフにも余計なことを言わないように圧力をかけるシーンが登場する。日本でも福島の原発事故の時に官邸とどんなやりとりがあったのかは今でも論議の的だし、そこらへんは変わらないのかな。

まあ日本人としては観てると福島の原発事故がどうしても連想されてしまうわけで、個人的にはチェルノブイリと福島って別物だと思うのですが(後者は炉が露出したわけではないし、直接の死者もいない)、まあいろいろ考えてしまいますね。これ日本で放送するのかな。

高い評価を受けているのも頷ける、非常によくできた作品。全話を観てみたいと思わせる出来でした。

「CATCH-22」鑑賞

米HULUで始まった、ジョーゼフ・ヘラーの同名小説が原作のミニシリーズ。

第二次対戦中、イタリアの孤島に陣を構えてイタリア本土に爆撃を繰り返すアメリカ空軍の基地を舞台に、戦争における正常性の消失と狂気の台頭を風刺的に描いた原作は今でも根強い人気を誇る小説なわけですよね。おれ学生の時に読んで強い感銘を受けて、そのまま続編の「CLOSING TIME」を原書で読んでそのツマらなさにガッカリしたのも今となっては良い思い出です(あれホント読まないほうが良いよ)。

過去に1970年にマイク・ニコルズによって映画化されていて、かなり原作をはしょっていたものの、あれはあれでよく出来た作品だったと思う。今回のは6話のシリーズということで尺は長いものの、意外と原作と相違があるような?

原作は一貫としたプロットがあるわけではなく、「牛乳配達」と呼ばれる定期的なイタリアへの空爆を繰り返すうちに兵士たちがジワジワとおかしくなっていく、言うなればダウナー系の作品であったが、それに比べるとTVシリーズ版は若干早急な作りになっているかな。特に主人公の爆撃手ヨッサリアンが、とっとと任務を終えて除隊しようとするさまがドタバタ喜劇っぽく描かれているというか。

ブラック企業のノルマのごとく、任務を完了したとみなされる出撃回数の目標がいつの間にか上がって永遠に達成できそうにないなか、病気を装ったり気が狂ったふりをして除隊しようとするヨッサリアンの前に立ちふさがるのが、かくも有名なキャッチ22こと「自分が気違いだと申請した者はすぐに除隊できる、ただし自分が気違いだと申請する者は気違いと認めない」という規律である。原作(と映画版)に比べて今回のヨッサリアンはキャッチ22のことを知って驚愕するなど、なんとなく全体的に若い感じがする。

まだ数エピソードしか観ていないが、意外なのは原作の主要なプロットである「スノーデンが床にぶちまけた秘密」がまだ登場していないこと。原作だとそれを経験したヨッサリアンがいかに人が変わり、果たして彼が目にしたものは何だったのか、というのが最後に明らかにされるわけだが、あれそのまま最後に持ってくるのかな。

そのヨッサリアンを演じるのがクリストファー・アボット。彼が主演した映画「James White」って評判よかった気がするがまだ観てません。あとはプロデューサーのジョージ・クルーニーが軍の中尉を演じているほか、ヒュー・ローリーやカイル・チャンドラーなどが出演している。

俺の好きなキャラクターであるメイジャー・メイジャー・メイジャー少佐は原作だとヘンリー・フォンダに生き写しで、役者を引退したフォンダ本人が従軍しているのではと噂されてるほどだが、残念ながら映画版に続いて今回もフォンダに似てない役者が演じています。また戦争においてあらゆることを金儲けのタネに使おうとする舞ロー・マインダーバインダーは風刺の点からするとヨッサリアン以上に重要なキャラだが、TVシリーズではそこまで大きく扱われてはいないみたい。

小説はいま読んでも十分面白い一方で、いまそれを映像化して何の風刺になるのかな?という気がしなくもない。第二次大戦なんて現在の戦争のスタイルとは大きく異なってしまったし、特に政権やメディア批判につながっているわけでもないし。そういう意味ではどうも目的が曖昧な作品になってしまったのかも。とはいえ原作のファンとしては全話観るつもりであります。

「Batman & Bill」鑑賞

いまちょっとVPNをゴニョゴニョしてアメリカのHULUに加入してまして、いくつか観たかった作品をチェックしているのでございます。そのうちの1つがこれで、バットマンの知られざるクリエイターであるビル・フィンガーにまつわるドキュメンタリー。

バットマンのクリエイターといえばアートも担当したボブ・ケイン(写真左)が有名だし、コミックも映画も長らくケインのみが唯一のクリエイターとしてクレジットされていたが、実際のキャラクター設定などはケインの友人だったビル・フィンガー(写真右)が行った、というのはアメコミファンのあいだで長らく語られてきた話でありまして、ここらへんは明確な証拠などは存在しないものの、ジェリー・ロビンソンやカーマイン・インファティーノといった同時代のアーティストが証言していることだし、ケイン自身もフィンガーの死後にしれっと認めてたりするのでまず間違いないのでしょう。

ケインの当初のデザインでは凡庸な格好だったバットマンを闇の騎士としてのデザインに変え、ジョーカーやリドラー、ブルース・ウェインといったキャラクターを生み出していったのが実はフィンガーであることが、このドキュメンタリーでは語られていく(ここらへんロビンソンの貢献もあったはずなので、あまり明確ではないのだが)。

ボブ・ケインはアーティストとしてよりもビジネスマンとして腕のたつタイプであったようで、DCコミックスには彼が唯一のクリエイターであると伝え、他のアーティストがバットマンを描くようになっても自分の名前のみを作品にクレジットさせ、そして60年代にアダム・ウエスト主演のTVシリーズが爆発的人気を博したことで彼の名前もコミックファン以外にも知られるようになる(実はフィンガーがTVシリーズ版のエピソードを1つ執筆していたことは知らなかった)。彼がDCコミックスとの間に「バットマンのクリエイター表記には自分の名前のみを載せること」という契約を結んだ、というのは長らくファンのあいだで語られてきた話だが、その契約が実際に存在するのかはこのドキュメンタリーでも明らかにされない。

一方のフィンガーはコミック以外の文章なども書いて細々と糊口をしのぐ有様で、ケインが手にした名声とは無縁の生活を送っていた。それでも初期のコミコンのゲストに招かれ、当時のファンジンに彼がいかにバットマンに貢献したかというコラムが載せられたものの、ケインがそれに反論する手紙をそのファンジンに送っていたりして、まあケインはフィンガーによる貢献の事実を明らかに否定しようとしてたようです。そうしてフィンガーは家賃も払えぬまま、ニューヨークのアパートで1974年にひっそりと孤独死し、墓碑もない墓に葬られてしまう。

これらの話はアメコミのファンならば比較的よく知られているもので、ジャック・カービーや「スーパーマン」のシーゲル&シュスターなど、コミックのクリエーターが出版社から満足な扱いを受けなかった話は他にもあるのだが、このドキュメンタリーは単にフィンガーの紹介をするだけでなく、作家のマーク・タイラー・ノーブルマン(写真上)の活動を追っていく。

子供向けの本を執筆しているノーブルマンはフィンガーと彼が受けた不遇のことを知り、彼の名誉を回復させるために積極的な調査を行なっていく。その一環としてフィンガーがかつて住んでいたアパートを訪れたり、近所のフィンガーという姓の人にかたっぱしから電話したりして、なんかストーカーと勘違いされそうなこともやってるのですが、すごくいい人そうなんですよノーブルマンさん。ちなみに彼はこの調査をもとにフィンガーの伝記も書いています。

どうもアメリカの法律では、フィンガーがバットマンのクリエイターでもあるよ、と主張するのは親族が行わないといけないらしく、ノーブルマンはフィンガーの子孫を探しに奮闘する。2度結婚したフィンガーは最初の妻との間に息子のフレッドをもうけていたが、フレッドはゲイであり1992年にエイズで亡くなっていた。

こうしてフィンガー家の血筋は絶えたかのように思われたが、フィンガーの妻の親族と話したところ、実はフレッドは一度結婚しており、アシーナという娘がいることが判明、ノーブルマンは早速彼女に会いにいく。そして彼女(とその母親)の口から、フレッドも彼なりに父のビルのことを想っており、バットマンのクリエイターであることを認めてもらおうと過去にDCコミックスを何度か訪問していたものの、願いは叶わなかったことが明かされる。

しかし当時に比べてバットマンはDCコミックス、さらにはワーナー・ブラザースにとって非常に重要なフランチャイズになっていた。よって企業としても余計な訴訟は避けたいこと、そしてノーブルマンの活動も功を奏して、アシーナは映画のプレミアに招待されたり、ワーナーから貢献料を払われたりする。これを見て、DCコミックスいいことやってるね!と一瞬思うのですが、そのうち彼女のもとには、バットマンに関する一切の権利を放棄するよう求める手紙がワーナーから送られてきてしまう。

これに不満を感じた彼女は、ワーナーと交渉することを決断。あまり著作権の定義とかよくわからないのですが、ビル・フィンガーがバットマンの創造に関わったことは明らかであることなどからワーナーが折れる形になり、バットマンの誕生から80年近く経ってから初めて、フィンガーがバットマンの共同クリエイターとしてクレジットされることが認められ、その後公開された「バットマン vs スーパーマン」でフィンガーの名前が出てくるのをノーブルマンが見つめるところでドキュメンタリーは終わる。

バットマンの知られざるクリエイターをただ紹介するだけのドキュメンタリーかな、と思ったら後半は一人の男性の根気強い活動の話になり、それが実際に物事を変えるという展開は見ごたえのあるものでした。バットマンに限らず、アメコミのキャラクターってクリエイターが誰だか明確にされていないものが意外と多いので、これが状況の改善につながっていくといいなと。劇中ではケヴィン・スミスやロイ・トーマスに加えてなぜかトッド・マクファーレンがインタビューされていて、ニール・ゲイマンと著作権であれだけ争ったお前が何を言うか、という感じでしたが。

あとはね、クリエイターを自認する人たちは子孫作っといたほうがいいよ、という重要性が感じられる内容でした。ゲイでも子供つくっておけば、あとで印税がっぽり貰えるかもしれませんから!