「GREENBERG」鑑賞


「イカとクジラ」のノア・バームバック監督最新作。

神経衰弱のため精神病院に入っていたロジャー・グリーンバーグは、LAに戻ってきて兄夫婦の家に泊まることになる。そこで兄のアシスタントであるフロレンスと出会い、2人は恋仲になるのだが、グリーンバーグの排他的な性格が災いして、なかなか2人の関係は進まず…というようなお話。

そもそも25歳の娘が40歳の男と出会ってすぐに恋仲になるか?という最大の疑問はまあ忘れよう。主人公のグリーンバーグは人付き合いが苦手で、企業や役所に苦情の手紙を送るのが趣味で、不快なことがあるとすぐ友人や恋人に怒鳴り散らすような最低の奴なんだが、それでもどこか繊細な部分があって、心に不安を抱えている姿をベン・スティラーが好演している。彼とは対照的に明るくて人に好かれるフロレンスを演じるグレタ・ガーウィグの演技も素晴らしい。

これで主人公が20代とかだったら典型的なサンダンス系映画になるんだろうが、40歳だというのが結構ポイントで、親友に再会しても昔に組んでいたバンドのことしか話せず、何もしてないことから同世代の人には「あなたその歳で度胸あるわね」とまで言われ、かといって若い世代とも話が合わず、人生が空回りしている姿には共感できるところがあった。

決して退屈な映画ではないけれど、話の起伏が少ないため万人向けの作品ではないかな。また「イカとクジラ」のほうがキャラが立っているという意味では面白かったかもしれない。あとサントラをLCDサウンドシステムのジェイムズ・マーフィーが担当してるけど、あまりLCDっぽい曲は使われてなかったような。

30〜40代の人に観てもらいたい、小ぢんまりとした良品ですよ。

「HOT TUB TIME MACHINE」鑑賞

その題名およびストーリーのアホらしさがアメリカでは公開前から話題になり、エド・ヘルムズ同様に「デイリーショー」出身であるロブ・コードリーが出てることから、第二の「ハングオーバー」になるか?と期待されてたんだけど、いざ公開されたらすぐに失速してしまった感のあるコメディ。でもあまり期待せずに観たら結構面白かったよ。

LAに住むアダムはさえない中年男性で、ガールフレンドに振られてばかりのロクでもない人生を送っていた。彼の幼なじみであるルーとニックも同様に不遇な暮らしをしており、気分転換をしようと考えた彼らはアダムの甥のジェイコブを連れて、かつて彼らが80年代に乱痴気騒ぎをしたスキー・リゾートへとやってくる。しかし昔は栄えていたそのリゾートはすっかりさびれており、さらに彼らは暗い気分になってしまう。とりあえず部屋の外にあるホットタブは使えるということで、そこに入って酒を飲み明かす4人。しかしそこで原因不明の事故が起き、彼らは1986年の過去にタイム・スリップしてしまう!ここで過去を改変して未来に影響を与えてはいけないと考え、過去のとおりに1日を過ごそうとする彼らだったが、物事は予想もつかない展開を迎え…というのが大まかなプロット。

笑いのネタは90%くらいが「80年代ってカッコ悪かったよね〜」というスタンスに基づいたものなので、まあ30代以上の人じゃないと観てもウケないんじゃないのかね。その他は下ネタばかりだし、脚本を練ればあと2割くらいは面白くなったんじゃないの、という気がしなくもない。でもなんか全体的に微笑ましい雰囲気があって嫌いにはなれないんだよな。どうにか人生をやり直そうとする中年男たちの姿が俺の心の琴線に触れただけなのかもしれませんが。

いちおう主役はジョン・キューザックなんだけどあまり目立ったことはしてなくて、ロブ・コードリーが完全に主役を食ったバカっぷりを見せてくれるぞ。俺は「デイリーショー」の頃から彼のファンなのであります。さらには脇役でクリスピン・グローヴァーが出ていて、相変わらずの怪演を披露している。2000年代に××だった彼が、80年代でいつそうなるのか?というギャグがね、ちょっとブラックだけど非常に面白いのですよ。しかし同じく脇役で出演しているチェビー・チェイスはあまり面白くなかったかな。

ラストも呆れるくらいに能天気だし、くっだらねーと思いつつも笑える映画であった。劇場で観るほどのものでは無いかもしれないけど、家で友達と一緒に観るのには適した作品かと。

「Batman: City of Scars」鑑賞

バットマンのファン・ムービーだそうな。映像がうまく埋め込みできなかったけど、こちらのサイトでフルに観ることができるぞ。

内容はアーカム・アサイラムから脱走したジョーカーが政治家の息子を誘拐したうえ、7月4日の祝日に惨事を巻き起こそうとするのをバットマンが阻止しようとするが…というようなもの。ジョーカーのほかにもハーレー・クインやミスター・ザズ、さらにはヴェントリロキストなんていうなかなか通好みのキャラクターが登場していた。あとクレジットによるとブラック・カナリーも出てるようなのだがどこにいたのか分からず。

アクションとかガジェットも凝っていて、遊園地での撮影などを見る限り結構金をかけて製作しているみたい。ただし約30分と比較的長尺のせいか、すこし話が散漫に感じられたかな。同じバットマンのファン・ムービーだったら、数年前に話題になった「DEAD END」のほうがクオリティは高かったかな(人それぞれでしょうが)。

こういう優れたファン・ムービーが作られると「ハリウッドの映画より面白い!」という意見を必ずといって目にするのだけど、バットマンの場合は「ダークナイト」という大傑作があるからなあ。特にヒース・レジャーのジョーカーを超えるジョーカーは今後出てこないと思うぞ。むしろ「デアデビル」とか「パニッシャー」あたりのファン・ムービーを誰か作ってくれないかな。

「アイアンマン2」鑑賞

やはりウォーマシンだよな。ソーのベータレイ・ビル同様に主役よりもカッコ良いデザインかと。アクション大作として楽しめる作品だし、監督も役者も手慣れた感じで作ってるようなところがあって安心して観てられる作品かと。ただし個人的には「1」のほうが面白かったかな。その理由を2つ挙げると:

・悪役(ジャスティン・ハマーとウィップラッシュ)がどちらもあまり強くないうえ、スタークの知らないところで仲違いとかしてるので緊迫感が感じられない。
・スカーレット・ヨハンソンのブラック・ウィドーが不要。最後のアクション・シーンとかは話の流れを散漫なものにしてしまっている。

というところかな。ちょっとストーリーが盛り上がりに欠けてたかと。前半でウィップラッシュに完膚なきまでにやられて、特訓して最後にやっつけるというベタな展開でも良かったと思うんだけどな。スーパーヒーロー映画って、オリジン話に時間を割く必要のない続編のほうが面白くなると思ってたんだけど(「スパイダーマン2」や「ダークナイト」)、「アイアンマン」に関しては「1」のスーツを作り上げていくまでの話が面白すぎたんだろうか。あと今回からジム・ローズを演じるドン・チードルはテレンス・ハワードよりも優れた役者だと思うけど、「ホテル・ルワンダ」あたりのイメージが強いのか物静かな印象がして、戦う軍人の役は似合ってなかったかな。

とまあ否定的な感想を述べたけど、それでも良く出来た映画であることは間違いないですよ。劇場で観る価値は十分あるかと。ちなみにロナート・ダウニー・Jr.は過去のドラッグ歴から日本への入国が禁止されてるらしいが(「1」の来日宣伝のときに引っかかって舞台挨拶のあと強制送還されたらしい)、いずれ「3」も製作されるだろうし、税関ももうちょっと寛容になってもいいと思うんだけどね。

「THE COMPLETE METROPOLIS」鑑賞

(注:以下はジョルジオ・モロダー版を含め2〜3のバージョンを観ている者の感想です。今回のバージョンでどの要素が追加されたか全ては把握してないのでご容赦を。あといちおうネタバレ注意。)

こないだのアメリカ出張において、どうにか時間をつくって幸運にも「メトロポリス」の完全版を劇場で観てくることができた。まず驚かされるのはリマスターされたプリントの美しさである。色のついたモロダー版やノイズの多かった廉価DVD版などとは違い、ノイズを徹底的に排除してモノクロの美しさを十分に引き出していると言えよう。特に印象的だったのは地下聖堂の暗闇のなかを逃げ惑うマリアに対してロトワングの持つライトがギラギラと当てられるシーンで、白と黒のコントラストが見事すぎて「ここの演出こんなにすごかったっけ」と再認識させられた場面であった。また今回のバージョンではストーリーが「Prelude」「Intermezzo」「Furioso」の3つのセクションに分けられ、話に緩急を与えている。

アルゼンチンで発見された16ミリプリントから起こされた追加シーンは最新の技術をもってしても完全な復元はできなかったらしく、画格が弱冠異なっているうえ、多くのシーンでは縦方向に無数のスクラッチが入ってしまい、人物の表情を読み取るのが困難なところもあったりする。しかし逆にこれによってどのシーンが追加されたのかが明確に分かるようになっているため、これらが追加されたことによって作品がどう変わったかを知る役には立つだろう。

追加されたシーンの多くは数秒程度のリアクション・ショットなのだが、これらが話のあちこちに挿入されたことによって登場人物の性格描写に深みを与えているといえよう。正直なところ、サイレント映画でリアクション・ショットがいかに重要であるかを実感させられた次第であった。特に変化が大きかったのはメトロポリスの主であるフレーダーセンで、以前のバージョンでは無感情で冷酷な人物だという感が強かったものの、ロトワングや息子のフレーダーとの会話などにおいて微妙に困惑した表情を浮かべるシーンなどが追加されたことで、とても人間味のあるキャラクターに変化したという印象を受けた。

新たに追加されたシーンはこの他にも長尺にわたるものが幾つかあり、序盤ではまずフレーダーと服を交換してタクシーに乗せられた労働者11811号(ゲオルギ)がフレーダーの部屋に向かうものの、歓楽街ヨシワラの魅力に屈してしまう過程がきちんと説明されている。地下の労働から解放されたばかりのゲオルギが、車道でバラ撒かれるヨシワラのビラを手にとり、横の車のなかにいる美女の目線に夢中になり、快楽の要求に負けてしまう描写は圧倒的。この車のなかの美女をはじめとして何人かの女性が新たに登場するのだけど、皆が娼婦のような格好をしているのが、質素なマリアとの巧みな対比を生み出していたといえよう。このあとゲオルギはフレーダーセンが息子の尾行につけた「痩せた男」につかまって尋問を受け、フレーダーに合わぬまま逃げ出してしまうのだが、後に暴徒のナイフからフレーダーをかばい、「私はあなたに忠実でした…」と呟いて命を落とすわけで、この追加されたシーンにより一人の男の堕落と贖罪が確立するのである。

そして新たに追加されたシーンによって最も深みが加わった人物は、何と言ってもこの「痩せた男」だろう。従来のバージョンではフレーダーセンの単なる召使いと見なされていた男だが、今回のバージョンではフレーダーの服を着たゲオルギを尾行して尋問し、そののちにヨサファットを大金を見せて彼とフレーダーとの関係を絶ち切ろうとするのである。「痩せた男」という役名ながらも彼はいかつい長身でその腕力はヨサファットを遥かに上回り、毒々しい笑みをうかべてフレーダーたちの計画を邪魔しようとし、ついにはフレーダーの悪夢にまで登場する姿は非常に強烈な存在感を持っている。特に彼がエレベーターからぬっと現れるシーンは印象的だった。話の後半になるとあまり登場しなくなるものの、終盤においてかつて迫害したヨサファットと共に暴徒たちの前に立ちふさがり、フレーダーセンを守ろうとするのである。

追加されたシーンをさらに幾つか挙げると、まずロトワングの家にはフレーダーセンの妻でありフレーダーの母親であった女性ヘルの巨大な顔の彫像が飾られてあり、ロトワングとフレーダーセンがかつて恋敵であり、ロトワングが片腕を犠牲にしてまでもヘルの生き写しの存在を造るためにロボットを製作したことが強調されている(その熱意のわりにロトワングはフレーダーセンに命じられてロボットの姿をヘルでなくマリアのものにしてしまうわけだが)。またクライマックスの地下での暴動のところにも幾つかのシーンが追加されていて、メトロポリスの中枢である心臓機械には二重のシャッターがついていたり、子供たちが洪水から逃げようとする空気孔の先には鉄格子が付いているということが明らかになり、ストーリーに新たな緊迫感を与えることに成功している。ただし二重シャッターのところで1つ分からなかったのが、フレーダーセンがロボットのマリアを作ったのは労働者の信心を破壊し暴徒化させ、それから彼らを武力で鎮圧させるためだったはずなのに、なぜわざわざシャッターを開けて暴徒に心臓機械を破壊させ、メトロポリスを麻痺させたのか?分かるひと誰か教えてください。

なお「完全版」と銘打っているものの、残念ながら2カ所のシーンがこのバージョンにおいても欠落している。あわせて5分ほどのシーンだが、脚本が残っているために場面の展開が字幕で説明されている。1つは教会に赴いたフレーダーに対して僧侶がヨハネの黙示録のページを見せて警告するシーンで、これはのちにフレーダーの悪夢のなかで「痩せた男」が同じセリフを唱えるほか、黙示録に記された「金の杯を持った女」の姿が、まさしくヨシワラで踊るマリアの姿と同じであることが明らかにされる。もう1つはロトワングの裏切りを耳にしたフレーダーセンが彼と格闘し、そのあいだに監禁されてマリアが逃げ出すというシーン。ここはストーリーの展開上かなり重要なところなのでぜひ映像で観てみたかった気もする。ただしその反面、未だ目にすることのできないシーンがあるというのは夢があるなあと個人的には思っていて、人がミロのビーナスの両腕に無限の想像力を抱くように、この欠損したシーンに想像を膨らませ、これらのシーンを含んだフィルムが世界のどこかに眠っているかもしれないと期待を抱くのは結構なことだと考える次第です。

役者の演技に関しては、とにかくマリア役のブリギッテ・ヘルムが素晴らしすぎる。フレーダーとかフレーダーセンの役者もいいんだけど、善と悪のマリアを完璧に演じ分けるヘルムがあまりにも見事なのですよ。善のマリアとしては労働者や子供たちに献身的に尽くす清純で神々しい姿がどんな男のハートもつかみ、ロボットの悪のマリアとしては小悪魔的な笑みをうかべながら妖しい踊りを舞い、その姿を見たすべての男たち欲望の対象となるのである。変にヴァンプ的な体型でないのも良くて、洪水が迫るなかその細い腕で懸命にアラームを鳴らそうとする姿には本当に感動した。彼女とフレーダーのラブストーリーとしてもこの映画は十分に見応えがある。

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そして音楽について言及しておくと、今回のバージョンではオリジナルの上演時に使用されたゴットフリート・フッペルツの音楽が再演されて加えられている。音楽は常に流れていて、シーンによって大まかに曲調が変わるようになっているものの、映画のストーリーに合わせた効果音などは殆ど用いられていない。例外を挙げるとすれば、教会のシーンで鐘の音がするところや、暴動のシーンで「ラ・マルセイエーズ」のフレーズが流れるくらいか。そういう意味では弱冠の物足りなさを感じるかもしれない。自分などはモロダー版の印象が強いので、最後のシーンなどでは頭の中でパット・ベネターが鳴り響いていたよ。ただこれに関しては、今後いろんな音楽を独自に加える人たちが出てくることだろう。今回の映像にモロダー版のサントラをつけ加える人も絶対に出てくるはず。

このようにいろいろ書き連ねてみたが、今回新たに加えられたシーンによって、「メトロポリス」がいかに伏線やシンボリズムが散りばめられた映画であるかを認識できたことが一番の驚きと収穫であった。単なるSF映画ではなく、人間ドラマやラブストーリーとしても超一流の作品であることが今回の復元で実証されたわけである。特殊効果にしても、実際に多数のエキストラを用いたバベルの塔のシーンなどは最近のCG映像などよりも遥かに重量感というかリアリティがあるといえよう。これは今となっては失われた映画芸術がフィルムに収められた貴重な例である。「メトロポリス」は自分にとって生涯ナンバー1の映画だが、その(ほぼ)完全版をあらためて劇場で鑑賞できたことは非常に幸運な出来事であった。ぜひこれが日本でも劇場公開されることを願うばかりである。

(この文章を書くにあたっては、このブログの記事が大きな参考になった。カメラのアングルやフロイト的関係などにも言及している興味深い記事なのでぜひご一読あれ)