「アメイジング・スパイダーマン2」鑑賞


公開中なので簡単な感想をざっと:

・こないだ「ロボコップ」観た時も思ったんだけど、なんか話を詰め込みすぎて、描写しなければならないシーンが多くなり、おかげでかえって全ての場面がせかされたような感じになっている。2時間半近い尺なのに、話のフラグ立てばかりやっていてメリハリがなくなっているような?

・そりゃフランチャイズのキャラクターをいろいろ登場させないといけないだろうし、スピンオフ作品への伏線も張っておく必用があるのだろうけど、もっと各キャラクターの動機や心境を描いて話に緩急をつけないとさあ。グリーン・ゴブリンなんて「へ?なんで突然飛べるの?」といった展開だったし。

・その一方で、ピーターとグウェンの恋人同士の描写は相変わらず前作に続いて秀逸であった。前作のデジタルから35ミリに切り替えて撮影されたという陽光の中の2人のシーンとかは本当に美しい。マーク・ウェブはアクション映画なんか撮ってないで、フォックスに戻って恋愛映画を撮りなさい。

・前作はオズコープのセキュリティのザルさが叩かれていたが、レイヴンクロフト刑務所のセキュリティもひどすぎるだろ!そりゃ脱獄させないと話が進まないのは分かるが、あまりにもリアリティのないセキュリティには興醒めしてしまう。「ダークナイト」あたりをもっと参考にするように。

・ピーター、ポスターの趣味がジジくさいぞ。

・あれ、エレクトロというよりもドクター・マンハッタンでは…。

・床に叩きつけますかそうですか。

「Narco Cultura」鑑賞


昨年「アクト・オブ・キリング」と並んで高い評価を受けていたドキュメンタリー。

メキシコの麻薬戦争と、メキシコおよびアメリカのヒスパニックのあいだで人気が出ている音楽ムーブメント「ナルココリード(麻薬バラード)」を取り上げたもので、テキサスのエル・パソに隣接しているメキシコのフアレスは麻薬戦争の影響によって殺人の件数が10倍に跳ね上がり、年間3000人近い犠牲者が出るようになってしまっていた。その一方で金と権力を手にした麻薬王たちは若者たちの憧れの的となり、彼らのライフスタイルを賛美した歌が作られ、それが大衆のあいだで人気を博していくことになる。

このドキュメンタリーではフアレス警察で科学捜査を行なうリチ・ソトと、ロサンゼルスでナルココリードの歌手として大成しようとするエドガー・クインテロという2人の男性の日常が交互に描かれている。ソトのほうは毎日のように血なまぐさい殺人事件の現場に呼び出され、麻薬カルテルの報復を避けるために覆面をして捜査をする次第。それでも何人かの同僚は暗殺されており、警察もまたカルテルの金によって汚職がはびこっていることが示唆される(刑務所に銃持った連中が普通に入り込んだりしてるんだぜ)。

一方のクインテロは実在のチンピラを誉め称えるバラードを歌って、そのチンピラから金をもらったりしてるわけだが、この「権力者を褒めてご褒美をもらう」システムって意外なくらいに中世的な音楽ビジネスだよね。しかしナルココリードの人気は実際すごいらしく、クインテロはバンドを結成してそれなりに大きな会場をまわるツアーを行なうことになる。しかしこのナルココリード、音楽のスタイルはアコーディオンを多用したポルカなのでかなり牧歌的に聞こえてしまって、バズーカの模型を抱えて「俺はAK47をぶっ放し〜」とか歌ってる格好と全然合ってない気がするんだが、それでもライブに集まった老若男女の客は歌詞を憶えていて大合唱になったりするのな。なお劇中でソトとクインテロの生活が交差するようなことはないのだが、平和を求めてソトがエル・パソへの移住を望んでいるのに対し、歌のネタをネットで得ているクインテロが「俺もメキシコ行きて〜」と語るのが何とも皮肉であった。

このドキュメンタリーを観るまで、ナルココリード文化についてはまったく知らなかったのだけど、いわゆるアウトローが美化され、銃や麻薬について歌われ、そのスターがVシネ並みの安っぽいアクション映画に出演し、特定のマイノリティから強い支持を受けてるさまは80年代のギャングスタ・ラップの興隆によく似ているような。実際に歌手が襲撃されて殺される事件も起きているようだし。またメキシコではいろいろ放送禁止の扱いを受けているらしい。

特に明確な結末があるわけでもなく、ドキュメンタリーとしては弱冠詰めが甘いような気もしたけど、自分の知らなかった文化について学べるという意味では興味深い作品でした。なおナルココリードで賛美の対象となっている麻薬王のホアキン・グスマンがこないだ逮捕されたらしいが、それってナルココリードにどう影響してくるのかな?いずれ続編が作られることに期待。

「A BAND CALLED DEATH」鑑賞


「シュガーマン 奇跡に愛された男」や「アンヴィル!」みたいな、忘れ去られたバンドを追いかけたドキュメンタリー。

1970年代初頭のデトロイト。黒人であるデビッドとボビーとダニスのハックニー3兄弟はザ・フーやアリス・クーパーに触発され、ロックバンドを組むことを決意する。モータウン全盛期のデトロイトにおいて彼らのような黒人がロックミュージックを演奏することは異色なことであり、近所の人たちからも「白人の音楽じゃないの!」と色目で見られた彼らだが、構わずに練習を続けて腕を上達させていく。当初はバンド名をロック・ファイヤー・ファンク・エキスプレスと名乗っていたものの、すぐにリーダーのデビッドの発案により名前を「デス」へと変更する(彼らは敬虔なクリスチャンであり、それなりにスピリチュアルな意向があったらしい)。

そして適当に選んだスタジオに入ってアルバムの収録を始めた彼らはプロデューサーに曲の良さを認められ、レコード会社の幹部にも紹介してもらう。しかしそのまんま「死」というバンド名が敬遠され、そのレコード会社はおろか世界中のレコード会社から拒絶をくらってしまうが、デビッドはバンド名の変更を頑として拒んでいた。仕方なしにアルバムの完成は諦め、7インチシングルを500枚ほどプレスした彼らは気晴らしも兼ねてニューイングランドに移るが、そこでもバンド名が災いしてライブの宣伝さえも認めてもらえなかった。そして結局のところ別のバンド名でゴスペル・ロックのアルバムを制作するもののヒットせず、失意のもとにデビッドはデトロイトに戻り、ボビーとダニスは残ってレゲエバンドを結成するものの、デビッドは80年代に肺がんで亡くなってしまう。

そして時は流れて2000年代。デスのレコードはいつの間にか「デトロイトのバンドの激レアな傑作」としてレコードコレクターのあいだで噂されるようになり、実際にレコードを入手した者がMP3にしてネットで公開したことでさらにデスのカルト的な人気が高まっていく。さらにボビーの息子が友人に勧められて曲を聞いたところ、「これ親父の声じゃね?」と気づいたことで、もはや忘れ去られていたデスの歴史が再び明らかになっていく(ボビーはデスのことを息子に話していなかったらしい)。こうしてまたデスはレコード会社に注目され、今回はバンド名も問題にならないまま、録音してから30数年ぶりにアルバム「…For The Whole World To See」が発売されることとなった。ボビーの3人の息子たちはアルバムの宣伝も兼ねてトリビュート・バンドのラフ・フランシスを結成し(普通にプロ並みの演奏をこなしてしまっているのが凄い)、そしてついにボビーとダニスもデビッドの代役のギタリストを立ててデスを再結成することを決意する…というストーリー。

「パンクよりも前に、デスというパンクバンドがあった!」というのがこの映画のキャッチコピーで、これを観るにあたって「..For The Whole World To See」を聴いてみたのだけど、パンクというよりもガレージ・ロックやザ・フーに近い感じじゃないかな?でも演奏力の抜群な高さとタイトなプロダクション(もっと自家録りみたいな音かと思っていた)のおかげで、確かにすごく良いアルバムであった。

映画はおおまかに2部構成になっていて、バンドの生い立ちからデビッドの死までが語られる前半と、バンドの再評価から再結成までが語られる後半からなっている。特に後半ではヘンリー・ロリンズやジェロ・ビアフラ、ヴァーノン・リードといったミュージシャンのコメントも出てくるのだけど、全編を通じて語られるのは、兄弟3人の結束から始まり、彼らの音楽が息子たちに引き継がれるという家族の絆の物語である。兄弟たちの母親の葬式で話が終わるところもそれを象徴している。

あとはレコードコレクターが見つけたレコードをウェブにアップすることで、その曲がすぐに世界中で聴けるようになるという描写が、音楽の共有のスタイルの変化を象徴してるかな。ちょっと前まではレアなレコードの共有なんて(ローバート・クラムのマンガにもあるが)数人が集まって一緒に聴くという手段くらいしかなかったもので。またラフ・フランシスや再結成したデスの観客の大半が白人だというのも印象的であった。

70年代に活躍していたときの映像が殆ど無いことや、バンドの中心人物であったデビッドがいないことで弱冠内容が薄いような気もするが、こういう音楽ドキュメンタリーが好きな人は十分楽しめるであろう良作。

「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」鑑賞


コーエン兄弟の新作。5月に日本公開されるらしいので、ネタバレにならない程度に感想をざっと。

1961年の冬の1週間を舞台に、売れないフォークシンガーであるルーウィン・デイヴィスの放浪のさまを描いたもので、ルーウィンはセッションに声がかかる程度のミュージシャンではあるものの出したレコードは売れず、家もないので知人のところに転々として泊まり、金やタバコをせびっている始末。ミュージシャンのとしての熱意も消え失せ、以前やっていた船員の仕事に戻ろうかとも考えているくせに、妥協してCMソングを演奏することも渋っているような彼が、仕事を求めてニューヨークのイーストビレッジからシカゴまで旅するのだが…というような話。

これは決して「夢見て努力するミュージシャンの話」ではないですよ。もっとドツボにはまった男の物語で、ある程度はルーウィン自身の不遜な態度に問題があるというものの、ダメ男が主人公だとつい感情移入してしまいますね。もともとデュオで活動していた彼がソロに転向したことがストーリーに大きく影響しているわけだが、その理由についてはここでは触れない(つうかトレーラーでバラしてるね)。フォークソングが何曲も披露され、そのあいだに会話があるといった感じでセリフの量は多くないものの、ネコの名前やトイレの落書き、アクロンの元彼女、ラストでルーウィンがステージを降りたあとに登場する人物、といった象徴的な要素が各所に散りばめられ、いろいろ考えさせられる内容になっている。これはとても円熟した脚本ですね。

不条理なほどに主人公が不運に見舞われるさまは「バートン・フィンク」や「シリアスマン」に通じているし、「部屋の奥にいる老人」やジョン・グッドマンが登場するあたりは典型的なコーエン兄弟作品であるものの、今回は撮影をロジャー・ディーキンスが行なっていないせいか全体的な雰囲気がちょっと異なったものになっている。冬のニューヨークや夜中のヒッチハイクのシーンなどがとても印象的。ルーウィンを演じるのがオスカー・アイザックで、ウェールズ系の主人公をグアテマラ人の彼に演じさせた意図はよく分からないが、シンガーでもある彼はルーウィンの曲を吹替え無しに熱演している。彼の友人を演じるジャスティン・ティンバーレイクも同様で、歌える俳優の本領発揮ですね。その友人をキャリー・マリガンが演じていて、彼女とアイザックは「ドライブ」で夫婦役を演じていたが、ここではまた違ったかけ合いを見せてくれる。マリガンを良いなと思ったのって「ドクター・フー」以来じゃないかしらん。あとネコかわいいよネコ。

有名な曲が披露されるわけでもないし、とっつきにくい題材のため観る前は懸念していたものの、実際はいろいろ身につまされる作品であった。あてもない日々を過ごしている人におすすめ。

「それでも夜は明ける」鑑賞


ネタバレにならない程度に感想をざっと。

・その題材や主人公の経験する物事は確かに過酷なものなんだけど、圧倒的な映像美や役者の巧みな演技によって、意外と角がとれて観やすい内容になっていた。あまりクセがなくて歴史もので感動のドラマ、という点では確かにアカデミー好みの作品ではあるな。

・主人公が精神的かつ肉体的な試練を受けるという内容は、監督の前作「シェイム」よりもその前の「HUNGER」のほうに似ていると思いました。

・キャストは豪華なんだけど、いろいろ出過ぎてみんなの出番は比較的短いよ(ファスベンダーは除く)。マイケル・K・ウィリアムスなんて冒頭に出てきたかと思いきやどこかに行ってしまったし。

・ルピタ・ニョンゴの演技は巧いが、アカデミー賞とるほどのものか?マイケル・ファスベンダーのほうがずっと鬼気迫る見事な演技をしていたぞ。

・ポール・ダノはかん高い声でわめくとっちゃん坊やの役ばかり最近は演じてるような。

・そしてプロデューサーもやってるブラッド・ピットはちゃっかりおいしい役を演じてんなあ。

・黒人は当時からaskをaksと発音していたのか?あれヒップホップ文化のスラングだと思っていた。

最初に書いたように良くも悪くもクセがないけど、良い作品ですよ。自国の恥ずべき歴史を描いた映画に賞をちゃんと与えるところが、アメリカの懐の深いところですかね。