「A Lonely Place For Dying」鑑賞


スラッシュドットの記事で知った、現在寄付を募りながら製作されているというインディーズ映画の第1パート。公式サイトから無料でダウンロードできるよ。5パート揃って完成、ということらしい。

内容は政治サスペンスになっていて、KGBを裏切ったエージェントのニコライは、ワシントン・ポストの編集長に頼んでメキシコの収容所跡で記者と会おうとするのだが、CIAのエージェントがそこに現れて…というような話なんだが、正直なところ話がよく分からなかったよ。非常に政治的なシチュエーションのど真ん中から話を始める手法は分からんでもないのだが、観る人の興味をつかむのには成功していないような?

ワシントン・ポストの編集長役でジェームズ・クロムウェルがちょっと出演しているほかは、出演者はみんな無名の人たち。廃墟となった収容所で撮影したり、凝ったアングルを使ったりとそれなりに努力してるのは感じられるんだが、どうも素人っぽさが残ってしまったような。引きのショットばかりのせいか、映画というよりもゲームの合間に挿入されるムービーを観ているようであった。あと編集が拙いところがあって、電話で話すシーンでいちいち話している側に切り替わったりするのが目障りだったな。

最近は撮影や編集の機材がどんどん安価になってきて、そこらへんではプロとアマの違いは無くなってきていると思うんだけど、低予算でも何かしら目を引きつけるものを持った映画と、この作品のようなものを分つ要素って何なんだろうね。脚本?演出?監督の熱意?それら全て?それが分かれば誰も苦労しないのですが。

A Lonely Place For Dying 投稿者 ecufilmfestival

「Necessary Roughness」鑑賞


USAネットワークの新作シリーズ。実話をもとにしてるらしい。

ロングアイランドに住むダニエルは優秀な資格をもった心理セラピストだったが、ティーンの子供を2人抱えていたため主婦業に力を入れ、余った時間で自宅で顧客のセラピーを行っていた。ところが夫が浮気をしていることを発見した彼女は夫を家から追い出し、1人で子供たちを育てることになる。そして気分転換に友人と出かけたバーで彼女はプロのフットボールのチームのスタッフにナンパされ、そのまま彼と恋仲に。そして彼にセラピストとしての腕を認めてもらった彼女はチームのセラピストとして招聘され、パスボールを落としてばかりの選手のセラピーにあたるのだが…というような話。

荒くれ者ばかりのフットボール選手たちを細腕のママさんがケアしてあげる、というギャップを楽しむべき番組なんでしょうが、どうもそこらへんがうまく描かれてないんだよな。主人公のダニエルは家庭でも仕事でもフラストレーションがたまって怒鳴ってばかりだし、どこらへんが優秀なセラピストなのかいまいち分かりにくい気がする。第1話でも選手の話を聞いているうちにいつの間にか選手が改心していたような。

そして主人公が目つきの厳しいオバさんだというのが個人的にどうもダメでして、話のなかでは年下のスタッフにナンパされたり、選手に「いようセクシー!」なんて言われたりするんだが、いやーちょっとそれはないんじゃないですか。ダニエルを演じるカリー・ソーンって、「ザ・ワイヤー」でマクノルティの元妻を演じてた人か。あっちも気の強い奥さんの役だったな。USAネットワークってどの年齢層がターゲットなのか知らないけど、オバさんが主人公のシリーズってどのくらい需要あるんだろう?

第1話は例によって長めの尺なので選手が改心するまでがそれなりにきちんと描かれてるけど、今後はどういう展開になるんだろうね?1話ごとに異なる選手を相手にしていったらすぐネタ切れになるだろうに。最近のUSAネットワークはどうもピンとこない作品ばかりを世に出しているような気がする。

「FALLING SKIES」鑑賞


インベイジョンものをもういっちょ。TNTの新作シリーズで、プロデューサーにはスティーブン・スピルバーグや「JUSTIFIED」のグラハム・ヨストなどが名前を連ねている。主演は「ER」のカーター君ことノア・ワイリー。

舞台となるのはエイリアンが地球を侵略し、人類の90%近くが虐殺されたあとのアメリカ。僅かに残った人類はレジスタンスを結成し、食物などを探しながらエイリアンへの抗戦を行っていた。ボストンで歴史学者をしていたトムはその知識を見込まれて300人ほどのグループの副リーダーに任命され、2人の息子とともに過酷な世界での生き残りを図るが、侵略以来行方不明になっていたもう1人の息子がエイリアンの捕囚になっていることを知り、いつか彼を救い出すことを誓うのだった…というような話。

エイリアンの侵略から半年たったところから話が始まるため、エイリアンの総攻撃などといった派手なドンパチは(今のところ)あまり出てこない。上の画像にある「第9地区」を彷彿させるような巨大建造物もチラと見せられるだけで、あとは廃墟で食べ物を探す人間たちの姿が描かれるといった、ビジュアル的には比較的地味なものになってるかな。

そして残された人類が生き残ろうとするさまは「ジェリコ」や「ウォーキング・デッド」に似ているかも。武器を持った者と一般市民とのいざこざとか、略奪をしている荒くれ者たちとの駆け引きなんてのも「ジェリコ」とかで既に扱っていたような。そして主人公はアメリカの独立戦争についての知識を駆使してレジスタンスを率いようとするんだが、そこがちょっと衒学的になっているというかストーリーにうまく組み込まれてない感もあった。

「ギャラクティカ」のようなバリバリのSFを期待すると肩すかしをくらうかもしれないが、今後の展開が面白くなる可能性はある作品。スピルバーグが絡んでいるので、いずれ日本でも放送されたりするんじゃないでしょうか。

「スーパー8」鑑賞


俺がJ・J・エイブラムスの作品をどうしても好きになれない理由として、彼自身はすごく才能があってアイデアも豊富な人なんだろうけど、それが災いしてあまりにも手堅くきちんとした作品を作ってしまう点があって、要するにちょっと出来の悪いところがあったとしても「俺はこの映画を撮りたかったんだ!」というような情熱というか才気の爆発みたいなものが感じられないんだよな。そんな意味ではこの「スーパー8」はエイブラムスが撮るべきして撮った作品かと。だって作品の目的が「いかにスピルバーグ的な映画を撮れるか」なわけだから、スピルバーグの作品をきちんと勉強して律儀にオマージュを捧げれば立派なものは作れるだろうけど、どうしてもそれは「よく出来た模造品」であり、本物ではないという感が拭えなかったよ。

もちろん以前にもスピルバーグ的な映画を作った監督はいたわけだが、例えばジョー・ダンテ(あとたぶんゼメキス)なんかは自身の作家性が滲みだしていたのに対し、この作品はスピルバーグのスタイルを追うことだけに終始していたような(尤もエイブラムスの作家性が何なのか俺には分からないのだが)。よって結局のところ「どこかで観たことあるような映画」になってしまい、あれだけストーリーが謎にされた作品でありながら、先の展開が読めるものになってしまっていた気がする。そしてスピルバーグというのは模倣では絶対に超えることの出来ない天才であるわけで、おかげでスピルバーグとエイブラムスの力量の差を実感させられる内容になっていた。父親との屈折した関係や、女の子への童貞まるだしの憧れなんてのはスピルバーグならもっと巧く描けたはず。ここらへんはエイブラムスが崩壊家庭で育ってない(らしい)からなのかな。

とはいえ最初に書いたように相変わらず手堅いつくりの作品であることは間違いないわけで、観ていて楽しめないというわけではない。役者はエル・ファニングがずいぶん大きくなったな、という感じ。クリーチャーはCGなので例によって重量感がないのがマイナス点。結局のところオマージュと模倣のバランスが微妙な作品といったところですかね’。70〜80年代のスピルバーグを観てない人や世代などはまた違った感想を抱くのではないかな。