「An Adventure in Space and Time」鑑賞


50周年特番をいよいよ明日に控えた「ドクター・フー」のさらなる関連番組で、50年前の番組開始時の裏側を描いたドキュドラマ。

時は1963年。BBCより30分の放送枠を埋めるための番組を製作するよう伝えられたプロデューサーのシドニー・ニューマンは、自分がSFファンであったことから子供向けのSF番組を作ることを考案し、かつての助手だったヴェリティ・ランバートに製作を担当させる。ヴェリティは監督のワリス・フセインと組んで番組作りに奔走し、頑固な老人というタイプキャストに悩んでいたウィリアム・ハートネルを説得して主人公を演じさせる。男性中心だったBBCにおいてヴェリティたちはさまざまな困難に立ち向かいながら、ついに新番組「ドクター・フー」を完成させる。しかし第1話の放送はケネディ大統領暗殺のニュースに埋もれてしまい…といようなプロット。

前半はBBCの女性初プロデューサー(あと劇中では言及されないがユダヤ系)のヴェリティと、BBC初のインド人ディレクターのワリス(ついでにゲイ)が女性差別や人種差別に直面しながらも番組を立ち上げていくさまが描かれ、後半は彼らが番組を去ったあと、ドクター役のウィリアム・ハートネルが高齢と病気によってセリフを憶えられずに苦悩する姿が描かれている。60年代のBBCを舞台にしていることでは「THE HOUR」に似ているところがあるな。生放送ではないのに編集が4回しかできず、小道具が故障しようとハートネルがセリフをトチろうと、ひたすら撮影が進んでいくさまが熱気があって面白いぞ。

脚本はマーク・ゲイティス兄貴。当時のスタッフや「ドクター・フー」の歴史に対する敬意が随所で払われていて非常によく出来た内容になっている。もともとは40周年のときに考案したものらしいが、50周年にもってきたことでさらなる円熟感が加わっているかと。最後に「あの人」が出てきたシーンは感動的でした。出演者はあまりよく知らない人たちばかりだけど、デイビッド・ブラッドリー演じるウィリアム・ハートネルは本人そっくりでよろしい。あと名物プロデューサーのシドニー・ニューマンをブライアン・コックスが演じていて、やはりあの人の演技は巧いよなあ。

ウィリアム・ハートネルって撮影現場でも実際にガンコで差別的だったという話を聞いて、個人的には必ずしもお気に入りの役者ではなかったんだけど、実際はもっと奥の深い人物であったことをこれを観て実感しました。作る側が熱意をこめて楽しんで撮影したことがひしひしと感じられる傑作ですよ。

「FRANCES HA」鑑賞


ノア・バームバックの新作。前作「Greenberg」(邦題忘れた)はコミュ障中年のしっとりとしたラブストーリーだったが、実はその裏ではリアルなネトラレ劇が進んでいたとのことで、自分の奥さんを出演させておきながらもちゃっかり主演女優とデキていたらしく、ついには「Noah Baumbach」でググると「Noah Baumbach cheated」と検索候補が出てくるようになってしまった。ここらへんグーグル様は容赦ないな。とはいえバームバックと主演女優のグレタ・ガーウィグは交際するようになりまして、これが彼らの組んだ2本目の作品。

フランシス・ハラデイはニューヨークに住む27歳の女性。彼女はプロのダンサーを目指しているもののまだ見習いの立場で、家賃の支払いに苦労している次第。親友のソフィとアパートを共同で借りていたがソフィが別の友人と住むことになり、フランシスはレヴとベンジーという2人の男性のアパートを間借りすることに。それでも貧乏の彼女は年末にカリフォルニアの実家に帰ったり、クレジットカードで借金して衝動的にパリに行ったり、ウェイトレスとして働いたりといろいろ遍歴を続けていく。しかし彼女はダンサーの夢を捨てないのであった…というようなストーリー。

夢を熱心に追いかける女性の物語、というよりも人生設計ができなくてフラフラしてる人の話といった感じかな。フランシスは周囲の空気が読めず、男性にもコミットできずソフィたちに迷惑をかけている始末。これ男性だったら相当イヤな奴の話になってたろうな。彼女は運にも恵まれずダンサーの仕事になかなかありつけずにいたりするのだが、あまり中心となるプロットはなくて、フランシスとソフィの友情を軸にフランシスの生き様が描かれていくような構成になっている。

ダンサーとか彫刻家とかライターといったヒップな人たちがいろいろ出てくる、ニューヨークが舞台のモノクロ映画ということで、なんか学生時代によく観てた70〜80年代ののアングラ映画を思い出してしまったよ。でも貧乏とはいえ高そうなもの食ってるし、いいアパートに住んでるのでなんか全体的に甘っちょろい感じがすることは否めない。恋人同士で映画を作るとこういう出来になってしまうのかなあ。

グレタ・ガーウィグ以外の出演者はみんな知らない人ばかり。ソフィ役のミッキー・サムナーってスティングの娘なのか。ディーン・ウェアハムとブリタ・フィリップスが音楽を担当してるほかチョイ役で出演してたらしいが気づきませんでした。

ガーウィグは体がゴツいけどコケティッシュな魅力があるし、ダンスのシーンも躍動感があって悪くはない映画なんだけど、「AVクラブ」などで絶賛されてるほどではないかな。単におれが女心を理解してないだけかもしれませんが。

ちなみにバームバックの次作はドリームワークスのアニメーションになるの???

「The Night of the Doctor」鑑賞


来週末の「ドクター・フー」50周年特番「The Day of the Doctor」に向けてファンの期待は高まるばかりでして、本家BBCもそれに絡んだ番組をじゃんじゃかと投入しており、ブライアン・コックス(学者のほうな)がドクター・フーの科学について語る番組とか、初放送時の裏側を描いたドラマなどが放送されるほか、twitterのハッシュタグの宣伝映像なんてものまで作られているわけです。

そしてこの「The Night of the Doctor」は特番に先駆けて放送(配信?)された7分ほどのミニエピソードで、主演はなんと8代目ドクターことポール・マッガン!彼のドクターは1996年のTVムービー(おれリアルタイムで観たよ)にのみ登場しただけで、その後アメリカでシリーズを作る話が頓挫したために旧シリーズと新シリーズのあいだのミッシング・リンク的な存在になっていたのだが、まさか約20年ぶりに彼がドクターを演じるとは。事前のインタビューで「自分は特番には出演しない」と発言していたのでファンを失望させてたのだが、ミニエピソードで登場させるとは憎いねスティーブン・モファット。

エピソードの内容はダーレク族とのタイム・ウォーが激化するなかで、出会った女性を救えなかったドクターが命を落とし、カーンの女たち(4代目ドクターのときのキャラクターらしいが、俺は知りませんでした)によって一時的に蘇生され、次のドクターの姿や性別などを選べると告げられた彼は、戦争を終わらすための「ウォー・ドクター」となることを決意する…とうようなもの。

ジョン・ハート演じるこの「ウォー・ドクター」が50周年で中心的な役割を果たすわけだが、「じゃあ9代目から11代目は、実は10代目から12代目になるのか?」などとさまざまな憶測がファンのあいだでは流れているらしい。まあここらへんはあと1週間待つしかありませんな。予算がなかったのか特撮がいつも以上にショボいのには目をつむるとして、マッガンのドクターって長髪だったせいかもっと女性的な印象があったけど、今回は短髪でもっと骨太な感じ。あと彼が主演のオーディオブックのキャラクターが言及されてるのかな?

久しぶりに顔を見たかと思いきやすぐに死んでしまうのは勿体ない話ですが、今までの大きな謎がこれで1つ明かされたわけで、いっそ今からでも8代目ドクターの出てくるプリクエルとか作っても良いんじゃないかと思うわけです。そしてすべては来週の特番で明かされるのか…?

「ROOM 237」鑑賞


その解釈をめぐって、未だに多くの議論が行われているスタンリー・キューブリックの傑作「シャイニング」に関する妄想ドキュメンタリー。

「シャイニング」にのめり込んだ人たちが、「この映画はこうやって解釈するもんなんだよ!」と持論をひたすら語っていくもので、よく言われる「この映画はインディアンの虐殺についての物語だ」なんていう解釈はまだ可愛いほう。劇中のタイプライターがドイツ製であることから「これはナチスのユダヤ人虐殺に関する映画だ」とか「これはキューブリックがアポロ11号の月面着陸をセットで撮影したことを明かすものであり、原作で出てくる217号室が237号室に変更されたのは、キューブリックが月面の撮影をスタジオ237で撮影したからだ!」などといった意見がポンポンと飛び出してくる。もちろんこれらの根拠は皆無に近いし、スタジオ237というのが何なのかという説明は一切ないわけですが。

あとは「この映画は終わりから逆回しで観るべきだ!」とか、「原作では主人公の車が赤いのに映画では黄色くなってる。そして映画では事故で潰された赤い車が出てくるが、これはキューブリックがスティーブン・キングにクソくらえって言ってるんだよ!」なんて解釈もありました。みんな裏付けできない解釈とはいえ映画をフレーム単位で分析している人もいるわけで、ホテルの間取りをとってみると「ありえない窓」が存在している、などといった説明は面白かったな。いちばんぶっ飛んでたのはあるシーンの背景にスキー選手のポスターが貼ってあることについて「あれはスキー選手なんかではなくてミノタウロスよ!頭をもたげて迷路を進むジャック・ニコルソンもミノタウロスよ!」という意見でした。なぜミノタウロスを出す必用があったかについてはよく説明されてないのですが。

映像的には「シャイニング」およびその他の映画などからの抜粋ですべて構成されており、解釈を語る人たちの映像は一切なく、ナレーションのみがひたすら続く内容になっている。いちおう9つの説が語られてるらしいが明確な区切りもなく、製作側の説明などもないので、1時間半のあいだいろんな人たちの妄想(といったら失礼か)をずっと聞かされる形になります。月面着陸の捏造説を唱える人が「自分は政府に目をつけられていて…」と(ちょっと自慢げに)語るあたりは電波入ってんなあ、と思わざるを得ない。

当然ながら解釈がすべて正しいことはあり得ないのだが、これらの根底にあるのは「キューブリックは画面に出てくるもののすべてを計算し、意図して撮影した」という考えである。しかしいくらキューブリックのように綿密な監督であっても、何かしらの凡ミスを犯しているか、偶然性が映像に含まれていると個人的には考えざるを得ないんだよな。確かにタイプライターの色が劇中で変わるなどのコンティニュイティ—上の不具合は、観る人を混乱させるためにわざと仕組まれたものだったらしいが、とはいえあるシーンで背景の椅子が消えることに深い意味を見いだすのは無理があると思うのよね。

しかし「シャイニング」という映画がいかに綿密に製作された作品であるかを再認識させてくれるドキュメンタリーではあった。それとこういう解釈の議論って、現在のCGだらけの映画では起きにくいのでは。単に「CG係が後ろの椅子を消し忘れてました!」で済んでしまいそうなので。

「CBGB」鑑賞


パンクロックの興隆とともに、ラモーンズやトーキング・ヘッズ、テレビジョンにブロンディといったバンドにライブの場を与えて世に出していった、ニューヨークの伝説的なライブハウスの物語だよ。

バーの経営に二回失敗していたヒリー・クリスタルはめげずにバワリー地区のバーを買い取り、カントリーやブルーグラスのバンドを出演させることを計画する。しかし店にやってきたのは小汚い若造のミュージシャンたちばかりだった。それでも彼らを出演させることにしたヒリーは間に合わせの機材でステージやサウンドシステムを作り、数々のバンドにオリジナル曲を披露する場を与える。これが当時ファンジンの「パンク」誌を出していたレッグス・マクニールたちの目にとまり、やがてバンド目当ての客がCBGBにいろいろやってくるようになるものの、それでも店の経営は厳しくて…といようなストーリー。

おれ自身は2002年にCBGBに行ったことがあるのと、伝記本「CBGB伝説(This Ain’t No Disco)」などを読んでたのでCBGBのことはそれなりに知ってるつもりですが、そんなに経営は苦しかったっけ?確かに店は汚いままだったし、最終的には高騰する家賃が払えずに閉鎖したわけですが、むしろ順調にブランドを築きあげていったサクセス・ストーリーのようなものだと思ってたんだけどね。映画なので話に起伏を持たせる必用があるとはいえ、金がないとか店が汚いといった点を強調するのはどうなんだろう。

上記「CBGB伝説」では共同経営者だったマーヴ・ファーガソンが皆に愛される存在であったことと、彼の脳腫瘍による早すぎる死について詳しく書かれてたのでそれが話のクライマックスになるかと思いきや、劇中では最後までマーヴは健在でした。むしろクリスタルがデッド・ボーイズのマネージメントを手がける話が後半のプロットになるんだけど、「あまりうまくいかなかった」で終わっているのがどうも不満。でもまあザ・ポリスが出演してくれたからオッケー、というラストはどうにかならなかったのか。話が70年代の終わりまでしか描かれていないんだけど、そのあと80年代になってハードコアのバンドが出演するようになり、最近のサウンドにまでつながっていることも紹介すればよかったのに。

あと話のあちこちで映像がコミックのコマみたいになり、「パンク」誌のイラストとかが挿入されたりするんだけど、おかげで話の流れがブチブチ切られるのが非常に不快であった。楽曲の使い方も1分くらい流したら次の曲、といった感じでせわしなく、なんか中途半端なんだよね。いろいろ話を詰め込む必用があったのだろうが、もうちょっと工夫はできなかったものか。

ヒリー・クリスタルを演じるのがアラン・リックマンで、マーヴ役がドーナル・ローグ。あとはルパート・グリントやスタナ・カティック、ジョニー・ガレッキなどといった微妙な知名度の役者たちがいろいろ出て、当時のバンドのコスプレをしています。ルー・リードが似てなかったなあ。

なお当時の人物の描き方については、常連バンドだったザ・ネイルズのボーカルが非難する文章を書いているので一読を。これにも書かれてるように、黒人のミュージシャンがいっさい出てこないのが気になりましたね。俺は1982年のバッド・ブレインズのライブ映像がものすごく好きなのだが、いろんな人種の男女がCBGBに集まり、ライブの熟練者から素人までがハードコアやレゲエで盛り上がっている姿が大変素晴らしいわけですね。こういう高揚感がこの映画には皆無だったのが残念。本国の批評家にも「パンクを搾取してる」などと酷評された作品だが、音楽シーンを変に美化した映画ってのは今後も作られてくんでしょうね。カート・コベインを演じるのは誰だ…。