「The Return Of Doctor Mysterio」鑑賞


毎年恒例の「ドクター・フー」のクリスマス特番だよ。今年はレギュラーシーズンの放送がなかったので、「CLASS」を除けば1年ぶりのドクター・フーとなるのであります。

クララたんが去ったことで今回はコンパニオンがおらず、代わりにマット・ルーカス演じるナードールが昨年のクリスマス特番に引き続いて登場するのだが、1年前の話なぞきちんと覚えてないので「誰だっけ…」という状態でした。彼はどうも来年のシーズンにもレギュラーとして登場するみたい。

そして話の舞台はニューヨーク。子供のときにドクターと遭遇したことでスーパーマンのごとき超能力を身につけたグラント少年は、成長してからは「ザ・ゴースト」というスーパーヒーローに扮し、ニューヨークの人々を危険から救っていた。その一方では一般人として、密かに想いを寄せる女性記者のルーシーの赤ん坊の世話をしていた。そんな彼のもとに久しぶりにドクターが現れる。彼はニューヨークの大企業における、エイリアンの地球侵略計画を調査していたのだが、エイリアンの魔の手はルーシーたちにも襲い掛かり…というようなあらすじ。

明らかに昨今のスーパーヒーロー作品に触発されてスティーブン・モファットが脚本を執筆したような内容で、まあスーパーヒーローもののパスティーシュだと思えばいいんじゃないですかね。冒頭でドクターが「スーパーマン」のコミック(ジョン・バーンのやつ)を読みながらクラーク・ケントとスーパーマンのアイデンティティーについて語るのだが、話のほうもザ・ゴーストとグラントという同一人物とルーシーの三角関係が軸になっている。最近のスーパーヒーローものってヒーローが自分の正体をやたらすぐ明かすのだが(おめーのことだよ「ザ・フラッシュ」)、自分がグラントだと明かせないザ・ゴーストとルーシーのやりとりはクリストファー・リーヴ時代のスーパーマンみたいで結構面白かった。

とはいえドクター・フーの世界にスーパーヒーローって必要なのかという疑念は残るし、エイリアンの地球侵略のプロットも詰め込んだおかげで逆に内容が散漫になってしまった印象は否めない。まあクリスマスのスタンドアローンのエピソードだし、深く考えずに楽しめばいいんですけどね。

ザ・ゴーストことグラントを演じるのは、ドラゴンボール・エボリューションの悟空ことジャスティン・ハトウィン。彼が「ドクター・フー」に出るとは思わなんだ。ルーシーを演じるチャリティ・ウェイクフィールドって、短命に終わった「ザ・プレイヤー」に出てた人か。

そして次のシーズンは来年の4月に始まるのかな?新しいコンパニオンも決まったし、ティーザーもいい感じだし、早く春になって新しいエピソードが放送されることに期待するばかりです。

「新感染 ファイナル・エクスプレス」鑑賞


英題が「TRAIN TO BUSAN」で、日本では「釜山行き」という仮の邦題(?)で話題になっていた韓国のゾンビ映画。こないだこういうアレな邦題になったようで。

プロット自体はいたってシンプルで、韓国でゾンビ(強烈な感染能力を持っており、ちょっと噛まれただけでその人もゾンビになる)が大量発生し、ソウルを出発した高速鉄道にもゾンビが紛れ込む。列車の乗客たちはゾンビを撃退しつつ、安全な土地を目指そうとするが…というもの。

いちおうゾンビが発生した原因にもちょとだけ言及されてるものの、ゾンビと言ったらゾンビだろ!というわけで理屈めいたことなしに序盤からゾンビな展開に突入していく。2時間というホラーにしては比較的長めの尺だが、テンポもいいし展開も早いので中だるみもせずシェイプアップされた作品になっている。

一番の特徴はやはり列車という限られた空間を舞台にしていることで、隣の車両からやってくるゾンビ集団をどう防ぐかとか、離れた車両にいる友人たちをどうやって救出するか、といった点が話の重要なポイントになっている。あとは極限の状況における生存者のあいだでの確執も当然ながら描かれていて、ここらへんは最近のセウォル号事件などを彷彿とさせました。

なお列車の主な乗客としては、離婚した妻のところに娘を連れていく主人公、肉体派のにーちゃんとその身重の妻、鉄道会社のオッサン、中年の姉妹、高校生カップル、浮浪者など。ファンドマネージャーとして仕事に没頭するあまり家族を大事にできなかった主人公が、災害のなかで娘との絆を再発見していく過程が話の軸になっているかな。でもおいしいところは肉体派のにーちゃんが持って行ってしまってますが。

例によってゾンビの生態(?)にはツッコミたいところが多々あるのだけど、まあゾンビ映画に正確な科学描写などを求めても仕方ないので何も言いません。車両のドアを開けられない、というのは流石に都合よすぎるだろと思ったけどね。あと止まってる車両の反対側に行きたいなら、車体の下をくぐれば一発だぞ。

監督はアニメ出身の人でこれが初の実写作品だとか。実際に「ソウル駅」というこの映画の前日譚となるアニメ長編も作っているらしい。

ゾンビ映画としては話がベタだし、話の展開も目新しいものではないものの、大量に押し寄せるゾンビ集団の描写などは迫力があるし、邦題が残念なもののゾンビ映画が好きな人なら観て十分満足できると思う。

「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」鑑賞


まだ公開されたばかりなので感想をざっと。でもいちおうネタバレ注意。

・カメラワークも違うしワイプもないし、明らかに従来の「スター・ウォーズ」とは一線を画したスタイルをとっているが、それはそれで割り切っちゃってありだと思う。タイトルクロールは残しておいて欲しかったと思うけど。ウィルヘルム・スクリームも無かったよね?

・ストームトルーパーのボディーアーマーはハリボテか。銃にやられるのはまだしも、打撃にも弱いのでは着けてる意味がないだろうに。

・デス・スターってハイパースペース・ジャンプできるのか。なら「エピソード4」でヤヴィン4を射程に入れるのにあれだけ時間がかかったのは何だったのだろう。

・つうか帝国軍よお、惑星全体を囲めるバリアを開発できるなら、「エピソード6」のシールド発生装置もさらにそれで保護すればよかったんじゃね?

・キャストはフェリシティ・ジョーンズが「インフェルノ」以上に無表情なのが気になったが、まあ可も不可もなし。イギリス英語を話す登場人物が多いなかでディエゴ・ルナがメキシコ訛りの英語を話していて、どこの世界の話かと。あと中国市場へのアピールというのを置いておいても、ドニー・イェンやチアン・ウェンのキャラクターが立っているのを見ると、やはりアジア圏の役者がハリウッド進出するのには英語が流暢でないといかんなと実感しました。

・一方では死んだはずの役者がスクリーン上では過去作以上に登場してるわけで。かつて「特別編」ではハリソン・フォードの後ろ姿しか映せなかったことを考えると、死人も蘇らせるCGの進歩って今後の映画製作に大きな影響を与えてくるのかも。いっそドゥークー伯爵も登場させて名コンビ復活させようぜ。

・過去作に媚びてた「フォースの覚醒」よりは面白かったけどね。とはいえ感想の5割くらいはノスタルジアによって美化されていることは否めない。どんなに迫力のある作品を作ったとしても「過去にはこんな出来事があったんだろうか」というファンそれぞれの想像力を完全に満足させることはできないわけで、ストーリー上で語る必要のなかった話がまた語られてしまったと、「スター・ウォーズ」に限らずプリクエルを観るたびに思わずにはいられないのです。

ボブ・ディランのノーベル賞スピーチ

翻訳の勉強も兼ねて、ボブ・ディランのノーベル賞受賞のスピーチ(本人は式典に欠席)を訳してみたのだよ。原文はこちら。コピーライトは© The Nobel Foundation 2016. 12月10日から2週間のあいだはどんな言語でも事前承諾なしで掲載してオッケー、みたいなことが書いてあるので著作権的にもクリアされてると思います。

(2016年12月10日、スウェーデンの駐米大使アジータ・ラジによる、ボブ・ディランからのノーベル賞授賞式でのスピーチ。)

皆様こんばんは。スウェーデン・アカデミーの会員各位および会場にいらっしゃる名高いお客様たちに、心からのご挨拶をさせていただきます。

私自身が式典に出席することができず申し訳ありません。しかし私の気持ちは皆様とともにあり、このような栄誉ある賞を受け取ることができたことを光栄に思っています。ノーベル文学賞を受け取れるなんて、私はまったく予想も想像もしていませんでした。私は若い頃から、この賞を得た作家たちの作品を読み、多くを学びました。キップリングやショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミユ、ヘミングウェイなど。こうした文学会の巨人たちの作品は学校で教えられ、世界中の図書館に置かれ、尊敬をもって語られ、常に深い印象を与えてきました。こうした人たちのリストに私が加わるということは言葉に表せません。

これらの作家がノーベル賞受賞を意識していたのかどうかはわかりませんが、世界中で本や詩や演劇を書いている人なら誰しも、そのような夢を密かに抱いているに違いありません。あまりにも密かで、本人が気づかないほどにね。

もし誰かが私に対して、ノーベル賞を受賞する微かなチャンスがあるよ、と言ったとしたら、それは自分が月面に立つのと同じくらいの確率だと私は考えたでしょう。実のところ私が生まれてから数年のあいだ、文学賞に値すると見なされた人は世界のどこにもいなかったわけで(訳注:1940年から43年まで文学賞の受賞者はいなかった)、私はとても数少ない人々のあいだに迎えられたという実感があります。

受賞の驚くべき知らせを受け取ったとき私はツアー中でして、知らせを理解するのに数分かかりました。そして私は文学の巨匠、ウィリアム・シェークスピアに思いを馳せました。彼は自分のことを劇作家だと考え、文学を執筆しているなんて思ってもいなかったでしょう。彼の言葉は舞台向けであり、読まれるのでなく話されるものだとして。彼が『ハムレット』を執筆しているとき、多くの異なることを考えていたに違いありません。「この役に適した役者は誰だ?」「どのように演出されるべきか?」「話の舞台はデンマークでいいのか?」などとね。創造性と熱意は常に彼の念頭にあったでしょうが、同時にもっと凡庸な課題に対応する必要もありました。「予算はあるのか?」「パトロンにいい席は確保されているか?」「頭蓋骨はどこで入手すればいい?」など。シェークスピアが最も考えていなかったことは「これは文学か?」でしょう。

10代のときに歌を書きはじめ、そこそこ有名になったときでも、私の歌に対する願望はたかがしれたものでした。喫茶店やバーで歌を聴いてもらい、もしかしたらカーネギーホールやロンドン・パラディウムで後には演奏できるかもと。もし本当に大きな夢を見ていたら、レコードを作り、自分の歌をラジオで聴くことができるかもしれないといった程度です。それが私の考えていた大きな賞でした。レコードを作り、自分の歌がラジオで流れることはより多くの人々に聴いてもらえるわけであり、自分が始めたことをこの先もずっと続けていけることを意味していたのです。

そして私は自分がはじめたことを長年続けてきました。レコードを何十枚も作り、世界中で何千ものコンサートを行ってきました。しかし私が行うことの殆どすべての中心には私の歌があります。私の歌は数多の文化において多くの人々に受け入れられたようで、そのことに私は感謝しています。

しかし1つ言いたいのは、パフォーマーとして私は5万人の観客と50人の観客の前で演奏したことがありますが、50人に対して演奏するほうが難しいということです。5万人の観客は1つの人格を持っていますが、50人はそうではありません。それぞれが個別の性格を持ち、独自の世界を持っています。彼らの方が物事を明確にとらえることができるのです。あなた方の正直さと、それがあなた方の才能の深さに結びついていることは疑うべきもありません。ノーベル委員会がかくも少ない人数で成り立っていることを私は十分に認識しています。

とはいえ、シェークスピアのごとく、私も自分の創造性の追求と、人生の凡庸な物事への対応にいつも追われています。「この歌に最適なミュージシャンは誰か?」「正しいスタジオでレコーディングしているのか?」「この歌のキーは合っているのか?」などね。400年たっても変わらないことは変わらないのです。今まで私は一度も「歌は文学なのか?」なんて考えたことはありません。

そしてこの質問について考えてくださり、最終的に素晴らしい回答を与えてくれたスウェーデン・アカデミーに心から感謝させていただきます。
皆様に幸せがあることを。

ボブ・ディラン

「Hunt for the Wilderpeople」鑑賞


「シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア」のタイカ・ワイティティ監督作品。

舞台となるのはニュージーランドの山奥。身寄りがなく素行不良で孤児院を転々としてきた少年リッキーは、愛想のいいベラと無口なヘクの夫婦が住む農場へ引き取られる。そこでもすぐ逃走を試みるリッキーだったが、寛大で優しいベラに対して徐々に心を開いていくようになる。しかしそんなベラが急死してしまい、リッキーはベラと違ってカタブツなヘクと二人で暮らすことになってしまう。だがベラが亡くなったことで児童福祉の機関がリッキーを孤児院に連れ戻そうとしたため、それを嫌がったリッキーは山奥へと逃げて迷子になってしまう。山に精通したヘクは容易に彼を見つけるものの、ヘクが足を負傷したことでふたりは山奥でしばらく暮らすことに。そうとも知らずに児童福祉の担当者はヘクがリッキーを誘拐したと思い込み、いつのまにかリッキーとヘクは追われる身になってしまう。そして逃避行を続ける二人のあいだには奇妙な友情が芽生え…というあらすじ。

バリー・クランプというニュージーランドでは有名な作家の小説を原作にしているらしいですが、話がチャプター分けされてたり、淡々としたコメディ寄りの演出がされているあたり、ウェス・アンダーソンの作品、具体的に言うと「ムーンライズ・キングダム」に似ている印象を受けたな。モキュメンタリーになっていた「シェアハウス〜」とはかなり異なるスタイルになっている。

リッキーを演じるジュリアン・デニソンはマオリの役者で、14歳ながらも体を張った演技をしていていい感じ。頑固オヤジのヘクはサム・ニールが演じていて、こちらはベテランの渋みを醸し出している。監督も役者もニュージーランド人が揃い、ニュージーランド映画としては最高の売り上げを記録することになったとか。ただ都市部が舞台だった「シェアハウス〜」に比べてニュージーランドの田舎が舞台なので、日本人にはちょっととっつきにくい部分もあるかも。あとリッキーは俳句を詠む趣味があるのですが、当然英語の「HAIKU」なので、あそこは字幕にしたらどう訳すのだろう。

タイカ・ワイティティはこのあとマーベル映画の「ソー:ラグナロク」の監督に抜擢されてるわけですが、この映画も低予算ながらヘリと車の追跡シーンなども含まれていて、アクション大作も案外うまく撮れるんじゃないの、という感じ。悪くはない作品でした。