「BATWOMAN」鑑賞

THE CWの新作シリーズで、アローバースに加わる新たなスーパーヒーローですな。

舞台は当然ながらゴッサム・シティだが、バットマンは3年前から行方不明になっているという設定。ブルース・ウェインの従姉妹であるケイト・ケインはかつては軍の兵士だったが、レズビアンであるという理由により除隊を命じられ、遠く離れた地で密かに訓練を続けていた。だがかつては彼女の恋人であり、ケイトの父親が運営する警備会社の社員であるソフィーが暴漢に誘拐されたためにケイトはゴッサムへと帰ってくる。そこでブルースの遺したバットマンの基地を発見した彼女は、バットマンのコスチュームを身にまとってソフィーの救出に向かうが、その陰には死んだはずのケイトの妹がいた…というあらすじ。

コミックでは10年くらい前に登場したケイト・ケイン版のバットウーマン、日本ではそんなに馴染みはないかもしれないけどアメリカでは人気キャラクターですね。TVシリーズ版のオリジンも大体はコミックを踏襲している感じかな。父親はもっとガチガチの軍隊オヤジだったけど。

バットウーマンの宿敵となる、双子の妹のアリス(上)は子供のときに母親とケイトとともに橋の上で交通事故にあって、バットマンがケーブル張って助けようとしたものの、なぜかケーブルが切れて母親とアリスは橋の下に落ちていったが、どうもアリスは生きていたという設定みたい。昼間に突然現れて、救助に失敗するバットマンがなんかとてもカッコ悪いぞ。まあ事故の真相はこれから明かされていくのだろうけど。

バットマンがいなくなったゴッサムシティ、という設定は短命に終わったTVシリーズ「BIRDS OF PREY」と同じなのだが、「スーパーガール」にスーパーマンが出てきたように、いずれこっちにもバットマンが登場するのだろうか。バットマンが3年間行方不明、ということは当然ブルース・ウェインも同じあいだ不明なので、ブルースってバットマンじゃね?と思う人がいそうなものだけど、そうでもないらしい。バットマンの基地や装備はルシアスの息子のルーク・フォックスが管理していて、彼もいずれコスチュームをまとってバットウィングになるのかしらん。

第1話ではケイトがバットマンのコスチュームを着るだけで(よくサイズが合ったな)、コミックでおなじみの赤毛のコスチュームはなし。TVシリーズに映画並みのアクションを期待するのは酷だろうけど、「アロー」とかに比べてもアクションシーンが稚拙で、なんか安っぽい気がするな…原作だともっとモラル的にグレーなキャラクターだった(バットマンと必ずしも気が合うわけでは無い)と思うので、そこらへんを強調する必要があるのでは。

ケイトを演じるのはルビー・ローズ姐さん。まあ適役ですな。素顔でビシバシ戦った方がカッコ良さそうな気もするが。スタントで怪我して緊急手術を受けたりと、撮影は大変だそうです。彼女自身もレズビアンだけど、レズビアンが主役のスーパーヒーロー番組はこれが初だそうな。その彼女の父親役にダグレイ・スコット。個人的にはやはり彼って演技が下手だと思うのですよね。いつも仏頂面で硬い演技しかできないというか。原作だとケイトと父親の関係が重要な要素なわけで、これからのストーリーにどれだけ貢献できるのだろう。あとなぜかMSNBCのキャスターであるレイチェル・マドウが声だけ出演してます。

第1話を見た限りではそんなに面白いとも思わなかったけど、主役はいい役者使ってるのだし、これから話をどう練り上げていくかが成功のポイントですかね。

アート・スピーゲルマンの序文

先週あたりにアメコミ界隈で話題になったニュースだが、マーベルのゴールデン・エイジ作品のコンピレーション版の出版にあたって、「マウス」でピューリッツァー賞を受賞したアート・スピーゲルマンに序文が依頼されたものの、内容が政治的すぎるとしてマーベルに却下されたそうな。修正を断ったスピーゲルマンは事の顛末の説明とともに序文を英ガーディアン紙に掲載している。

マーベルが序文を拒否したのは、マーベルのCEOであるアイク・パールムッターがトランプとズブズブの関係だからでは?とスピーゲルマンは示唆してるものの、これについてマーベルから公式な説明も出てないし、実際どこまでの忖度が働いたのかはよく分かりません。パールムッターは映画の記者会見で、記者がもらえるフリードリンクの数にケチをつけるような目ざとい奴として知られるが、本の序文にいちいち目を通してるのか分からないし。まあアウシュビッツをテーマにした「マウス」で知られるスピーゲルマンに執筆を依頼したなら、内容が政治的なものになることくらいは明らかだったと思うが。

というかこの文章、読んでみるとわかるがそんなに政治的なものでもないのですよ。むしろアメコミの黎明期において、ユダヤ系のクリエイターたちが当時の不安な世相に影響を受けながら新しいメディアを作っていったかがうまく説明されていて、そういう文章ってあまり日本では見かけないのでざっと訳してみました。あと日本でも「アートと政治は別にしろ!」と主張するアホな人がいたりしますが、世の中の出来事とアートが密接に繋がっていることはよく説明されていると思う。原文はこちら。当然ながらスピーゲルマンやガーディアンの了承など得てないのでチクったりしないように。

アート・スピーゲルマン:ゴールデン・エイジのスーパーヒーローたちはファシズムの台頭によって形成された

20世紀がまだ未開の時代であったころ、コミックは子供や知性の足りない大人向けの、文学に値しないゴミのようにみなされていた。ひどい文章に手を抜いた絵がつき、印刷の出来も悪かったのだから。現在のマーベル・コミックスの創設者であり出版者だったマーティン・グッドマンは、かつてスタン・リーに、コミックのストーリーを文学っぽくしたり、キャラクターの成長についていろいろ考える必要はないと語った。「アクションをふんだんに盛り込み、あまり言葉を多くしなければいいんだ」と。この方式が、数多くの重要かつ感銘的な作品を生み出していったことは、まさに真の驚異(マーベル)である。

コミック本のフォーマットは印刷業のセールスマンであるマックスウェル・ゲインズに負うものが大きい。彼は新聞の二部紙の輪転機を稼働させ続けるために、1933年にタブロイド紙の半分の大きさで、人気のあった新聞の連載漫画を集めて再印刷したのだ。もともと無料で配るものだったが、試しに10セントの値段をつけてみたところ、すぐにニューススタンドでは売り切れてしまった。これを受けて複数の出版社が、人気のあった漫画の多くをコミック本の形で収録して発売し、新しいコミックも安い再販料金で必要とされることとなった。これらの新作の大半は既存の連載漫画の三流コピー品か、冒険もの・探偵もの・西部劇・ジャングルものといったジャンルの作品だった。かつてマーシャル・マクルーハンが説いたように、あらゆる媒体は、独自のアイデンティティを持つまえにその直前にあった媒体の中身を包摂するのである。

そして志高き10代のライターであるジェリー・シーゲルと、若きアーティスト志望のジョー・シュスターが登場した。ふたりとも疎外されたユダヤ系のオタクで、そんなステータスがちょっとでもカッコいいと見なされる何十年も前のことだった。彼らは連載漫画が自分たちに、名声と財産と女の子たちの憧れの眼差しをもたらしてくれることを夢見て、死にゆく惑星からやってきて、真実と正義とルーズベルト大統領のニューディール政策のために戦ってくれる超人の異星人を考案したのだ。彼らはまだ成人したばかりであり、少年ふたりのアイデアは幼稚で、単純で、熟練していないとみなされて新聞社には断られたのだが、ゲインズは彼らの作品「スーパーマン」の13ページをページあたり10ドルで「アクション・コミックス」誌のために購入する。この金額にはキャラクターのすべての権利も含まれていた。シーゲルとシュスターの創造したものは、コミックという媒体を定義することになる新しいジャンルのモデルになったばかりでなく、彼らの人生は、クリエーターが生み出したものが出版社に膨大な富をもたらしたにも関わらず、クリエーターがその富を得られないという悲劇的な凡例になってしまったのだ。

ジェリー・シーゲルとジョー・シュスター

現在DCコミックスと呼ばれる出版社が1938年の6月に「アクション・コミックス」第1号を出版し、スーパーマンが登場したことで、コミックのゴールデン・エイジが始まったと一般的にはみなされている。シーゲルとシュスターは新しいアーキタイプ、より正確には新しいステレオタイプを生み出し、1940年にはスーパーヒーローものという新しいジャンルが、子供たちに毎月何百万ドルもの小銭を費やさせることを証明し、大量の模倣者たちが4色印刷のヒーローたちを次々と空へ飛ばし、皆がゴールデン・エイジで黄金を追いかけていた。スーパーマンの幼稚な純粋さは実のところ彼の魅力の1つであり、多くのパルプ小説よりももっと非論理的な、子供向けのファンタジーの物語に若い読者を誘い、原色と二次色に満ちた図式的なビジュアルは1つ1つのページを、読者の目をアクションで刺激する舞台の幕開けにしてくれるのだ。

流行に敏感で、派手なパルプ小説を出版していたマーティン・グッドマンは、スーパーヒーローの波に真っ先に乗った人であり、1939年10月に出した「マーベル・コミックス」第1号は大ヒットとなった(8万部の初版に続き、80万部以上の重版があった)。本の内容はコミック本のパッケージ業者であるファニーズ・インクによって提供された。ファニーズ・インクは間接経費を下げたかった新参の出版社のために、ストーリーからアートまで出来上がったコミックを制作することができたのだ。コミックを制作する「店」はアーティストの家族の多くが働いていた、衣服の搾取工場に似たようなものだった。タイムカードを押した多くのスタッフ(ライター、ペンシラー、インカー、レタラー)が原画のページにほとんど同じタイミングで取り掛かる、出来高払いの仕事で、アートというよりも小企業のようなものだった。この業務には未熟な若者や落ちぶれた老人などが雇われ、そしてさらには、コミックの需要に対応していた若き男性たちが第二次大戦中に徴兵されてしまったとき、女性や有色人種やその他のマイノリティが仕事に関わったのである(しかし彼らは、コミック全体で長きにわたって通用してきた、人種差別的で性差別的なステレオタイプを描かされたのだった)。

ここで指摘すべきは(私の人種の誇りというよりも、初期のコミック業界の生々しさと特定のトレンドに光をあてる意味で)、ニューヨークをベースにしたこの新しい媒体のパイオニアたちは、大半がユダヤ系もしくは人種的なマイノリティであったことだ。シーゲルとシュスターに限らず、最近アメリカにやってきた移民やその子供たちの世代(大恐慌の影響をもろに受けた人たち)はドイツにおける悪質な反ユダヤ主義の台頭に特に敏感であった。少なくとも名目上は「疲れ、貧しき、自由な息吹を求める群衆…」を迎え入れてくれる国のために戦う、アメリカの「超人」を彼らは作り上げたのである。

ジャック・カービーとジョー・サイモン

クラーク・ケントのごとき秘密のアイデンティティをつくったユダヤ人たちを、何人か挙げてみよう。ゲインズの本名はマックス・ギンズバーグだった。グッドマンの両親はリトアニアのヴィリニュスからの移民だった。同じくユダヤ系のジョー・サイモンとキャプテン・アメリカを創造した精力家のジャック・カービー(本名ジェイコブ・カーツバーグ)は、ニューヨークのロウワー・イースト・サイドのスラムで生まれた。そしてグッドマンの妻の従兄弟であり、その縁故で会社に雇われた17歳のスタンリー・リーバー少年こそが、のちにマーベルの顔となるスタン・リーである。彼らはより高級な広告業や出版業で働くことはできなかったものの、階層の底において居場所をみつけられたのだ。

これらのコミック工場における未熟なアーティストたちは、過酷な締め切りのプレッシャーのなかで新しい形式の可能性を発見していった。彼らはお互いの作品を模倣し、新聞の冒険コミックの天才たちからそのまま盗むことで腕を磨いていったのだ:アレックス・レイモンド(「フラッシュ・ゴードン」「Secret Agent X-9」)、ハル・フォスター(「ターザン」「プリンス・ヴァリアント」)、ミルトン・カニフ(「テリー・アンド・ザ・パイレーツ」)など。その一方で「マーベル・コミックス」第1号のメイン作品である「ヒューマン・トーチ」を描いたカール・バーゴス(本名マックス・フィンケルスティーン)は、「レイモンドやカニフを見たい奴らは、レイモンドやカニフを見ればいい。酷いアートは全部おれが描いたものだ」と誇らしげに語っている。ライター兼アーティストだったバーゴスの、まだ当時は初歩的だったアートは、直感的で視覚的なストーリーテリングに支えられ、これらの才能はヒューマン・トーチという見事なキャラクターを生み出した。燃えさかる赤と黄色の人間型の炎というこのキャラクターは、視覚的な強烈さをもって読者の目に焼き付けられ、まだおとなしくなる前の、初期のコミックの生々しいエネルギーを具現化したものであった。

バーゴスとファニーズ・インクで同僚だったウィリアム(ビル)・ブレイク・エヴェレットはコミック界の異端児だった。まず彼はユダヤ系でなく、300年続くマサチューセッツの名家の出身であり、その名のもととなったウィリアム・ブレイクの直系の子孫であった。彼は依存的な性格のためにアウトサイダーとなって、コミックに関わることとなった。彼は12歳で飲酒を始め、1日にタバコを3箱も吸っていたのである。あるいはアウトサイダーの性格であったために飲酒を始めたのかもしれない。彼はコミックの歴史においても最も才能のあるアーティストの一人だった。彼はなめらかに画を描き、あらゆるジャンルに対応し、読者が自由に彼のストーリーのなかで泳ぎつつも、アートのなかに隠された宝物を見つけることができるようなページデザインのセンスを持っていたのだ。

エヴェレットの孤独なアンチヒーロー、サブ・マリナーことネイモアは、20年ほどあとにマーベルで台頭する多くの荒んだキャラクターたちの先駆者だった。1940年代においては、少しきれいなDCコミックスの世界の真面目で善良なヒーローたちに比べ、明らかに特異な存在だった。海でも陸上でも自分の居場所を見出せず、ネイモアは気高くて横柄で、彼の対極にいたヒューマン・トーチよりも荒々しかった。しかし水と炎が合わさって、マーベルを沸騰させたのである。

40年代後半、真珠湾攻撃の1年前でナチスがロンドンを爆撃していた頃、ファニーズ・インクのフリーランサーだったジョー・サイモンは、グッドマンのもとでストーリーとアートと編集を担当するよう、彼に直接雇われた。そしてサイモンは、ジャック・カービーとともに考案した新しいヒーローのコンセプト・アートを披露した。そこには巨大な二頭筋と鋼の腹筋を持ち、アメリカ国旗のような格好をしたヒーローがナチスの本拠地に乗り込み、ヒットラーのあごに強烈なパンチを食らわせていたのである。それを見てグッドマンは震え出した。このコミックが与えるであろう衝撃を考え、1941年3月に「キャプテン・アメリカ」第1号が発売されるまで心配で仕方がなかった。グッドマンは、コミックが発売される前にヒットラーが暗殺されてしまうのではないかと心配していたのだ!

キャプテン・アメリカは兵士募集のポスターであり、スーパーマンが安っぽい不良やスト破り、欲深い地主やレックス・ルーサーと戦っているときに、彼は本物のナチスの悪党たちと戦っていた。しかもこの頃、まだアメリカは参戦するか決めかねていたのである。サイモンとカービーのコミックが爆発的に売れたのも不思議ではなく、戦時中は月に100万部近くが売れたという。しかし1941年には皆がファンというわけではなかった。サイモンによると、ドイツ系アメリカ人協会やアメリカ第一委員会といった団体は出版社のオフィスにヘイトメールを大量に送りつけ、「ユダヤ人は死ね!」と叫ぶ電話をかけてきたという。生けるスーパーヒーローだったフィオレオ・ラガーディア市長はサイモンを安心させようと電話をよこし、「ニューヨーク市は君に危害が及ばないようにする」と伝えた。

カービーの描く、肥大化した筋肉を持った躍動的な人物たちは、人体の構造を無視するようなものだった。彼のキャラクターたちは好戦的で生真面目で、ひたむきで怒りやすく、荒々しいコマや見開きのページから飛び出してきていた。彼のアートは戦時中だけでなくその後もずっと、スーパーヒーローのアクションのスタイルを決定づけたのである。

カービーはコミックのクリエイターとして多彩な面で独創的であり、実際の戦争の英雄であったことを私は承知しているのだが、実のところ彼が基礎となったスーパーヒーローのジャンルに、私はあまり通じていない。12歳の時点でも、スーパーヒーローは私のメサドンであった。私は「マッド」のような風刺雑誌や、図書館の全集で見つけた昔の新聞マンガのほうに私は夢中になっていた。私は「ドナルド・ダック」や「リトル・ルル」のようなもっと大人の作品が好きだったのだ。私はコミックのかたちが好きだ。ページを言葉と絵が満たし、小さなコマを比較・対比することでストーリーを引き出し、マンガの言語がさまざまなアクセントを持って奇妙な独自性を生み出すのが好きなのだ。

コミックはスーパーヒーローがすべてだと思う人たちは、ゴールデン・エイジの終わりを、コミックへの興味が薄まった戦後の40年代後半のどこかだと見なしている。

疲弊した兵士たちは、もはや熱心で夢中になるような読者ではなく、戦争に勝ったのはキャプテン・アメリカではないと実感するようになっていた。もしかしたら勝ったのはロシアかもしれない!何であれ、退役した兵士たちはコミックを読むのをやめたか、他のジャンルに興味を移すようになった。犯罪もの、西部劇、ロマンス、ホラーや戦争ものといったジャンルのコミックが人気になり、より大人向けの、時にはけばけばしい作品も増えていった。私自身はコミックのゴールデン・エイジの終わりを1954年だと考えている。コミックは子供だけに向けたものであり、子供たちを非行に走らせているのだという虚偽の憶測に基づいたモラルのパニックが起き、コミックは燃やされて国会での公聴会が行われ、これは多くの出版社を閉鎖させ、残った会社にも大きな被害を与える結果となった。除菌されたスーパーヒーローたちが1956年にコミック業界を生き返らせたが(現在はこれがシルバー・エイジの始まりとされている)、コミックはその黄金時代に持っていた偏在性を二度と得ることはなかった。だがこれは書籍としてであって、映画としては世界を征服した!

ケープをまとった人物が摩天楼の上を飛んだり、ニューヨークの街を崩壊させる光景を見たければ、ゴールデン・エイジにおいてはコミックのページが最も満足できるメディアであった。しかし21世紀においてはCGIの奇跡のおかげで、コミックを読んだこともグラフィック・ノベルについて聞いたこともない世界中の何百万人もの人々が、シネコンに足を運び、コミックのDNAを継いだ新たな神たちを崇拝しているのだ。

最初のスーパーヒーローを生み出した若きユダヤ人のクリエイターたちは、大恐慌にことを発し、迫り来る世界大戦の予感を確固たるものとした経済的な混乱を経験し、それに対抗するために神秘的で、ほとんど神のような力を持った現世の救済者たちを作り出した。読者が自分たちを無敵のヒーローと重ね合わせることで、コミックは読者がファンタジーに逃避できるようにしたのだ。

アウシュビッツや広島は、現実世界の出来事というよりもコミックの世界の暗い大きな悲劇のようだ。今日の現実世界においては、キャプテン・アメリカの宿敵レッド・スカルはスクリーン上で生きており、オレンジ・スカルはアメリカを脅かしている。再び世界的にファシズムが台頭し(人はすぐ過去を忘れる。子供たちよ、ゴールデン・エイジのコミックをしっかり勉強しろ!)、2008年の経済的なメルトダウンによって生じた格差は、地球そのものをメルトダウンさせようとしている。大きな災いが起きる可能性があり、我々は想像を超えた力を怖がる子供たちとなって、我々の希望の祭壇のスクリーンを飛び交うスーパーヒーローたちに安らぎと答えを見出そうとしているのだ。

コミックの中身が映画を乗っ取った一方で、コミックの形態は、巧妙にグラフィック・ノベルと姿を変えて、我々の文学(の残ったもの)に浸透してきた。1947年から高級なイラスト付きの書籍を出版してきた、名高き出版社であるフォリオ・ソサエティがゴールデン・エイジのマーベル・コミックス作品のデラックス・コンピレーション版を出すことになったとき、グラフィック・ノベルの作者でありコミックの研究者である私に、フォリオ社は序文の執筆を依頼してきた。もしかして彼らは、それなりの体面を保った文章を期待していたのかもしれない。

私は6月の終わりに、ほぼ上に書いたような形での序文を送付した。しかしフォリオ・ソサエティの編集者は残念そうに、マーベル・コミックス(コンピレーション版の共同出版社だ)は「政治色を出さない」ようにしており、出版物にも政治的スタンスを持たせないようにしていると伝えてきた。レッド・スカルについての文を修正するか削除しなければ、序文は掲載できないと私は伝えられた。私は自分のことを、ほかの作家に比べて特に政治的だとも考えていないが、オレンジ・スカルに関する比較的ソフトな表現をも削除するように伝えられたことで、いま我々が直面している脅威を茶化すようなことは無責任かもしれないと実感し、序文の掲載を辞退することにした。そして奇遇にも、とあるニュースを私は今週目にした。マーベルの元CEOで会長である大富豪のアイク・パールムッターはドナルド・トランプの長年の親友であり、フロリダの大統領のマールアラーゴ・クラブの一員で、彼に対しては非公式だが影響力のあるアドバイザーだ。そのパールムッターと妻がそれぞれ36万ドル(寄付の上限値だ)を、2020年の選挙に向けたオレンジ・スカルの「トランプ当選募金員会」に最近寄付したというのだ。こうして私は再び、あらゆることは政治的なのだと学んだのだ…ヒットラーの顎をぶん殴るキャプテン・アメリカのように。

「PENNYWORTH」鑑賞

米EPIXの新番組。第1話を某ストリーミングサービスで提供してたのを視聴。最近は配信サービスが多過ぎて、どこで何が提供されてるのか探し当てるのが難儀だわぁ…。

上の画像のDCコミックスのロゴと「ペニーワース」という題名でピンと来る人もいるかもしれないが、バットマンことブルース・ウェインの忠実な執事であるアルフレッド・ペニーワースの若かりし頃の冒険を描いた作品。バットマンといばキャットウーマンとかバットガールとかロビンとか、いろいろスピンオフが作れそうなキャラクターはいるだろうが、まさかアルフレッドとはね!なおバットマンの前日譚である「ゴッサム」にもアルフレッドが出演しているけど、あちらとのつながりは特にないみたい。

アルフレッドはバットマンと同じくらい古くから登場しているキャラクターなので、年齢設定は微妙にぼやかされておりまして、このシリーズでも舞台となるロンドンは60年代っぽいようで上空に飛行船が飛んでいたり、路上で犯罪者が首枷にかけられていたりと、ちょっとパラレルワールドっぽい世界になっている。アルフレッドはロンドンのクラブの用心棒として働く元兵士という設定になっていて、コミックみたいな元舞台役者ではないみたい。彼はいずれ自分の警備会社を立ち上げるのが夢だが、妹を連れ返すためアメリカからクラブに来ていたトーマス・ウェインとたまたま知り合う。そして会計士であるウェインはイギリスの闇組織に資金が流入していることを知ったために組織から狙われ、アルフレッドもまたその騒ぎに巻き込まれていく…というようなあらすじ。

トーマス・ウェイン(ブルースの父な)に妹なんていたっけ?というのは置いておいて、今後はマーサ・ケイン(ブルースの母)も登場するらしいが、バットマンにゆかりのあるキャラクターはそれくらいじゃないかな。というかこの番組、バットマンと切り離して観たほうが面白いと思う。アクションがあるかといえばそんなに多いわけでもなく、1話の前半はロンドンの闇社会におけるやりとりが淡々と続くわけだが、マイケル・ケインの「狙撃者」みたいな60年代ギャング映画のオマージュとして見ればそれはそれで面白かったりする。舞台がロンドンで役者がみんなイギリス人ということもあり、アメリカのシリーズというよりもBBCの「フレミング」みたいな番組を観ている感じでした。

どうもイギリスの闇社会では2つの反目する組織がそれぞれ社会転覆を狙っているという設定のようで、トーマス・ウェインはそれを監視する目的でアメリカ政府に命じられて当面はロンドン在住になるみたい。第1話の時点ではアルフレッドは彼のために働くのを断ってるのだが、自身は口うるさい両親と一緒に自宅に住んでいる、というのが妙にリアルで面白いところでした。

アルフレッドを演じるのはジャック・バノン…って「フューリー」とかに出てた人なのか。髪型がかつてのジュード・ロウみたいで、それはつまり、今後は…まあいいや。あとは知った顔だと闇組織の中堅ボスとしてジェイソン・フレミングが出ています。第1話の監督はダニー・キャノン。「ゴッサム」の第1話の監督も彼だったよな。もともとはスタローン版「ジャッジ・ドレッド」を監督したりとコミックへの思い入れはある人なので、「CSI」とかからこっちの世界に戻ってきたのは嬉しいことです。

批評家にはそんなに評判が良くないようだけど、バットマンという要素を忘れれば結構楽しめる内容であった。番組のほうもあまりバットマンとのつながりを強調しないほうが良いかもしれない。

またちょっとVPNをゴニョゴニョして、DCコミックス(失礼、「DCエンターテイメント」ですな)の映像配信サービス「DC UNIVERSE」に加入してみたのであります。正直なところ価格の割にはラインナップは乏しいし、コミックの読み放題サービスもちょっと使い勝手が悪いような気がしますが、「タイタンズ」「DOOM PATROL」(まだ観てない)に続く第3のオリジナルシリーズとなるこれを視聴してみたら意外と面白いのでございます。

原作は植物と人間が融合したモンスターヒーローのスワンプシングを主人公にした一連のコミックで、かつてはウェス・クレイブンが「怪人スワンプシング」として映画化しているほか、TVシリーズ、さらにはアニメシリーズなども作られており、実はよく映像化されているキャラクターだったりする。

原案はレン・ウェインとバーニー・ライトソンというアメコミ界でも屈指のクリエイターたちだが、コミックが本当に有名になったのはアラン・ムーア御大が80年代初頭にライターに就いたときで、初っ端から「スワンプシングは人間と融合した植物ではなく、人間の記憶を持った植物な」と従来の設定をひっくり返し、それ以降はイギリスの魔術師ジョン・コンスタンティンが登場したり、世界の植物界を統治するパーラメント・オブ・ツリーズが出てきたり、さらにはスワンプシングが宇宙での冒険を繰り広げたりと、それはもう革新的なストーリーを繰り広げていたのであります。このコミックによってイギリスのライターたちがアメリカで活躍する機会が広がり、のちのヴァーティゴの立ち上げにつながったのは間違いないだろう。

んでこのTVシリーズのほうですが、賢明にもムーア御大のプロットは殆ど使わず、プロデューサーのジェームズ・ワンの映画を彷彿させるような、サザン・ゴシックのホラー作品に仕上がっている。

舞台は湿地帯に面したルイジアナの町マレー。そこでは植物に関連した謎の疫病が蔓延し、人々が病院に担ぎ込まれていた。マレー出身の医師であるアビー・アーケインは、疫病の原因を突き止めるために数年ぶりに故郷に戻り、そこでエキセントリックな植物学者のアレック・ホーランドと出会う。何者かが湿地に投棄している植物活性剤が疫病に関連していることを疑ったアレックは単身湿地に乗り込むが、何者かに撃たれて沼に沈んでしまう。そこで彼の体は活性剤と交わり、アレックはスワンプシングとして蘇るのだった…というあらすじ。

ただし話の主人公はあくまでもアビーであって、アレックことスワンプシングの登場はかなり抑えられている。アビーは過去に何らかの理由でマレーを離れており、いったい何があったのか?が徐々に明かされていくほか、湿地に関わる町の有力者の陰謀、さらには幽霊が出てきたりと、いろんな謎が絡み合っているのだが決して詰め込んだプロットにはならず、次はどうなるんだろうと思わせる内容になっている。

登場人物も多彩で、マット・ケーブルやジェイソン・ウッドリューといった原作でもお馴染みのキャラクターに加え、マダム・ザナドゥやファントム・ストレンジャーといった他のコミックのキャラクターも登場。かなりマイナーなブルー・デビル(の中の人)までもが登場したのは驚きました。アビーの叔父でスワンシングの宿敵であるアントン・アーケインが出てこないのが意外だが、いずれ登場するのかな。

役者はアビーを演じるのが「ゴッサム」のクリスタル・リード。有名どころでは有力者の妻をヴァージニア・マドセンが演じていたり、ジェニファー・ビールスとかが出演しています。「スター・トレック:ヴォイジャー」のティム・ラスもチョイ役で出ていたな。

製作ではゴタゴタがあったみたいで、当初1シーズン13話の予定が10話になり、さらに税金免除の見込みが間違ってた(正確な理由は不明)とかで開始直後に1シーズンでの打ち切りが決定されるなど不遇な目に遭っている。DCコミックスの虎の子作品「サンドマン」はNETFLIXに行ってしまったし、「DC UNIVERSE」自体がなんか不調なのでは?という声も出ているけど、数話みた限りではこの「SWAMP THING」かなり面白いので、今後も頑張ってDCコミックスの映像化に挑んで欲しいところです。

1952年に始まった老舗ユーモア雑誌「MAD」がその歴史に幕を閉じるそうで。厳密にいうと発行元のDCからはまだ公式な発表が出てないし、過去の作品のリプリントは続けるて年末号にはちょっと新作を掲載するらしいが、まあ実質的な休刊とみなして良いでしょう。折りたたみマンガで知られる長年のアーティスト、アル・ジャフィー(98歳)は現役のまま「MAD」の終わりを見ることになった。

個人的には熱心な読者というわけでもなかったが、雑誌という形態から日本の洋書店でも比較的容易に見つけることができ、神保町のタトル商会とかでよく立ち読みしてました。DCのヴァーティゴで作品を出していたピーター・クーパーが名物連載「SPY VS. SPY」を引き継いだころで、セルジオ・アラゴネスなんかもよく寄稿していたな。創始者のハーヴェイ・カーツマンによる過去の作品も読んで、その奔放さに驚いたものです。

元々はホラー・コミックで知られるECコミックスから出版され、コミックス・コードと戦ったことで知られる出版人のウィリアム・ゲインズによって立ち上げられたコミック誌だったが、コミックス・コードの規制を避けるために「コミック」ではなく「雑誌」の形式をとって、カーツマンのもとウォリー・ウッドやウイル・エルダーといったアーティストを起用して人気を博していく。

これも個人的にはスケールが掴みづらいのだけど、「MAD」がベビーブーマーの世代に与えた影響ってものすごいものがあるようなのですね。ロバート・クラムやテリー・ギリアム、アート・スピーゲルマンといったアーティストたちだけでなく、「え、あなたも?」と思うような人たちがインタビューで「MAD」の影響を公言しているのを何度目にしたことか。権力やメディアを徹底的に風刺するそのスタイルが、当時のカウンターカルチャーに与えた影響は相当なものであるらしい。アメリカだけでなくイギリスではアラン・ムーアなどが「MAD」の大ファンだし、日本ではモンキー・パンチや赤塚不二夫などがその影響を公言している。さらに言うとジョーダン・ピールだって雑誌をベースにしたTV番組「MAD TV」の出身だぞ。個人的には「シンプソンズ」でのトリビュート(「もう僕はこの目を洗わない」)が好きですね:

最近でもトランプが民主党のピート・ブーテジェッジ市長を「アルフレッド・E・ノイマン」(MADのマスコットキャラクター)呼ばわりして、ブーテジェッジ(37歳)が「それ誰だっけ?」と返したやりとりがありましたが、もう若い世代は「MAD」とか読まないんだろうな。出版業界自体がアメリカでも落ち目なのか、DCはこないだヴァーティゴの終了も発表したし、いろいろ寂しいこってす。

「MAD」のライバル誌(たくさんあった)の1つ「CRACKED」が休刊してウェブメディアになってから意外と成功している(こないだスタッフ解雇してたけど)ように、雑誌以外の媒体で「MAD」の伝統を残すことはできないのだろうか。