マイクロソフトがエドガー・ライトと組んで立ち上げたウェブ上のプロジェクト。公式サイトはこちら。当然ながら「IE9で観るのがいちばんいいよ!」なんて書かれてるんだが、うちのマックのsafariでも普通に観られました。

2週間ごとに1話がアップされていく全4話のウェブシリーズで、第1話の脚本がエドガー・ライト、アートがアメコミ・アーティストのトミー・リー・エドワーズ…って久しぶりに名前を見た気がするな。他にも音楽がデビッド・ホルムズでナレーションが「マイティ・ブーシュ」のジュリアン・バラットとスタッフがやけに豪華だったりする。

内容はいわゆるモーションコミックで、主人公のブランドンはライターズ・ブロックに苦しむ作家で、優れた作品を書いてみたいと思うものの何も思いつくことができず、「ヒューゴ」みたいな狭い部屋に住んでコーヒーをガブ飲みしながら空白のPC画面を見つめる日々を過ごしていた。そんなある日彼はPCの前で居眠りをしてしまうが、目覚めるとPCには文章が書かれ、ノートにはイラストが描かれ、音声メモには録音が残されていた。これらについて全く記憶がないブランドンだったが、果たしてこれはすべて彼の手によるものなのか、そして彼が書いた文章とは一体どんなものなのか…というようなプロット。

このあとはどうも読者参加型の形式になるらしく、読者(視聴者?)はサイトを通じて文章やイラストを投稿でき、そこから選ばれたものが次の話に組み込まれる形になるらしい。ファンとしては最初から最後までライトに話を書いて欲しいところなんですが…。個人的にはこういう読者参加型の仕組みって一貫性を欠いたものになりがちであまり好きではないのですが、今回のはどんな結果になるんだろうね。でもまあうまくいけばあなたの作品が世界に認められてライトたちと友達になれるチャンスかもしれないので、腕に自信のある人は何か投稿しているのもいいんじゃないでしょうか。


みなさま明けましておめでとうございます。

昨年は震災を筆頭にいろいろ多くのことがあった年でしたが、まあこうして新年を迎えられているわけで、人間しぶとく生きていけるものだと思うこのごろです。決して楽観論者ではありませんが、やれ日本が終わるだの世界が終わるだの唱えている連中には感心しませんね。震災のボランティアにやってくる多くの人たちを見て、みんなやるじゃんと昨年は思いましたよ。

とはいえ先行きが見えない時代に生きているという実感は明らかでして、自分も仕事が今年は正念場かなあと。まあ養う妻子もいないし家のローンとかもないから根本的には気楽なものですが。健康には気をつけたいところです。

それでは今年もよろしくお願いいたします。


勤めてる会社(のグループ)が震災のボランティアを募ってたのでこないだ宮城県まで行ってきたのだよ。旅費とか宿泊費は会社持ちということだったので、1日数時間の労働と引き換えに仙台とか観光できればめっけもんかな、と不埒な気分で行ったわけですが、炎天下のなかで不慣れな労働をしたらフラフラになって観光どころじゃなかったですね(帰りはちゃっかり途中で塩原温泉に泊まってきましたが)。でも仙台は通りが広くてきちんと整備されたいいところでしたよ。

仙台市街とかはもう震災の被害は殆ど感じられないものの、北仙台駅の近くの神社では鳥居が崩壊していたりして地震の脅威を物語っていたほか、市街地から離れるとフェンスがひん曲がったり壁が崩れた建物がちらほら見かけられるほか、海の近くではクシャクシャになった車が転がってたり、あちこちにガレキの山が見受けられたな。7月とかに比べてもずいぶん片付けられたらしいけど、元のようになるにはまだまだ時間がかかるでしょう。これは政府がチンタラやってるせいなのか、それとも地震の被害があまりにも大きかったせいなのかは俺には分からない。たぶん後者だと思うけど。

そして俺らが行ったのは石巻のちょっと西にある七ヶ浜という町で、丘の上のボランティアセンターにおいて与えられた仕事は個人宅の片付けというもの。浸水した家の家具でも運び出すのかな、と思ったら全然違って、津波によって土台を除き家屋がぜんぶ流されたお宅のガレキ掃除をするというもの。ちゃんと海の前には数メートルの高さの堤防があって、その後ろには松林があったりするんだけど、海沿いの家はみんな跡形もなく流されていた。そこからちょっと先にある高台の上の家はみんな無事であるのを見ると、もう低地には住みたくないという被災者の意見はよく分かる気がする。

家の跡地の地面はどれだけ掘ってもガラスの破片や欠けた茶碗などが次々と出てきて、七ヶ浜がかつてのような海水浴場になるには長い時間がかかるだろうなあ。そんななかで子供の玩具や家族の写真とかが埋もれてるのを見ると、何とも言えない気分になりますね。七ヶ浜のキャッチフレーズは「うみ・ひと・まち」だそうだけど、それが津波によって文字通り一緒になったというのはどうも皮肉なものですな(失礼)。清掃作業は前述したように結構しんどかったけど、どうにか避難して仮設住宅に暮らしてる家主さんがジュースとか差し入れてくれるのを見ると、ぶっ倒れてでも作業しようという気になるわけで。

企業からのボランティアは俺らのほかにもソニーや京セラなどが数十人規模で社員を派遣していたほか、大学生の団体などが来てましたね。あとは皆でお金を出し合って名古屋からやって来た市民グループとか、個人でやってきた人たちもいたな。和歌山からやってきたという老夫婦なんて、七ヶ浜に来る前は福島に物資を届けてたらしい。皆それぞれの理由とか思想とかあるんだろうけど、その行いにはただただ頭が下がる思いです。

ガレキの転がる空き地のなかでは子供たちが遊んでいたし、近くのコンビニは割れたウィンドウにブルーシートを貼って営業したりして、被害にもめげずにみんな以前の生活に戻ろうとしていたな。それに帰りの新幹線からは福島を見てきたけど、閑散としている一方で人々はめげずに日常の暮らしを続けているわけで、やれ放射能が怖いだの今までの日常は終わっただの騒いでる人たちこそ東北の状況を見てくるべきじゃないですかね。

僅かながらも人の役にたったという満足感を得た一方で、もっと手際よく作業ができたんじゃないかという奇妙な罪悪感を抱きながら被災地をあとにしたわけですが、また機会があればぜひ行ってみたいところです。

たまには社会見学でもしよう、ということで品川の中央卸売市場食肉市場へと行ってくる。あれって品川駅のすぐ近くにあるのね。本当は屠殺場とか肉のセリを見たかったのだが、当然ながら個人での見学はできず、敷地内にある「お肉の情報館」だけ見てきた。

ビルの一角を使った展示室といった感じで決して広くはないのだが、日本の食肉の歴史とかブタやウシの模型などが展示してあって、食肉のことはひととおり分かるものになっている。動物を屠る作業の流れも詳しく説明してあり、でっかいナイフやフックなんかも飾られていた。動物を殺す作業は洗練されているようで、数年前までは脊髄にワイヤーを通して神経を破壊して暴れないようにしていた、なんて解説を読むとうーんと考えてしまいますね(いまは電流を流してるらしい)。

あとは畜産業に関わる人たちの人権の解説にも多くのスペースが割かれていて、関係者に送られてくる誹謗中傷の手紙なんかも展示されていた。モリッシーみたいなハードコアなベジタリアンが書いてるのかと思いきや、「ブタは韓国で殺して肉を飛行機で持ってこい!」みたいなことが書いてあったりして、結局肉は食いたいのかよ!といった感じでした。要するに食肉というよりも部落差別がされているんだよな。ネット上の書き込みに比べ、リアルな手紙に書き連ねられた罵詈雑言というのはインパクトありますね。ただし食肉業界もイメージの向上を気にするあまり、横山光輝の「三国志」における肉屋の描写に抗議して変更させるなんて行為は矛先が違うと思うよ。

俺自身は家ではなるべく肉を食べないようにしているのですが、人間が他の動物を食べるというのは、これはもう歴史的にも文化的にも仕方ないことだと思うのですね。米トラベル・チャンネルの「Bizarre Foods」という世界のゲテモノ料理を紹介する番組があってよく観ているのだけど、世界のあちこちで気のいいオバちゃんたちがニコニコしながら動物をさくっと屠って伝統料理を作る(ただし内臓や皮などは一切無駄にしない)のを観ると、まあ人間というものは食べられる物はなんでも食べることで生き延びてきたのだ、と思わずにはいられないのですよ。とはいえ食べ物が豊富になった(はず)の文明国では食肉を控えても十分に生活できるわけだし、それが環境保護につながるという意見もあるわけで、まあいろいろ考えさせられる一日でした。

宮城あたりに比べれば関東の被害なんて微々たるものだが、あとで思い返すときの参考になるかもしれないので自分の経験を記しておきます。

最初の地震があったのは昼食をとったあとで、なんとなく揺れを感じながら歯を磨こうとトイレへ。そしたら揺れが半端じゃなくなってきて、トイレに入ってた同僚の人たちも青ざめた顔をして出てきて、そのまま一緒に非常階段で地上に向かうことに。うちの職場は高層ビルの20階あたりにあるんだけど、建物自体の揺れも加わるのかえらく揺れたんですよ。それで階段を20階降りるのにもかなりの時間と体力を費やしたわけだが、地上に着く頃には揺れが収まってたかな。外には既に多くの人たちが集まっていて、携帯でニュースをチェックしてる人たちの「宮城では震度7」という驚きの声を耳にする。付近では崩壊や火事などの被害はなし。ただ後で知ったけど近くの工事現場のクレーンが傾いたらしい。

しばらく外にいたけどコートもなくて寒かったし、片付けたい仕事もあったので非常階段を使ってまたオフィスへ戻ることに。安全点検のためエレベーターはすべて停止していた。揺れは収まってもビルがまだ揺れていて、壁とかがギシギシ音を立ててるのは非常に不気味でしたよ。壁のあちこちに亀裂がはいってたし、壁の漆喰もポロポロ落ちていたな。

それで汗かきながら20階ほど上ってオフィスに戻ると、すでに仙台では津波が発生し、車がゴミのごとく流されていく光景がテレビで報じられていた。なんかえらいことが起きてるなと実感しはじめてるときに、大きな余震が発生。最初のと同じくらい大きいものに感じられたけど、また地上に避難するのもイヤなのでオフィス内をグルグル歩きまわって対処。なんかこう、机の下にもぐるよりも、自分で動いて体を揺らしたほうが揺れに対処できるような、そんな感じだったんですね。

それから後はエレベーターや交通機関が止まってるのですぐに帰宅はできないし、ニュースやネットで災害の情報をチェックしながら、放心状態になりつつも仕事をいくつか片付ける。埼玉の実家には電話がつながらないので心配するが、一方ではネットが生きてるのでメールやツイッターなどで知人の安否を確認。こういうときのツィッターの効力はすごいですね。最新の情報がどんどん入ってくる。デマもずいぶん拡散されたようだけど。

そんなこんなで夜になり、交通機関は相変わらずストップしたままだったけど、家の状況なども心配だったので帰宅することに。幸いにもうちは職場から歩いて1時間ほどのところにあり、以前にも歩いて帰ったことがあるので不安はなかった。この日はジムに行く予定だったけど、こんな形で運動することになろうとは。非常階段を下りて地上に着くと、他にも多くの人たちが歩いて帰宅していた。駅の周辺とかも思っていたほど混雑してなかったかな。途中でメシ食ってこうかとも思ったけど、開いている店はどこも混んでいたのでそのまま歩き続ける。自宅の直前で実家から電話があり、両親とも無事であることを確認。

帰宅したら意外と部屋の中は乱れておらず、冷蔵庫の上の食器が落ちていたくらい。ガスも水道も電気も通じていたが、節電してくださいという東京電力のアナウンスがあったのでエアコンは控え目にする。カップラーメン食べて風呂に入ったらその日の疲れがどっと出て、早めに寝ることに。しかし余震で何度も目が覚めて、実に気分の悪い一夜でしたよ。

それで今朝起きたらふくらはぎが筋肉痛でしんどいことになってて、1時間歩いただけでこんなことになるのって情けないよなあ。この週末はコメディ映画を何本か観る予定だったけど、そんな気分でもないので、原発のニュースを気にしながら無作為に時間を過ごす。

まあいろいろあったけど自分の受けた被害なんて微々たるものでして、今回の地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。また安否を気遣って連絡をいただいた知人の皆様、どうもありがとう。とりあえず今の自分にできることは節電ですかね。いずれ会社ぐるみで募金をすると思うのでその際にささやかながら寄付をしようかと思います。