「DOGTOOTH」鑑賞


あちこちで高い評価を得ているギリシャの映画。

話の舞台となるのは人里離れたところにある屋敷で、そこでは3人の若者たち(娘2人と息子1人)が両親によって外界と隔離され、塀の外へは一歩も出ることができずに一家だけで暮らしていた。屋敷を出ることができるのは父親だけで、息子の性欲の対処のために父親の会社で働く警備員の女性が娼婦として連れてこられるほかは、子供たちは塀の外の世界のことをまったく知らされずに育てられていたのだ。さらに両親に都合の悪いような言葉はすべて意味を違えて教え込まれ、例えば「海」は革製の椅子で、「ゾンビ」は黄色い花、というように。また彼らは架空の第4の兄弟がいることを教えられ、彼は罰として怖い外界へ追放されたことを告げられる。それでも年をとるにつれて外界への興味を抱く子供たちに対して、父親は「犬歯(ドッグトゥース)が抜け落ちる頃には外に行く準備ができるはずだ」と伝えるのだが…というような内容の物語。

とにかくものすごくシュールな展開が続く映画で、両親がなぜ子供たちをそのように扱うのかという説明は一切なし。両親にすべてを管轄された世界における子供たちの様子を淡々と描いていっている。個人的には北朝鮮のような独裁国家において偽の情報を与えられる国民のアレゴリーを感じたんだけど、監督のインタビューを読む限りではそうした意図はなくて、友人たちが子供を持つようになってとても過保護になっていくさまを見てこの映画を思いついたらしい。

ストーリーだけ聞くととても重そうな内容に感じられるかもしれないが、実は制限された環境のなかで右往左往する子供たちの様子がひたすら面白く描かれていて、最初から最後までゲラゲラ笑える作品であったりもする。屋敷の庭にネコが出たからといって「ネコというのはこの世で最も恐ろしい動物だ!奴らを追い出す方法を学べ!」と父親に命じられてイヌの鳴き声を必死に練習するシーンとかは大爆笑ものですぜ。ダンスのシーンもすごかったな。

子供たちの性的な目覚めを反映した、結構きわどいシーンも多いのでそのまま日本で公開されるかは非常に疑問だが、多くの人に見て欲しい衝撃的な映画でありましたよ。

あと次女を演じる女の子がすごく可愛かった。

「CATFISH」鑑賞


いまの時点でこの映画について書くことはすべてネタバレになりそうな気がするので、以下は白文字で書きます:

ニューヨークで写真家をやっている青年ヤニフのところに、アビーという6歳の少女が彼の写真をもとにして描いた絵がある日送られてくる。それがきっかけでヤニフとアビーはフェイスブックを通じた交流を行うようになり、さらにアビーの母のアンジェラや姉のミーガンとも仲良くなり、特にミーガンとは遠距離恋愛めいた仲になるヤニフ。彼はアビーの一家との交流を描いたドキュメンタリーを作ろうと、兄たちとともに出来事を撮影していくのだが、ミュージシャンだと自称していたミーガンの曲が他人のものであることに気付く。これで彼女やアンジェラの言うことに疑惑を抱いたヤニフたちは、ミシガンにある彼女たちの家を訪れることにするのだが、そこで彼らを待っていたものは…というようなドキュメンタリー。音楽をディーヴォのマーク・マザーズバーが担当してた。

アートに関するドキュメンタリーっぽく始まって、中盤はサスペンスかホラーか?と思わせときながら、最後はSNSサービス時代の人間関係についてのドラマで終わるという、なかなか一筋縄ではいかない作品だったよ。トレーラーなどではホラーであるかのような宣伝をしてるけど、まったくそういう作品ではないのでご注意を。俺も障害者の兄弟が出てきたあたりでは「悪魔のいけにえ」みたいな展開になるのか?と思って身構えたけどね。

サンダンスでの初公開時から「これは偽ドキュメンタリーではないか?」という疑惑が絶えなかった作品で、いまでも世論は二分されているみたい。確かにヤニフの言動がやたらカメラ慣れしていたり、突発的な海水浴のシーンでもちゃんと防水カメラが用意されてるなど怪しい要素はいくつかあるんだが、個人的にはこれは真っ当なドキュメンタリーだと思う。もし偽のドキュメンタリーだとしたら前述の障害者たちをかつぎ出したことについて製作者たちは相当な社会的制裁を受けることが明らかなわけで、それだけのリスクを冒す意味がないと思うので。

こうした宣伝のギミックや話の真偽にまつわるハイプが大きすぎるので、実際に本編を観たあとはどうしても肩すかしされた感が残るというか、この映画を観たことで得られるものは何なのかというと少し考えてしまう。フェイスブックやGoogleが出てきたことでこういう人間関係も生じるんですよ、ということを描いているという意味ではよく出来た作品なんだけどね。

繰り返すが、この映画のトレーラーはものすごくミスリーディングなものなのでダマされないように…。

「THE AMERICAN」鑑賞


アントン・コービンが監督した、ジョージ・クルーニー主演の映画。

プロの殺し屋で武器職人でもあるジャックはスウェーデンで何者かに命を狙われたことでイタリアに逃亡し、知人の手を借りてカステル・デル・モンテという小さな村に潜伏することになる。そこで彼はライフル銃の製作にとりかかるほか、クララという娼婦と恋仲になる。しかし彼には危険が迫っていた…というような話。

サスペンスなんだかアクションなんだかメロドラマなんだか、いまいち何をやりたかったのかよく分からない作品。いちおう銃撃戦とかカーチェイスがあるんだけどアクション映画というわけでもないし、ユーロピアンなアート映画としては世俗的すぎるというか何というか。どうもストーリーが起伏に乏しく、ダラついた感じがするんだよな。加えて音楽はヘルベルト・グレーネマイヤーという人気歌手が始めて映画音楽を担当したものらしいが、どうも扇情的というか大げさな感じがして好きになれなかったよ。

ストーリーには原作があるらしいけど、良心の呵責に苛められる殺し屋とか、心優しい娼婦なんてのは他の映画で山ほど目にしているので新鮮さはなし。仏頂面で黙々と仕事をする主人公を演じるジョージ・クルーニーの演技は悪くないんだが、あくまでも「演技しているクルーニー」にしか見えなかったぞ。もっと無名の役者を起用したほうが話のリアリティが増したんじゃないの?ストイックなキャラクターのようで風俗通いだけはマメに行っているというのもよく分からんし…。その一方で娼婦のクララを演じたヴィオランテ・プラチドは非常に美しいですよ。「ゴッドファーザー」でマイケル・コルレオーネの最初の妻を演じた女優さんの娘らしいが、大胆な脱ぎっぷりを披露してくれてます。

なお写真家のコービンが撮った映画ということもあって、夜の路上とかイタリア山地の風景とかの映像は非常に美しい。コービンの写真ってセピア色のものとかピンボケした人物写真のイメージが強かったんで、このような風景映像が撮れるのは意外だったけどね。それがやはり大げさな音楽によって台無しにされてるのが残念なところです。あとイタリア語が話されるシーンにおける英語字幕がものすごく小さかったんだけど、なんだあれ?

もっとアートハウス・シネマ的なものを目指せば良かったんだろうけど、代わりにテレビ東京で昼間にやりそうな程度の作品になってしまったのが惜しいな。

「EASY A」鑑賞


巷で評判が良いようなので観てみた。主人公のオリーブは男性経験のない地味な女子高生だったが、親友に見栄を張って「私、こないだ男の人とヤっちゃったのよ!」とウソをついたらその話が学校中に広まり、すぐに彼女は腰軽女として見なされてしまう。最初はそれに困惑していたオリーブも、逆にその立場を利用してゲイやデブの同級生たちとも「ヤってあげた」という噂を流すことにより、彼をカッコ良く見させるという行いに出る。しまいには授業で習っていたホーソーンの「緋文字」の主人公よろしく赤い「A」の字を胸につけて学校に行くのだが…というような話。

観ていて何がいちばん気になったかというと、ストーリーや演出とかではなくて、主演のエマ・ストーンが声にドスが効いているということでして、ハスキーボイスなんてものじゃなく、クラシック映画のヴァンプ女優のような非常にどっしりとした声をしてるんだよな。おまけに顔つきもヴァンプ女優っぽいので「男とヤったの」なんて言われても「ウソでしょ?」ではなく「何人と?」と聞いてしまいそうな雰囲気があるんだよな。演技自体はかわいらしいので決してミスキャストというわけではないんだけど、あの声はなかなかインパクトがありましたよ。

ストーリーはアメリカの高校における階級制度をうまく逆手にとった内容になっていて、クリスチャンの生徒たちの迫害を受けながらも、普通ならモテない生徒たちを「男にしていく」主人公の姿がよく描かれていたかな。ただし一発芸的なネタを薄くのばしたような感があったことも否めない。これが映画でなく、60分尺のテレビ番組に凝縮にされたとしたら大変素晴らしい作品になっていただろうに。また主人公の両親がとても物わかりのいいリベラルな人たちとして描かれていて、主人公の振る舞いについても何も心配してなかったのには拍子抜けしたな。ふつう教師や同級生よりも両親のほうがこういうことについて心配しそうなものだけどね。

なお出演者はエマ・ストーンのほかにもトーマス・ヘイデン・チャーチやスタンリー・トウッチ、リサ・クドロー、さらにはマルコム・マクダウェルといった豪華な面子が揃っている。こないだの「YOUTH IN REVOLT」もそうだったけど、ティーン・コメディの脇をベテラン俳優で固めるのが流行ってるのか?

「緋文字」などの古典文学を意識した言葉の使いまわしや、ジョン・ヒューズ作品への言及があったりと、日本人にはちょっととっつきにくい内容にはなっているのですが、笑えるところも多々あったし、決して悪くはない作品でしたよ。

「ジョナ・ヘックス」鑑賞


今年度最低の一本との呼び名も高い作品だが、本当にヒドい出来だったよ。

まず驚かされるのが、主人公の設定が原作のコミックと全然違うこと。ジョナ・ヘックスが顔に傷を負う過程も異なってるし、原作ではあんな死者を蘇らせるような能力は持ってないぞ。原作を知らない人のために設定を少し変えるのならまだしも、まったく別物にしてどうするんだよ。

コミック版のヘックスってクセがあるようで実はかなり汎用性のあるキャラクターで、初出誌の「Weird Western Tales」の名に恥じずにガンマンやインディアンはおろかゾンビや怪物と戦ったり、中国人と結婚したり、殺されて剥製にされたり、さらには核戦争後の未来に飛ばされて「マッド・マックス」みたいなことをやったりと(いやホントに)、どんなシチュエーションでも通用するところがあるんだけど、それでもこの映画のヘックスの姿にはかなり違和感を憶えましたね。

話の設定以外のところもみんなボロボロで、カラコレは変だしストーリーは雑だし、ピストルに撃たれた人が2メートルくらい吹っ飛ぶし、やたらと物が燃え上がるし、何でも派手にすればいいってものじゃないのよ。いちばん凄かったのはヘックスが宿敵と戦う最後のシーンで、目の前にいる相手と戦ってるのに、なぜかその相手と「別のところで戦っている」夢のシーンが挿入されてやんの!どうも監督が途中で交代させられたらしく、前の監督が撮影したフッテージを流用したらしいんだが、同じ相手と同時に別のところで戦うなんて演出は普通考えつかないよな。

これに合わせて出演者の演技もダメダメで、ミーガン・フォックスは存在意義がまったく無いし、ジョン・マルコヴィッチは明らかに手を抜いて演技してるし。それになぜウィル・アーネットが真面目な役を演じてるのか。ジョッシュ・ブローリンって最近は当たり役が続いてた印象があったけど、これで一気に評判を落としたね。しかもこの直後に同じウェスタンの「トゥルー・グリット」に出たというのが皮肉というか何というか。

この作品で良かったところがあるとすれば、冒頭のタイトル・シーケンスがアニメになっていて、そこにエデュアルド・リッソのアートが使われてることくらいか。でも「ルーザーズ」のときも思ったけど、コミックが原作の映画だからって無理してコミックの絵を出す必要はないと思うんだけどね。ワーナーは今後DCコミックス作品の映画に力を入れていくらしいけど、こんな映画を作るようでは先が思いやられるなあ。