「Bestia」鑑賞

明日はアカデミー賞授賞式ということで、今年のアニメ短編部門にノミネートされたチリの作品。

磁器のごとき外見をもった、太った女性が犬と暮らしているさまを描いたストップモーション・アニメでセリフは一切なし。後述するようにショッキングなシーンがちらほら出てくるものの、これが何を主題にしているかを知らないと、作品を理解することはまず無理でしょう。

それで作品が何を主題にしているかといいますと、俺もCRACKEDの記事を読んでこの作品のことを知ったわけだが、これチリの軍事政権下で政治犯を拷問したというイングリッド・オルデロックという女性の話なんだそうな。チリに亡命したナチスのドイツ人の家庭に生まれた彼女は、軍事政権下の秘密警察のメンバーとして政治犯の拷問にあたり、飼い犬に彼らを強姦させる非道な行為を行ったとされる。秘密警察を去った際に左派ゲリラ(もしくは彼女の元同僚)に頭を狙撃されるものの一命を取り止め、その後は軍事政権下の行為について裁かれることもなく2001年に亡くなった。

こういう背景を知ってからこの作品を観ると、オルデロックの経歴が15分ほどの尺で巧みに語られていることに驚く。飼い犬と黙々と暮らす彼女は、秘密警察の拷問施設があるVenda Sexyと呼ばれる家に通い、そこの地下室において政治犯の叫び声を消すためにポップミュージックをかけながら、犬を使って彼らを拷問していく。後に彼女は秘密警察を解雇?され、自宅近くにおいて頭を狙撃される。主人公が自分の行為を悔いるような描写も無くはないものの、全体的には彼女の仏頂面は変わらず、撃たれた傷跡が磁器のヒビのごとく頭に残っているのが印象的でした。

こないだチャウシェスク政権についてのセリフが出てくるルーマニア映画「アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ」を観たときも思ったが、独裁政権を経験した国から、その時代を振り返るような映画が出てくるといろいろリアルな表現があって興味深いですね。戦後の日本映画が通らなかった道、と言うのは偏見かな。短編ながらもいろいろ考えさせられる作品であった。

「ザ・バットマン」鑑賞

感想をざっと。ネタバレ注意。

  • マット・リーヴスが監督した「猿の惑星: 新世紀」は個人的にSFアクションの教科書的作品だと考えてまして、猿の側にも人間の側にも良い奴と悪い奴がいることを紹介したうえで、両側の衝突が不可避となってテンションが高まっていくさまを丁寧に描き、クライマックスの後に題名通り夜明け(DAWN)を迎えるところが本当に素晴らしい出来だったのです。
  • それでもって今回の作品だが、ほぼ3時間という長尺でありながら同様のテンションの高まりを築くことはできず、スーパーヒーロー作品としてはカタルシスを与えてくれる内容になっていなかったと思う。
  • いちばん引っかかったのはバットマンの圧倒的な未熟さで、犯罪と戦うにあたって最後までリドラーに翻弄されて彼の計画を防ぐことができない。格闘においてもやたら脇の開いたパンチを繰り出して、防弾スーツに頼って銃弾をモロにくらってぶっ倒れる次第。事件の捜査も警察にかなり頼ってるなど、まだ経験不足で衝動的という設定とはいえ、「さすがバットマン!」と思わせる展開が皆無だった。
  • このように肝心のクライマックスが欠けたことで、話としてはずいぶん平坦なものになってしまっていたような。もちろん金のかかったアクションも多いし決して退屈ではないものの、あくまでも「彼」が登場するであろう続編(あとまあペンギンのTVシリーズ)につなげるためのTVドラマのような序章、という印象を抱いてしまったよ。ピントがボケた暗い雨のシーンで雰囲気を盛り上げるのはいいのだけど、本当に雰囲気だけで終わっているのでは。
  • ベースにしたコミックは「イヤー・ワン」と「ロング・ハロウィーン」、あとは意外にも「アース・ワン」あたりかな。例によってコミックにまつわるイースター・エッグが散りばめられてましたね。
  • リドラーはリドラーじゃなくてゾディアックすぎるだろ。彼が結局何をやりたかったのか分からなかったの、俺の頭が悪いのか?
  • 興行的には大成功しているようで、間違いなく続編が作られるでしょう。その続編とあわせることで真っ当な評価が下せる作品ですかね。それが良いことだとは思わないが。

「AFTER YANG」鑑賞

デビュー作「Columbus」が素晴らしかったコゴナダ監督の長編2作目。アメリカでは劇場公開とあわせてSHOWTIMEで配信という変則的なリリース形態で、仕方なしにゴニョゴニョしてSHOWTIMEに加入することに。以下はネタバレ注意。

舞台は未来。テクノと呼ばれるヒューマノイドが普通に家庭で暮らす時代。ジェイクとキラの夫妻は、中国から養子に迎えた娘のミカの兄代わりとして、中国文化に詳しい「ほぼ新品」のテクノであるヤンを家族の一員として迎えていた。しかしある日ヤンが作動しなくなり、ジェイクは彼を元に戻そうと奮闘することになる。元の売り場でヤンを直せないことを知った彼は非正規の修理人に頼み込むが、そこで彼はヤンが今までの生活のメモリーバンクを備えていることを知る。そのメモリーバンクを開いたジェイクは、ヤンの意外な記録を知るのだった…というあらすじ。

原作となった短編小説があるそうで、内容は「Columbus」に比べると意外なくらいにSFしているのだが、派手なアクションなどがあるわけではなく、家族の一員の喪失とその思い出を中心にしたしんみりとした話になっている。家族に迎えられたヒューマノイドの話という点ではスピルバーグの「A.I.」に通じるものがあるが、知的なアートSFとしてはアレックス・ガーランドの作品やスパイク・ジョーンズの「HER」のような雰囲気があるかな。

コゴナダの画面作りは前作以上に美しいものになっていて、室内のシーンでは壁・廊下・壁といった仕切りで画面を3分割し、廊下の奥を覗き込んでいる構図のものが多かったな。色使いも特徴的で、屋外のシーンでは芝生の映えるような緑が強調されていた。また自動運転?の車のなかで会話するシーンも多く、車に映る光の使い方も印象的であった。

ジェイクを演じるのはコリン・ファレル。「ザ・バットマン」みたいな大作に出る一方で、これやヨルゴス・ランティモスの作品に出たりと幅の広い出演をしてるな。キラ役はジョディ・ターナー=スミスで、あとはクリフトン・コリンズJr.なんかも出てました。コゴナダは韓国出身だが劇中では中国の文化に関するトリビアがヤンから語られ、音楽は坂本龍一がテーマ曲を担当しているほかミツキの歌が使われていたりと、いろんなアジアの要素が含まれている作品でもありました。

SF的な要素に押されて、前作に比べると感情的な盛り上げに少し欠ける気もするが、これは物語の要であるヤンが不在であることも関係しているかな。とはいえ映像の非常に美しい、幻想的な作品でした。劇場の大画面で観るとまた感想が違ってくるかもしれない。

「OLD HENRY」鑑賞

前知識なしで観た、ティム・ブレイク・ネルソン主演のウェスタン。以下はネタバレ注意。

舞台は1905年のオクラホマ。人里から遠く離れた荒地に息子と住む農民のヘンリーは、瀕死の男が倒れているのを発見し、さらにその近くに大金が入った袋があるのを見つけ、男と袋を家に持ち帰る。男を拘束しつつも息子とともに介抱するヘンリーだったが、彼を探して保安官と称する三人の男が彼のもとにやってくる。男のことは知らないとヘンリーは答えるものの、彼を疑う男たちによってヘンリーの家は襲撃される。こうしてヘンリーは銃を手に取って戦うことになるのだった…というあらすじ。

ヘンリーが謎めいた過去を持っていることは最初から示唆されていて、まあいわゆる「銃を捨てた老ガンマン」っぽいな、というのは大体察しがつく。妻が亡くなり子供とともに細々と暮らしているものの、やがてまた銃を持って戦うことになる…という展開はイーストウッドの「許されざる者」まんまでクリーシェじみているとは思うものの、そういう話の展開って個人的には嫌いではないですよ。そして肝心のヘンリーの過去についてはちょっと意外な事実が明かされ、設定の巧みさには関心してしまった。アイデアの勝利。

ティム・ブレイク・ネルソンの演技が素晴らしいことは毎度のことながら、今回はコメディ要素の全くない渋い役を演じ切っている。彼と戦う保安官役のスティーブン・ドーフも年取って渋くなってきましたね。監督&脚本のポッツィ・ポンチローリってこれまではコメディ番組の監督やプロデュースをやってた人らしいが、今作では女性が全く登場しない硬派な西部劇の世界を作り上げている。

クリーシェが多いことは確かだし、ウェスタンに新しい風をもたらすような作品ではないだろうが、評論家に高い評価を得ているのもうなずける良作。ウェスタン好きな人は観て損はないかと。

「TITANE」鑑賞

昨年のカンヌでパルムドールとったそうな。邦題「TITANE/チタン」で4月公開。「RAW」のジュリア・デュクルノー監督作品。以降はネタバレ注意。

プロットはあってないようなものだけど、子供の頃に事故によって側頭部にチタンのプレートを埋め込まれたアレクシアは、大人になってショウガールとして人気を博していたが、その一方では近寄ってきた男性を刺し殺す連続殺人鬼でもあった。ある晩、目の前に現れた車に乗り込んだ彼女はその車と性行為をして、子供を身籠ることになる。やがて彼女は指名手配されることになり、逃避行中に彼女は髪を切って性別を偽り、長らく行方不明になっていた男性のふりをする。そしてその男性の父親である消防団長は何も言わずにアレクシアを受け入れ、消防署における彼女(彼)の奇妙な親子生活が始まるのだった…というあらすじ。

たぶんあらすじ読んでも意味わからないと思うし、実際に映画を観てもプロットが把握できないので、あまり深く考えないほうが良いでしょう。車とセックスという要素はクローネンバーグの「クラッシュ」を必然的に連想させるもので、腹の大きくなったアレクシアが乳首から母乳の代わりにモーターオイルを垂れ流し、腹が裂けてチタン製の皮膚が露出するあたりはクローネンバーグ風のボディーホラーだなという感じ。消防団の団長役を演じるヴァンサン・ランドンも、「クラッシュ」のイライアス・コティーズに(俺の中では)似ていたような。妊婦のボディホラーというのが、女性監督の映画だなという気もする。乳首のピアスに髪の毛が絡むと痛い、なんて描写は男性はあまり思いつかないだろうな。

ただし前半はかなり突拍子もない展開が続き、レオス・カラックスの「ホーリー・モーターズ」並みの出来になるかな、と思いきや舞台が消防署に移った後半では、父親と子の関係が中心になって意外にもしっとりとした内容になってしまったのでは?前半はアレクシアが暴走してるのに、後半では何も喋らない気弱な人間になってしまうのが肩透かしであった。

アレクシアを演じるアガト・ルセルってこれが実質的な俳優デビュー作のようだけど、丸刈りになったり全裸になったりと、文字通り体をはった怪演を見せつけてくれる。「RAW」の主役だったガランス・マリリエールもちょっと出てます。

「RAW」に続いてこっちも上映中に失神した観客が出たとか報じられたけど、まあ観る人の気分によるんじゃないかな。前半のノリに比べて後半が失速気味だったのと、「RAW」ほど主人公の感情描写がなかったのがちょっと勿体ない気がしました。