「WHAT DO WE SEE WHEN WE LOOK AT THE SKY?」鑑賞

良い評判を目にしていたジョージア(アメリカじゃないよ)の映画。

舞台はジョージアの街(クタイシ?)。ワールドカップの放送に人々が期待するなか、ギオルギとリサという男女が街中で出会う。1日のうちに何度か出会ったふたりは、次の日にカフェで会いましょうと約束をして別れる。しかしその晩、ふたりは悪い呪いをかけられ、外見をまったく違う人のものにされてしまう。それでも約束通りカフェに向かうふたりだったが、お互いの外見が異なっているために気づかず再会はできなかった。さらに呪いの影響で職を変えることになったふたりは、ごく近くの場所で働くことになるものの、それでもお互いの正体には気づかず…というあらすじ。

あらすじだと災厄がふりかかってきた恋人の物語のように聞こえるが、全くそんな内容ではなくて、外見が変わった(異なる役者が演じている)ギオルギとリサがそのまま普通に暮らし、また接近していくさまが淡々と描かれている。呪いをかけたのは誰かとか、解くにはどうするのかといった展開は全くなし。

2時間半の長尺だが、子供たちがサッカーをして遊んでいる光景とか、野良犬がサッカー中継を観る話とかに多くの時間が割かれていた。監督のAlexandre Koberidze自身によるナレーションがまた飄々としていて、現代のおとぎ話を聞かされているような感じになってくる。ペースが間延びしているといえばそれまでだが、ジョージアの日常なんてそう目にするものではないから退屈ではなかったよ。

ロングショットで撮影されたシーンが多くて、街の風景を遠くから眺めるような雰囲気をだしているほか、主人公ふたりの外見が変わっても特にクローズショットになったりせず、逆に人物の足元をよく撮っているあたり、自分の撮りたいものがよく分かっている監督だなと思いました。画面上に突然テロップが出て、「合図するまで目を閉じてください。いいですね?」なんて観客に指示する演出もあり、遊び心に溢れてました。

万人向けの作品ではないだろうけど、ほんわかした心地よい作品。ジョージア語は文字が可愛いね。

「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」鑑賞

観た人はご存知のようにこれ出オチが重要な映画なので、出演者について語るとネタバレになってしまうのよな。というわけで以降は完全にネタバレがあるものとして注意してください。そして感想をざっと。

  • 前作の終わり方からも想定されてたように、話のベースになってるのは原作の「ONE MORE DAY」のストーリーラインか。以前に書いたようにあれコミックは評判悪くてライターのJM・ストラジンスキー自身も不満を述べてるような代物だが、あれが映像化されてクレジットで謝辞も捧げられているストラジンスキーの心中はいかなるものだろう。尤も原作と違ってドクター・ストレンジを使うことで「オールリセット!」の過程はもっとマイルドになってたけど。
  • あとはマルチバースの概念が登場することから、原作の「スパイダーバース」に負うものも大きいな。ライミ版とアメイジング版だけではなく、アニメ版「スパイダーバース」も観ておいたほうが楽しめますね。
  • 個人的に、現在のアメコミ映画の(長い)トレンドはサム・ライミのスパイダーマン3部作から始まったと考えているので、あの潤沢な資産をきちんとリスペクトしたうえでリソースとして使い、一方では2作で終わってしまった「アメイジング」にも満足できる解答(着地シーンね)を与えていたのは旨いなと思いました。
  • ただし脚本でどうしても腑に落ちない点があって、それは全てのトラブルが主人公の未熟さ故に起きたということ。ストレンジの呪文を邪魔したのは若気の至りだと大目に見るとしても、そのあとの「ヴィランたちを元いた世界に返す」ことを拒否したために、結果として大事な人に危害が加わったわけで、彼がどんなに奮闘しようとも「あんたが人の言うことを最初から聞いていれば…」と冷めた目で見てしまったよ。
  • この一連の展開で感じたのが「アメコミ映画の業(カルマ)」のようなもので、有名ヴィランはどんなに極悪非道なことをしても死なないアメコミとちがって(死んで生き返る人もいますが)、アメコミ映画って89年の「バットマン」の頃から「主人公の正体を知ったヴィランが死ぬ」という結末が多かったんだよな。今回はそれを踏まえたのか「あなたたち今までヴィランを死なせてたのだから、今回はちゃんと救いなさい」という内容になっていたのは興味深かった。
  • でもやはりピーターが払った代償は割に合わないと思うのよねえ。それを受けて彼が何かを学んだのかと考えると微妙で、単に罰を黙って受け入れたような感じもしたのだが。おばさん、コミックでも2回くらい生き返ってるのでこっちでも復活するかと思ってたのに。

というわけで脚本の落としどころにはモヤモヤするものが残ったものの、過去のスパイダーマン映画の集大成という意味では楽しめる、よく出来た作品でございました。(劇場内での撮影は違法ですが)海外のファンのリアクション動画を見ていると、例の登場シーンなんかは相当盛り上がったみたいで、日本の観客ももっと騒いでもいいのにな、とこういう映画を観た時には思ってしまう。

2021年の映画トップ10

今年は去年に比べると劇場に足を運ぶ回数も多くなり、いわゆる大作映画を大きなスクリーンで観られる機会も多かった一方で、そんなに心に残った作品はなかったような…「DUNE」とか「ノー・タイム・トゥ・ダイ」とか。むしろ例年以上に(あの手この手を使って)配信で視聴したインディペンデント系の小品のほうが記憶に残るものが多かった年でした。その一方でオチどころか観たこと自体も忘れてる作品もあったりして、これ自宅で「ながら視聴」してしまう弊害かなあ。来年はもうちょっと気を引き締めて映画を観ようと思うのです。

以下は順不同。

The Climb

1月に観た作品は内容を忘れがちなのでこういうリストで損をするのだが、中年男ふたりのバディコメディとして楽しめる出来になっていた。

Judas and The Black Messiah

邦題「ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償」。これ日本では劇場公開しなかったんだっけ?史実をどこまで正確に描いているかは置いといても、主役のふたりのパワフルな演技が見られて満足。

「Never Rarely Sometimes Always」

邦題「17歳の瞳に映る世界」。決して気軽に観られるような作品ではないけれど、最初意味不明だった題名が劇中で繰り返されるシーンは衝撃的だった。

Butt Boy

バカみたいな設定だしバカみたいな内容なのだけど、映画としてきちんと成り立ってる不思議な作品。いやほんとに。

「The Opening Act」

これ感想書けば良かったな。ジミー・O・ヤン演じる青年がスタンダップコメディアンとして成功しようとする作品。コメディというよりも監督の経験に基づいた青春物語として楽しめるほか、アメリカのコメディクラブの仕組みがよく分かる面白い作品だった。

ダメ男(たち)が主人公の作品に俺は弱いのです。「シャン・チー」なんかよりも面白かった…。

Pig

「俺は今まで作った料理をすべて覚えている」は今年最強のセリフ。

ザ・スーサイド・スクワッド

大傑作というわけでないけれど、「シャン・チー」や「エターナルズ」といったスーパーヒーロー映画がイマイチだったなか、カッコいい映像とイカすアクションに徹したつくりは爽快だった。

The Show

アラン・ムーア御大の映画を観たよ!と自慢したいがために挙げておく。いや(意外にも)普通に楽しめる作品でしたが。

「マトリックス・レザレクションズ

世間の評価はイマイチのようだけど俺は好き。監督に大金を渡して、本人の信条にあわせて好き勝手に作らせたら良いものが出来たという好例。JJ・エイブラムスが辿り着けない境地がここにある。

そのほか良かった作品としては「ポゼッサー」「サイコ・ゴアマン」「Mr. ノーボディ」「フリー・ガイ」「フレンチ・イグジット」「ほんとうのピノッキオ」あたりかな。「アメリカン・ユートピア」や「サマー・オブ・ソウル」などもコンサート映画としては秀逸なのだけど、ドキュメンタリーとして捉えるとちょっと物足りなかったかな。

完全に私事になるが、映画のサブスクリプション・サービスに入っていると、どうしてもそっちで提供されている作品を優先的にチェックしようという気になってしまうわけで、有料課金の作品をちょっと敬遠してしまう傾向が今年はあったような。よって高い評判を得ている「The Green Knight」「The Card Counter」などはまだ観てなかったりする。さらに言うとネットフリックスの映画も基本的にチェックしてなかったりするのだが、こういうのは選り好みせずにもっときちんと観るようにしないといけないですね。

「AZOR」鑑賞

アルゼンチン・フランス・スイス合作の映画。いろいろ高い評価を得ているので観てみた。

舞台は1980年、軍事政権下のアルゼンチン。銀行家のイヴァンは、謎の失踪を遂げた同僚の後任として妻とともにブエノスアイレスを訪れ、国の富裕層を相手に金融の話をしていく。人や物資だけでなく競走馬までもが消え失せるこの国において、イヴァンは金持ちたちの欲と闇を目にするのだった…というあらすじ。

いちおうスリラーという立て付けだが派手なアクションがあるわけでもなく、一見きちんと管理されているような社会の裏側で蠢く人々の欲望を主人公が目にしていくという内容。主人公に紹介される運転手の名前がダンテというあたり、地獄めぐりを示唆しているのかしらん。聖職者のオッサンが敬虔なようでいちばん強欲だったりします。

右も左も分からないままブエノスアイレスにやってきたイヴァンは、失踪した同僚の残した手がかりをもとに物事の本質に迫っていくわけだが、同僚が普通の銀行員だったのに対してイヴァンはプライベート・バンカーなのでクセのある顧客の取り扱いに慣れている、という設定だったかな?

スイス出身の監督アンドレアス・フォンタナはこれがデビュー作らしいが、画面のスペースなども効果的に使用してベテランのような映像づくりを行っている。これをきっかけにメジャースタジオなどからも声がかかるんじゃないかな。イヴァン役のファブリツィオ・ロンジョーネって「サンドラの週末」の人か…あれ観てないや。

全体的に物静かすぎて、そこまで高い評価を得るべきものかな?とも思ったけど、雰囲気の醸し出し方などは巧みな作品でした。劇中で使われる英語・スペイン語・フランス語を聞き分けることが出来たのが個人的な収穫。

「Mother/Android」鑑賞

クロエ・グレース・モレッツ主演の米HULUオリジナルムービー…のようだけど来月にはNETFLIXで日本でも観られるみたい。

舞台は近未来、人間そっくりのアンドロイドが開発され、召使いとして人間に奉仕している世界。しかしある日世界中を怪電波が襲い、アンドロイドたちは自我を持って人間たちを襲い始める。その直前にボーイフレンドのサムとの子供を妊娠してしまったジョージアは、臨月の身になりながらもボストンを目指してサムと危険地帯の横断を試みるのだった…というあらすじ。

人間に敵対するアンドロイド、ということでSF的な要素があるかと思いきや意外なくらいに無し。ありがちなサバイバルもので襲ってくるのはゾンビでも怪物でも宇宙人でも差し替え可能、といった内容。いちおうアンドロイドが人間の感情を学んでうんたら、という展開もあるものの大して面白くない。せめて「ターミネーター」ばりのアクションがあれば良かったのだが、悲しいかな予算のなさが顕著で顔に機械をひっつけたくらいの役者が追いかけてくる程度。

主人公が妊婦という設定もあまり活かせてなくて、せっかく安全なキャンプに一度はかくまってもらったのにサムの身勝手な振る舞いで追い出されるし、ジョージアも当然ながら派手なアクションができる訳ではないので微妙に話をダルくしている感がある。でも基地の軍人なんかよりも活躍してアンドロイドの襲撃を防いだりしてるんだよなあ。

タイトルが「母とアンドロイド」なのに、母性と機械という要素の絡みがなかったのが至極残念。監督・脚本のマットソン・トムリンって「ターミネーター」のTVシリーズ版のライターも手がけるらしいが大丈夫かね?クロエ・グレース・モレッツもこれとか「シャドウ・イン・ザ・クラウド」みたいなジャンル映画ばかりに出るのは避けた方が良いのでは、と思ってしまうのです。