「マトリックス レザレクションズ」鑑賞

おれ「マトリックス(無印)」好きなのよ。社会人なりたての時にワーナーの試写で何の前知識もないまま観て、これグラント・モリソンの「THE INVISIBLES」じゃん!と勝手に興奮し、メカニックデザインがジェフ・ダロウで、ストーリーボードがマーベルでコミック描いてたスティーブ・スクロースだったりと、MCUもDCEUもライミ版スパイダーマンも無かった時代にアメコミ映画にいちばん近い映画だったんじゃないかな。続編の展開はちょっとアレでしたが。

それで今回の18年ぶりの新作、いわゆるネタが尽きたあとのリサイクル的な作品かな…と思っていたらかなり楽しめる作品だった。ラナ・ウォシャウスキーに好き勝手やらせたような内容で、リメークでもソフトリブートでもなくガチの続編として作られており、約20年前の役者が若々しかった頃の映像をふんだんに使うことも厭わない。前半は特にメタな出来で、三部作をゲームとしてカジュアルに批評し、ついでにワーナー・ブラザースにも言及する悪ノリっぷり。20年前は仮想現実というと「コンピュータープログラムの世界」というイメージだったが、最近は「フリー・ガイ」もそうだけど「ゲームの世界」にシフトしてきた感がありますね。

マトリックス史上最長の148分という長さで、特に前半は過去の登場人物はどうなったかという説明などにずいぶん時間を割いていて、ちょっと配信向けミニシリーズっぽい雰囲気があったかな。前作から引き続き登場している役者はキアヌ・リーブスとキャリー・アン=モス、そしてジャダ・ピンケット・スミスくらいだが、ハリウッド作品にありがちな「ヒロインは若手女優に交代」という展開がなくて、キャリー・アン=モスがMILFと呼ばれて自分の子供たちと出演しててもしっかりキアヌの相方役を演じてたのは良かった。あとクリスティーナ・リッチが30秒くらい出てたのは何だったのだろう。

敵側のコンピューターが何を目的としているのかきちんと説明されないのはシリーズの伝統で、なんかモヤモヤするところもあるし、今まで以上に人類側はコンピューターに頼ってないか?という感もあったな。とはいえ安直に「AIの脅威」、といった話にせずにきちんとしたSF映画にしていて満足。「DUNE」なんかよりもSF映画として楽しめるのでは?スワームたちとのアクションシーンも見応えがあったし、これでまた新たなトリロジーを作って欲しいなと思わせてくれた快作。

「ラストナイト・イン・ソーホー」鑑賞

エドガー・ライト、次作は60年代のブリティッシュ・ホラーにオマージュを捧げた作品になる、みたいなことをずっと言っていて、まさにその通りの作品を作り上げたという感じ。前作「ベイビー・ドライバー」の元ネタがライトの監督したミント・ロワイヤルのミュージックビデオだとしたら、こっちの元ネタは「グラインドハウス」用に作ったフェイクのトレーラー「DON’T」になるのかな。

いろいろ現代的な味付けがされているとはいえ、かなり率直に「60年代ポップカルチャーにオマージュを捧げたホラー」になってるので、他に何を読み取れば良いのか…。冒頭はファッション業界を舞台にした女性同士のドロドロした物語になるのかな、と思ったら舞台が60年代に移ったことで前半は「パフォーマンス」「狙撃者」っぽいギャングスターもの、後半は「赤い影」のようなサイコサスペンスものになっていた。

役者も60年代に活躍した面々を揃えていて、相変わらず渋いテレンス・スタンプとか、これが遺作となったダイアナ・リグとか。リグは「EXTRAS」とか「ドクター・フー」に出演したときは結構老けちゃったなと思ったけど、今作では重要人物を元気に演じていて、当初は別の役者かと思ったくらいです。一方で若手組は、トーマサイン・マッケンジーって「LEAVE NO TRACE」の人か。アニャ・テイラー=ジョイとふたりで主役を張ってるけど、プロットに押されてキャラクター設定がちょっと一面的だったような?マット・スミスはあの変顔を活かして怪しい男の雰囲気をよく出してますね。

エドガー・ライトの映画といえば音楽も売りで、彼が年末に選ぶ「今年の50曲」はいつも拝聴させてもらってます。今作は当然ながら60年代のポップスが中心で、「Puppet On A String」「(There’s) Always Something There To Remind Me」など劇中の展開にあわせた曲の使い方も巧い。ジョージ・ハリスンの「セット・オン・ユー」の原曲も初めて聞きました。あと今回は鏡の映りなどを効果的に使った撮影が非常に特徴的だな、と思ったら撮影監督はパク・チャヌク作品に多く関わってるチョン・ジョンフンが務めてるのですね。

ちょっとプロットというかギミックを前面に押し出した影響で、ストーリー展開や話のテンポが十分に練られていない印象もあり、前作「ベイビー・ドライバー」ほど楽しめる作品では無かったかな。でも初見では見逃した伏線や小ネタなども盛り込まれていると思うので、機会があれば再見して見たい作品です。

「FOR MADMEN ONLY」鑑賞

個人的に興味深いドキュメンタリーを観たので、忘備録的に感想を書いておく。

インプロビゼーション・コメディ(即興コメディ)の草分けとして知られるコメディアン、デル・クローズの生涯を紹介したもので、俺もこの人については全く知らなかったのだけど、ビル・マーレイやボブ・オデンカーク、ジョン・ファブロー、アダム・マッケイ、ティナ・フェイ、エイミー・ポーラーなどといった現代のアメリカン・コメディを代表する人々の多くは彼の教えを受けて育ったのだそうな。

カンサス出身のクローズは若くして家を出て、セントルイスでマイク・ニコルズやエレイン・メイなどと一緒に即興劇団で演じるようになるが、ニコルズとメイが売れてニューヨークに移ったために、それからシカゴを経由してサンフランシスコに移る。そこの即興劇団「ザ・コミッティー」において長時間に渡る即興コメディを発明し、それを「ハロルド」と名付ける。それからシカゴの有名なセカンド・シティでジョン・ベルーシなどをコーチするものの、彼らは「サタデー・ナイト・ライブ」に引き抜かれてしまう。酒もドラッグもやってた破滅型芸人であるクローズはセカンド・シティの管理人とケンカしてトロントのセカンド・シティに移り、そこでジョン・キャンディやリック・モラニスなどの教師になる。そこでも周囲とケンカして一時期は精神病院に入ってたらしいが、こういうのはどこまで信用していいのか分からんね。そしてシカゴのインプロブオリンピック・シアターでティナ・フェイやエイミー・ポーラーなどにインプロビゼーションを教えていたそうな。

クローズはシアターの教師だけでなく「フェリスはある朝突然に」などといった映画にも役者として出演しているほか、80年代には「スーサイド・スクワッド」の作者として知られるジョン・オストランダーと組んで「WASTELAND」というユーモア・コミックをDCで執筆していたそうな。18号が出されたという「WASTELAND」、寡聞にして全く知らなかったのだけど、デビッド・ロイドやティム・トルーマンなどといったアーティストがクローズの伝記的な物語を描いていたらしい。いままで単行本にまとめられたことはないらしいが、結構興味あるな。

やがてクローズは体にガタが来て1999年に64歳で亡くなってるが、直前にビル・マーレイが前倒しで誕生パーティを開催してあげたらしい。マーレイ、いい人じゃないの。

ドキュメンタリー自体はクローズのアーカイブ映像のほか、オデンカークやオストランダーといった生前の彼を知る人たちのインタビューで構成されている。「WASTELAND」の画像もふんだんに挿入されていて、コミックのコマとオストランダーのインタビューが狂言回しのような役割を果たしているかな。さらにクローズやオストランダー、DCの編集者のマイク・ゴールドたちのやりとりを役者が演じる再現シーンも含まれていて、クローズ役を演じるのはジェームズ・アーバニアク。彼は「アメリカン・スプレンダー」ではロバート・クラムを演じてましたね。

インプロビゼーション・コメディとアメコミという、実にニッチなジャンルを取り扱ったドキュメンタリーなので万人向けではないだろうが、俺みたいなどっちも好きな人には大変面白い作品でございました。クローズが確立した「ハロルド」は3つのシチュエーションが3つのシーンに渡って演じられるうちに互いのシチュエーションが入り混じっていく、という複雑な構成をもったインプロビゼーションらしい。説明を聞いてもよく分からないので、ぜひこの目で実演を観てみたいものです。

「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」鑑賞

かなり期待しないで観に行ったつもりだが、やはりダメだったでござる。以降はネタバレ注意。

カーネイジが登場することは前作のラスト、というかヴェノムの映画が作られた時点で確定路線だったのだろうが、おれあのキャラ嫌いなのよな。元来ヴィランだったヴェノムが1990年代初頭に、当時のグリム&グリッティなコミックの流行に乗って人気が出たために「リーサル・プロテクター(劇中でも言及されてましたね)」としてのアンチヒーロー的な立場になってしまい、ヴィランとして使えなくなったので代わりに登場したのがカーネイジ。当時の流行を反映した残虐キャラで、あまり深みのあるキャラでは無かったと思うが当時のマーベルは大々的に売り出して、12パートのストーリーライン「MAXIMUM CARNAGE」とか打ち出してたけど長いだけでグデグデになってた覚えが。このバブル末期的なイベントが、数年後のマーベル倒産の予兆だった、と見なすのはそんなに間違ってないと思うのです。

んで映画の方はちょっと不思議な構造をしていて、こういうスーパーヒーローものというかアクション作品の続編って、とくにバディ要素がある場合、以下のような話の流れが黄金パターンになってると思うのです:

  1. 前作で手に入れたパワーを使って主人公と相棒がノリノリで活躍する
  2. その裏で新たな敵が登場する
  3. その敵と主人公が遭遇、主人公が負ける
  4. 主人公が苦悩する、あるいは相棒とケンカする
  5. 主人公が自身を見つめ直して成長する、あるいは相棒と仲直りする
  6. 敵を打ち負かす

それに対してこの映画は上の3〜5くらいの部分が抜けてるというか、エディ・ブロックとヴェノムのバディ漫才が長々と続いたのちに、彼らの仲直りもしっかり描かれないまま、いきなりカーネイジと「初対面」してそのまま最終決戦になる流れに驚いてしまったよ。これクリーシェを破っているというよりも、脚本の練り込みが足りないのでは。今回はトム・ハーディが初めて脚本にも関わったらしいが、それが影響してるのかなあ。

監督のアンディ・サーキスも役者としてはすごい人だけど、過去の「ブレス しあわせの呼吸」などから察するに監督としての腕はそこまでではないと思うのですよね。エディとヴェノムが体をシェアしたまま話をする際のセリフがやたら多くて、もうちょっと整理しても良かったのでは。出演者はやはりスティーブン・グレアムの出番がもっと欲しかったな。あとウディ・ハレルソンとナオミ・ハリスが幼なじみを演じるには歳が離れすぎてるのでは。

90年代のコミックでよく覚えてる「ビーチでくつろぐエディ・ブロック」という実にマイナーなシーンまで映像化したのは評価するけど、やはりね、もうひと捻り欲しい作品だった。

「ZOLA」鑑賞

みんな大好きA24が今年配給した映画。ゾーラ・キングという女性が実際にフロリダで経験したという一連の出来事をツイッターで148連投(!)したところバズって、「ローリング・ストーン誌」の記事になって、それがこの映画の元ネタになったものらしい。

デトロイトのレストランで働いていたゾーラは、客として来ていたステファニと意気投合し、彼女に誘われてフロリダのクラブでストリッパーの仕事をして一儲けを計画する。ステファニの彼氏のデレク、および彼女の友人の「X」とともに車に乗ってフロリダに到着したゾーラだが、Xは実はステファニのポン引きであり、ストリッパーだけでなく売春の仕事をゾーラとステファニに強制してくる。最初は断ったゾーラだが、Xに脅されて仕方なしに客の待つホテルにステファニとともに向かうことに…といったあらすじ。

上記のローリングストーンの記事によるとXのモデルになった人物はのちに人身売買の容疑で逮捕されてるようで、話の展開はサスペンス的ではあるものの、映画の作りはもっと「アフター・アワーズ」みたいな夜のドタバタを描いあブラックコメディっぽいものになっている。35ミリフィルム(たぶん)で撮影された映像にレトロなフォントが乗っかるオープニングなんかは70年代のブラクスプロイテーション映画を彷彿とさせるものの、その一方でツイッターの送信音や通知音が鳴り響くモダンさ。時たまデジタル撮影した映像が挿入され、登場人物が第4の壁を破ってカメラに話しかけたりもして、これぞアート映画!という香りがプンプンしてます。そういうのが苦手な人にはダメな映画かも。おまけに音楽はミーカ・レヴィだぞ。

さらにローリングストーンの記事によると実際のゾーラによる一連の出来事の供述と、ステファニのモデルとなった人物の証言もまた食い違ってるそうで、劇中でも突然ステファニが自分なりの解説を始めたりするものの、基本的にはゾーラの視点で物語が進んでいく。なんかいろんな演出を劇中で試して、それがすべて成功している、というわけではないような。

監督のジャニクザ・ブラヴォーって知らなかったが今後いろいろ活躍するかもしれない。ゾーラ役にはテイラー・ペイジでステファニ役にライリー・キーオ。ふたりのビッチなやりとりも面白かったが、X役のコールマン・ドミンゴの威圧的な演技がいちばん良かったかな。

観た後に何かが残るような作品でもないが、試みとしては野心的で悪くないというか。おそらく今後も「ツイートを映画化」という作品が(日本でも)出てきそうな気がするけど、これくらいの出来を目指さないといけないよという1つの試金石的な作品となるのではないでしょうか。