「Fire Island」鑑賞

サーチライト・ピクチャーズ製作の、米HULUのオリジナルムービー。昔は(FOX)サーチライトの映画はみんな劇場公開されたものだがのう。ディズニーが配信に追いやるようになってしまった。

舞台は題名の通り、ニューヨーク州ロングアイランドの南にある細長いリゾート地ファイアー・アイランド。ここはゲイのリゾート地として有名だそうで、主人公のノアは親友のハウィーやほかの友人たちと共に、毎年来ているこの島にバカンスにやってくる。彼らはいつもお世話になっているレズビアンのエリンの家に泊まるのだが、彼女が経済的に困窮して家を売ることになったため、これが最後のバカンスになることを知る。そんな彼らは素敵な出会いを求めてパーティーに向かい、近くの裕福な家に滞在しているチャーリーたちと仲良くなる。そしてチャーリーの友人のウィルが自分に気がありそうなことに感づくノアだったが、ウィルが堅物ということもあって二人の仲はなかなか進展せず…というようなあらすじ。

これでピンとくる人は皆無だろうが、これジェイン・オースティンの「高慢と偏見」をベースにしているそうな。ノアがエリザベスでウィルがダーシーでハウイーがジェーンで…ということらしいが、おれ大学でオースティン読まされて大嫌いになったので詳しくは分かりません。すいません。

まあ「高慢と偏見」は過去にもいろいろ脚色されてるのでゲイ版が出てくるのも時間の問題だったのだろうが、この作品に出てくる男性たちはみんなゲイというかクィアに振れてる人たちばかりで、自分の性的指向に悩むような人物はゼロ。ついでに言うと上半身にシャツとか着てる人たちもゼロに近くて、物語の大半をみんなパンツ一丁で過ごしてます。人種に関わらずみんな胸板が厚くて体脂肪率が10%切ってそうな羨ましい体をしてるのだが、あれ頑張ってジム通いしてんのかなあ。

オースティンの原作が好きな人は登場人物を比較したりして楽しめるかもしれないが、そうでないとちょっとキャストが多すぎるかな、という印象を受けた。あとは人間関係の絡み具合が分かりにくいかも。この映画のいちばんの特徴は主人公のノアやハウイーがアジア系であることで、今までアジア人のクィアが主人公の映画なんて殆どなかったんじゃないか。ゲイのコミュニティにおいてアジア系が無視されがちなことも劇中では言及されるが、それでもこういう映画が作られたのは画期的だよな。

元々はQuibiのシリーズとして企画されたものらしいが、ノア役を演じるジョエル・キム・ブースターが脚本も書いている。よく知らなかったけど韓国系のコメディアンだそうで。親友のハウイーを演じるボーウェン・ヤンはいまSNLのレギュラーになって人気が爆上がり中のコメディアンで、彼もゲイであることを公言してる人だよな。あとはエリン役をマーガレット・チョーが演じています。

万人向けの作品では無いとは思うけど、「クレイジー・リッチ!」で花開いたアジア人映画のトレンドが、こういうところまで来たかと思うと感慨深いものがあるのです。これ日本でもディズニー+で6月後半に配信するそうだが、日本での受けはどんなものになるのだろう。

「THE INNOCENTS」鑑賞

ノルウェーの映画だよ。以下はネタバレ注意。

舞台はノルウェー(郊外?)の住宅団地。親の仕事の関係でそこに引っ越してきたイーダは、ベンという少年と友達になり、彼が持っている不思議な能力を目にする。一方、イーダの姉で重度の自閉症児であるアナのもとにはアイシャという少女がやってきて、彼女もまた不思議な能力を用いてイーダと心を交わすのだった。アナもまた能力を持つ兆候を見せ、イーダたち4人はそれらの能力を使って無邪気に遊んでいたが、やがて家庭環境の不満などからベンが暴走気味になり、その脅威はイーダたちにも向けられることに…というあらすじ。

ホラーっぽい演出もあるものの、意外と純然たる超能力SFであった。子供たちが持っている能力は明確に説明されないものの、ベンがテレキネシスでアイシャがテレパシー、アナもちょっとテレキネシスといったところかな。「クロニクル」みたいな派手な超能力バトルはない一方で、湖の水とか足元の砂の動きを使って超能力を効果的に表現している。

題名こそ「無垢な者たち」だが主人公の子供たちは子供ながらの残虐性を秘めていて、イーダは親の関心を集めるアナに嫉妬して彼女を虐めているし、ベンも野良猫を平気で虐待するような少年だったりする。ベンはアジア系でアイシャは黒人、どちらも母子家庭出身というのも能力に関係しているのかもしれないが、詳しい説明は全くないです。

イーダの両親などの大人はあくまでも脇役で主人公は子供たち4人だが、これが映画デビューとなる子供たちはみんな大人顔負けの演技をしていて大変素晴らしい。監督・脚本のエスキル・フォクトってヨアキム・トリアーの作品の脚本を書いてる人だそうで、2017年の「テルマ」も超能力を扱った作品らしいけど未見。というか超能力を持つ団地の子供たち、という設定が大友克洋の「童夢」を彷彿とさせて、特にラストの演出はかなり似てるのだが参考にしたのかなあ。あのマンガの実写版を観たい人におすすめの作品。

「Bestia」鑑賞

明日はアカデミー賞授賞式ということで、今年のアニメ短編部門にノミネートされたチリの作品。

磁器のごとき外見をもった、太った女性が犬と暮らしているさまを描いたストップモーション・アニメでセリフは一切なし。後述するようにショッキングなシーンがちらほら出てくるものの、これが何を主題にしているかを知らないと、作品を理解することはまず無理でしょう。

それで作品が何を主題にしているかといいますと、俺もCRACKEDの記事を読んでこの作品のことを知ったわけだが、これチリの軍事政権下で政治犯を拷問したというイングリッド・オルデロックという女性の話なんだそうな。チリに亡命したナチスのドイツ人の家庭に生まれた彼女は、軍事政権下の秘密警察のメンバーとして政治犯の拷問にあたり、飼い犬に彼らを強姦させる非道な行為を行ったとされる。秘密警察を去った際に左派ゲリラ(もしくは彼女の元同僚)に頭を狙撃されるものの一命を取り止め、その後は軍事政権下の行為について裁かれることもなく2001年に亡くなった。

こういう背景を知ってからこの作品を観ると、オルデロックの経歴が15分ほどの尺で巧みに語られていることに驚く。飼い犬と黙々と暮らす彼女は、秘密警察の拷問施設があるVenda Sexyと呼ばれる家に通い、そこの地下室において政治犯の叫び声を消すためにポップミュージックをかけながら、犬を使って彼らを拷問していく。後に彼女は秘密警察を解雇?され、自宅近くにおいて頭を狙撃される。主人公が自分の行為を悔いるような描写も無くはないものの、全体的には彼女の仏頂面は変わらず、撃たれた傷跡が磁器のヒビのごとく頭に残っているのが印象的でした。

こないだチャウシェスク政権についてのセリフが出てくるルーマニア映画「アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ」を観たときも思ったが、独裁政権を経験した国から、その時代を振り返るような映画が出てくるといろいろリアルな表現があって興味深いですね。戦後の日本映画が通らなかった道、と言うのは偏見かな。短編ながらもいろいろ考えさせられる作品であった。

「ザ・バットマン」鑑賞

感想をざっと。ネタバレ注意。

  • マット・リーヴスが監督した「猿の惑星: 新世紀」は個人的にSFアクションの教科書的作品だと考えてまして、猿の側にも人間の側にも良い奴と悪い奴がいることを紹介したうえで、両側の衝突が不可避となってテンションが高まっていくさまを丁寧に描き、クライマックスの後に題名通り夜明け(DAWN)を迎えるところが本当に素晴らしい出来だったのです。
  • それでもって今回の作品だが、ほぼ3時間という長尺でありながら同様のテンションの高まりを築くことはできず、スーパーヒーロー作品としてはカタルシスを与えてくれる内容になっていなかったと思う。
  • いちばん引っかかったのはバットマンの圧倒的な未熟さで、犯罪と戦うにあたって最後までリドラーに翻弄されて彼の計画を防ぐことができない。格闘においてもやたら脇の開いたパンチを繰り出して、防弾スーツに頼って銃弾をモロにくらってぶっ倒れる次第。事件の捜査も警察にかなり頼ってるなど、まだ経験不足で衝動的という設定とはいえ、「さすがバットマン!」と思わせる展開が皆無だった。
  • このように肝心のクライマックスが欠けたことで、話としてはずいぶん平坦なものになってしまっていたような。もちろん金のかかったアクションも多いし決して退屈ではないものの、あくまでも「彼」が登場するであろう続編(あとまあペンギンのTVシリーズ)につなげるためのTVドラマのような序章、という印象を抱いてしまったよ。ピントがボケた暗い雨のシーンで雰囲気を盛り上げるのはいいのだけど、本当に雰囲気だけで終わっているのでは。
  • ベースにしたコミックは「イヤー・ワン」と「ロング・ハロウィーン」、あとは意外にも「アース・ワン」あたりかな。例によってコミックにまつわるイースター・エッグが散りばめられてましたね。
  • リドラーはリドラーじゃなくてゾディアックすぎるだろ。彼が結局何をやりたかったのか分からなかったの、俺の頭が悪いのか?
  • 興行的には大成功しているようで、間違いなく続編が作られるでしょう。その続編とあわせることで真っ当な評価が下せる作品ですかね。それが良いことだとは思わないが。

「AFTER YANG」鑑賞

デビュー作「Columbus」が素晴らしかったコゴナダ監督の長編2作目。アメリカでは劇場公開とあわせてSHOWTIMEで配信という変則的なリリース形態で、仕方なしにゴニョゴニョしてSHOWTIMEに加入することに。以下はネタバレ注意。

舞台は未来。テクノと呼ばれるヒューマノイドが普通に家庭で暮らす時代。ジェイクとキラの夫妻は、中国から養子に迎えた娘のミカの兄代わりとして、中国文化に詳しい「ほぼ新品」のテクノであるヤンを家族の一員として迎えていた。しかしある日ヤンが作動しなくなり、ジェイクは彼を元に戻そうと奮闘することになる。元の売り場でヤンを直せないことを知った彼は非正規の修理人に頼み込むが、そこで彼はヤンが今までの生活のメモリーバンクを備えていることを知る。そのメモリーバンクを開いたジェイクは、ヤンの意外な記録を知るのだった…というあらすじ。

原作となった短編小説があるそうで、内容は「Columbus」に比べると意外なくらいにSFしているのだが、派手なアクションなどがあるわけではなく、家族の一員の喪失とその思い出を中心にしたしんみりとした話になっている。家族に迎えられたヒューマノイドの話という点ではスピルバーグの「A.I.」に通じるものがあるが、知的なアートSFとしてはアレックス・ガーランドの作品やスパイク・ジョーンズの「HER」のような雰囲気があるかな。

コゴナダの画面作りは前作以上に美しいものになっていて、室内のシーンでは壁・廊下・壁といった仕切りで画面を3分割し、廊下の奥を覗き込んでいる構図のものが多かったな。色使いも特徴的で、屋外のシーンでは芝生の映えるような緑が強調されていた。また自動運転?の車のなかで会話するシーンも多く、車に映る光の使い方も印象的であった。

ジェイクを演じるのはコリン・ファレル。「ザ・バットマン」みたいな大作に出る一方で、これやヨルゴス・ランティモスの作品に出たりと幅の広い出演をしてるな。キラ役はジョディ・ターナー=スミスで、あとはクリフトン・コリンズJr.なんかも出てました。コゴナダは韓国出身だが劇中では中国の文化に関するトリビアがヤンから語られ、音楽は坂本龍一がテーマ曲を担当しているほかミツキの歌が使われていたりと、いろんなアジアの要素が含まれている作品でもありました。

SF的な要素に押されて、前作に比べると感情的な盛り上げに少し欠ける気もするが、これは物語の要であるヤンが不在であることも関係しているかな。とはいえ映像の非常に美しい、幻想的な作品でした。劇場の大画面で観るとまた感想が違ってくるかもしれない。