「NOT OKAY」鑑賞

サーチライト・ピクチャーズ製作の、米HULUオリジナル映画。FOXを買収したあとのディズニーって、連れ子を憎む継母のごとくサーチライト・ピクチャーズ作品を劇場公開せずにHULUに島流しにしているようで、あれって良くないよなあ。こないだの「Good Luck to You, Leo Grande」なんて劇場公開して宣伝に力いれれば、エマ・トンプソンが余裕でアカデミー賞候補になりそうなのに。

それでこの映画の舞台はニューヨーク。雑誌の編集部で働くダニはSNSで有名になることを夢みるものの、同僚にも人気のない女性。そんな彼女は同僚で憧れのインフルエンサーであるコリンの気をひくために、パリでの研修に参加するとウソをついてしまう。そのウソをカバーするために自分がパリにいる写真をフォトショップで捏造してSNSにあげる彼女だったが、その直後にパリで大規模なテロ事件が発生、彼女は一躍「テロのサバイバー」として話題になってしまう。自分がそもそもパリに行ってないことを告白することもできず、コリンにも注目されたダニは逆に気をよくして、学校の銃撃事件の生存者である少女とも知り合った彼女は一緒にソーシャル・ムーブメントを立ち上げるのだったが…というあらすじ。

主人公がウソをついて人気者に仕立て上げられ、ウソをつき続ける羽目になる、という展開は傑作「WORLD’S GREATEST DAD」によく似ているけどオチはあそこまでのカタルシスはなし。SNSの承認中毒とかメディアの記事捏造とか、いろんなテーマを盛り込めたかもしれないけどサタイアとしても弱いな、といった感じ。ダニのウソがバレることは冒頭から明かされてるので展開が読めてしまうというか、100分ほどの短尺でも少し冗長な印象を受けた。いきなりパリでテロが起きる展開には驚いたので、もっと無茶苦茶やっても良かったんじゃないのと思う。

主役のダニを演じるゾーイ・ドゥイッチってリー・トンプソンの娘らしいが、顔つきがやけにローズ・バーンに似ているのでバーンが演技しているようにしか見えないのが損なところである。あとはコリン役を金髪にしたディラン・オブライエンが演じてます。

監督・脚本のクイン・シェパードって俳優出身の若手監督らしいが、全体的に練り込みが足りないのが残念。由緒あるサーチライト・ピクチャーズの名に恥じないような作品を作って欲しかったところです。

「ソー:ラブ&サンダー」鑑賞

29本目のマーベル映画、となると観にいく方も流石に疲れてくるのでこないだの「ドクター・ストレンジ」は感想を書く気力がなかったのですが、これは忘備録的に感想をざっと:

  • 前作「ラグナロク」以上にコメディタッチの出来で、まあそういう作品だとポップコーン片手に観るのは悪くないんじゃないですか。
  • その一方で子供の喪失とか不治の病や恋愛といった真面目なテーマになるとまるで深掘りできてないのが明白で、全体的にメリハリのない作品になっていた。タイカ・ワイティティは「ジョジョ・ラビット」もそうだったが真っ当に向き合うべきところ他愛もないジョークを加えて逃げてしまうのが彼のスタイルというか弱点というか。人間関係については「ワイルダーピープル」のほうがずっと上手く演出できてたと思うんだがな。
  • この影響で脚本も一本調子で、子供たちがさらわれた!助けに行くぞ!だけ。2時間という尺は最近のマーベル映画にしては短いのかもしれないけど、もう一捻りあってもよかったのでは。ゼウスとの陳腐な掛け合いに時間を割いてるよりも。
  • ゴア・ザ・ゴッド・ブッチャーや女性版ソーが出てくるあたり、数年前のジェイソン・アーロン版のコミックに影響を受けているのは明らかだが、ゴアってもっと手強い敵じゃなかったっけ?3世代のソーを1年くらいかけてネチネチと痛めつけた、ここ最近ではかなりインパクトの強いヴィランだった覚えが。
  • そのゴアを演じるクリスチャン・ベールは相変わらず演技が巧い一方で、メークとCGで多分に加工された役を演じさせるのは勿体無い気もする。この映画、ベールに加えてナタリー・ポートマンとかラッセル・クロウなどいい役者が出てるのに、そのシナジーが生み出せてないのが残念。

あとはネタバレになりますが、ミッドクレジットに登場するキャラクターがやがてヘムズワース降板後のメインキャラになるのではと噂されてるけどどうなんでしょうね。まだ1つ隠し球が控えてると思うのだが:

というわけで冒頭に書いたように、気軽に楽しむ感じで観にいく分には悪くない作品。ただこの感じだと、ワイティティが企画しているという「スター・ウォーズ」作品はあまり期待できそうにないな。

「MAD GOD」鑑賞

ストップ・モーション・アニメの第一人者であるフィル・ティペット御大が30年かけて作り上げた大作…というふれこみだが中断期間もあったようなので正確な製作期間は分かりません。何にせよこのような問題作を、長い間黙々と作業して作り上げてしまうことが常識を逸しているのだが。

内容は当然ながらストップ・モーションのアニメ作品で、劇中で意味のわかるようなセリフは一切使われていない(一瞬「OH NO!」と呟かれる)。世界背景の解説なども全くなく、話のなかで何が起きているかは推測するしかないのだが、混沌とした怪物と汚物まみれの世界に、上空から潜水鐘のようなものに入った一人の兵士(公式な名前は『暗殺者』らしい)が降りてくるのが話の始まり。スーツケースをかて手に持った兵士はそのまま地中に降り立ち、ボロボロの地図を頼りにしてさらに地下を目指す。そこで彼は電気椅子につながれた巨人たちや、顔も知性もない人造人間(?)たちが奴隷のように働く巨大工場などを目撃する。それらを通り抜けて兵士は目的の場所に到着するのだが…というあらすじ。

繰り返すが世界設定の説明などは全くないので、兵士が何者なのか、彼が降り立った世界は何なのかは正確には分からない。狂気に満ち溢れた世界において怪物たちは捕食しあい、人造人間は虫ケラのごとく虐待され、えげつない拷問も行われる。特に最初の30分くらいは描写がキツくて、途中からはミリタリー調・後半にはファンタジーっぽい雰囲気になるかな。それでもグロいことに代わりはないのだが。

フィル・ティペットといえば古くは初代「スター・ウォーズ」三部作のホロチェスやトーントーンなどのアニメを担当した台ベテランだが、個人的に好きなのは「ロボコップ2」で、CGなどが存在しない時代において次世代ロボコップ(ロボケイン)をこれでもかとグリグリグリグリ動かした格闘シーンが死ぬほど好きなのです。

これを見てもわかるように、ティペットって「悪意のあるキャラ」の雰囲気を描写するのが得意だと考えてまして、今作においてもプロローグはバベルの塔に対する神の怒りから始まり、レビ書における神の罵詈雑言(例:「わたしはあなたがたの罪に従って七倍の災をあなたがたに下すであろう」)が語られるなど、理不尽な怒りに満ちた内容になっている。混沌にあふれた世界の創造・崩壊・創造の繰り返しがテーマであることも窺えるが、そもそもこのような世界を一人で作り出したティペット本人こそが狂える神だよね…?というのは観た人誰もが思うことだろう。

ストップ・モーション特有の表現ではないが、キャラクターのスケール感が効果的に演出されていた。兵士が巨人に遭遇する一方で、足元で小人たちを押し潰し、エサのまかれたガラス瓶のなかには小動物たちの別の世界が広がっていて…というような描写。なお実写のパートも少しあって、兵士を送り込む「上の世界」のお偉いさんを生身の人間が演じているのだが、それがなぜか「レポマン」の監督ことアレックス・コックス。ティペットとコックスの作品って全くの別物のような気がするが、音楽を担当してるダン・ウールってコックスの作品も手掛けてるようなので、何かしらの接点はあるのかも。

いろいろトラウマになりそうな描写がオンパレードの映画なので、デートなどで観にいくのはやめたほうが良いでしょう。狂える神が狂える世界をつくった、狂える映画。

「DUAL」鑑賞

世間の評判はどうであれ俺の非常に好きな作品である「THE ART OF SELF-DEFENSE(恐怖のセンセイ)」の監督であるライリー・スターンズの新作。以下はネタバレ注意。

舞台は架空のアメリカ。技術の進歩と法改正により、病気で余生いくばくもない人々は、残された遺族の悲しみを軽減させるために自分のクローンを作り、自分が亡きあとに自分の代わりとして暮らさせることが認められていた。しがない生活を送っていた女性サラも、大量の吐血をしたことで自分の余命がわずかであることを知り、周囲に勧められるまま自分のクローン(ダブル)を作る。サラのすべてを学び、彼女の母親や恋人とも仲良くなっていくダブル。しかしサラは奇跡的に完治してしまい、自分の立場を姑息にも乗っ取り始めたダブルを処分しようとするものの、法的にはダブルにも生存権が与えられていた。この場合オリジナルとダブルは観衆の前でルールに基づいて殺し合いを行い、生き残った方が「本物」になれるのだった。こうしてダブルとの闘いを控えたサラは、格闘のスキルを学ぶための教室に通うのだったが…というあらすじ。

自分のクローンと一騎打ち、というと藤子不二雄の「ひとりぼっちの宇宙戦争」みたいだが、なんでクローンにまつわる技術や法律ができたのかの解説はまったくなし。ディストピアSFというよりもヨルゴス・ランティモス作品を彷彿とさせるデッドパン・コメディとして微妙に不条理な話がどんどん進んでいく。他人に立場を乗っ取られる主人公、という点ではランティモスの「NIMIC」にも近いかな。ダブルの権利がやけに厚遇されていて、ダブルの生活費はオリジナルが負担する、という設定が妙にエグかった。

主人公のサラは人生に目的があるわけでもなく、単身赴任中の恋人とも疎遠になっており、口うるさい母親に悩まされる生活を送っている。よって自分が死ぬことを知らされてもあまりショックを受けないわけだが、自分よりも恋人や母親とうまくやってるダブルに怒りを覚え、生きるためというよりもダブルを倒すために戦いを学んでいく。

サラとダブルを演じるのはカレン・ギラン。「ジュマンジ」とか観てると身体能力的にケンカ強そうだが、ここでは無表情で運命に翻弄される主人公を演じている。そんな彼女に格闘のノウハウを教え込むコーチを演じるのがアーロン・ポール。前作もそうだったけどこの監督、冷徹な鬼コーチを出すのが好きだよな。あとはテオ・ジェームズが冒頭にちょっと出てます。コロナ対策のためにフィンランドで撮影したそうで、あまりアメリカに見えない外の景色が、どことなく違う世界の雰囲気を出すのに貢献している。

現代の「有害な男らしさ」の問題を絶妙に描いていた前作に比べて、今回はSFっぽい設定を用いたことでテーマが少しぼけている感もあるし、最後のオチは賛否両論あるだろうが、いろいろ興味深い作品でした。この監督はもっと評価されるべき。

「LAMB」鑑賞

アイスランドの映画だよ。日本では9月公開だとか。以下は完全なネタバレがあるので注意。

舞台はアイスランドの人里遠く離れた山奥の農家。そこで羊を飼ったり農業を営んでいるマリアとイングヴァールの夫婦はある日、羊の一匹が奇妙な子供を産んだことを発見する。その子供に困惑しながらも、ふたりは自分たちの子供として育てることにするのだが…というあらすじ。

これだけではよく分からんね。要するに産まれた子供は羊と人間のあいのこのような存在で、人の体に羊の頭がついているような生物。マリアとイングヴァールにはかつて子供がいたことが示唆され、その娘にあやかってアダと名付けられた子供は両親に愛されて育てられていく。

物語は3章に分けられていて、アダの実の母親(つまりヒツジ)が子供を取り返そうとするのが第1章、第2章はイングヴァールのだらしない兄貴がふたりのもとにやって来て、第3章に登場するのは…。セリフも少なくてあまり多くのことが語られない作りだが、1つのテーマは親権争いになるのかな?アダの実の母親とマリアの確執とか。いちおうホラーという扱いだが、「ローズマリーの赤ちゃん」よりもフォークロア的な内容になっていて、人々はアダの姿を見ても誰も恐れたりせずに受け入れているし、アイスランドの美しい山々を背景にした映像が幻想的な雰囲気を醸し出している。

マリアを演じるのはノオミ・ラパス。スウェーデン人だがアイスランド育ちだそうで普通にアイスランド語で話している。監督バルディミール・ヨハンソンはハリウッドで「ゲーム・オブ・スローンズ」や「オブリビオン」に電気技師?として関わっているという不思議な経歴の持ち主だが、なんとこれアイスランド映画としては史上最も興収を稼いだ映画になったそうな。他にアイスランド映画ってどんなものがあるのか全く知らないのですが、こういう質の高いジャンル映画が作られるというのは、今後出てくる作品にもいろいろ期待ができるかもしれない。