「コブラ・ヴェルデ」鑑賞

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ヴェルナー・ヘルツォークが気違い男クラウス・キンスキーと最後に組んだ作品「コブラ・ヴェルデ」を観る。

ブラジルで山賊をやっていた主人公コブラ・ヴェルデはその腕を見込まれサトウキビのプランテーションの管理役をまかされるのだが、やがて農場主たちの奸計によってアフリカへと派遣される。そこで彼は地元民たちの信頼を得て奴隷商売を成功させるのだが、やがてその国の王に目をつけられることになり…というのが大まかなストーリー。

ブラジルでの公開ムチ打ちからアフリカの王の儀式まで、なんかモンド趣味が満開の映画になっていた。奴隷やら女戦士やら障害者やらがとんでもない数で出てきて、もうお腹いっぱいといった感じ。公開は1987年と比較的最近の映画だけど、こんなのいま作ったら差別的だって非難されるよなあ。でも単なるゲテモノ映画になっておらず、ちゃんと荘厳な雰囲気の作品になっているのは監督の手腕か。ヘルツォークの風景描写の技量はハンパじゃないですからね。CGなぞ使ってない大群のシーンにも圧倒される。ちなみに音楽は例によってポポル・ヴーが担当してた。

キンスキーが自ら運命を切り開くようなタイプの人間でなく、周囲の人間の企みに翻弄される人を演じていることなどからも「アギーレ」や「フィッツカラルド」にくらべて見劣りする作品ではあることは間違いないが、それでもそんじょそこらの作品なんぞよりはずっと面白い。

「スカーフェイス」鑑賞

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こないだ「COCAINE COWBOYS」を観たからというわけでもないんだが、まだ観たことがなかった「スカーフェイス」を鑑賞する。なんか登場人物の服装とか見てると、80年代は遠くになりけり、としみじみと思ってしまう。あの当時のファッションとか音楽とかってカッコ悪かったなあ。

キューバ難民の事情とかを背景に、一介のチンピラが大物に成り上がっていく描写は決して悪くないものの、アル・パチーノはこれと似たことを「ゴッドファーザー」でずっと上手く演じているわけで、何か全体的に古くさいというか、話が典型的すぎてる気がするのは否めない。まあこの作品をパクった映画が多いので新鮮味がなくなっただけ、という見方もできるんだが。

とにかく主人公が基本的にアホなので、マイケル・コルレオーネなんかと違って観てても感情移入できないんだよね。これはギャングスタ・ラッパーたちに評判が高いことで知られる作品だけど、やはりアホ同士で共感できるところがあんのかな。決して悪い映画ではないんだが、俺の好きなタイプの作品ではなかったと思う。

「リトル・ミス・サンシャイン」鑑賞

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「リトル・ミス・サンシャイン」を観てきた。「AVクラブ」のレビューでは肯定的なものと否定的なものの両方があったので、あまり期待せずに観たんだが…。

うーん、なんか惜しい映画。それぞれ悩みを抱えた家族のメンバーが、娘の美少女コンテスト参加のためにバンに乗って旅をするうちに、自分たちがそれまで持っていた価値観よりも大切なものがこの世にあることに気づく…というのが、まあものすごく大まかな話の流れであるんだけど、各人が持っている悩みというか価値観というのが「自己啓発の本が売れない」とか「ゲイの恋人にふられた」とかという、なんかとってもアメリカンなもので、いまいち共感できるところがないんだよね。

そもそも物語の発端となった美少女コンテストだって、プラスチック製の人形のような女の子が大人にわざとらしく愛嬌をふりまくという非常におぞましいものであって(ジョンベネちゃん殺人事件もあったし)、そんなものに娘を参加させようとした時点で「あんたらどこか変じゃないの?」と思わずにはいられないのです。あと息子が××だということが判明するシーンもあるけど、普通もっと早く日常生活で気づかないかあ?

こういう映画って観る人がいかに登場人物に感情移入できるかというのが非常に重要なポイントなんだけど、残念ながら個人的には共感できるところが少なかったかな。だからといってダメダメな作品かというと必ずしもそうでなく、感動できるシーンはいくつかあったし、グレッグ・キニアやスティーブ・カレルの演技もとてもハマっていて良かったと思う。それだけに前述のような理由で楽しめなかったのが惜しまれるところであります。残念。

「COCAINE COWBOYS」鑑賞

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1980年代前半のマイアミにおける麻薬ビジネスの闇を扱ったドキュメンタリー「COCAINE COWBOYS」を観る。 比較的警察の数が少なく、海路によって南米からのアクセスも容易だったマイアミは1970年代の後半からコカインやマリファナといった麻薬の密輸が急激に増え始め、何百キロ・何千キロといった量の麻薬がマイアミへと流れ込んでいく。これによって麻薬ビジネスに関わっていた者たち(特にコロンビアン・マフィア)には莫大な富がもたらされるものの、これと同時にマフィア同士の抗争も増加し、幼い子供を含め年に500人以上もの人が殺されるという異常事態に発展する。これを重く見たマイアミ警察は警官の大幅な増員をはかるものの「麻薬の経験がある者はお断り」という制限のおかげでろくに人が集まらない始末。警官の殺害や汚職逮捕も増加し、マイアミの事態は全国的な問題へと発展していく。そんななか、ビジネスの大半を牛耳るコロンビア人の女ボスの存在が明らかになってくる…。というのが大まかなプロット。

興味深いのは、本来ならば闇のビジネスである麻薬取引があまりにも巨額の利益を関係者にもたらしたことで、彼らを通じてナイトクラブや銀行に金がもたらされ、結果的にマイアミの経済成長に大きく貢献することとなったという点。これによってアメリカ全土が不景気にあえいでいるときもマイアミだけは好景気に湧き、麻薬が街の「主産業」となって半ば公然と使用され、多大な献金を行ったことで麻薬ディーラーが政治家たちとねんごろになった時期もあったという。結局は国のメンツをかけた大規模な取り締まりによって麻薬ビジネスは縮小してくのだけど、これにあわせてマイアミの景気も減衰していったというのが何とも皮肉なオチになっている。街の建物などはボロボロになり、80年代後半の「マイアミ・バイス」の成功などによって街は観光地へと変化したんだとか。

ちなみにこの作品は麻薬の運び人をやってた人たちや警官、医師たちのインタビュー映像および当時のマイアミの写真・映像によって構成されているんだけど、昨日の「THE WILD BLUE YONDER」なんかとは対極的に短くて素早いカットが多用され、「マイアミ・バイス」のテーマ曲で知られるヤン・ハマーの音楽にのせて犯罪の物語が語られていく。良くも悪くも扇動的というか、タブロイド的な作りのドキュメンタリーといえばいいのかな。冒頭から観る人を惹きつけていくのには成功してるんだけど、1時間くらいすると観てて疲れてくるのも確かではある。

闇ビジネスが大きくなって1つの都市を乗っ取ったという意味で、非常に見応えのあるドキュメンタリー。日本では夕張市が財政不足にあえいでるらしいけど、北朝鮮あたりから麻薬を密輸して売りさばけばあっという間に大金持ちになれまっせ。長期的な影響はどうなるか責任とれないけど。

「THE WILD BLUE YONDER」鑑賞

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鬼才ヴェルナー・ヘルツォークの「THE WILD BLUE YONDER」を観る。いちおう冒頭のクレジットでは「SFファンタジー」だと紹介されるんだけど、従来のSFとはまるで違ったとても不思議な作品だった。

物語の主人公・語り手となるのはブラッド・ドゥーリフが演じる宇宙人。彼らはアンドロメダ星雲の彼方にある、死にゆく惑星「ワイルド・ブルー・ヨンダー」を離れて何百年も宇宙をさまよい、居住可能な惑星を探して地球に百年くらい前に到達し、地球人にまじって暮らしていたのだった。でも宇宙人だからといって超能力が使えるといったわけでもなく、彼らは外見も能力も地球人そのままで、才能があるとすれば宇宙のことをちょっと知ってるというくらいで、大都市を建設しようとするものの見事に失敗して「僕らはサイテーだ」とボヤいてる始末。

そんな間にNASAはロズウェル事件での落下物(実は宇宙人の送った探査機)を再調査するのだが、そこから正体不明の細菌が流出したことを危惧した彼らは、地球が汚染されて住めなくなる可能性を考慮して、居住可能な惑星を探す任務を一機のスペースシャトルに託す。そのあと細菌は無害であることが判明するが、シャトルは長い旅をそのまま続けることとなった。そしてNASAの数学者の考案によって、宇宙人たちも知らなかった宇宙旅行の近道が発見され、シャトルは宇宙の彼方へと進んでいく。そこで彼らが見つけた居住可能な惑星、それは「ワイルド・ブルー・ヨンダー」だった…というのが大まかなストーリー。

こうしてストーリーだけ書くとバリバリのSF作品のように聞こえるだろうけど、SFX映像などは一切なし。シャトルのシーンなどにはNASAによる実際の映像が使用され、水の惑星「ワイルド・ブルー・ヨンダー」のシーンには、南極の海の中の映像が使用されている。NASAの作業を撮影したごく普通の映像でも、「これは極秘の映像だ」なんていう”宇宙人”のナレーションがかぶさると全然別の映像に見えてしまうのが不思議。しかも作品の6割くらいにはナレーションもなく、宇宙と海中の神秘的な映像がオペラなどにのせて流されるので、半ばドキュメンタリーを観てるような感じになってくる。そこらへんがヘルツォークらしさでもあるんだけどね。

この非常に特殊なスタイルが100%効果的に働いているかというと、必ずしもそうじゃないんだが、何にせよ非常に印象的な作品になっていることは間違いない。行き先不明の長旅を続ける宇宙飛行士たち、そして故郷をしのぶ宇宙人の何ともいえない悲哀が話のベースにあるのも素晴らしい。作品の大半がフッテージ映像でありながら、ハリウッドではとんと作られなくなった「知的なSF映画」をきちんと作ってしまっているところが見事。J・G・バラードあたりの短編を映像化したらこんな感じになるのかな。もはや大ベテランの監督でありながらこんな作品をしれっと作ってしまうんだから、やはりヘルツォークは侮れない。