「宇宙戦争」鑑賞

今更ながら「宇宙戦争」のDVDをレンタルして観てみる。 つまらんすねー。

1898年に書かれた小説の設定を、そのまま現代に持ってきてもなんか意味がないような。小説では意外な展開だった結末も、いざ映像化されると非常にあっけないというか、それまでドンパチ派手にやらかしといて結局はそれかよ、といった感じ。もうちょっと話にアレンジを加えても良かったのに。ヤヌス・カミンスキーの映像スタイルもいいかげん飽きてきた。

それでも立派なSFXのおかげでダラダラ観るぶんには一応楽しめるものの、キャスティングが足を引っ張ってる感じ。スピルバーグ作品の必須キャラともいえる「ダメ親父」を演じるトム・クルーズは「マイノリティー・レポート」なんかと殆ど同じ演技だし、ダコタ・ファニングは相変わらず「無垢な少女」役で、そこに小生意気なバカ息子が加わって実にステロタイプな一家の出来上がり。それになんでシャベルを持ったティム・ロビンズは素手でチビのトムに負けてんだ。

大金かけて映画化する意義がどこにあったんだかよく分からない作品。とりあえずスピルバーグは「ミュンヘン」が面白いらしいので、そっちに期待します。

「GRIZZLY MAN」鑑賞

アラスカの荒野に棲む、小型トラックほどもあるようなグリズリー・ベアに魅せられて13度の夏を彼らとともに過ごし、結局ガールフレンドとともにグリズリーに喰われてしまった自然愛好家ティモシー・トレッドウェルの姿を追ったドキュメンタリー「GRIZZLY MAN」を観る。監督はヴェルナー・ヘルツォーク。音楽をリチャード・トンプソンがやっていた。 トレッドウェルのことをヘルツォークが知ったのは彼の死後のことであり、彼が殺された現場の開設から始まるこのドキュメンタリーには死の影が常につきまとっている。作品の大部分はトレッドウェルが熊たちとともに撮った映像で構成されており、トレッドウェル本人が画面に出てきて躁病患者のごとく熊への愛を語り、必要とあれば何テイクも撮って自分の主張を述べ、熊のためなら殺されてもいいと話す彼の姿が興味深い。失敗した役者でアル中だった彼は熊とのふれあいに生きがいを見いだし、彼らに名前をつけて擬人化していき、学術的に見れば問題のあるような親密さをもって熊たちと接していく。これに対し「人間と自然の関係は一線を越えてはならないものであり、これが破られれば人は代償を支払わなければならない」という登場人物の1人の言葉が印象的だ。

トレッドウェルの口調は明らかに自己賛美的で、自分の愛情を自然は理解してくれていると本気で信じているところがあるわけで、己のエゴをもって自然に立ち向かうその姿は「アギーレ/神の怒り」におけるクラウス・キンスキーに通じるものがあるかな。両者ともブロンドだし。そしてナレーターも務めるヘルツォークはトレッドウェルに同情的であるものの、必ずしも彼の意見にすべて同意しているわけではなく、人間と自然の間にはただ混沌があるのみだと語っている。なおトレッドウェルが撮った一連の映像が、彼というキャラクターを主人公にした一種の映画となってしまっていることに、ヘルツォークは映画人として惹かれたんだとか。単なる自然賛美や故人の業績紹介なんかではなく、人間と自然の関係の複雑さを突いたドキュメンタリーだと思う。

ちなみに検死医が途中で出てくるんだけど、やや演技のかかった口調で、トレッドウェルの死体の状況を瞬き1つせずに語るその姿は実にヤバくて怖いのです。

「MIRRORMASK」鑑賞

もはや伝説となった感のあるファンタジー・コミック「サンドマン」の名コンビ、ニール・ゲイマンとデイヴ・マッキーンによる映画「MIRRORMASK」を観る。もちろん脚本がゲイマンでアート&監督がマッキーン。ゲイマンによるとマッキーンのインプットのほうが多い作品なんだとか。 作品の冒頭の舞台はイギリスのブライトン。サーカスの一家に育ったヘレナは反抗期を迎えようとしているティーンの少女。彼女はサーカスでの暮らしに飽き飽きしていたが、あるとき母親が病気により倒れてしまう。彼女を見舞ってから帰宅したヘレナは、夜になって自分が不思議な世界に入り込んでいることを知る。そこは奇妙な生物が徘徊し、すべての住民がマスクをつけている幻想の世界だった。そしてそこは光と闇の国に分かれており、闇の国の王女の策略により光の国の女王が昏睡状態に陥ってしまい、世界は闇に包まれようとしていた。ヘレナは光の国を救うため、知り合った青年ヴァレンタインとともに、光と闇のバランスを正す「ミラーマスク」を探すことになるのだった…というのが主なストーリー、のはず。話がけっこう抽象的なので俺の理解が間違ってるかも。

素朴なファンタジーのようで奥が深く、ハイブローなセリフの裏に知的なユーモアが見え隠れするゲイマン節は健在。製作がジム・ヘンソン・スタジオということもあって「ラビリンス」や「ダーク・クリスタル」に似た雰囲気があるかな。少なくとも10年くらい前にゲイマン原作でつくられたTVシリーズ「ネヴァーウェア」よりはずっと面白い。

そして何よりもこの作品を際立たせているのが、全編を通じて溢れんばかりに画面を満たすマッキーンのアート。「サンドマン」の表紙の世界が映像となって縦横無尽に動くのだから本当に綺麗。見てて何かすごく得した気分にさせてくれる感じ。機械じかけの人形たちがヘレナを化粧していくシーンなんかは頭がシビれるくらいに美しい。相当な低予算で作られたらしく、映像が「NHKスペシャル」並のCGになってしまう箇所もあるものの、その独創的な芸術世界には惹き込まれずにいられない。観て損はない傑作。

こういった感性の映画は、まずアメリカからは出てこないすね。日本では公開するのかな。

「THE PROPOSITION」鑑賞

このブログの名前はニック・ケイヴの詩集「キング・インク」に由来してるわけだが、そのケイヴが脚本を担当したオーストラリアン・ウェスタン「THE PROPOSITION」を観た。監督は同じくケイヴが脚本を書いた「ゴースツ・オブ・ザ・シビル・デッド」のジョン・ヒルコート。「ゴースツ」と違ってケイヴ自身は出演してないものの、ガイ・ピアースをはじめダニー・ヒューストンやエミリー・ワトソン、ジョン・ハートといったなかなか豪華な顔ぶれが出演している。 舞台となるのは1880年代のオーストラリア。殺人とレイプの罪で指名手配されていたバーンズ3兄弟のうち、次男のチャーリーと三男のマイクが逮捕されるところから話は始まる。彼らを捕らえたスタンリー隊長は、残る長男のアーサーを始末するためチャーリーに1つの条件(Proposition)をつきつける:アーサーを探し出し、自らの手で彼を殺害しろ。さもないとマイクは死刑に処せられる、と。こうしてチャーリーは兄を見つけるため、荒野へと一人旅立っていくのだった…というのが話の主な内容。美しくも過酷なオーストラリアの大自然を舞台に、兄を捜すチャーリーの姿と、彼の帰還を待つスタンリーとその妻の姿が描かれていく。

プロット自体は比較的ストレートなウェスタンで、隠れ家が蜂の巣にされる衝撃的なオープニングに比べてラストが多少弱い気がする(スタンリーがどんどん軟弱になっていく)ものの、ケイヴの歌の世界そのままの血で血を洗うバイオレンスで全編が彩られていて、見る者を飽きさせない。もちろんケイヴが担当している音楽も効果的に使用されていていい感じだ。

フィクションとはいえ時代考証はかなり詳しくやっているらしく、ウェスタンにおけるインディアンの存在はこの映画だとアボリジニにそのまま置き換えられているわけだが、先住民の隷属化や大自然の西洋化といった出来事がアメリカだけでなくオーストラリアでも起きていたことを再認識させられる点が興味深い。ちなみに4頭のラクダが引く馬車が劇中に出てくるんだけど、あんなものが昔は本当に道を走ってたのかな。

「ヒストリー・オブ・バイオレンス」鑑賞

デビッド・クローネンバーグの最新作「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を観る。米アマゾンからDVDを購入したんだけど、もう日本でもやってんだって?劇場に行くの面倒だからまあいいや。 これは「クラッシュ」や「スパイダー」といったクローネンバーグの他の作品に比べると、意外なくらいにストレートな内容の映画だった。後半のストーリー展開が原作とかなり違っているけど、映画版は独自にうまく話をまとめていっているし、細かく比較するのは野暮でしょう。

原作では主人公ひとりの「暴力の歴史」に焦点が当てられていたのに対し、映画では1つの暴力行為がさらなる暴力を呼び、さまざまな人々(特に主人公の息子)に影響を与えていくという点が興味深い。しかもその暴力の大半は無差別・無意味な殺人なんかではなく、自分が生き残るために必要な行為として淡々と行使されていく。まるで人間はどんなに文明化しようとも、結局は暴力的な生き物なんだよと示すかのように。そしてその代償として、ごく普通の家庭だったはずの主人公一家の結束にはヒビが入っていく。でもここらへんの描写はかなり微かなものだし、エッチなシーンやアクションもそれなりにあるので、そのままテレ東の木曜洋画劇場向けの作品になりそうかも。プロット自体はトラッシュ映画、という点では「ザ・フライ」とかに通じるものがあるかな。んでもってラストはちょっとホロッとさせてくれる。

冒頭に出てくる、いい年した奥さんのコスプレにはちょっと引いたけどね。